『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal③
③ ライガ・アンバース
降霊術「影の部屋」に呑まれた時、諦めの悪さにかけては自負のあるライガもさすがに「もう駄目か」という諦観に近い感情が萌した。
死に対しては、それこそ死に物狂いで抗うつもりだった。リクトにも、二度目の生を受けた以上彼の為にもちゃんと生きる、と誓った。しかし新生ジフト──及びウカノフの狙いは、自らを生け捕りにする事にある。リクトに届かない場所に拉致された時点で、自分は敗北するのだ。
しかし、影に呑まれたのは刹那の事だった。
視界が完全に暗転した一瞬、俄かに周囲の気温が下がったのを感じた。その急激な外気の変化に「寒い」と感じた時には、既にライガは再び光の及ぶ場所へと弾き出されていた。
路地だった。周囲を四顧すると、塗装の剝げ、排気や埃によって薄汚れた膠灰の壁がある。タイルの地面には、何処かから漏れた廃液だろうか、汚水が水溜まりを随所に形成している。
何処だ、と焦ってから、壁の向こうから怒号や剣戟、魔術の炸裂音などが響いて来る事に気付き、まだリーマンの街だと分かった。どうやら、自分を異空間に引き込んだ「影」は、そこを通して自分とリクトを引き離したらしい。
「嘘だろ……?」
思わず、独白が零れ出した。「今、多分一秒もなかったぞ」
「その通りだ」
背後から、突如として反響の掛かった声が投げ掛けられた。ライガはぎょっとして振り返る。案の定、そこには髑髏の仮面を被った黒服の死霊化者が立っていた。その仮面の内側で反響している為、声は年齢や性別が定かではないが、何となくウカノフではないような気がした。
考えてみれば、ドラウ・ボンやレドム・イドゥン、冒険者パーティーのグラブル以外に目撃した「影」は、皆背丈や体格が同じだったような気がする。個別化という言葉をウカノフは使っていたが、それがなされる前は全ての「影」は同じ姿形をしているのだろう。当然ながら、声帯も肉体の一部なので、喋れば声も同じになるに違いない。
しかし、今相手によって発された声は、それとは異なる理由でライガにはウカノフとは違うと感じられた。厳密には、声そのものというより、微妙なイントネーションの違いだ。別にライガにそこまで正確な音感が備わっている訳ではないが、それは自分にとって、悪夢の記憶として散々聞いた為に忘れる事の出来ないものであるような気がしたのだ。
「『地下』では時の流れが一定ではない。その事を、貴様は冥王から聞かされていなかったのか?」
「冥王?」
「破戒僧正リムゲイ・ウカノフ……と、貴様たちは呼んでいる男だ。私もあのような男を主君として命令に服わねばならないのは業腹だが、そう定められているものは仕方あるまい。但し、やはり真の名を口に出す事は出来ない」
「今言ったじゃないか、リムゲイ・ウカノフって」
ライガは反射的にそう返してから、すぐに簡単な事に気付いた。
「もしかして、あの名は本名じゃないのか!?」
「名など単なる記号、ラベルに過ぎない。例えば、今の私は──私に与えられた名前は、冥界の女王だ」
黒衣の「影」は言うと、徐ろに仮面を外した。その下から現れた顔を見、ライガは驚くと同時に、心の何処かでは、ああ、やはりか、と思っている自分が居る事に気付いていた。
「女王蜂……ジェムシリカ!?」
「如何にも」
現れた顔は、ジフト公国第一皇女ジェムシリカ・イスラフェリーのものだった。十年前、自分がカヴァリエリ近郊で死霊化術を以て葬り去った時のまま、変化していない。
不思議と、信じられないような事が起きている、という気はしなかった。既に、この間ガウスで先例を目の当たりにしている為だ。
自らの「失われた一年間」の最中、魔群に死の呪いを受け、死後怨霊となって魂を消滅させたグラブル。彼は、何故か「影」となって再びイオニアたちの前に姿を現した。彼らはそれにより、ウカノフの持っていた魔杖オムグロンデュに死霊化術の犠牲となった魂を集める力があるのだと信じた。
ジェムシリカも、それと同じケースなのではないか。いや、そうには違いないだろうが、やはり何故──。
「ライガ・アンバース。貴様は正真正銘、本物の貴様の魂だ。冥王から、禁術で私を殺した貴様がリクト・レボルンスに討たれたと聞かされた時は幾分か溜飲の下がるような気がしたものだ。だが、やはり悪運の方が勝ったようだな。たとえ、利用されるのだとしても」
