『リ・バース』第二部 第5話 Ereshkigal①
① リクト・レボルンス
グラーネが疾駆する。純白の躯体と、自らの頭髪と同じ金の鬣が、白昼にも拘わらず煤煙にうっすらと黒濁した空の下で金粉を散らすかの如く光の残滓を揺曳していた。
街の入口を守備していた敵を蹴散らすのは、造作もない事だった。赤峨王イスラフェリオも、入口を守る事に兵力の多くを割く気はないらしく、あわよくばこちらの戦力を削れるように、という程度の考えで配置を決定したようだ。むしろ、リクトやこちらの主力の事は積極的に街の中に招き入れ、自分やウカノフと相対させようという意図が感じられた。
「聖光士」
すぐ後ろに続く騎士の一人が、こちらに声を掛けてくる。
リクトはちらりと振り返り、彼を見た。彼は、変身術でファタリテの騎士見習いボム・ディメンの姿に化けたライガだが、今回の作戦に参加している者たちには「有志の傭兵マクリール」と紹介されていた。元から居たフォルトゥナの騎士の一人として扱っても良かったが、同窓の者が居ないという事が判明し、記録を調べられたりしたら後から困る事になる為だ。
街に入ってから、リクトは部隊を四、五人の単位に分け、碁盤の目状に並んだ区画の間を縦横に走る道のそれぞれに入り込ませた。敵の布陣が分からない以上は警戒して、という事もあるが、一番の目的はなるべく部下たちを自分やライガから離れて行動させる為だ。
リクトたちはこの戦いの中で、ガウスでは最終的に全てを聞き出せないまま取り逃がす事となった破戒僧正リムゲイ・ウカノフに再度接触を試みるつもりだった。それは、自分たちがごく限られた者たちだけの中で共有している秘密に直結する事になるので、部下たちがその場に居てはならない。
彼らが完全に離れるまでは、ライガもこちらに対しては総指揮官であるリクトの指揮下の一人、という態度を取っていた。
「何だ、マクリール?」
「総督府が見えてきました。そろそろ信号術を上げた方がいいのでは?」
「いや、まだだ。あと二本分岐路がある、そこで後続の者たちを完全に別行動に移行させる」
事前に、イスラフェリオとの対峙が近づいたら信号術を上げ、裏から街への進入を行おうとしているヴォルノたち──ジフト戦役でヘルムダルがそうしたように、戦闘開始前に裏から商工組合の者たちを逃がされる事を防ぐ為──に連絡する、という事は皆に伝えていた。だが、その真の狙いは、イスラフェリオやウカノフに自分たちが個別に接触したいという意図を伝達する事だ。
イスラフェリオが、ウカノフの思惑について何処まで知っているのかはかなり怪しい。故に、ウカノフと対峙出来たとしても、そこにイスラフェリオが居たら彼はまた口を割らない可能性があった。
今回の作戦では、リクトがイスラフェリオを相手にしている間にライガがウカノフを相手に話を聞き出すという事が目的だった。
「完全に……でありますか?」
ライガの反対側を駆けている騎士が、やはり納得出来ない、というような口調で繰り返す。リクトは頭を振った。
「事前に話した通りだ。モルガンでの戦闘で、イスラフェリオの纏鎧術がジフト戦役時のそれとは比較にならないレベルにまで強度を上げている事は証明された。そしてそれに対抗し得るのが、私の攻撃のみであるという事も」
勘違いしないで欲しい、とリクトは言った。
「お前たちを、足手まといだと言っている訳ではない。ただ、今回の作戦で最も効果的なのは私と赤峨王との一対一、その間にお前たちが敵兵の接近を阻む事だ。我が軍の中から無用な人死にを出さない事と、精度が求められる戦闘で阻害要因が介在しないようにする事がその理由だ。分かったな?」
