『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal②
② ヴォルノ・イェーガー
街の裏からまさに突入を掛けようとした時、「蠍」の襲撃を受けた。否、正確には、街を脱出しようとしていた「蠍」をこちらが襲撃した、という方が事実に近いだろう。
ヴォルノが──恐らくは他の騎士たちも──そう思い難いのは、こちらが現れた瞬間の敵の対応があまりにも迅速だった為だ。あたかも、こちらが裏から仕掛ける事を読み、待ち構えていたかのように。
「暴食」
聖職者のようなローブを蝙蝠の翼の如くはためかせ、周囲を駆け回る絶霊喰鬼キルヒム・アサップが、「蠍」たちと同時に現れた魔物の生ける屍たちに手を伸ばしながら嚥魂術を使用した。
途端に、彼の姿が変化を来す。両脚は三本指のある鳥と蜥蜴の中間のような獣竜のものに変じ、背中には一対の鷲の翼が生えた。頰の皮膚には、鱗製の防具を着けているかのように硬質な甲殻が生じた。
生ける屍と化した魔物たちの中から、それらの特徴を持った個体は魂が抜き取られたかの如く──実際にそうなのだが──ぴたりと停止し、やがてばたりと倒れて物言わぬ骸となった。
この男に起こった今までと異なる変化は、主に二つだった。
まずは、この「暴食」なる技術。今まで彼は、嚥魂術で喰らえる魂は一度の使用につき一つのみで、二つ目を取り込んだ時、最初に取り込んでいた方の効力は上書きされて消滅していた。しかし、この技術を使用すると、複数個の魂を同時に取り込んで同時にそれらの性質を肉体に再現する事が可能となるらしい。
二つ目の変化は、彼が魔物を死霊化して使役するのを躊躇わなくなった事。怨霊となった魂は、生前が人間であろうと、獣や魔物であろうと、全てが死霊化術による使役の対象となる。魔物招喚術は修得に時間の掛かる魔術だが、それを身に着けていなくても死霊化者は魔物の使役が可能だ。が、魔物はその行動の不確実性と、怨念に支配された状態での戦闘力が計り知れないという事から、生ける屍として使役する事はライガですらしなかった。
しかし、キルヒムはその禁忌に手を染めた。「暴食」を編み出した事で、能力を吸収し得る魔物をいわゆる”食糧”として戦場に持ち込む必要が出たのだろう。ヴォルノは最初にこの「暴食」を見てから、部下たちに周囲で荒れ狂っている魔物を優先的に叩くようにと指示を出した。
その一方で、「行動の不確実性による制御の困難」という魔物の屍のリスクをカバーしているのが、浮遊霊姫イブン・ソニアの吐魂術だった。
「気を付ける事だな、イェーガー副騎士長」
甲高い声がした、と思うと、九官鳥の魔物に乗り移り、人語を模倣出来るその声帯を利用した彼女だった。
「私に近づきすぎると死ぬぞ」
「撃ち落とせ!」
死角を狙われ、そこに居た味方の兵士に叫んだ。彼はすぐに「御意!」と応じ、剣を振り被る。しかしその刹那、九官鳥は矢庭に発条が戻り切ったかの如くぴたりと空中で静止した後、そのまま落下した。
それと入れ替わるように、魔物を叩き落とそうとしていた兵士の挙動がおかしくなった。
こちらから顔を見る事は出来ず、どのような表情を浮かべていたのかは定かではない。が、その兵士は徐ろに剣を逆手に持ち替えると、自らの頸動脈に向かって振り下ろしたのだ。
あっ、と、ヴォルノが叫ぶ間もなかった。兵士は倒れ伏し、再びイブンのものと思われる言葉が──今度は恐らくまたこちらの味方の兵士であろう男の声で何処からか聞こえた。
「このようにな」
イブンに乗り移られ、自害したのだ。彼女は魔物に自身の魂を宿す事でそれらの暴走を防ぎ、またそれらを優先して仕留めるべく接近した兵士に乗り移って行動を操作し、自死に追い込む。キルヒムの行動に対する鉄壁の守りであると共に、自分自身の攻撃としても非常に強力だ。
魂を肉体から抜け出させている間、彼女の本体は無防備になるという話だ。しかしその本体が、何処で守らせているのか見当たらない。
