ANY TIME AT ALL……Vol.1
「いらっしゃいませ。 今日は早いね~」
マスターが嬉しそうに笑うと、城沢ははにかむように笑った。 そして俺に気付くと
「あれ、影待さん?」
と意外そうな顔をして首を傾げた。 その仕草はまるで小鳥のように可愛らしくて、思わず見とれそうになったが
「こんばんは」
と視線を外した。
『いかん。 鼻血が出そうだ……』
マスターはのんびりと布きんでテーブルを拭きながら
「先生に、僕のギターを手入れしてもらおうと思ってね」
と城沢に話しかけた。
「マスター、ギターも弾くの? あれ、先生って……?」
多分マスターからは、ベース弾きだってことは聞かされていたのだろう。 城沢が俺を凝視しているのは、視界の隅で分かっていた。
『あまり見ないでくれ……。 緊張する……』
「言ってなかったっけ? 影待くんは、ギター教室の先生をやってるの」
マスターが代わりに答えた。 俺は認めるようにただ頷いて、構えたギターの弦を指先で弾いた。 音はともかく、少し指先の感触に違和感を感じた。
「そろそろ弦を替えたほうがいいんじゃない?」
「そうなんだよね。 お願いします」
「分かってたのかよ?」
顔を上げた影待に、マスターはニッコリと両手を挙げてみせた。
「ほら、僕の指、商売道具だから」
俺は、やっぱりな、という呆れた顔でひとつ息を吐くと
「はいはい」
と自分の鞄から幾つかの備品を取り出した。ギターの弦はいつどこで切れるかわからないから、交換用具と替えの弦は必需品だ。 その時、城沢がはたと気がついたように手を叩いた。
「あ、じゃあさっきセブンスから出て行った人って……」
マスターが音香にご名答、と指を立てた。
「影待くんの生徒さん。 丁度生徒さんも居なくなったし、影待くんもヒマそうだったし、お客さんもまだ来ないだろうから、ついでにと思ってね」
「自分が面倒くさいだけだろ? ていうか、俺はヒマじゃない!」
俺の突っ込んだ言葉に、マスターは慣れた様子で微笑み返して
「お世話になります」
と軽く頭を下げ、営業の準備に取りかかりはじめた。 俺もマスターと口喧嘩をしても良いことは無い事は知っていたので、自分の作業に取り掛かった。
城沢は俺の動きを見つめていたかと思うと、
「見てても、良いですか?」
と聞いてきた。
『なんだって?』
俺の心拍数が飛び上がった。 懸命に心を落ち着かせながら
「危なくない所からなら、いいよ」
とだけ言った。 【危ない】という言葉に反応をして思わず後退りはしたが、何のことか分からない風の表情をしていた城沢に助言をしたのは、マスターだった。
「弦を張る時に、切れて弾けるかもってことだと思うよ」
優しい口調のマスターを見つめ、城沢はホッとした顔をした。 そして彼女は言われた通りに少し離れた場所から、俺が弦の交換をしている様子を眺めていた。 緊張して手元が震える。
城沢はギターのことを知っているのだろうか? ただの好奇心だろうか? この緊張で汗ばんだ手。 後で弦が錆びたとか言われても、苦情は受け付けないからな。
いろいろな思いが頭を駆け巡るなか、なんとか六本の弦を全て交換し終わり、チューニングを始めた。
店内に小さくジャズが流れ始めたが、それ位の雑音は気にならない。 マスターもそれを知ってのことだろう。
その間も、城沢はじっと俺の手元を見つめていた。音が出来上がってきた頃、マスターが言った。
「オッカ、弾いてみる?」
「えっ?」
城沢は目を丸くした。 俺の心の中でも思わず驚いていた。
『まさかこの高価なギターを弾かせるつもりか? マスターも太っ腹だな!』
「あたし、弾けないよ!」