「……御意、モンシュー。それでは、我々もこの辺りで」
「ああ。健闘を祈る」
彼らが隊列から分離すると、リクトは視線を前方に戻した。
* * *
九月六日、午前十時。
リーマンに到着したフォルトゥナ騎士団が入口を守備する新生ジフトの兵団と交戦し、これを突破するのに掛かった時間が約十分前後。そこから、分散しつつ総督府を目指し始めて五分弱の経過だ。
ペースとしては順調といえた。「蠍」や「影」が何処かに潜んでいる可能性はあるが、後者に関しては新生ジフトとの繋がりが露見してはならない者たちなので騎士たちの前に姿を晒す事はなく、リクト、ライガが個別に動き出してからウカノフが動員するだろう。
今、最後の部下たちが自分の元を離れた。
ここからが、彼らとの戦いは本番となるのだ。
「ライガ」
リクトは、彼を本来の名で呼んだ。彼は顎を引き、「ああ」と答える。
「そろそろ始めるとするか」
「マルカージュ!」
前方に視認出来る総督府の、上階から真っ直ぐに見える高度を目掛け、リクトはトゥールビヨンの刀身を振り上げた。信号術が上がり、赤色の牡羊座の紋章が空中に刻印される。フォルトゥナのトレードマークだ。
碁盤の目状に区画整理されたリーマンは、東西どちらから入っても、街の中心を走る通りの中央に位置する総督府には一直線に辿り着けるようになっている。イスラフェリオが総督府に居るのであれば、そこに繋がる通りに守りの兵士が一人も居ないのはおかしな話だが、リクトはこれを「イスラフェリオが総督府には居ないからだ」と早々に結論を出す事はしなかった。
彼は、纏鎧術を発動した自分に攻撃を通す事が出来る人間がリクトだけであるように、リクトと互角に渡り合えるのも自分を含めた数少ない人間──他は双頭やウカノフなど──だけだと思っているだろう。こちらを招くつもりで入口の守備を固めなかったのであれば、ここから先も相対するまで搦め手を使ってくる可能性は低いと見ていいだろう。
信号を打ち上げてから数秒後、ライガとリクトが更に二十メートル程総督府に接近した時だった。
待っていましたとばかりに、先の地面に流体の影が蟠り始めた。向こうも、総督府の建物からこちらが駆けて来る様子が見えていたはずだ。部下の騎士たちが横道に入り、リクトと変身したライガ──変身時のボム・ディメンの姿は新生ジフトの者たちには認知されている──の姿を認めるや、直ちに手を打ってきたのだろう。
(『影』が来る……)
リクトはライガとコンタクトを取り、共に馬から飛び降りた。敵に死霊化者が居るのであれば、騎馬が生ける屍とされる危険性がある。
渦を巻く影の中から、シルエットが徐々に浮かび上がって来る。黒衣の死霊化者たちか、もしくはウカノフ本人が来る、と思ったリクトだったが、次の瞬間現れたものを見た途端に眉を潜めざるを得なかった。
現れたのは、型で抜かれたかのように一様に平均的な背丈をしていた「影」よりも、遥かに巨大なものだった。
それは、体の比率に於いて明らかに頭の大きな赤子の姿をしていた。だが、その四肢や裸の胴の筋肉は棗を詰めた袋の如く張り、今にも薄い皮膚を突き破るのではないかと思われた。肥大した顔の肉に半ば埋没している両の目は血走り、小さな口と思われる穴からは甲高い音──声?──が漏れ出てくる。
しかも、それは複数体存在した。どれも、明らかに人間のものではない声を発しながら自らの胸を掻き毟り、或いは宙空に双腕を掲げている。
「何だ、こいつら……? 霊薬でも飲まされたのか?」
「『影』──じゃないね。ただ、連中の異空間を通して運ばれて来たんだろう」
リクトは言いながら、悍ましさと同時に、一目見た瞬間からそれらに対して無意識に生じていた”憐れみ”を自覚した。
