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恋はビートルズの旋律に乗せて  作者: 天猫紅楼
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フォレスト

 俺の一日は、自分が籍を置く音楽教室【フォレスト】に顔を出すことから始まる。

 駅前ビルの三階にある、小さな事務所だ。 実際の授業場所は、生徒に合わせてそれぞれ違う場所でやっている。 講師たちはだいたい午前中に訪れ、事務所長に活動報告し、自分に来たメールのチェックや他の教室の講師たちと情報交換などをする。 月に一度集まって、それぞれの活動報告や改めて講師とはというミーティングがある以外は、基本的に皆でわいわい楽しくやっている。 音楽人は自由人が多いので、この位の方が飽きずに長く続けられるだろうという、事務所長の方針だ。 まったく、ずぼらな俺にぴったりな作業形態だ。

「おはようございます」

 昼前くらいに事務所に入ると、高梨事務所長とピアノ教室講師の和田ゆかりがいるだけだった。

「おはよう!」

「おはようございます!」

 二人から元気の良い返事が返ってきた。 高梨事務所長は、なにやら電話中だったが、構わず挨拶を返してきた。

「いや、すまんすまん、うちの講師が出勤してきたんでね!」

 裏表のない性格とはこのことだろうか。 短い足を組んで煙草を吹かしながら、なにやら相談事をしている。

 高梨さんは、身長が極端に低い。 俺たちの間では、巷で有名な妖精【小さいおっさん】と揶揄されている。 その割に声が良く通るので、存在感が強い。 普段おちゃらけているくせに、真面目な話になると、納得するまでとことん話し合おうとする、根はしっかりした意識の持ち主だ。

 まあ、そうでもなければこんな自由人の集まりを束ねることなど出来ないだろう。 俺は空いているパソコンの前に座って起動させた。 自分のパスワードを入れると、自分に届いたメールが他人に知られずに見られる。

「今日はゼロか」

 たいして落胆はしない。 緊急の用事なら俺のケータイにでも送られてくるし、このパソコンに送られてくるのは、もっぱら、ネットやチラシでこの音楽教室を知った人からの受講希望メールだ。

「影待くん、寝てないの?」

「うわっ!」

 いきなり耳元で語り掛けられ、俺は驚きのあまりに椅子から落ちそうになった。

「わっ、和田さんっ? な、なんですか?」

「なんですかじゃないわよ。 そんなびっくりすることないじゃない!」

 和田は団子鼻をピクピクさせながら不機嫌そうに言った。

「いきなりこんな近くで話し掛けてくるからですよ!」

 俺はあからさまに眉をしかめた。 和田はそんな俺の顔を覗き込んだ。

「目の下にクマが出来てるよ?」

 俺は慌てて眼鏡を押さえた。 城沢の事を考えていて、昨日はほとんど眠ってない。 鏡をチェックしてこれば良かった。 和田は観察力が鋭いのだ。

「なんでもないです!」

 俺はかぶりを振ってパソコンに向かった。 和田は不思議そうに見つめていたが、すぐに

「まぁいいわ」

と肩をすくめた。

「それよりさ、もうそろそろサイトのトップページを変えない?」

 と話題を変えてきた。 サイトとは、音楽教室のホームページのことだ。 パソコン関係に強い俺は、このサイトの管理も任されている。 季節も春から夏になるので、俺もそろそろデザインを変えようかと思っていたところだ。

「分かってますよ」

 こんなにぶっきらぼうに答えても、和田には効かない。

「うん、じゃ、よろしくね! 私はそろそろ、わが娘を迎えに行く時間だから、これで!」

 荷物を肩に掛けると、高梨事務所長に挨拶をし、去りぎわに俺の肩を強く叩いて去っていった。 全く、パワフルなおばちゃんだ。 おばちゃんと本人の前なんかで言ったら、何を言われるか分からない。

「たった五歳上なだけでしょうっ?」

と団子鼻を近づけて睨むのは目に見えている。 廊下の辺りで何やら話し声が聞こえたかと思ったら、すぐに消えた。

「おはようございま~す!」

 和田と入れ代わりに入ってきたのは、ドラム講師の真壁だ。 ごつい体を揺らして、さっきまで和田が座っていた俺の後ろの席にどかりと座った。 椅子が窮屈そうにきしんだ音を立てた。

「影待さぁん! 俺、もうダメっす!」

 背もたれに強くもたれ、俺の肩口に真壁の頭が当たった。

「どうした?」

 真壁は垂れた眉を余計に垂らしてため息を吐いた。

「俺、もうダメっす~」

 繰り返す真壁に振り返り、

「だから、どうしたんだよ?」

と面倒くささを全開にしてもう一度聞いた。 真壁は上目遣いで俺の顔を見た。

「影待さんはいいっすよね~」

「何がだよ?」

「彼女を無くす悩みがなくて」

「何だとっ!」

 俺は振り返ると、容赦なく真壁の額にチョップを落とした。 俺の手は骨ばっているから、直接額の骨にクリーンヒットするのだ!

