第六十五話 無理だって
ベッドの上に座って、先輩と向き合うと、見覚えのあるぬいぐるみが目に入った。
白と黒、二匹の犬のぬいぐるみが、ご主人様の危機に立ち向かうような視線を俺に向けている。
「あの時のくたくたの犬、ベッドルームに置いてるんですね」
「うん、いつも一緒に寝てる。この犬、お前に似てるから」
つまり、俺と先輩は間接的に一緒に寝てるって事で合ってますか? 来世は、くたくたの犬のぬいぐるみになって先輩に愛でられたい。
「あのさ……本当にするの?」
先輩が戸惑いの表情を浮かべた。
「不安ですか?」
「不安っていうか、恥ずかしい」
恥ずかしい?
「あ……。人から触られる事に、抵抗がある方もいますもんね」
「いや、普通抵抗あるだろ」
「俺に触られるのも、抵抗ありますか?」
「う……それは……」
俯いた先輩の顔が、赤く染まっていく。
先輩、整体とか接骨院とか行った事ないだろうから……。
だからマッサージにも抵抗があるんだな。
「痛くしないですよ?」
「うん……でも、ちょっと待って」
あ、やっぱり、食べた後すぐは良くないですよね?
ケーキも食べたし。
「じゃあ、先に俺の……」
パーカーを脱いで、上半身裸になる。
「え!?」
俺の血をどうぞ。
先輩の家で血をあげた時、服を脱がされたから、きっとこうすると血を吸いやすいんですよね?
「いきなり脱ぐな!」
え?
「すみません。この方がいいのかと思って……」
柔らかい布団の上で、先輩をゆっくりと押し倒す。
「へ!? な、な……」
「先輩、いけそうですか?」
この体勢、結構恥ずかしいな。 先輩からしたら、血を吸いにくい気もするし。
ところで先輩、ずっと顔が赤いけど、大丈夫かな? もしかして、暑いのかな?
額を付けて、体温を確かめる。顔を近づける瞬間、緊張した様子の先輩が、ギュッと目を閉じた。
あ、やっぱり少し熱っぽいかも。
「脱がせてもいいですか?」
「む、無理だって……」
「でも……」
先輩の腕から、カーディガンを脱がせていく。
「文都!?」
「こんなに熱くなってるのに、放っておけません」
「や……っ……俺、まだ心の準備が……」
先輩、血を吸う時、いつも心の準備してたんですか?
「心の準備とか、かわいいですね」
「へ!? か、かわいい!? あの、俺、そんなつもりじゃなくて、何も準備してないし……」
先輩、血を吸う時、いつも何か準備されてたんですか?
「お前、何でそんなに落ち着いてるの?」
「何回かしてるうちに、慣れてきました」
先輩が、耳を疑うような顔になる。
「いつの話?」
「え? 最近だと、確か先輩に料理を教えていただいた日に……」
「だ……」
だ?
「誰としたんだ!!! この浮気者!!!」
俺の首を絞めそうな勢いの先輩に、押し倒される。
罪を咎めるように、怒りの色に満ちた目が向けられた。
「先輩と、ですよね」
「え?」
むしろ先輩しかいませんよね? 浮気者?
俺に馬乗りになったまま、先輩が、
「お前、俺と何をしようとしてるの?」と聞いた。
「血を差し上げたくて」
「何で脱いだの?」
「その方が、吸いやすいんですよね?」
「俺の服を脱がせようとしたのは?」
「暑そうだったので」
「溜まってるとか、シュミレーションっていうのは?」
「溜まった疲れを癒す為に、先輩にマッサージをさせていただこうかと」
先輩が目を瞑り、天を仰ぐ。
「しますか? マッサージ」
「今はしないで」
あ、やっぱり食後は良くないですよね。
「先輩は、何をされると思っていたんですか?」
「……絶対言わない」
え、気になる。
体勢が逆になるように、先輩の両手首を掴んで押し倒す。
「教えてください」
「や、やだ……! ていうか、さっきから半裸で押し倒すな!」
「血を吸う事やマッサージより、先輩が望んでいることなら……」
「そそそんなんじゃないって!」
先輩が潤んだ瞳を俺から背ける。
「俺はただ、お前がそういう事、俺としたいのかなって思って……」
「そういう事?」
「お前が、俺のこと気持ちよくするとか言うから……」
紅潮した肌が、色気を漂わせている。
「……」
先輩が何をされると思っていたのか、時間差で理解する。
熱いお湯が一気に湧き上がったように顔が熱くなって、大量の湯気が昇った。
俺、服脱いでますしね。脱がせようとしてますし。
でも、できる訳ないじゃないですか。付き合ってもいないのに、それこそ希惟さんに殺されますよ。
それとも先輩、そういうの気にしないタイプの方ですか? それはそれで複雑な胸中。
「す……すみません……」
気まずくなって離れようとする俺の腕を、先輩が掴む。
「嫌とは言ってない」
「……」
俺という狼の前で、餌を撒いているんですか?
先輩が体を起こし、俺に顔を近づけた。
艶のある髪が頬にかかり、透き通るような白い肌は、火照ったようにほんのりと赤みが刺している。
神秘的な美しさに圧倒されて、触れてはいけない存在のように見えた。
「やさしくして」
先輩が羽織っていたカーディガンを脱ぎ、Tシャツに手をかけた。
強く触れたら赤くなってしまいそうな先輩の肌が露出して、想像を掻き立てる。
「俺、マッサージしてもらうの初めて。別に疲れてはいないんだけど、せっかくお前が俺の為に、シュミレーションしてくれたから」
ん? マッサージ?
「そもそも服って、脱ぐものなの?」
胸が露わになった所で、慌てて先輩の服を脱ぐ行為を阻止する。
「脱ぎません。マッサージは、服を脱ぎません。先輩、大事な事です。簡単に服を脱いではいけません」
「え? すぐ脱ぐ奴が何言って……」
先輩が、仰向けで横になる。
俺を挑発するように、無防備にお腹がのぞいている。
そんなどうぞ襲ってくださいみたいな。
先輩、俺を試す事は、いくらしていただいても構いませんが、俺が我慢出来なかったとしても、自己責任ですよ?
それにしても、俺が先輩を好きだと知りながら、何という仕打ち。
「先輩、マッサージは危険なので、またの機会に」
「危険?」
「はい、すごく危険なので、俺以外には絶対、絶対させないで下さい」
「お前、整体師とかの資格持ってるの?」
先輩が両手を広げて、俺を呼ぶ。
「じゃあ、血だけ吸わせて」
ゆっくりと先輩に体を寄せる。
密着させた体から伝わる温もりや、香り、呼吸の音に、ずっとこうしていられるような、離れることなんてないような、安心感が心を満たす。
首元に小さな熱のような痛みが刺す。
先輩が愛しさを味わうように、俺の血を吸った。