それらは、恐ろしくも痛々しい姿に感じられた。形自体は赤子のそれであるという事が、そう思うのを手伝っているのかもしれない。
「薬物だけじゃない……何か、もっと別の──」
ライガが言いかけた時、
「ぎゃああああああ─────っ!!」
巨大な赤子の一人が、楓のような愛らしい形のままこちらを握り込める程に肥大化した右掌を突き出してきた。そこに、掌の面積と同じくらいに巨大な青色の魔方陣が出現する。
水属性攻撃の予兆、と思うか思わないかのうちに、そこから槍の如く極太の雨筋が射出され始めた。
「うわっ!?」「プリヴェントファクター! ライガ、出力向上を!」
障壁因子を展開しながら、リクトは彼に叫んだ。
「あ、ああ! ダイナミックヒート!」
彼の魔素出力向上魔術により、出現した光の壁が三倍近くに拡大し、その厚みを増した。間一髪で、そこに射出された水の槍が到達しては爆ぜ始める。それは、既視感のある攻撃だった。
「デリュージング・ゲリラ……!?」
絶え間ない衝撃の中で、ライガが呟くのが聴覚に拾われた。
それは、リクトたちが騎士団入りを果たした少年時代──今から十年以上も前、初めて赴いたアモール王国での任務で討伐した魔物イピリアの使用していた水属性魔術だった。人間には使用出来ない、魔物専用技。
「こいつら、魔物なのか……?」
見た事もない、と言わんばかりの口調でライガが呟いた。しかし、リクトは別の事を考えていた。
「違う──彼らは、非忘却者だ」
言った瞬間、相手の魔術が終了した。リクトはそれを認識するや、防御魔術を終了して剣を振り上げる。
「彗星衝!」
突き出されたままの巨大な赤子の腕に向かって斬りつけると、外焼きの肉にナイフを入れたかのような手応えがあった。一瞬、硬化した皮膚を切り裂く瞬間に刃の遅延を感じ、その後深々と刀身が柔らかな体内に入り込む。サーッ、と、流れるように血液が溢れ出した。
巨大な赤子は、耳を聾さんばかりの悲鳴を上げた。耐えきれず、跳躍で後方に下がると、相手は喚き散らしたままお返しとばかりに傷つけられていない左手を叩きつけてくる。
自分の先程まで踏み締めていた地面が、掌の形に陥没した。衝撃に足を取られたらしく、ライガが蹈鞴を踏むのが視界の隅に捉えられた。
「非忘却者……まさか、魔心者か!?」
彼の言葉に、リクトは「多分ね」と顎を引く。
魔心者。それは、過去世が魔物だった魂が、非忘却者として生まれ変わってしまった人間を指す言葉だった。当然、「審判の七日間」で魂が初期化されていないので魔物としての魔術は刻まれたままであり、人の言葉を解する事も出来ない。多くの場合は幼くして人間社会のストレスに耐え難くなり、狂死してしまうが、正体に気付かれず幼児期まで生き延びた場合、あまりにも言語の成熟や社会性の発達が遅れているという事で医者や降霊術者に診断を受け、そうであるという事が発覚するケースもあるという。
魔心者は肉体が人間というだけであって、本質は魔物だ。故に、プログラムからの指令に基づいて人間を襲ったり、魔素を発生させて──魔物が魔素を生じるのは体内器官ではなく、魂そのものからだ──他の魔物を呼び寄せたりする。だからこそ彼らは発見され次第安楽死させられるが、当然ながら理性ではそうするしかないと分かっていながらも我が子だという認識を持った親の中には、魔心者の子供を連れて逃亡したり、世間から隠して育てたりする者も居り、彼ら自身が食われたり脱走されて深刻な事故を引き起こす事もあった。
とはいえ、それらは実に数百万分の一という確率でしか起こらない珍しい事象だった。非忘却者自体、発生する事が滅多にないのだから。それが何故、これ程大量に目の前に現れているのか。
