第八十七話 兄が結婚
楕円型のお弁当箱に詰められた、唐揚げと卵焼き、タコさんウインナー。彩りを添える役目を負ったブロッコリーとミニトマトが主役たちを引き立てるように配置され、きんぴらと胡麻和えが隙間を埋める。ご飯には、ひき肉と卵、二色のそぼろがかかっている。
すれ違いの翌日、昼休みの教室で、俺は、念願の先輩お手製のお弁当を前に、感動で泣いてしまうのを必死で堪えている。
「お前が想像しているお弁当を作った」
「すごいです先輩! 何で唐揚げと卵焼きとタコさんウインナーを想像してたって、分かったんですか?」
「お弁当のド定番だからだよ、甲斐くん」
でもイメージしてたより、ずっと豪華です!
机を向かい合わせに並べ、先輩と理人と、三人でお昼ご飯を食べる。
「甲斐くん、よかったね。食材のための食事を作ってもらえて」
文法の誤りを指摘されそうな、聞いた事のない言い回し。
何とでも言えばいい。今は、何を言われても気にならない。なぜなら、お弁当があるから!
「いただきます! わあ〜何から食べよう! その前に写真……」
「甲斐くん、唐揚げもらうね」
俺のお弁当から、唐揚げが消える。
「……」
心の準備もないまま、お弁当箱にできた空白に、胸が締め付けられる。
「おい、理人。手癖が悪いぞ」
「おいしいものは分け合わないといけないって、親から教わらなかったの? 唐揚げ、もう一個あるじゃん」
「先輩が俺の為に作ってくれたんだぞ!」
「はいはい、よかったね。卵焼きももらっていい?」
いい訳ないだろ!
「おい、文都をいじめるな。俺のをやるから」
えっ?
「わ〜い! さすが先輩。あ〜ん」
理人の口に、先輩が卵焼きを運ぶ。
「ダメです!」
先輩の手を掴み、卵焼きを奪う。
わー甘くてふわふわ。
「文都?」
「……」
先輩のキョトンとした顔を見て、我に返る俺。
俺に止める権利とかないですよね?
あ〜んしてもらうのが、羨まけしからんくて、思わず奪っちゃったけど。
先輩のお弁当のおかずだし、俺、めっちゃ食い意地張った奴だと思われたんじゃ……。
手元のお弁当箱から、卵焼きを刺し、開いたままの理人の口に突っ込む。
「うっ」
「これで分け合えましたね! おいしいものは分け合わないと! あはは、あははは……」
「おいしかった? それならよかった」
口元を綻ばせた先輩が、
「一瞬、やきもち妬かれたのかと思った」と言った。
そうだとしたら、どのような処遇を俺に?
「また作ろうか? おにぎりと、スープジャーに入れた具沢山の豚汁とか」
「わーオシャレですね!」
「オシャレ? スープジャー使えばオシャレなの? 田舎のおばあちゃんみたいな献立じゃない? 何か先輩の見た目と合わないなぁ」
バカだな。そこがキュンとくる所なのに。
先輩が、
「そういえば、お兄さんの差し入れは、結局誰からだったの?」と俺に聞いた。
「差し入れ?」
理人が興味を示す。
「三日おきくらいで、差し入れを貰ってるみたいで、兄は先輩からだと思ってるんだけど……」
「俺は作ってない」
「それ、大丈夫?」
理人が顔を歪めて、
「誰から貰ったものか分からなかったら、怖くない?」と聞いた。
「た、確かに」
「何入れられてるか分からないじゃん」
「でも、ビデオ通話で見た時、すごく美味しそうだったし、悪意がある感じには見えなかったけど……」
「甲斐くんもお兄さんも、危機感なさすぎない?」
言われてみたら、少し心配かも……。
あの電話以降、何故か連絡ないし……。
「部屋で死んでたらどうしよう……俺、今夜行ってみようかな」
「俺も行こうか?御香典を用意して」
「おい犬、縁起でもない事言うな。文都、俺も行く」
ぼんやりと霞んだ月が不吉な夜に、先輩の家の前で集合した、俺と先輩と理人。
「寒いのに、兄の事ですみません。先輩」
「俺は目の前だし、大丈夫」
「寒っ。早く行こー」
なんだか肝試しに行くみたいだな。
先頭を歩く理人が、アパートの階段を上がりながら、
「不審者がいたら、甲斐くんが盾になってね」と言った。
「俺が盾になる前に、お前が不審者を殺さないか心配」
あ、不審者の盾になれって意味だった?
俺の後ろを歩く先輩が、俺の背中を掴み、
「文都は俺が守る」と言って、キラキラの目を向けた。
階段のせいで、いつもより小さく見える先輩に庇護欲を掻き立てられる。
「先輩は、ずっと俺の後ろに隠れていて下さいね」
「いやいや。先輩、殴られても刺されても元通りなんだから、最強じゃん」
「元通りって……。治ればいいって訳じゃないだろ。痛いし、怖いんだから。傷は治っても、それは元通りとは言えないよ」
階段を上り終えた所で、先輩が背中から腕を回し、俺をギュッと抱きしめた。
怖くなっちゃったのかな?
先輩の手に、自分の手を重ねる。
「大丈夫ですよ。たぶん何も驚く事はないですから」
理人が、兄の部屋のドアノブを引く。
「鍵が開いてる」
ドアが開かれ、金色の髪と、凛とした後ろ姿が見えた。
希惟さん?
希惟さんの両肩を掴んだ兄が、顔を伏せ、縋るように叫ぶ。
「結婚して!!」
時が進む事を忘れて、世界から音が失われた瞬間を体感した気がした。まるで、時間を止める魔法の言葉を、兄が叫んだみたいだった。
プ……プロポーズ!!?
兄が結婚!?
呆然とした顔で、理人が呟く。
「御香典じゃなくて、御祝儀だった」