「いてっ!」

『俺だって悩んでるんだっ!』

 真壁は涙目の情けない顔で額をさすりながら、やっと体を起こした。

「ふられたんすよぉ……」

 肩を落としてうなだれる真壁の背中が、いつもの一回りほど小さく見えた。 俺は彼の肩を二、三度叩いて、また作業に戻った。 こういうときは、放っておく主義だ。 というか、付き合うのが面倒くさい。

「真壁、ふられたんか?」

 声の方を見ると、高梨事務所長が肘を突いてふんぞり返るように真壁を見ていた。 その頬はあろうことか、ほのかに緩んでいる。 どこかで見たことがある。 これは、マスターが人を面白がる時にする顔と同じだ。

「うまく行ってたと思ってたのは、俺だけだったんだなぁ……」

 真壁はなおも肩を落としてため息を吐いた。 この世の終わりとも思えるような、暗ぁいオーラを醸し出している。 こんなのが俺に移ったら大変だ。 今は大事な時期だからな。 俺は少しだけそっと椅子を離した。 高梨事務所長はふんっと鼻を鳴らして真壁を見つめていたが、やがて真顔になって言った。

「真壁、そんな人生終わったような顔すんな。 そういうのが、音でバレた時の恥ずかしさったら、ねーぞ。 お前もドラ息子の端くれなら、プロの顔を忘れんなよ!」

 真壁は高梨事務所長を見上げた。 そしてひとつ息を吐くと、気合いを入れた拳を突き上げ、勢い良く立ち上がった。 その拍子で俺は人形のように、軽々と机に押し付けられた。

「そうっすよね! ふられたくらいで落ち込んでる場合じゃないっ! 俺にはドラムがあるんだ!」

 高梨事務所長の言葉で、見事に復活した真壁。 単純と言ってしまえば簡単だが。 それにしても、俺も未だに高梨事務所長の本質がイマイチつかみきれない。 目力もあり、その瞳で見つめられると、どんな言葉でも信じてしまうような説得力がある。 高梨事務所長はホッとしたように頬を緩ませると、ケータイを取るとまた誰かに電話をしはじめた。 基本、忙しい人のようだ。

 

 静かな空間が戻った。 俺は夕方のギター教室まで事務所で雑用をこなした。 フリーの身であるがゆえ、時間に自由はあるがやることがたくさんある。 音楽教室【フォレスト】や自身のギター教室のチラシを作って配ったり、授業で使う資料を考えて作成したり。 そうそう、サイトもリニューアルしなくちゃいけないし。 個人授業と数人で同時に行う授業では進め方も違うし、当然使う資料も違う。 生徒ひとりひとりに合った進め方をしたい俺は、余計に仕事を増やしているのかもしれない。 そんなことをしていると、すぐに時間は過ぎていく。 気がつくと、もう事務所を出なくてはいけない時間になっていた。 慌ただしく資料を片手にして

「じゃあ今日はこれで! 失礼します!」

と席を立つと、高梨事務所長は書類にペンを走らせながら、片手を上げて頷いた。

「おう、お疲れっ!」

 高梨事務所長も、自身のイベントの段取りで忙しいのだろう。

 この事務所は、もともと高梨事務所長がイベントやライブなどの請負業を始めようとして借りたテナントだったが、思いのほか中が広かったので、高梨事務所長とかねてからの友人でもあった和田が始めようとしていた音楽教室の事務所としても使えるようにしたらしい。 どうせ同じ音楽絡みだし、お互いに何かとメリットもあるだろうと考えたのだろう。

 

 

 俺は夕刻の穏やかなオレンジ色に染まる町を縫うように車を走らせ、セブンスヘブンの扉を合鍵で開け、今日の授業の準備をした。

 今日の生徒は、十八歳の男:会田輝アイダ ヒカルだ。 彼は真剣にバンドを組みたくて、頑張っている。 若く前向きな勢いもあるし、長身で指も長いので、コツさえつかめばすぐに上達する。 めきめきと成長する姿を見ると、自分自身も満足感に包まれる。

「こんにちは~!」

 元気な声とともに、扉が開いた。 会田が笑顔で入ってきた。

「よろしくお願いしますっ!」

と、荷物を下ろしながら嬉しそうな顔でお辞儀をした。 会田はいつも楽しそうだ。 今のところ順調に上達しているし、希望に満ちているからだろう。なによりその笑顔は、こちらまで授業を頑張ろうと思わせる。

 彼は肩にかけたソフトギターケースを丁寧に置くと、中からエレキギターを取り出した。 黒いボディーのフェンダーだ。 俺も、今日は会田に合わせてエレキを持ってきている。 練習用の小さなアンプに繋げると、授業の始まりだ。