「なあ、リクト──」
ライガが、牽制するように剣──ボム・ディメンの姿になっている時に服装の一部として生じるもので、生成魔術で作られた仮想物質と同等の強度だ──を赤子たちに向けながら声を掛けてきた。
「第二間征期の頃、食糧増産の為に家畜の肉を増やす霊薬が開発された話は聞いた事があるよな?」
「ああ、結局栄養価が落ちる上に薬の人体への影響が不明だって事で、すぐに計画は中止になったようだけどね」
「こいつら、その薬が使われたんじゃないのか?」
ライガの推測に、リクトは息を詰めて唸った。という事は、この者たちがこれ程大量に現れた事についても、やはり人為的な操作があったのだろう。
そこまで考えれば、思いつく事は難しくなかった。
新生ジフトの中でそれが行われたケースは、今自分の隣に立っている。
「境界転生か……! 彼らが胎児の時に、わざと魔物の魂を宿させたんだな。そして生まれてすぐに、本来の魂を除霊術で除去した。層状孤児の魂に主客はないから、どちらかを除霊する事は可能だ」
ガラル少年のように、と、リクトは内心で付け加えた。
それと同時に、再び悍ましさが込み上げた。
誰が、このような恐ろしい事を──人間の尊厳を完全に無視した事を思いつき、実行に移したのだろう。彼らを産んだ母親たちはどうなったのだろう。彼女らは、進んでその誰かに自分たちの胎と我が子を差し出したのだろうか。
「……どうする?」
ライガの言葉は、この哀れな魔心者の子供たちをどうするか、と問い掛けるものだった。リクトは唇を噛み、数秒で結論を出す。
「子供たちの魂は、もうここにはない。あるのは、過去世の魔物の魂だけだ」
「命を絶ってやるのが、せめてもの情けか?」
「違うよ。これは、騎士が──調和者が行うべき魔物の討伐そのものだ」
それは半ば、自らを納得させる為のものだった。
いや、実際に理性的に考えればその通りであるのだから、決して言い訳などではない。それでも、不自然に筋肉を肥大化させられた狂える赤子たちの外見は、それを葬らねばならないこちらの良心を否が応にも疼かせるものだった。
今であれば、我が子が魔心者であると分かっても尚、それを庇おうとする親たちの気持ちが分かるような気がした。
「ぎゃあああっ!!」
最初にこちらに魔術を放ち、反撃を受けた赤子が、絶え間なく血の溢れる右腕を庇いつつ再び魔術を使用した。今度は、文法として人間にも使用出来る「誅罰」のようだ。
リクトがもう一度剣を突き出そうとした時、ライガが敵の足元に滑り込みながら降霊術を使用した。
「クペアンドゥ!」
赤子の両の脚が、空間断裂の刃によってすっぱりと切断された。
その巨体が前傾し、鈍い音を立てて地面に叩きつけられる。リクトは慌てて横ざまに跳び、下敷きにならないよう退避する。赤子の股下を潜り抜けたライガは、俯せに倒れたその体に登り、延髄の位置に剣を突き刺した。
仮想物質の剣が耐久力の限界を迎え、破砕すると同時に、一人目──否、一体目は動かなくなった。ライガは再び剣を生成し、背後を振り返る。
仲間がやられたという認識はあるのか、魔心者の子供たちは一層絶叫を激しくしながら彼を踏み潰そうと迫った。リクトは次の一体に狙いをつけ、トゥールビヨンを納めて魔笛ヤーラルホーンを抜く。
「クレッシェンド」
音霊を放ち、二体目の肩から腰にかけてを螺旋状の五線譜で巻き締める。それは表情の読み取りにくい敵の顔にはっきりとした驚愕を生ぜしめ、次の瞬間閃光を伴って爆発を起こした。
強度自体は、最初に確かめた通り大した事はない。二体目は粉々の肉片と化して四散し、真下に居るライガが頭からそれを浴びて血塗れになった。
