第九十話 今夜は雪が降る
寒さの底のような2月。
学校帰りのバスの中で、先輩が兄達の近況について話す。
「お兄さん達、早速ルームシェア始めたみたい。解約の決まりがあるから、兄が住んでいた部屋の契約はまだ残ってるらしいけど」
冷気を体中に浴びていた俺達を労うように、バスの暖かい空気が包む。
「まさか、本当に一緒に住むとは思いませんでした」
好条件を提示されて押し切られたように見えたけど、兄は希惟さんと上手くやっているんだろうか。
「現金な兄ですみません」
「そんな事ないんじゃない? 家賃とか生活費、折半にしたみたいだけど。あの後、お兄さんからそうじゃなかったら、この話はなしって言われたみたいで」
「え」
意外。常識あったんだな、あいつ。
いや、自分の職場のトップにご飯作ってもらう気なんだから、やっぱり常識ないわ。
「好きな人との生活が、兄はまだ信じられないらしい」
先輩がくすっと笑った。
あれだけ拒否されてたのに、決して広くない部屋で、これから毎日一緒にご飯食べたりするんだから、確かに現実とは思えないだろうな。
俺は、希惟さんの恋が報われて嬉しいです。
「一緒に生活して、希惟さんが吸血鬼だと、兄に気付かれないですかね? 小さなケガとかして、その場で治ったりしたら……」
希惟さんはまだ、自分が吸血鬼だと話したくないみたいだし。
「兄は、俺みたいに治らないよ」
先輩がきっぱりと言った。
「え? そうなんですか?」
「俺は生まれつき再生能力が高いけど、兄はそこまでじゃない。人間が一週間で治る切り傷が、数分で治るくらい。俺は瞬時に治っちゃうけど。だから兄の場合、誤魔化そうと思えば出来るんじゃないかな」
個人差があるとは聞いていたものの、思っていたよりも違いが大きい。数分で治るのも十分すごいけど。
「先輩だけ特別に、吸血鬼の血が濃い感じがして格好いいですね」
百年に一人の逸材みたいな。
俺からしたら、先輩は百万年に一人の奇跡だけど。それくらいかわいいって意味で。
俺の言葉が意外だったのか、先輩は少し驚いた顔をした後、照れているような仕草で、自分の髪に触れた。
「格好いいとか……俺はむしろ……」
「むしろ?」
「いや、なんでもない」
かわいい〜やっぱり格好いいって言われる方が嬉しいんですね〜。
「いいな、ルームシェア」
今度は、先輩の思いがけない一言に俺が驚いて目を丸くする。
え……? それは誰と? 誰か思い当たる人がいるんですか?
「朝起きてから、夜眠りにつくまで一緒にいられるのって、すごく羨ましい。……お前は、そう思わない?」
先輩が、首に巻いたマフラーに口元を埋めて、俺にそう問いかける。
まるで、好きな人との甘い生活を夢見るように……?
「えっと……先輩は、誰かそうしたい人がいるということですか……?」
恐る恐る尋ねると、先輩が頬をほんのりと赤く染めた。
「言わせるなよ」
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
その反応は、いるって事ですよね!?
「先輩! 俺は思わないです。ルームシェアなんて、想像できないです」
先輩の腕を掴んで、真剣な顔で迫る。
先輩が、誰かと仲良く二人暮らししてる所なんて想像もしたくない。どうか、思い止まって下さい!
「あ……そ、そうなんだ……」
俺の同意が得られなかった事がショックだったのか、先輩が、ゆっくりと俺から目を逸らした。
肩を落としているようにも見える。
先輩……? そんなにショックを受けるほど、本気だったんですか……?
俺の同意を諦めきれないのか、先輩が主張を続ける。
「だ、だけど……寒い日に一緒にお風呂入ったり、翌朝のこと考えずに夜更かししたりとか、いいなって俺は思うけど……」
何ですか? その羨まけしからん生活。
「そんなの、絶対ダメです。俺は、そんな先輩見たくないです」
思わず眉間を寄せる俺。
あ、やばい。嫉妬してるって気付かれるかな?
「そ……そっか……」
先輩が、今にも泣き出しそうな顔をして、下を向いた。
「せ、先輩!? 大丈夫ですか!? 寒いですか!?」
「う……うん。俺、今すごく寒いかも……」
「今夜は雪が降るそうですよ! 暖かくして、今日は早く寝てください!」
先輩が窓の外を憂鬱そうに見つめる。
「雪か……」
そうする事に特別な意味があるように、先輩が同意する。
「そうだな。早く寝るか」
窓枠に四角く切り取られた空に、重くのしかかるように埋め尽くす、灰色の雲が見えた。いつ降り出すか機会をじっと伺っているみたいに、不気味なほど静かに、夜を待っているように思えた。




