第八十ニ話 年下が好き
なんて事だ……。
こんな攻め攻めな兄、絶対、先輩に会わせられない。
「甲斐くん! 何でもいいから固いもので、お兄さんを殴って!」
床に押し倒されている理人が、追い詰められた様子で、過激な提案をする。
それ、永遠に目覚めないのでは?
殺人現場が出来上がってしまう。
どうしたらいいんだ……。
こんなイケイケな兄、絶対、先輩に会わせられない。
「甲斐くん!? 今ソファに悠々と座って長考する場面じゃなくない!?」
まあ、正直俺はお前がどうなろうと、どうでも……。
それより、こんな攻めイケな兄、絶対、先輩に会わせられな……。
救いを求めて、隣を見る。
「鬼ちゃんさん、俺に何か良い策をご教示下さい」
いつもの豆知識みたいなの下さい。
「酔いが回ってしまいましたー」
「え?」
抑揚のない主張をして、鬼ちゃんさんが俺に、もたれかかる。
「え!? 今の今まで、ハキハキされていたのに!?」
「甲斐くん! それ演技だよ!」
床から、眉間に皺を寄せて、俺に怒鳴る理人。
「酔ってるんれすよー。甲斐文都さん、俺を信じられませんかー? こんなに飲んでるんれすよー?」
「た、確かに……?」
「ちょっともう勘弁して……。バカなの!? 甲斐くんってバカなの!? いや、バカなの!?」
三回もバカって言った……。
「今は俺のことだけ心配して! 一番信用できるのは俺!」
いや、別にお前のことも、そんなに信用してないけど……。バカって言うし……。
「甲斐文都さん……手を貸してください」
「え? 手ですか?」
お水飲みに行きたいのかな?
鬼ちゃんさんを支えるように差し出した手が、やさしく、だけどしっかりと握られる。
「甲斐文都さん、君は本当にやさしいですね」
「いえ、そんな事は……」
握られた手が、鬼ちゃんさんの口元に引き寄せられる。
メガネ越しに、琥珀色の瞳がキラリと光ったように見えた。
「でも、やさしさと優柔不断は、紙一重ですよ?」
俺の手首の内側に、鬼ちゃんさんが口付けた。
「!? な、何を!?」
「そこが君の良さでもあり、俺が好きな理由でもありますが」
愛情を伝えるには無縁な場所に思えるのに、愛おしそうに、何度も唇を寄せられるうちに、侵されてはいけない領域に、侵略されているような気分になってくる。
「甲斐文都さん、君が欲しい。俺はそう思っているのに、亜蘭くんとの惚気を聴かせるなんて、あんまりです」
「酔ってるんですよね!? 酔ってるからなんですよね!?」
ウワァーン! 何でこうなるの!?
「甲斐くん!? だから言ったじゃん! 演技だって! バカバカバカバカ」
「可愛がってあげようとしてるのに、何で嫌がってんの?」
地獄のような惨状になってしまった1Kに、悪魔の囁きに身を委ねた罪を問う、審判の時を知らせるように、来客を告げるインターホンが鳴る。
ヒィッ! 来てしまった……! 先輩が! 最悪のタイミングで!
理人から体を離し、兄が床からゆらりと起き上がる。
「あー亜蘭くんが来るんだっけ?」
髪をかきあげて、玄関へ向かう兄。
鬼ちゃんさんに襲われて、身動きの取れない俺。
「あわわわわ……理人! あいつを先輩に近づけないで! あと先輩を部屋に入れないで!」
あわわわわ今度こそ幻滅されてしまう……!
「分かってるって!」
タイミングを見計らったかのように、力の抜けた鬼ちゃんさんの手から逃れて、理人を追い、玄関に駆けつける。
兄が玄関を開けるのと同時に、理人が兄を後ろから羽交い締めにした。
「……」
光の束を集めたような髪が、戸惑いを映すように揺れる。
金属のような冷たさを持つ金色の目が、驚きで見開かれた。
「公都さんは……年下が好きなんですか?」
希惟さん!?
「あれ? 亜蘭くんじゃないの?」
「先輩のお兄さんが来ちゃったけど!?」
「希惟さんがなぜ……はっ……」
そういえば先輩、自分が行くとは一言も言ってないな。
「年下が好き? あー可愛いよねー年下。今、可愛がってあげようとしてたとこ」
兄がヘラヘラしながら、その場を離れようとしていた理人の肩を抱く。
「ウワァーン甲斐くん!!」
あわわわわ策士策に溺れる。
「大分酔っているようですね」
「は〜い酔ってま〜す」
楽しそうに手をあげる兄。
自我を失うほどに酔っている。
今目の前にいるの、お前の職場の社長だぞ?
普通だったら、社会的に死ぬぞ?
「何? お前も俺に可愛がってもらいたい?」
兄が、理人から手を離し、閉じられたドアに希惟さんを追い詰めるように、壁ドンした。
「俺の事、好きとか言ってたもんなぁ?」
兄の腕から逃れた理人が、泣き虫の犬の如く、俺に抱きつく。
挑発的な兄に対し、希惟さんは強がる子犬を見るような、余裕のある表情を見せた。
「可愛がってくれるんですか?」
「……お前、スカしててムカつく。その澄ました顔、崩してやるけど、いいの?」
「ちゃんと追い詰められてますよ」
むしろ、この状況を面白がっているようにも見える。
「だから、崩してみてください」




