『リ・バース』第二部 第3話 Quatre Feuilles⑥
「太い野郎だ、怨霊たちが俺の命令がなきゃ何も襲わない事に気付いて、堂々と出て来やがった」
覗き込むと、突き刺された肩口を押さえて蹲っていた。が、ライガが一歩踏み出すとすぐさま後方宙返りで距離を取り、戦闘態勢に入る。毿々と体毛の長い、猿のような魔物だ。
「ユルパラムだ。類人猿系は知能が高いから、戦う時は戦略を学習される前に仕留めるのがセオリーだな」
「ビョオオオオオオ……ッ!!」
居並ぶ生ける屍たちが、君主に迫った危険を察したように姿勢を低くし、魔物に飛び掛かろうと身構える。が、ライガはそれよりも早く彼らに「手を出すな!」と叫んで制止した。
「シュラに攻撃が当たっちまう! それに、『死の呪い』なんかは魔物との戦いでは禁物だぞ!」
それを聞いて安心した、と言わんばかりに、
「キエエエエエッ!!」
魔物は奇声を発し、両手をライガに向かって突き出した。右の方の掌に黄土色の魔方陣が生じ、石礫が射出される。地属性文法最下級技、という事は、シュラにも見極めがついた。
ライガは、
「蒼天より来れ……ソーラーライト!」
反属性となる、空属性文法の最下級技を以て対抗する。反属性による相殺は互いの術式を打ち消し合うものだが、ライガの場合、向こうよりも出力が上なので、多少減殺されながらもその「日光」は向こうの「石礫」を呑み込み、魔術を放った魔物の掌に直撃した。
その隙に、ライガは姿勢を低くして相手に斬り掛かる。下段からの斬り上げは剣技の光果を帯びてはいなかったが、今し方の魔術の命中によって軽い行動遅延を誘発している敵にはそれが最も高効率だった。
シュラは、ライガの実際に戦う様を見るのは初めてだった。いや、厳密には母親が薬草採集をしている時に飛行系の魔物に襲われ、祖母が彼を呼びに行った時に見てはいるが、これ程近くで注意深く、どのような無言の駆け引きを行いながら戦っているのかが分かるような戦いは初めてだった。思わず、その鮮やかな剣捌きや判断能力の高さに見入ってしまう。
今まで、大人たちが用いる「センス」という言葉のニュアンスが、今一つ理解出来ていなかった。だが、今であれば何となく分かるような気がした。ライガは、いいセンスをしている。
だが、魔物ユルパラムはそれだけであっさりと勝負をつけさせはしなかった。
こちらも突き出したままの左掌に、今度は火色の魔方陣が現れる。火属性文法の予兆だ、と思うと、やはりその通りだった。
またしても最下級技、「火花」だ。シュラは目を見開く。
「高位者!?」
魔物にもそのようなものが存在するのか、と思っていると、ライガは上体を仰反らせてそれを避けながら、「有り得ない訳ではないな」と呟いた。「魔術は本来、魔物の領分なんだから」
「キイイエエエエエエッ!!」
ユルパラムの技後硬直からの立ち直りは──最下級技なのだから当然だが──早かった。負傷した手を庇うようにしつつ、また「石礫」を繰り出す。
「最下級技しか修得していないのかな?」
「器用貧乏め……!」
ライガは再び魔術で捌きつつ、懐に入った形であるのに乗じて、剣を至近距離から魔物の喉元に向ける。そのままその切っ先が頸動脈を貫こうとした時、突如として魔物は最初と同様宙返りをした。
ライガが、大きく剣を空振った。次の瞬間、魔物の前方の地面に、先程までとは比較にならないサイズの魔方陣が展開される。
色は黄土色──地属性。しかし、恐らくこれは……
「変動か!?」
ライガは目を見開き、すぐに思い直したかのように早口で独りごちた。
「そりゃそうか……仮にも、帰らずの地の魔物なんだから」
地属性文法最高技が生ぜしめた大岩が、彼の足元を掬おうとした。
魔物ユルパラムは、最下級技しか使わないと見せかけて彼の無意識の油断──対抗措置の制限──を誘発させ、渾身の一撃を着実に命中させる為の機会を窺っていたのだ。至極戦略的だ、と思ってから、すぐに納得した。
ライガがいちばん最初に言ったではないか、類人猿系は知能が高い、と。案の定ユルパラムも、その例外ではなかったのだ。
