I WANT TO TELL YOU
やがて中盤にさしかかり、場内は休憩時間になった。
発表を終えた人たちは、安堵の表情でテーブルの上の軽食に手を付けたり、まだの人たちは、講師にアドバイスをもらったり、独自で練習をしたり。 俺は立木兄に一言伝えて外に出ると、煙草に火を点けた。
「ふう~~……」
長い息と共に白い煙を吐くと、生き返った気持ちになる。 こもった空気の店内は、無性に煙草が欲しくなる。
『やっぱりガムより煙草だな』
春とはいえ、まだ冷たい風が頬を撫でていく。 しかしさっきチラッと見たが、城沢は休憩時間になってもギターに手を付けることもなく、横の裕里と話をしていたようだが。 大丈夫だろうか? 城沢に、そんなに度胸があるようには見えないが。 そんなことを思いながら煙草をふかしていると、横に誰かが立った。
「マスター?」
彼が穏やかな顔で煙草をくわえたので、俺は持っていたライターで火を点けてやった。
「どうも」
マスターは礼を言うと、ゆっくりと吸い込んだ。
「いやあ、おいしいねえ」
にこにこと言うマスターに
「何もやることが無いのに、つまらないだろ?」
と尋ねると、彼はかぶりを振った。
「なかなか面白いですよ。 バンドのライブとはまた違った趣もありますしね。 それに……」
マスターは俺に微笑んだ。
「オッカの上達具合も見てみたいですから」
「っ! ゴホッ!」
俺は思わずむせてしまった。 それを笑いながら見下ろすマスター。
「何を考えてるんだっ!」
「別に何も」
マスターは含み笑いをして俺を見た。
「それより、オッカ、今も練習してないみたいだったけど、大丈夫かなぁ?」
「…………」
俺は何も言えなかった。 その代わりに、暗い闇が胸の内にはびこり始めた。
「ま、オッカのことだから、大丈夫だと思うけど」
『何の根拠があってそんなこと言えるんだ? あんたは城沢の何を知ってるんだ? ……ま、店で俺よりたくさん話してるしな。 それくらいのことは信じられるんだろ!』
俺は少しイラついて、まだ半分残っている煙草をもみ消した。
「オッカ、トリなんでしょ?」
「…………」
何も言わずに戻っていく俺を、マスターは黙って見送った。 中に入ると、薄暗い会場の中では生徒達がざわついていた。 城沢の後ろを通りながら何気なく様子を伺うと、やはりマスターが言っていた通り、ギターに触れた形跡もなく、隣の裕里と話している。 それも、楽しそうに、だ。
『余裕だなあ……くじ引きで決めた順番とはいえ、やっぱりトリなんてキツかったかな。 怒ってるかな?』
俺は声をかけようと思ったが、話中に邪魔するのも悪いと思って、そのまま通りすぎていった。 そして音響卓前の自分の席に座ると、小さく息をついた。
「どうかしたんすか? さっきまで楽しそうだったのに」
立木兄が顔を覗き込んできたので、視線をそらすように髪の毛をわざとたらして顔を隠した。
「なんでもねえよ」
やがて休憩時間が終わり、再び司会の真壁がステージに上がった。 発表会再開だ。
発表を終えた生徒たちも増えて、会場の雰囲気も和んできたころ、城沢の前の生徒の演奏が始まった。 次の人は、早めに楽屋に入ってスタンバイすることになっている。 城沢は裕里の肩を叩いて何か言葉をかけると、ギターを担いで一人楽屋に向かっていった。
「?」
俺は少し異変を感じた。 城沢の足元がふらついている気がしたのだ。
『気の性ならいいが……』
一度はそう思ったが、いたたまれない気持ちになった俺は思わず立ち上がり、気が付いたら楽屋に入っていた。
「城沢」
「先生……」
城沢はギターを抱えたまま、小さな椅子に座ってチューニングをしているところだった。 だが、俺に気付いて見上げたその顔は、さっきまでの柔らかな表情が一変して、緊張に押しつぶされそうな瞳をしていた。
「なんて顔してんだよ? さっきまで平気な顔してたのに。 もしかして、今緊張始まった?」
俺の問いに、城沢は強ばった顔で頷いた。 俺は城沢の前にしゃがむと、その顔を見上げた。