 彼はすでにコピーの段階を終え、オリジナルの曲に挑戦しているところだ。 自分の魅力を最大限に出すことが、オリジナルの最大の武器である。 それは、俺が教えることじゃない。 ひたすら曲を作って、自分で自分の世界を掴むしかないんだ。 会田は、自ら書いてきた楽譜を手に、俺に聞かせる。 それに対してアドバイスする。

 最近友達もその気になって来たというし、バンド結成も間近だろう。 初ライブはセブンスヘブンでやると言ってくれるし、全く、可愛い生徒だ。

「ありがとうございました~!」

 授業が終わると、会田は丁寧にお辞儀をして去っていった。 彼は家に帰っても弾き続けるのだろう。 例に漏れず、俺もそうだから。 ギター少年は、間食の様にギターを弾く。 俺はエレキをケースにしまいながら、昔を思い出していた。

 

 

 俺が初めてギターを手にしたのは、高校に入ってからのことだった。

 中学二年の時に、テレビで見たビートルズの特集番組を見て一目で引き込まれた俺は、高校に入ってすぐにバイトを始め、二年かかってやっと手に入れたアコースティックギター。 通称アコギ。

 それからはずっと、時間が空けば習慣のようにギターを手にしては爪弾いていた。 その当時は近くに音楽教室も無かったし、楽器屋も町まで出ないと無かったから、全てが独学だった。 教則本を買いあさり、ビートルズのビデオや音源を擦り切れるほど見聞きして、自分の力で技術を身に付けた。

 田畑に囲まれた田舎の家なので、少々うるさくしても近所に迷惑はかからず、親がたまに眉をしかめるくらいで、俺は自由に音楽に浸かっていた。 そして今に至るわけだが、まさかこうして音楽で食っていけるようになるとは思わなかった。

 それもこれも、ビートルズに感謝だ。 俺はジョンと同じ形のエレキを名残惜しく見つめた後、ケースのチャックを閉めた。

 

 次に扉を開けたのは長谷川さんだった。 今日は二人続けての授業をする。 彼はまた会田とは違って、クラシックな音楽を好み、持ってくるギターもアコギなので、俺もアコギを用意していた。 おかげで今日は、荷物が多い。

 前回宿題にと持って帰ったビートルズの曲を、おさらいだ。 彼らの曲はやっぱり良い! 弾きながら、俺は自分に酔いしれそうになったが、生徒の手前、冷静さを失うわけにはいかない。

 一時間の授業が終わり、長谷川さんが帰ると、さすがに疲れを感じた。

 腕を上げて伸びをしていると、店の扉が開き、誰かが入ってくる気配がした。

「おはよう~」

 聞き馴染みのある、深く低い声がした。 扉の方でベルをセットしている音がし、すぐに長身のマスターがのっそりと姿を現した。

「おはよう」

 俺はちょうど片付け終わったギターケースを隅に寄せ、資料で溢れるテーブルの上を綺麗にした。

「あ、ちょうど良かった! 頼みがあるんだけど、いい?」

 マスターがにこりと微笑んだ。 そんな顔をするときは、何か胸騒ぎがする。

「何?」

「あのさ、僕のギターを診て欲しいな~なんて」

 にこにこと笑顔で言うマスターに、俺は息をついた。

「ま、そんなことだろうとは思った。 どこにあるの?」

「ありがとう! 持ってくるね」

 マスターは嬉しそうに長い足で歩幅を広げてスタスタと歩き、楽屋へ入っていった。 まぁいい。 今日はもう用事もないし。 次回に回すよりは今日やっておいたほうがいい。 マスターはたまにこうして、自分のギターのメンテナンスを依頼してくる。 場所を貸してくれている立場もあるし、たいして大変な仕事でもないので、いつも引き受けてやっている。

 マスターはすぐに戻ってきて、俺に重厚なギターケースを手渡した。

「よろしく」

 後は頼んだとばかりに微笑み、カウンターの奥へと引っ込んだ。 店の準備をしはじめたのだ。

 俺は丁重にケースを開け、中からマスターのアコースティックギターを取り出した。 相変わらず立派なギターをお持ちだ。 五十万もする値段からして、その価値は素人でも分かるだろう。 良いものは高くても、というのが、マスターのこだわりだ。 だからスマートな生き方が出来るのだろう。 到底俺のような貧乏人には真似出来ない。 そう思いながら眺めていると、扉が開いた気配がして、

 

  カランカランカラン……

 

とベルの音がした。

「あら、もうお客さんかな?」

 マスターがあわてて袖留めを着けているときに、

「こんばんは~」

と声がした。 その途端、俺の心拍数が三倍に跳ね上がった。

『城沢だっ! な、なんでこんな時間に?』

 慌てて酒瓶の並ぶ棚に掛けてある掛け時計を見ると、開店時間を過ぎたばかりだった。

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