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第七十九話 とにかくふわふわ

「先輩!」


 勢いよく開かれたドアに驚いて、先輩が肩を震わせる。


 白くてふわふわの猫耳が、色素の薄い先輩の髪と同化して、まるで本物の耳のように見える。


 透き通るような白い肌が露わになった、肩や二の腕、可愛いおへそが覗くお腹。触れたくなるふわふわに包まれた手足、先輩が体を動かす度に揺れる長い尻尾が、俺を挑発しているように思えてくる。


「急にドア開けるから、びっくりした」


 立ったまま、どこか落ち着かない様子の先輩が、頬を染める。


「勢いで着ちゃったけど、これ……俺が着て、おかしくない? 何か、見えてる部分多いし……恥ずかしい……」

 

 ふわふわのおててで、お腹をさする先輩をギュッと抱きしめる。


「かわいい……俺の猫さん……」

「お、俺の!?」


 はっ……しまった。

 俺のとか言ってしまった。


 先輩のふわふわの耳が、俺の頬に触れる。


 何これ幸せ。俺、死ぬのかな?


「かわいい……かわいいです、先輩」

「う……うん」

「可愛すぎて心臓が止まるかと思いました」

「分かったから、あんまり耳元で話さないで……」


 先輩が二の腕をさする。


「あ、寒いですか?」


 白い肌が露出された背中に、手を触れる。


「ひゃ……んっ」


 先輩の体がビクッと震えた。


「……」


 そういえば先輩、背中弱いですよね。


「すみません……」

「いや、俺も変な声出してごめん」


 恥ずかしさで、居たたまれない様子の先輩が、俯いて顔を隠した。


「先輩……変じゃないですよ」

「え……?」


 先輩の顎を引いて顔を上げ、視線を合わせる。


「先輩の声、もっと聞かせてほしいです」


 顔を赤く染める熱が伝わり、紅潮した首元で、鈴が揺れた。


「文都……俺が恥ずかしさを押し殺して、こんな格好した理由分かる?」

「え……?」

「今日は文都と二人きりだから、久しぶりにイチャイチャできるのが嬉しくて。文都が見たいならと思って……」

「先輩……」

「なのに、何で……」

「何で……?」

「俺の兄がいるんだ?」


 兄……?


 破壊されそうな強さで、ドアに拳が叩きつけられる。

 恐る恐る振り返ると、開け放しになっていたドアの所で、鬼の形相の希惟さんが、今にも俺を処刑しそうな目を向けていた。


 ヒィッ!


「おい、人間。飼い始めた猫というのは、まさか俺のかわいいかわいい、亜蘭のことか……?」


 地獄へのお迎えを知らせるような、怒気のこもった声で罪を問われ、希惟さんに胸ぐらを掴まれる。


「何を聞かせてほしいって?」


 俺の断末魔の叫びをご所望かな?


「兄のアルバムをご覧になっていたんじゃ……」

「何か隠しているようだったから、様子を見に来た。俺が近くにいるというのに、亜蘭に手を出すとは……。今すぐ首を噛み切ってやる!」


 ヒィィッ!

 さようなら先輩、今までありがとうございました俺は死にます。


「文都に乱暴するな」


 かわいい猫さんの先輩が、俺と希惟さんの間に割って入る。


「亜蘭、離れなさい。自分の性癖を強要して、亜蘭をペット扱いした挙句、かわいいかわいい亜蘭の声をもっと聞かせてほしいと要求するなんて、誇り高い吸血鬼一族を愚弄している」


 両手で顔を覆い、自分の許されざる所業を羞恥心とともに反省する俺。


「こ、これは俺が着ると言ったんです! 俺と文都の事に関わらないで下さい。文都に乱暴したら、俺が噛みますよ」


 こんなかわいい猫先輩になら、むしろ噛まれたい。


「亜蘭、どうしてこんな奴の事を……」

「先輩、大丈夫です。俺が悪いので、お叱りは受けて当然です」


 腕にそっと触れると、先輩が俺を心配するような顔で振り返った。


「亜蘭に触れるな!」

「は、はい!」


 慌てて先輩から手を離すと、俺に体を寄せようとしていた先輩が、拠り所を失い、俺にもたれかかった。


「わっ!?」

「えっ!?」


 後ろに倒れ、頭を床に打ちつける。


「痛……先輩、大丈夫ですか?」


 俺の体の上に乗った先輩が、不安そうな顔を寄せた。ふわふわの手で、包み込むように俺の顔に手を触れる。


「俺は大丈夫だけど、文都が……。頭ぶつけた? 痛い?」


 ふわふわ猫さんの先輩を乗せたまま、上半身を起こす。

 先輩が体をぴったりと付けて、俺の後頭部をそっと撫でた。


「痛いよね? 腫れてるかも……。ごめん、俺が寄りかかったから」

「大丈夫です、理人の蹴りに比べたら全然……」

「え? あいつに何かされたの? いつ? どこ蹴られたの?」


 あああ先輩のふわふわのおててが俺の顔に……。ふわふわがふわふわでとにかくふわふわ。

 こんなに心配していただけるなんて、何て幸せ……もう死んでもいいくらいに……はっ。


 禍々しい怒りのオーラを漂わせる希惟さんと目が合う。


「殺す」


 殺される。

 今度こそさようなら先輩、今までありがとうございました俺は死に……。


「あれ? 希惟、来てたの?」


 死を覚悟した瞬間、兄が救世主のように登場。


「荷物取りに来たんだけど、何かお取り込み中? 喧嘩? まー楽しくやって。いやー、一人暮らし快適すぎてだらけるわー……」


 ドアの所で、上着を脱ぎながら、兄が得意のKYを発揮し、マイペースに話し始める。


「ていうか二人で何してんの? 文都は何で床に尻ついてるの? って亜蘭くん!?」


 俺の上で、猫さんのように四つん這いになっている先輩に、ようやく気付く兄。


「猫じゃん! クリスマスの時にノリで買った、ふわふわ猫さんじゃん! かっ……かわっ……っておーい! お前そこをどけーい!」


 強制的に先輩との距離を取られる俺。


 嵐のよう……。


「亜蘭くん大丈夫? 無理矢理こいつに着せられたの? 怖くなかった?」

「え……いや、あの、俺が自分から……」


 お前、共同購入しただろ。


 矢継ぎ早に質問をした後で、

「やっぱりこいつ野放しにするのは危険か……? どうする……? 俺の所に住ませるか?」と兄が呟く。


「あの、公都さん。一人暮らしと言いましたか?」

「うん? 俺、昨日引っ越したから。会社には言ってあるけど」

「え? お兄さん、引っ越したんですか?」

「そうだよー遊びにくる? 亜蘭くんなら、いつでもおいでよー。ちょっと待ってね、ストリートビューで……」


 兄がスマホを取り出して、画面を先輩と希惟さんに見せる。


「うちの超近所です」


 それを聞いて、太陽のような笑顔を見せる兄。


「え? マジで!? じゃあ亜蘭くん、この家知ってる? マフィアが住んでるんだって! 高い塀が何か大きな秘密を抱えて……」

「ここ、俺の家です」


 兄が、先輩の顔を見て、目をパチパチする。


「え?」

「お兄さんの引越先、俺の家の斜向かいです」

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