「城沢。 今、何考えてる?」
「間違えたらどうしよう……」
震える声で言う城沢に、俺はゆっくりと言い聞かせるように言った。
「城沢。 音楽とは、音を楽しむって書くんだ。 楽しめ。 音に乗れば、そのまま泳げばいい。 間違えたと思っても止まっちゃダメだぞ。 ただ楽しんでいれば、客にも届くはずだから」
「楽しむ……」
城沢はゆっくりと繰り返した。
「そう。 リハの通りやれば大丈夫だから!」
俺は自信を付ける様に頷いた。 その時俺は、初めて彼女に自然な笑顔を見せられた気がする。 すると城沢は大きく深呼吸をすると、安心したように少し笑ってみせた。 まだ少し固い顔をしているが、あとは城沢に任せるしかない。
「そうだ!」
もう一度頷いて立ち上がると、俺はステージの様子を伺い、タイミングを計って城沢をステージへと送り出した。
戻った音響卓には、ちゃっかりとマスターが座っていた。
「行くなら行くって、言ってよ」
マスターは楽しそうな口調で言いながら、俺の肩を叩いて場所を交代し、振り向いた俺に、軽くウィンクして見せた。
『キザな奴……』
でも、今は感謝しておこう。 俺が音響卓に座ると、また立木兄が
「どうかしたんすか?」
と俺の顔を覗き込んできた。 俺は少し晴れた顔で
「なんでもねえよ」
と、ステージ上の城沢を見つめた。
スポットライトに照らされた城沢は、マイクに向かって挨拶をすると、一生懸命歌い始めた。 今は観客に向けてというより、マイクに向けて、という言い方のほうが似合う。 城沢の一生懸命さは充分伝わっていた。 この日に向けて、練習してきたもんな。
俺はなんだか胸が熱くなった。 その時
「あっ!」
『間違えやがった!』
俺の心臓が、飛び出るかと思うほど痙攣した。 ところが城沢は、顔に出す事もなく、何食わぬ顔で演奏を続けたのだ。
『や、やるじゃん、あいつ……』
俺は少し見なおした。 少しは度胸あるんじゃないか、と嬉しくなった。
そしてこの城沢の演奏がトリとなり、発表会は滞りなく終了した。
俺はカウンターの奥から、城沢と裕里が手を取り合ってホッとした顔をしている様子を、微笑ましく見つめていた。
扉が開かれ、外へと流れていく参加者たち。 それぞれに満足げだったり、自分の演奏に納得がいかなかった顔だったりと、様々な表情で帰っていく。 会場の片付けをしている講師たちも、どこかホッとした風な雰囲気が漂っている。
俺のもとにも長谷川さんと会田たちが挨拶をしていった。 皆よく頑張った。 結果はどうあれ、自分の実力がこれで分かった。 俺も次につなげて行かなきゃな。 今日来れなかった他の生徒たちにも、いつか味わってもらいたい。 それくらい価値のあるイベントだと、俺は思う。
次に、城沢がやってきた。 彼女は、俺の前まで来ると深々とお辞儀をした。
「先生、ありがとうございました!」
にっこりと微笑んだ城沢は、清々しい顔をしていた。 俺は少しからかうつもりで
「間違えたろ?」
と言ってやった。 すると城沢はペロッと舌を出して苦笑いをした。
「あ、ばれました?」
「間違えていいとは言ってないぞ。 まだまだだな」
そこまで言うつもりは無かったがつい……俺は行き場を無くして音響卓の片付けに視線を落とした。
「ま、その後にうまくごまかせたし。 よくやったと思いますよ」
隣にいたマスターが慌ててフォローした。 なんだ、俺がいじめたみたいじゃないか? 俺はこれみよがしに
「今からごまかす癖をつけると良くない」
と、再び冷たい言葉を吐いてしまった。 本当は『よく頑張った!』と誉めてやりたかったのだが、思い切りタイミングを外してしまった。
「これからも頑張ります!」
城沢は固まった笑顔で何事か挨拶をすると、裕里を連れてそそくさと帰っていってしまった。
「影くん、厳しいねえ」
マスターが苦笑しているのが、視界の隅に映った。 俺はわざと大きなため息をついて
「あんたの性だぞ!」
と吐き捨てると、きょとん顔のマスターを残して会場の片付けに、その場から遠ざかった。