冥界の女王と名乗ったジェムシリカは、芝居がかった仕草で両手を上げて見せながら言った。
「片や私の魂は──魂の材質は、完全に砕け散ってしまった。こうしている私も、今やかつての私ではない。たとえ本来の輪廻に立ち返れたとしても、この残留思念が魂の記憶として非忘却者に転生する事はない」
「本来の輪廻?」
「貴様も薄々気が付いているから、あのグラブル・ドナーを死霊化術では殺さなかったのだろう? 本来の死者の如く誄し、未来世へ送り出した。いずれ消される記憶に、どのような意味を見出すのかは知らないがな」
ジェムシリカは言うと、お喋りは終わりだというようにローブの中に両手を差し入れた。あたかも影の中から取り出したように、その手の中に一対の双剣が現れる。彼女が以前使用していた、瑠璃色の刀身を持つものだ。
「私が貴様に命を奪われてから、様々な変化があったらしい」
先程から、平然と「自分を殺した」という旨の台詞を口にする彼女の精神力に、ライガは戦慄を禁じ得なかった。
彼女の台詞も持って回ったようなものだったが、それはウカノフのように殊更にそのような喋り方をしてこちらを煙に巻き、愉しもうとしているというより、それ以上に語る言葉を持てない──否、自分の言いたい事を、こちらが理解出来ていない事も構わず話しているという調子だった。
「貴様が『地下』の共感に招かれるには、『死に至る灰』を摂取する必要があるという話だ。しかし──要するに最後の一撃を死霊化術によって決めさえすれば、文句はないのだろう?」
言いざま、ジェムシリカは地面を蹴った。
──こちらを殺すつもりか。
今までとは異なる敵意の向けられ方に、ライガは戸惑った。「蠍」たちは、自分を生け捕りにしようとしていたはずではないか。
しかし、ガウスでウカノフはこのようにも言っていた──やむを得ない場合は死霊化術でなら殺しても構わない、と。
(まさか、生け捕りっていうのは『蠍』たちへの方便か……!?)
死霊化術で殺害した後、何らかの措置を取れば、その者は「影」として──ウカノフの意思に絶対服従する者として転生する。しかしその事を、わざわざ境界転生でライガを復活させたという事を知る者たちには明かす事が出来ないので、生け捕りを命じていたのか。
では、理想的な手段として「灰」を摂取させるという事は──?
「どうした、ライガ・アンバース!?」
ジェムシリカに肉薄され、ライガは思考を中断した。
眼前の危機に対処せねばならない、と思い、腰から剣を抜こうとする。しかし、直前に生成魔術で作り出していた仮初の武器の剣は、あの魔心者の子供たちとの戦闘が終了する時には耐久値が限界を迎えていたらしく、異空間に引き込まれた時には砕け散ってしまっていた。
ライガは跳躍でジェムシリカの斬撃を回避し、再度生成魔術を詠唱した。
「空事よ、我が詞に依りて現となれ……マニフェスタテイル!」
復活してから今まで主にしてきたように、死霊化術を中心に魔術を駆使して戦うという選択肢もあった。が、攻撃手段はともかくとして、ジェムシリカに対して徒手で戦闘を行うのは危険だ、という認識は働いていた。
その上、「影」となったグラブルは、最初に死霊化術で倒しても復活した。恐らくあの分では、ドラウやレドムも再び蘇っているに違いない。このジェムシリカについても、死霊化術で止めを刺す事により、それでたとえ目下の危機を脱する事が出来たとしても蘇ってしまうと思われた。
「崩瀑陣!」
「緋炎斬!」
再び振り下ろされた彼女の二刀に、ライガは横薙ぎで対抗する。同時に、こちらが上位技を使えばすぐに行われる対応についても考えていた。
「デカルコマニー──」
「滔々と侵し来れるもの、厳き波濤の頂に坐すもの……彼が咎を御手に委ねん!」
転写術による感応の──技の模倣だ。これは魔術なので、それによって再現したものが剣技であっても、技の系統の違いから直前に発生した技後硬直を無視して攻撃を繰り出せる。
ガウスで交戦したグラブルは、「影」となっても尚生前と同じく精霊招喚術を使用した。生ける屍と同じく、「影」も個別化された後は生前に修得していた技を使用出来るのだ。剣技も魔術も、その例外はない。
