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第九十三話 どうか夢ではありませんように

「一緒に買い物とか行こうよぉ」

「わしも買い物行きたい」

「希惟くんのスーツ着せて、パーティーしたいねぇ。髪型もバッチリ決めて、きっと似合うよぉ」

「わしもパーティーしたい」


 まるで、家族に初めて恋人ができて、浮かれているようなご様子。

 かつて、こんなに俺にやさしい世界があっただろうか。

 でも、このお二人を見ていると、希惟さんがああならざるを得なかった理由が分かる気がするな。


 力が抜けて椅子に腰掛けた俺の手を、先輩が握った。


「文都は俺のだからダメ」

「な……」


 朝から良い事続きで逆に怖いんですけど。この後、バランスを取るように、とてつもなく悪い事が起こったりしませんか? それか全部夢でしたみたいな。

 どうか夢ではありませんように。何度も、何度もそう思う。


「亜蘭くんの事、受け入れてくれてありがとぉ」


 お姉様が甘くとろけるような微笑みを、俺に向ける。


「私はダメだったから〜」


 そういえば、かなり前に先輩から、お姉様が初めての時にがっついて、相手が貧血で倒れたと聞いたけど……。


「拒絶されちゃったんだ〜。だから亜蘭くんが羨ましいよぉ」


 あ……それで希惟さんは、兄に吸血鬼だと知られる事に対して消極的なのか……。


「まあ普通拒絶するよねぇ。血を吸われるの怖いだろうし。文都くんが変わってるのかも〜。私は諦めて、ドナーの血で……」

「きっと、これから受け入れてくれる方が見つかりますよ。お姉様はおきれいだし。それにまだ、お若いじゃないですか」


 シンと静まる食卓。


 あれ? 俺、何か変な事言った?


 先輩が怪訝な顔を俺に向ける。


「若くはないぞ」

「え? どう見てもお若いですけど。俺達とそんなに年変わらないんじゃ……」

「いや、倍以上離……」


 先輩の言葉を遮って、お姉様が、

「私は希惟くんより年上だよぉ。第一子なんだぁ」と言った。


「へー……おいくつなんですか?」


 希惟さんが、兄と同じくらいだとして……。


「文都くん? 女の人に年齢を聞いちゃいけないんだよぉ?」


 お姉様の瞳に、触れてはいけないという圧を感じた。


 あれ? おかしいな。希惟さんに向けられる視線より怖いぞ?




第93.5話 これが夢だったらいいのに


「先輩、この服貰っちゃっていいんですか?」


 まだ乾いていない昨日の服の代わりに、俺が渡した服を着て、文都はそう言った。


「希惟さんのお下がりなんですよね? こんなにきれいなのに。新品みたいです」


 だろうな。だって新品だから。


 イエローをベースに、ブロックデザインでブラックが入った、ムートンスウェットシャツ。ダボっとしたシルエットで胸元にロゴが入っている。下は黒のトラックパンツ。


 本当は文都に似合いそうだったから、後であげようと思って買ったんだけど。


「高そう……1万くらいしますか?」


 上だけで、その20倍以上する。


「靴下や靴まですみません。本当に大丈夫ですか? この靴も高いんじゃ……やっぱり1万くらいしますか?」


 お前の中で、高いイコール1万なの?

 お前が今履いてる靴下が、それくらいの値段って言ったら脱ぐかな。


「後で希惟さんにお礼言わないと」

「言うな」

「え? 何でですか?」

「なんでも。それより早く行こ」


 玄関のドアを開けると、目に飛び込んでくる白い世界と、傾れ込む冷気に圧倒されて、別の世界に踏み込むような気持ちになった。


 朝が来るまでに雪は止んだものの、屋根や道路には、しばらくそこに居座る事を決めたように雪が残っている。首都高は閉鎖され、一部の電車も止まったまま。


「今日が休日でよかったですね」

「うん」


 文都が俺の手を繋ぐ。


「あの……大丈夫ですか? 先輩と朝の散歩は嬉しいですけど……」


 心配そうな顔を向けられて、

「歩こうって言ったの、俺だから」と答える。


「寒かったり、気分悪くなったりしたら、すぐ帰りましょう!」

「大丈夫。お前がいるから」


 俺の顔を見た文都が、通信障害を起こしたように動きを止める。


 文都って時々こうなるけど、何でだろう。何を思ってるんだ? 表情変わらないから、よく分からないんだよな。


 冷たく澄んだ空気が頬を刺す。体の中に染み込んでいくような寒さが、なぜか心地いい。雪が残る道を歩いて、こんなに気分がいいのは、いつぶりだろう。


「もう少し歩こうよ」


 水分を含んだ雪が、踏みつけられる度に、かき氷のような音を立てた。


「ありがとう。来てくれて嬉しかった」

「いえ、いつでも呼んでください。夜中でも早朝でも」


 本当に来ちゃいそうだよな、お前は。


 所々、雪に塗り潰された横断歩道を渡る。


 俺が吸血鬼でよかった。俺も、今ならそう思える。文都がそう言ったから。

 よかった、文都が俺の……。


「先輩!」


 文都の、危険を知らせるような声にハッとする。


 何度も見た夢と、似ている光景。

 俺に向かってくる乗用車。運転手の表情まではっきり分かるのに、足が動かない。


 何で止まらないんだ? 信号、こっちが青なのに。俺に気付いてるのに。もしかして、止まれない? 雪で……。

 痛いかな? 俺、本当は痛いの苦手なんだけど……。一瞬だけ我慢すれば……。大丈夫、俺は、死なないし……。


 これからくる衝撃に備えて、ギュッと目をつぶり、歯を食いしばる。

 予想外の方向から体を押されて、地面に転がる。体の半身に、雪の冷たい感触を感じながら、ドンッという鈍い音を聞いた。


「え……?」


 車の前に、文都が倒れている。


「何で……」


 何でお前がそこにいるの? そこには俺がいるはずだろ? 一瞬だけ痛いの我慢して、やっぱり平気だったって言って……。それで、お前が心配そうな顔で……大丈夫ですかって、そう聞くんじゃないの……?


 濡れた服や、頬に付いた雪の冷たさが、これが現実だと俺に突きつけている。


 文都……? 何で、動かないの?


 これが夢だったらいいのに。何度も、何度もそう思った。

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