第七十八話 とにかく先輩と猫
とりあえず先輩の所に行こう。
物音の理由も気になるし。
意を決して、自分の部屋に向かう。
猫と言った手前、ノックするのもおかしい気がして、静かに部屋のドアを開ける。
俺に気づいていない様子の先輩が、本棚の前で箱を持ち、中の物を真剣に見ていた。何か白くてふわふわの物が、箱から飛び出して見えている。
「……わっ!? びっくりし……」
俺に驚いて、大きな声を出す先輩の口を、慌てて手で塞ぐ。
「!?」
まるで俺が不審者。
「すみません。大きな声は、ちょっと……」
「あ……ご近所さん、厳しいの? ごめん……」
俺に気取られないように、先輩が箱を背中に隠した。
「先輩? 何を……あ、さっき何か床に落ちた音がしましたけど、大丈夫でしたか?」
俺の問いかけに、先輩がビクッと肩を震わせる。
「大丈夫! 何もなかった!」
何で挙動不審なんだろう。
先輩の視線が、俺の持つトレイに注がれる。
浅いお皿の中で、牛乳が波を立てた。
「……」
困惑と動揺を表すように、牛乳に釘付けになった先輩の目が揺れる。
「あの……ちょっと今、コップとかグラスを切らしていまして……」
我ながら苦しい言い訳。
希惟さんが来てるって、正直にお伝えした方がいいかな?
いや、何で家にあげたって怒られるかも。
「え……全部……? 飲み物飲む時、みんなどうしてるの?」
「直で……」
「え……お茶は……?」
「それも急須から直で」
無理がある事は百も承知。
先輩が、俺の顔と牛乳を交互に見て、
「もしかして……俺に、猫みたいに飲ませようとしてる?」と聞いた。
俺が変態みたいな状況に。
「いくら俺が猫好きでも、そんな事を先輩にさせようなんて思わな……」
ゴトッと音を立てて、先輩の手から箱が床に落ちる。
箱から床に転がる、白くてふわふわの猫耳カチューシャに、同じく白くてふわふわのチューブトップ、長い尻尾が付いたショートパンツ、アームカバーにレッグカバー、そして鈴の付いたチョーカー。
「……」
片手で顔を覆う俺。
これは……クリスマスに、先輩の反応に可能性を感じて、兄と理人とノリで共同購入した品……!
「俺は子猫の写真集を見ようとして、本を取ったら落ちて来て!」
なぜか早口で弁解する先輩。
「文都の性癖を知ろうとした訳じゃなくて……!」
俺の性癖……?
「いや、違うんです。ただ、ほんのちょっと魔が差しただけで、これを着る先輩を期待するなんて事は……」
何が違うというのか、既にキャパオーバーの頭を無理に使おうとした結果、正直に暴露する俺。
「え……前は、ウサギさんって言ってたけど……」
先輩、気になるのはそこですか?
「それは兄の性癖で、俺は猫が好きです」
故に、共同購入の際には猫で押し通しました。
トレイをテーブルに置き、床に転がる猫ちゃんセットを箱に片付ける。
「先輩を不快な気持ちにさせてしまって、すみません。これは、悪ふざけで買った物なので、気にしないでください」
先輩が床に膝をつき、片付けを引き止めるように、俺の手に自分の手を重ねた。
「着てあげてもいい」
俺から目を逸らして、そう呟いた先輩の頬が、赤く染まる。
「え……?」
「見られながら着替えるのは恥ずかしいから、部屋から出て待ってて。着替え終わったらノックする」
「……」
な、何だってーーー!?
「顔が真っ赤ですね」
リビングに戻った俺に、希惟さんが声を掛ける。
やばい、衝撃の展開すぎて希惟さんの存在を忘れていた。
今、希惟さんの相手をしている余裕はないんです。
先輩が猫に! 先輩が猫に! 先輩が……!
お着替えが完了するまでに、何とか、お帰り頂かないと。
「あの、兄は今日戻らないと思います」
「何?」
「兄には、もう別の居場所があるので……」
「な……」
引越した事を濁して言ったら、思いの外、意味深な感じに。
本当は正直にお話したいけど、先輩にご近所だとバレてしまいそうなので言えない。
「なので、もう諦めて、お引き取りください」
もう帰って……! 先輩が猫!
「諦めろ……?」
希惟さんが鋭い視線を俺に向けた。
「貴様、吸血鬼は諦めが悪いと知らないのか?」
知らないし、それより先輩が猫。
「公都さんはどこに?」
「え?」
「言うまで俺は帰らない」
「……」
な、何だってーーー!?
「いや、何でですか!」
「私が、ここにいると困る事があるのか? なら早く公都さんの居処を言え」
「俺は、猫とイチャイチャしたいんです!」
「ここに連れて来てすればいい」
できるかっ! 殺されるだろ!
ウワァーン! どうすればいいの!?
俺の部屋からドアをノックする音が聞こえてくる。
はっ!? 先輩が猫に!
もう……こうなったら……。
「希惟さん、どうぞこちらをご覧になってください」
兄の、幼少期から学生時代の写真がまとめられたアルバムを、そっと差し出す。
「紅茶とお菓子をご用意しました」
食器棚の中で一番高そうなカップを選び、紅茶を入れ、お菓子を添える。
「お耳を拝借」
ワイヤレスヘッドホンを希惟さんに装着し、クラシックを流す。
「どうぞ、気が済むまでお寛ぎください」
帰らないのなら、もてなす!
同じ家の中にいても会わなければ問題ない!
希惟さんがヘッドホンを外し、
「その変わりようは何だ?」と不審がる。
お気持ちはお察しします。
正直に言って、俺は今、混乱している。
でも、それより何より、先輩が猫。
「俺は、とにかく猫とイチャイチャしたいんです。兄の幼少期のホームビデオもありますよ!?」
ビデオカメラとコード、SDカードを差し出す。
もうヤケクソだけど、何でもいい。
とにかく先輩と猫。
「嫌なら見なくて結構ですが、これはここでしか見られない貴重な兄で、もうこの機会を逃すと……俺は猫が」
「見ないとは言っていません」




