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『リ・バース』第二部 第3話 Quatre Feuilles⑦

  ⑤ ライガ・アンバース


 十二月半ば、アンバース・ヴィラージュで最初に体調の異変を訴えたのは、「天気輪の柱」に詰めて村に接近する者を監視する役割を担った男たちの一人で、三十代(トラントゥーヌ)の比較的若い──村の中では──妻帯者だった。

 彼は突如として倦怠感と悪寒を訴え、それでも一時的なものですぐに治ると考えていたようだったが、それから間もなく起きているのもやっとという状態にまで悪化した。妻が小屋に連れ帰り、ベッドに寝かせると、その体は火の中で活動していたかのように熱くなっていた。

 それまでも、アンバース・ヴィラージュに来てから風邪気味の症状を表す者たちが誰も居なかった訳ではなかった。

 しかし、それから数日の間に、彼と共に見張りを行っていた者たちや家族の中からも同様の症状を申告する者が次々と現れ、そこでライガは、今この村に何が起こり始めたのかを悟らざるを得なかった。

 帝連の北方諸国で、冬の流行性感冒として発生する風土病──疫病だ。それを悟ると同時に、その事を裏づけるかのように、病状を呈し始めた村人たちの中で胃腸を損なう者たちが現れた。

 北方諸国でこれが発生する事について、未だに原因ははっきりとこれだと特定されてはいない。ただ、ランペルールやモンドといった国々は全体的に水質が帝連全体の平均よりも良くなく、その上で冬場は人々の免疫力も落ちる為、体を壊す者が多いのではないか、という仮説はあった。

「消毒急げ! 病人が吐いたものには触れるなよ!」

(たきぎ)をもっと持って来い! マイケルが、寒気がするってさ!」

 一週間で村人の半数近くが罹患し、ライガは間伐材で作っていた新たな建物──食糧貯蔵庫にするつもりだった──の中に発症者を運び込むように言った。そして、彼らの看病は隔離状態で行い、発症していない子供たちは、たとえ家族であっても近づけないようにと厳命した。

 悪い水が原因ではないかと言われている疫病だが、アンバース・ヴィラージュで利用している飲料水を含む生活用水は、村の運営が始まってから最初の頃に皆で掘った井戸と、森の中を流れる川の水だ。後者は、ライガが帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)三途(フブル)結界の中に閉じ込められて約一年を過ごす間飲み水としていたものだが、自分がこれを常飲して体を壊すような事はなかった。

 原因不明、ただ例年のように起こるべくして起こった──としか表白しようのない出来事だった。ジフト戦役中に目立った報告はなかったが、衛生状態が厳格に管理される軍の中では発生しなくても、戦の要地にはなり得ない辺陬の村や地域では散発的に流行はあったらしい。

 自身の統治する村での過感染(エピデミック)。昨年までは、自分が経験する事になるとは思いも寄らなかった事だ。自分がどのようにすればこの事態を収束出来るのか、まるで見当がつかなかった。

 誰もが、自分を頼りにしていた。それが分かるからこそ、自分だけは倒れてはならないのだと、ライガは自らに言い聞かせ続けた。


「ライガ……苦しいよ」

 シュラが、くたびれた毛布の中で喘いでいた。彼は咳が酷く、呼吸の度にざらつくような音が胸から響いている。粗い麻布(リネン)のマスクの下で、ライガはそれを聞いている自らの息も苦しくなってくるような気がした。

「待っていろ、もう少しでお母さんが来るからな。暑かったり、寒かったりはしないか? 何か欲しいものは?」

 ライガは、枕元の盥で布を絞りながら尋ねる。視線をやった先では、アンドロメダが義母ラケルに煎じ薬を服用させていた。

 義母と息子が同時に病床に臥せったアンドロメダは、今最も精神的に疲弊しているに違いなかった。彼女は両者の間を忙しく行き来しながら、氷嚢──積もった雪を利用したもの──を替えたり、下の世話をしたりしている。だが、当然ながら彼女にも限界はある為、ライガは可能な限り手伝いをしていた。無論、自分にはそれ以外にも隔離小屋全体の指揮を執るという役割はあるのだが──。

「よく……分からないんだ。体は燃えているみたいに熱いのに、何でか震えが止まらなくて……上手く、喋れなくて……」

「ああ、大丈夫、無理に喋らなくていいよ。ごめんな──少し(つら)いだろうが、毛布はしっかり掛けておけ。汗をかいて、それで熱を下げるんだ」

「はい……」

 素直に肯く彼の乱れた髪を梳き、「いい子だ」と囁いた。彼の目の高さに手を差し出し、「四つ葉(カトル・フィーユ)」の降霊術を見せる。

 ライガが初めて彼に見せてから、これは彼のお気に入りの術になっていた。自分でも使用出来るように教えてはいるものの、やはり自分のオリジナル降霊術は修得が難しいらしく、まだ自由に四つ葉を出す事は彼は出来ない。