最初に足元を掬われ、滑りかけたライガが立て直して回避を行うには、時間がほんの一秒程度不足していた。という事は、無論詩文の詠唱が必要となる反属性文法での相殺も無理だ。無詠唱での発動という手もあるが、最高技を無詠唱で発動する事はやはり失敗のリスクが大きい。
その時、シュラは考えるよりも先に動いていた。
「デカルコマニー!」
叫んだ自分の声で我に返り、誰よりも自分自身で驚愕した。
イスラフェリー家の固有降霊術のうち、自らに伯父ルシウスや叔母ジェムシリカが保有していた「転写術」が刻まれている事は、ヴァイエルストラスで暮らしていた頃に母から教えられていた。
しかし、それを殊更に使った事はなかったし、使おうと思った事もなかった。学校ではまだ文法、降霊術共に実践は教えられていないし、日常の中で攻撃魔術を使用すべき場面などはない。
だから、初めて使用したその術が、成功するとは思ってもみなかった。
ライガに直撃し、その肉体に食い込もうとしていた「変動」の大岩に、横から衝突するような形で自分の発生させた大岩が割り込んだ。
転写術は、感応を再現する事で直前に目視した技を模倣する能力。今シュラが繰り出した模倣の「変動」は、ユルパラムが放ったそれと寸分違わず同出力──同威力かつ同速度のものだった。
二つの大岩が、共に木っ端微塵に砕け散った。魔素による仮想物質であったそれらはすぐさま大気中に溶けて消滅し、シュラにはユルパラムが「何が起こったのか分からない」というような顔を──あまりにも擬人化した表現だが、そうとしか言いようがなかった──しているように見えた。
ライガは再び驚愕に目を見開き、こちらはすぐに悟ったらしくシュラの方に視線を向けてきた。シュラは肯くと、「いいから!」と叫ぶ。
「この隙に決めて下さい!」
「……メルシー、シュラ! 行くぜ!」
彼は、跳び退る為に後方に浮かせかけていた足を前方に向け直した。
改めて踏み込み、魔物に向かって横一文字に薙ぎを放つ。
「緋炎斬!」
炎を纏ったアルターエゴの刃が、ユルパラムの胴を通過した。魔物は甲高い絶叫を発しながら仰反り、やがてそのまま仰向けに倒れた。
「お手柄だ、シュラ」
ライガは剣を鞘に納め、こちらに歩み寄って来た。
また、頭に掌が載せられる。最近は、何かというとライガはこちらの頭を撫でるのがマイブームになっているようだ。
「お前が、転写術を使うとは思わなかったぜ」
「僕も、まさか本当に出来るとは思いませんでした」
シュラが正直に言うと、彼は微笑した。
「その転写術に、長い間俺はいい印象を持っていなかった。それがずっと、あまりいい事には使われてこなかったからだ。だけど、今お前が、その印象を打ち砕いてくれた。……誇っていい。お前は、新しいイスラフェリーの男だ」
ライガに言われた時、シュラの胸裏を風が吹き抜けたような気がした。
途端に、何の前触れもなく、激しい情動の波が去来した。無数の記憶が、箱を引っ繰り返したかの如く溢れてくる。その殆どに、グラスを片手にニヤリと笑う亡父ヘルムダルの顔があった。
彼に会えない日々が続くうち、最初は出征する父の立派な姿を誇らしく思っていた気持ちに変化が現れ始めた。それは、父は本当に帰って来るのだろうか、という不安となり、やがてシュラは、戦争を──また、それを引き起こしたイスラフェリーの者たちを恨んだ。
新しいイスラフェリーの男──それを聞いた時、もう彼らは居ないのだ、という事がはっきりと実感された。
(それは、お父さんも同じだ……)
分かっていたからこそ自分は、ずっと悲しみと戦っていたのだ。だが、今になって改めて、自分の中ではっきりと区切りがついた。本当の意味で、父が弔われたような気がした。
(あれ……おかしいな)
視界が滲み出した事に気付き、シュラはそう思った。
(もう、一杯泣いたはずなのにな……何で、また涙が出てくるんだろう……?)
「シュラ、それでいいんだ」
ライガは言うと、こちらの頭に載せたままの手をゆっくりと動かした。撫でられる手が、今まででいちばん温かなものに感じられた。
「お前は、大丈夫だから」
何が「大丈夫」なのかを、ライガは口にしなかった。
それでもシュラは、幾度も肯き、微かに啜り上げながら静かに温かな涙を零し続けていた。