「逃げる為の戦いじゃねえんだぜ、副騎士長さんよ」
キルヒムが、甲殻の生じた顔を歪めて嘲るように言ってきた。イブンに狙いをつけられないよう周囲に気を配り続けるヴォルノの頭上から、紫黄の剣が叩きつけられようとする。その刀身もまた、彼の取り込んだ魔物の魂からの感応を受けて鳥の翼を模したような片刃の炎状剣に変じていた。
ヴォルノは、自身の紅殻色の刀身でそれを防ぐ。間一髪だった。間に合わなければその重量で、頭蓋を砕かれていたかもしれない。
「さっき、信号が上がったな? 聖光士からの合図か?」
「……赤峨王の救援に行かなくていいのか?」
せめても集中を乱そうとし、ヴォルノは囁くように言った。
「こちらには聖光士と──ライガ・アンバースが居るのだぞ」
「はっ! 俺たちがそれをしたら困るから、てめえらがここで足止めしようって腹なんだろうがよ」
キルヒムは粗暴な口調で言い、背中に生じた翼を羽ばたかせて距離を取る。
「いいぜ、相手になってやる。俺たちだって、てめえに聖光士の救援に行かれて殿下の手を煩わせるような事はごめんだからな」
「貴様たち、全体何処まで知っている?」
ヴォルノは、面と向かって聞いても無駄だろうな、と思いながらも、喋らせている間にぼろが出るのではないか、という期待から会話を試みた。何処からか、またしてもイブンが反応したらしい声が聞こえてきた。
「何処まで?」
「破戒僧正ウカノフの思惑についてだ」
「……なるほど」
キルヒムは独りごつように言うと、二又に分かれた細長い蛇のような舌をちろりと覗かせた。
「ウカノフの野郎め、殿下に良からぬ事を企んでいたりしやがったら、ただじゃおかねえ。逆にてめえら帝連は、何処まで掴んでやがんだよ?」
「………」
ヴォルノは口を引き結ぶ。脳裏で、リクトのもたらした情報を整理した。
ウカノフの「影」との繋がりをイスラフェリオが認識しているのなら、イスラフェリオは双頭をも捨て駒にしようとしていたという事だ。しかしその場合でも、彼はカルマの副騎士長ラナの動向を調べ、パペス国旧ヘロン遺跡に聖体がある事を突き止め、本気でそれを「蠍」に回収させようとした。
ウカノフが、イスラフェリオに一切の秘密を共有しているように思わせ、実際には更に裏の思惑を宿しているのだとしたら──。
「……って、聞いても喋る訳ねえよな」
キルヒムは吐き捨て、空いた方の手を振り被る。そちらもまた、鷲の鉤爪のような魔物の形状に変化していた。
「なら、俺たちも話す事はねえな。あの薄気味悪りいものが何なのかは知らねえ、だが──」
「真退魔剣!」
予備動作を見切り、ヴォルノは再度剣を構え直す。キルヒムは上方から叩きつけるように鉤爪を振るって来るかと思われたが、そう見せかけて直前で手首を返し、下方からアッパーカットを繰り出すような動作に修正した。ヴォルノは、その予兆をしっかりと目捉していた。
「殿下に近づく訳分からねえ輩を全部俺たちが排除しちまえば、誰が何企んでいようが関係ねえって事だよなあ! リコシェライズ!」
魔物専用体技──体技にしては珍しく斬撃系統らしい──と、こちらの斬撃強化型の袈裟斬りがぶつかり合う。ヴォルノは繰り出す寸前になってから、自分の技は防御にしては些か過剰すぎたかと思ったが、ぶつかった際の手応えでそれが不要な心配であった事を察した。
──この男は、一撃一撃が全力だ。
これも、赤峨王への忠義の為か。或いは、彼の標榜するジフトの理想それ自体への忠誠か。
イスラフェリオが、彼らをウカノフと共有した何らかの思惑の為に犠牲にしようとしているのなら、彼は貴重な財産を自ら放擲しようとしているようなものだ、とヴォルノは思った。
しかし、こちらにも副官には副官としての意地がある。
「まだまだこれからだぞ、絶霊喰鬼!」
ヴォルノは雄叫びを上げ、危険な死霊化者へと次の一撃を放った。