ジェムシリカの二刀が、糸で引かれているかのような動きで持ち上がり、炎を纏った斬撃を放ってくる。ライガはそれを分かっていたので、水属性文法の詩文を唱えていたのだ。
「パニッシュメント!」
眼前に特大の水球を出現させ、それを放つ──という瞬間に、ジェムシリカの双剣はそれを一閃して両断した。
爆発が発生すると共に、加熱された水蒸気がもうもうと立ち込める。ライガは、狙い通りだ、と胸中で独りごち、姿勢を低くして煙幕代わりのそれが蟠っている場所を時計回りに迂回した。
ジェムシリカの姿が見えた。双剣を顔の前で交差させ、防御の姿勢を取りつつ爆心からノックバックで離れている。
視界を遮られた中で闇雲な突進をせず、一度後退したジェムシリカの判断は、ライガが「自分でもそうする」と思えるものだった。特に彼女は、こちらが斬撃術を使用する事も知っている。霧の中からそれが飛んで来たら、見てからの回避では間に合わない。
後退する彼女の両足が地面につく前に、ライガは屈んだ姿勢から膝の撥条を使って飛び出していた。ジェムシリカの側面から、オリジナル降霊術を使用しながら肉薄を試みる。
「カタラフィーディ!」
「デカルコマニー!」
すかさず、彼女も同じ術を使用する。二筋の光の鞭が生き物の如く空中で撓り、鋭い音を立てながらぶつかり合う。
それが絡まると、どちらからともなく術を解除し、また剣を手に双方から互いに襲い掛かった。あたかも、ジェムシリカがこちらの戦闘スタイルを模倣しているかのように、それはシンクロした動きだった。
彼女は真似をしているのではない。こちらの戦闘スタイルを理解し、それに対する最適解といえる行動のみを実行している。それが可能になる程、彼女はライガの戦い方を研究していた。それも当然だ、ジェムシリカはジフト戦役に於いて、指揮官としての責務を等閑にしてでもこちらを討つ事に躍起になった。
剣戟と共に、火花が激しく散って薄暗い路地が照らし出された。火花の量が多いのは、こちらの脆弱な仮想物質の剣が一撃ごとに激しく損耗している為だ。
やがて、ピシッ、という不吉な音が鳴った。
破砕する、と思い、ライガは三度それを生成し直そうとする。
「マニフェスタ──」
が、
「させぬ! 雫紋通鐵!」
亀裂の走った剣を突き破り、ジェムシリカの突きがこちらの左掌を貫いた。
激痛が腕を走り、脳天から突き抜けたような気がした。しかし、ライガはそこで反射的に引きそうになった体を、あるだけの理性を振り絞ってその場に押し留め、貫かれた掌を握り込んだ。
後方に避けたところで、ジェムシリカのもう片方の剣から攻撃が放たれ、追い討ちを掛けられる事は目に見えていた。
ライガは、そのまま変身術を解除した。背丈が六歳児のガラルのものになり、手の位置が下方に下がる。ジェムシリカは、それに引かれるように「おっ」と声を上げて前にのめった。
以前にも、彼女に対して採った事のある戦法だった。確か、彼女の側近であるスクリュー・バウカーに感応を奪われたリクトが、シアリーズに感応移植術を施して貰う為に帝国に戻ろうとしていた時の事だ。ソレイユとの国境で奇襲を掛けてきたジェムシリカと戦闘を行ったライガは、貫かれたままビギンズの幼君リュシアンの姿に変身する事で彼女を剣諸共下方に引っ張った。
その位置取りのまま、ライガは貫かれた手から斬撃術を放った。
「クペアンドゥ!」
「やってくれたな……!」
ジェムシリカも、その時の記憶が過ぎったらしい。憤悶に面皮を紅潮させ、こちらの掌を突き刺した右手の剣の柄からぱっと手を離して後退する。反射的に左手の剣で飛来した斬撃を受け止めようとしたが、風切り羽などの斬撃系統魔術とは異なり、これは空間断裂の為防御は不可能だ。彼女も理解していないはずはないが、反射にはそのような理性など働かない。
左手の剣も、半ば辺りから刃をすっぱりと断たれた。ジェムシリカは鋭く舌打ちし、使い物にならなくなった剣を手放す。
ライガは掌から剣を抜いて蹴り飛ばすと、また変身術を発動し、生前の自分の姿に化けた。そこまで、危機を脱するのに息を吐く暇さえなかったので、一連の動作が終わるとどっと疲労が襲い掛かって来た。
どんな姿に化けようと、畢竟この肉体は六歳児のものだ。生前の自分と同程度の激しさでジェムシリカと戦えば、筋肉や骨に回復不能なレベルで疲労を蓄積させる恐れがあった。