「ぎいいいいい……っ!!」
三体目は、転生前は雷属性を使用する魔物だったのか両腕に電撃を纏わせ、それをぴったりと合わせて叩きつけてくる。また魔物専用技である事は確かだが、リクトは見た事のない攻撃だ。魔術か、それとも体技か──。
「赩焉百華断!」
ライガが、それが地面に到達する前に剣を振り下ろす。彼とリクト、どちらを狙っていたのか定かではない腕を、上部から刀身の倍以上に伸びた火柱が追い、甲から下方に通過した。三体目は燃えるグローブを嵌めたように両拳を炎上させ、仰反ると同時に頭を押さえる。
咄嗟の行動だったに違いないが、それは薬の副作用か頭があまりに大きくなりすぎた為か、髪の剝落した頭頂に燃え移った。皮膚が焼け爛れ、滲み出した血がフライパンに敷かれた油の如く小さな泡を爆ぜさせる。そのまま剝けて捲れ上がっていく頭皮の下の肉が炭化を始めると、狂乱の声はいよいよ激しくなった。
巨大な魔物の攻撃力は凄まじいが、人間の肉体である以上耐久力は低い。初撃さえ見切ってしまえば、あとはその巨躯も的が大きいだけというデメリットの塊に堕してしまう。
リクトとライガはそのまま、黙々と魔心者たちを討伐して行った。四体目、五体目と倒す間、彼らの絶叫は増々著しいものになっていく。
戦いを始めた時から、不快感を禁じ得ない立ち回りとなった。巨大な赤子を一体屠り去る度に、自身の内臓が腐り落ちそうな気分になる。
同時に、疑問も浮かび上がった。
(確かに戦いにくい相手だ……だけど、わざわざ作り出してまで僕たちの相手をさせる程の強さではない。イスラフェリオたちがこれを生み出したのは、何か他の目的が先にあって──)
そのような雑念に囚われかけた一瞬、防御が疎かになった。
「リクト、避けろ!」
ライガが、斬撃術を飛ばしながら叫んできた。
刹那、鎧越しに脇腹へと衝撃が叩きつけられた。圧縮された空気が体内から押し出され、口から血液の雫が散る。
馬車に撥ねられたかの如く吹き飛ばされながら、リクトは魔心者の巨大な脚に蹴りを入れられたのだ、という事を察した。だが、攻撃を仕掛けてきた敵も、ライガの放った斬撃術にその脚を切断され、片足立ちの姿勢のまま仰向けに転倒する。
叩きつけられた地面で痛みを感じているリクトの眼前で、ライガがその敵の腹上に攀じ登り、剣を逆手に振り上げた。
「……ごめんな」
独白めいた小さな声と共に、彼はその切っ先を巨大な魔心者の子供の胸板に振り下ろす。心臓を貫かれた敵は、グウッ、という呻き声のような音を漏出させ、ぴたりと動かなくなった。
その一体を最後に、赤子たちは完全に居なくなった。
ライガが駆け寄って来、こちらに手を差し出す。リクトは「メルシー」と短く礼を言い、その手を取って立ち上がった。
「何だったんだろうな、この馬鹿デカい子供たちは?」
「戦力と呼ぶには、訓練をされていなかったようだ。魂が魔物のものなら、普通の魔物と同じく招喚魔術を使えば操る事も出来ただろうに、ただ巨大化させて暴れさせただけというか──」
リクトは呟き、無残な亡骸となった彼らを検分すべく接近する。
──彼らは、ウカノフの使役する「影」の降霊術「影の部屋」によってここに現れた。イスラフェリオがこちらの接近を総督府から見ていたのであれば、少なくともウカノフは彼に対し、「影」と自軍との繋がりを隠しているという訳ではないのだろう。
ではイスラフェリオも、この魔心者の子供たちの存在は知っていたという事になるのだろうか──。
そのように思考を巡らせ始めた時、背後で潰れたような呻き声がした。
リクトは、まだ背中に戻していないヤーラルホーンの唄口に唇を当てつつ反射的に振り返る。
