第八十一話 こんな兄知らない
週末の昼。
太陽が眩しい、小春日和。
引越祝いをする為に、お酒と、おつまみっぽいものを持参した俺と理人を、既にほろ酔いの兄が出迎える。
「あれ? もう飲んでるの?」
「お兄さん一人で?」
「お前ら、俺の事寂しい人間だと思ってない? 引越祝いするって会社の人に話したら、来たいって言うから、先に二人で飲んでたんだよ」
頬をほんのりと赤く染め、兄が上機嫌で答える。
「会社の人?」
「忘年会で意気投合してさー、まー主に社長の愚痴で」
上に立つ人って大変だな。
「あ、そういやお前は、一回、家の前で会った事あるかも」
「え? 誰?」
廊下から、約8畳の部屋のドアを開ける。
よく知る人物が、姿勢よくソファに腰掛け、頬にかかるグレージュの髪を耳にかけて、日本酒の杯を口に付けた。
丸いメガネを通して見える、目尻の泣きぼくろや、密度のあるまつ毛が、中性的な顔をより魅力的にしている。
「甲斐文都さん、こんにちは。またお会いできて嬉しいです」
「鬼ちゃんさん!?」
いきなり大きな声を出した俺に驚いて、兄が振り向く。
「鬼ちゃんさん? 何でそんなに親しげなの?」
「それは、クリスマスの時に話した、甲斐くんの年上の浮気相手が……」
兄の知らない情報を、暴露しようとする理人の口を封じる。
「賢い番犬くんもこんにちは。前回お会いしたのが最後ではなくなって、残念ですか?」
「番犬くん?」
「俺、やっぱりウサギさんの事、気に入らないなぁ」
「ウサギ?」
一人だけ状況が読めない兄が、鬼ちゃんさんと理人を交互にキョロキョロ見る。
「何かよく分からないけど、みんな知り合い? あだ名で呼んで仲良さそうだね」
お前の目には、そう映るのか。
「とりあえず座れば?」
どうしよう……。
二人きりではないけど、年末のデートで先輩が泣いてしまったことが思い出されるな……。
「何でずっと立ってんの? 緊張してんの?」
兄によって、鬼ちゃんさんの隣に座らされる。
それ程大きくない、二人掛けのソファに並んで座ると、恋人同士のような距離になる。
「……」
「俺が隣にいて緊張しますか?」
先輩がいつ来るか分からなくて緊張する〜……。
「甲斐くん」
床にクッションを置き、俺の隣に腰掛けた理人が耳打ちをする。
「一人が二人になっただけだよ。作戦通りいこう。この際、ウサギさんも酔わせて、余裕のある顔を崩してやろうよ」
兄と鬼ちゃんさんに視線を移す。
いや、鬼ちゃんさん全く顔色変わってないけど。
崩れるのか? この顔が。
「伊織っていい名前だよね〜。男か女か分からない名前って憧れあるわ〜。俺はよく公家っぽいとか言われるけど、公家って何なん? まろは現代人でおじゃる」
まあ、幸い兄は既に酔いが回ってきてる様子だけど。
それより俺は、先輩がお怒りにならないか心配になってきた……。
「大丈夫ですよ。亜蘭くんには会いませんから」
鬼ちゃんさんが思考を読んで、俺がここにいる理由を作る。
え? 先輩が来るまでに帰ってくれるってこと?
「俺はこう見えて、気の遣える男です」
いやいや、どの口が言うとんねん。
マイペースの申し子じゃないですか。
でもまあ、この間も先輩の事を、まるで孫を見るような温かい目で見ていたし、気を遣えるかは分からないけど、心根はやさしい人なんだろうな。
鬼ちゃんさんを信じてみよう……。
「か〜昼間から飲む背徳感」
「たまりませんね」
乾杯をして1時間が経った頃、とろんとした目の兄に、理人が酔いを指摘する。
「お兄さん、もう結構酔ってない? お酒弱いの?」
いや、こいつ、そんなに弱くないんだけどな。
「昼飲むと酔いやすいんだよ」
「昼は、夜と比べて体温が高いので、血液の循環が早い、つまりアルコールの循環も早くなるので、速く酔うらしいですよ」
そういうあなたは、酔ってなさそうですね。
この人、酔い潰れる未来が全く見えないけど、お酒めちゃめちゃ強いな。ていうか鬼ちゃんさんって、何が苦手なの? もしかして無敵?
パチッと火花が出るみたいに、鬼ちゃんさんと視線がぶつかる。
「おや? 甲斐文都さん、俺に見惚れてしまいましたか?」
酔ってると勘違いするくらいの発言が、この人の通常運転。
「あの、鬼ちゃんさん。前に、自分だったら好きな人を傷付けたいか聞きましたよね?」
「ええ」
「もちろん、俺は傷付けたくないですが、先輩もそれは同じだと思います」
鬼ちゃんさんが、口に運んでいた杯を止めた。
「俺は痛い思いをする以上に、多くのものを受け取っている気がします」
「なるほど、それが君の答えですか」
「はい」
「つまり、亜蘭くんに自分は愛されていると?」
「愛っ!? いや、そういう訳では……」
杯に注がれた日本酒を飲み干し、鬼ちゃんさんが、
「妬けてしまいますね」と呟く。
何の意図もない一言に、なぜか、初めて鬼ちゃんさんの本音を見たような気がした。
テーブルに杯を置いて、兄が理人に寄りかかる。
「あー何か、眠くなってきた……」
お? このまま寝ちゃうんじゃない?
「愛といえばさぁ……」
理人の肩に頭を預け、目を閉じたまま寝言のように話し始める兄。
「一昨年、クリスマス前に彼女に振られた理由がさ、お酒なんだよね」
聞いてもいない事を、急に話し始める様子に、酔い潰れて寝る期待が抑えられない理人と俺。
「聞いてる?」
兄が、不意に強気の視線を向け、理人の胸倉を掴んで気を引いた。
「!?」
突然の奇行に、理人が引き攣った顔で、後ろに体を逸らす。
「何? 何で避けてんの?」
何だ? 様子がおかしいぞ!?
ヘタレが取り柄の兄が、強気に!?
「まーいいや……その元カノに、酔った俺がいつもと違うから無理って言われて、結局、それでこじれて別れたんだけど」
「あの……お兄さん? 何で俺の太腿を撫でてるの……?」
兄が、謎にセクシーな雰囲気を出しつつ、理人の太腿に触れている。
怯えた子犬のような理人が、引くべきか攻めるべきか判断を仰ぐような目を俺に向けた。その目が、こんなの聞いてないと語っている。
俺だって、こんな兄知らない。
「俺の事は好きだけど、酔うと強気になって、グイグイ攻めてきて心臓が耐えられないって。意味分かる?」
「あの……お兄さん? 何で俺をゆっくり押し倒してるの!?」
兄が見たことのない強気の表情で、理人を床に押し倒す。
「何でって、可愛がってあげようと思って」
「甲斐くん!?!!」
たまらず俺に助けを求める理人。
順調に見えていた作戦に、突如、暗雲が立ち込めた。