俺は、マスターの言うことなら仕方ない、と思いながら、困惑している城沢の前にさっきまで授業で使っていた椅子を差し出すと、彼女は戸惑いながらもそこにちょこんと座った。 その膝にマスターのギターを乗せてやると、小柄な城沢は、ギターにしがみつくような形になった。
「うわっ、軽……いや、でかっ!」
「ぷっ!」
思わず吹き出してしまった俺を睨むように見上げた後、城沢はギターを構えた。 その姿がなんだかしっくりきているのを見て
『形にはなってるな。 もしかして……?』
と思っていると、
『ら~ら~し~~、ら~ら~し~~(さくら さくら)』
たどたどしくも弾き始めるではないか。
「弾けるじゃん!」
と驚く俺以上に、城沢も驚いた顔をしていた。
「押さえた弦をちゃんと弾いてる」
「昔触ったことがあるのを、今思い出した……家にフォークギターがあって、少し教えてもらったの」
「どこまで出来る?」
不思議に、気負い無く言葉が出た。 音楽に関しては自信があるからか? 城沢は瞳をくるくると動かして、昔の思い出を懸命に思い出す仕草をすると
「そういえば、コードを弾いてた時どうしてもFコードがうまく押さえられなくて、それで離れていった気がする」
俺は息をついた。
「やっぱりそうか……最初はたいてい、そこでつまずくんだ」
「オッカ、ギター習ってみたら?」
マスターが軽い口調で言った。
「うん、やってみようかな……」
『なんだってっ? そんなに乗り気になってくれると俺は……正直嬉しい……』
俺は丁寧に返してくるギターを城沢から受け取りながら、勇気を出して言ってみた。
「やりたいなら、教えるよ?」
「えっ!」
城沢の驚きように、マスターが思わず吹き出した。
「別に嫌ならいいけど」
俺は二人の反応に少し落ち込みながら呟いた。
「影待くんは意外といい先生だよ」
グラスを拭きながらマスターが言う。
「意外と、は余計!」
俺は少し頬を膨らませた。 無愛想な俺を良く思うわけないし、ましてやこんな俺の授業なんて受けたくないよな。
ところが城沢は、俺の授業を受けると言ってくれた。
天にも昇る気持ちを抱えながら、順調に最初の授業日と時間を決めると、城沢はしばらく呑んで楽しんでいった。
中学二年の時に、初めてギターに触ったこと。 次第に遠ざかり、弾いていたこともすっかり忘れてしまっていたこと。 そのギターは今も家にあるかどうか分からないが、もし無かったら買いに行くのだと、酔いの回った赤い頬で楽しそうに話していた。 それは専らマスターに対しての会話だったが。
城沢が帰ると、客は他に年配の男性一人だけになった。 俺はカウンター席に移って、いつも以上にご機嫌だった。
「俺が城沢に教えるんだっ!」
嬉しさが込み上げ、呑んでもいないのにテンションが高い。 必要にかられてとはいえ、連絡先まで交換してしまったのだ。 そんな俺を、マスターはグラスを拭きながら静かに横目で見た。
「個人授業で、大丈夫かなあ?」
あきらかに、いかがわしい目をして見るマスター。
「どういう意味だよ?」
頬を膨らませて睨む俺に、マスターはいたずらっぽい笑みを向けて、それ以上何も言わなかった。 だが俺は構わずに上機嫌で珈琲を飲み干して御代を払うと、店を出た。
すっかり暗くなった道を車で走らせながら、俺はまっすぐ帰るのが勿体なく思って、少し遠回りをすることにした。
そういえば、家にギターが無かったら買いに行くって言ってたよな? あいつ、一人で楽器屋なんかに行ったことあるのかな? ギターの値段なんてピンキリだ。もしかしたら、無駄に高いものを買わされるかもしれない。 そう考えていたら、強い不安に襲われた。
「大丈夫かな……」
俺は一計を案じ、少し手間を掛けることにした。