その瞬間、リクトは咄嗟に喉を鳴らしてしまった。鋭く吸い込んだ息が管の中を通り、壊れたような音を響かせた。
ライガの背後に、魔心者の子供たちを出現させたのと同じ、渦を巻く影の水溜まりが生じていた。その中から、今度こそ黒衣を纏った人影が現れ、ライガの口と胴に両腕を回している。
「ライガ!」
「来る……クトっ……!」
くぐもった声で、彼が叫ぼうとした。何を言おうとしたのかは明白だったが、リクトは構わずに駆け寄ろうとする。が、その瞬間、黒衣の人物──「影」が、ライガの胴に回した左手の指先をこちらに向けた。
「サドンデス」
死霊化術の光線が飛来し、リクトは反射的に足を止める。致死性の光線は、リクトの耳の横をぎりぎりで通過して後方に抜けた。
その一瞬のうちに、ライガ諸共「影」はずぶずぶと異空間に姿を消し始める。リクトは再び駆け出して彼へと手を伸ばしたが、遅かった。彼らの姿が完全に見えなくなり、地面に広がっていた影の水溜まりも消失する。
呆然となるリクトに、背後から──総督府の建物の方から、不意に投げ掛けられた声があった。
「待っていたぞ、聖光士リクト・レボルンス」
振り向くと、そこには錆色の両手用大剣ドミナシオンを担いだ赤峨王イスラフェリオが立ち、威圧的な表情を浮かべていた。
本日からまた現代編に戻り、第五話「Ereshkigal」の投稿を開始します。「影」の首魁がこの名で呼ばれており、「冥界の女王」という語にこのルビが振られています。アッカド神話のエレシュキガルは名前がそのまま「冥界の女王」の意味です……という話は、第一部第二十二話の最初の「後書き」に記載しました。
ハイファンタジーが必然的に負う宿命のようなものではありますが、現実世界の神話や伝承に由来する様々な固有名詞を取り入れると言語が国際色豊かになり、実際どのような言葉が話されているのか分からなくなります。本日の投稿箇所に「牡羊座」と書いて「アリエス」とルビが振ってある箇所がありますが、これは「白羊宮」と綴りが同じで、前者がラテン語の、後者が英語の発音なので、やや違和感を覚えもします(そもそも私は五大近衛宮の名前に、「双児宮」など必ずしも本来それを意味する外国語のルビを振っているとは限りません)。
とはいえ、登場人物たちは作中世界で諸々の単語についてルビ通りの発音をしている訳ではありませんし、作中で存在を明記されている文字(フランス語のアルファベに相当)も、我々が知っているそれの形をしてはいません。異世界設定なので当然といえば当然ですが、やはり今一つ釈然としないものを感じます。
『フランチャイズ・フラン』などを書いていた時は、作中に我々にとっての現実世界と異世界を両方出していましたが、雰囲気を優先した為こういった事についてはあまり深く考える事はありませんでした。しかし、凝り始めると何処までも凝り続けたくなるのは創作者の性なのか。いっそ上橋菜穂子さんの多くのハイファンタジー作品のように、用語は全て国籍不明の造語にした方がいいのかもしれませんが、一方でドラクエとかテイルズとかのような事もしたい……と思いますが異世界ものを書いている皆さんそうですよね?
思えば『ブレイヴイマジン』も『フランチャイズ・フラン』も『闇の涯』も現実と異世界を行き来する話でしたし、『夢遥か』は完全に日本がモデルの異世界だったので、多くの人がそれと聞いてパッと思い浮かべるような西洋風のハイファンタジーを書いたのは本作が初めてかもしれません。その上で、特に主題やキャラや筋以上に「世界観」にフォーカスしたのも。私が凝りすぎ、考えすぎという事もあるのでしょうが、やはり創作は奥が深いです。