 だが、今ライガがこれを使用しているのは、単なる願掛けや彼個人を勇気づける為だけではなかった。

 疫病の原因としてもう一つ有力な説が、北方諸国固有の魔物がばら撒く病原体のせいではないか、というものだった。実際に、状態異常として「病気(ディジーズ)」を使用する魔物は存在し、最近になって帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)に戻り始めた魔物の中にもその(たぐい)と思しきものは居た。

 その場合、まだこの地に魔物が居なかった帝暦八八年、ライガが水が原因と思しき疫病に罹患しなかった事にも説明がつく。

 もしも目下蔓延している疫病が、そういった魔物による状態異常だった場合、ステータスとしての幸運度(セレンディピティ)を上げる事で快癒までの時間を短くする事が出来るのではないか、と考えた。

 実際にそれが成功しているのか、全く効果がないのか──そもそもの原因が魔物ではない、ライガの降霊術が本当に幸運度を向上しているのか分からないといった理由で──は不明だった。が、ライガとしては、僅かにでもプラスに働く可能性のある事は全てやっておきたかった。

「ライガさん!」

 戸口に、見回りに参加している若者が現れた。

「おふくろが熱出した! 俺以外まだ誰とも接触していない! こっちに連れて来るから、スペースの確保を頼む!」

「分かった、すぐにやる! あんたも、念の為聴診を受けておけ」

 ──このペースは良くない、とライガは思った。

 最初の若者から同僚の家族への感染が確認されてからというもの、患者は鼠算式に増えていた。いずれ、この建物の中だけではキャパシティに限界が訪れる事は目に見えている。

 それに患者が一人増えるという事は、患者の世話をする者が一人減るという事でもあるのだ。恐ろしいのは、小さな子供たちに感染する事よりも、小さな子供たち以外の全員が病に倒れるという状況だった。そうなった場合、子供たちの面倒を見る事すら出来なくなる。

(やっぱり、村だけじゃ限界があるか……)

 ライガは考え、思考をヴァイエルストラスへと流離(さすら)わせた。

 グールダンはシュラたちをライガに託した後、ヴァイエルストラスで帝連軍と共に戦後処理を行っていたが、彼らが残党狩りの対象とするイスラフェリーの末裔たちがライガと共に居る事については黙秘を貫くという事だった。今のところそれは守られているらしく、十月にやって来た帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)の調査隊以外に帝連軍がここに現れる事はなかった。だからこそ、リクトもライガの居場所について、調査隊からの報せで初めて知ったのだ。

 ヴァイエルストラスに行ってグールダンに会い、事情を説明しようかと思った。帝連軍も、ここに居る村人たちが非武装であり、ジフトの政治思想(イデオロギー)に関わる過激な価値観を持ってはいない事を説明すれば、尚も罪のない人々を手に掛けようとするような残忍な者たちではない、力を貸してくれるかもしれない。

 ここに居る者たちを病院に運び込む事さえ出来れば、彼らは専門的な医療を受ける事が出来る。費用など、後から幾らでも何とかなる。

 しかし──。

(それこそ、考え方が甘いんじゃないか?)

 ラケルへの投薬を終え、こちらにやって来たアンドロメダと交替しながら、ライガは頭を悩ませた。

 その「説明」が理解して貰えるとは思わなかったから、自分はユークリッドに帰還してアルフォンスたちに訴えるという事が出来なかったのではないか。それに、今の自分は死霊化者(ネクロマイザー)として死刑すら求刑されている身だ。そのような自分の話を、そもそも帝連軍が聞くだろうか。

 聞いて貰えなかった場合、グールダンは彼自身のした行為──それ自体よりも、その行為を黙っていた事──から軍の信頼を失い、旧ジフト派として容疑を掛けられる事になるのではないか。それでは、自分は何の成果も得られないまま、ただいたずらに彼に迷惑を掛けたという事になってしまう。

「……アンバース殿」

 アンドロメダが、不安そうにこちらの顔を覗き込んできた。

「あなたも、少し休まれて下さい。疲れた体では、あなたまでも病魔に付け入られる事になりますよ。あなたに倒れられたら、私たちは……」

「ありがとう、アンドロメダさん」

 ライガは、自分でもここ一週間で窶れた事が自覚出来る顔に、努めて笑みを浮かべて見せようとした。

「あと一人様子を見たら、少し仮眠を取ります」

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