第五十七話 先輩の秘密
夕方、帰る支度を整えた俺を、玄関先で先輩が見送る。
「先輩、ご飯の時にも言いましたけど、面倒くさいなんて思ってないですからね。むしろ俺のせいで先輩を傷つけてしまって、すみませんでした」
「分かってくれればいいから」
先輩は、そう言って笑った。
「そういえば、今日もご家族はお出かけされているんですね」
前に来た時も先輩以外、誰もいなかったけど。足にしがみついて俺から離れないでって懇願されて……。あの時は、先輩よっぽど怖かったんだろうな。
「姉は急に仕事が入って遅くなるって。じいちゃんも会長だから色々忙しくて、これから一人」
「……」
小さな気付きが、疑問を膨らませる。
「何?」
「あ……いえ、じゃあ俺、帰ります。今日は、本当にありがとうございました」
「うん、気をつけて」
先輩に背を向ける。
何か引っかかるような……。何度も見過ごしていた何かの糸口を掴めた気がするんだけど。
先輩は今日、本当に料理を教える為だけに俺を誘ったのかな?
何だろう……。先輩はいつも通りなのに、何でこんなに心がざわつくんだろう。
俺、帰っていいのか? このまま、先輩を置いて。
振り返って、先輩の両腕を掴む。
先輩が目を見張った。
「あの……少し歩きませんか?」
本格的な冬が近づいている事を知らせるように、日が落ちる時間帯になると、ぐっと肌寒さを感じるようになった。手と足の先から、冷気に熱を奪われていく。
葉がすっかり落ちた街路樹に、寂しさを感じる公園で、先輩がブランコに座り、足で小さく揺らした。
少しと聞いて、白の薄いカットソーにアイボリーのカーディガンという、軽装備で家を出てしまった先輩に、俺が着ていたボアフリースジャケットを羽織らせる。
「お前、寒くないの?」
「暑いです」
「え? 体感温度おかしくない?」
いいんです。先輩が暖かければ、俺が凍えようが何だろうが。寒いな。
「自販機であったかい飲み物買ってきました。カフェオレとコーンポタージュ、どっちがいいですか?」
「えっと……」
「どちらもお気に召さなければ、ココアとミルクティーとおしるこもあります」
抱えるように缶を持つ。
「お前の事、やさしいのかバカなのか、分からなくなってきた」
特に話すことも見当たらなくて、お互いにブランコに座って、手を温めながら温かい飲み物を飲む。
俺は、先輩の秘密に気付いてしまったかもしれない。
学校の休み時間も、いつも誰かと一緒にいる先輩。スケジュール管理アプリの、隙間を埋めるように入れられた予定。お金の心配はいらないはずなのに、毎週入っているバイトのシフト。そして、人に迷惑をかける事を嫌う先輩らしくない、突然のお誘いの電話。
先輩は、俺の助けなんていらないくらい強い。バスで襲われた時も、盗難にあった時も平然としていて、いつも自信に溢れていて。
なんて事ない、たいした事ないって顔で、その言葉に嘘はなくて。でも思いがけない事で動揺したり、不安になったりする。
たぶん先輩は……。
美術館で、鬼ちゃんさんから言われたことが頭をよぎる。
目に見えることが全てではない。
「何で分かったの?」
先輩が、切なくなるくらいやさしい声で聞いた。
「俺が一人を嫌いなこと」
沈んでいく太陽が、俯いた先輩の横顔を真横から照らし、美しい輪郭が映し出された。
「家族も友達も、誰も知らない、俺の秘密」
何があっても、崩れることのない存在に思えていた先輩が、夜になりきる前に消えてしまう、儚い存在のように思えた。
「一人きりでいる事が怖いって、言った方が近いかな。俺が6歳の時に、両親が交通事故で亡くなって、それからずっと」
「……吸血鬼は再生能力が高いから、余程のことがなければ死なないんじゃ……」
「俺の場合はそうだけど、両親がどうだったかは分からない。吸血鬼それぞれ個人差があるから。それに、対向車線にはみ出した大型トラックとの正面衝突だったから、どっちにしろ即死だったと思う」
思い返してみたら、先輩からご両親の話を聞いたことがない。おじいさんが会長で、孫の希惟さんが社長なのも、希惟さんが先輩に過保護なのも、よく考えたら、もっと早く気付けたはずなのに。
今まで先輩は、一人きりの時間を、どれだけ耐えてきたんだろう。
「お前、何で泣きそうなの? もう昔の話だし、もっと悲惨な境遇の奴だって沢山いるだろ。俺は幸いお金に困ってないし、じいちゃんと姉に可愛がってもらったから。あ、でも……」
先輩が幼かった頃の自分に、思いを馳せるように言葉を続ける。
「どうしても家族が一緒にいられない日があって、一人で留守番してた時、たまたま怖い映像見ちゃって。あの時は辛かったな。その当時飼ってた犬を抱いて寝ようとしたんだけど、いつもは向こうから近寄ってくるのに、その日に限って薄情で……」
先輩の抱える、寂しさや不安を全部奪うように、唇にキスをする。
「もう、大丈夫です」
ブランコに座る先輩の前に跪き、冷たい手を握る。
「一人の時や寂しい時、怖い時は、いつでも呼び出してください。先輩から呼び出されたら、夜中でも早朝でも駆けつけますから。例え、そこが地獄だろうと」
夕日のせいか、先輩の顔が赤く染まっている。
「それじゃ都合良く使ってるみたいじゃん」
「それでも構いません」
先輩が俺から目を逸らして、
「それって……寂しい時とか、怖い時じゃないとダメなの?」と聞いた。
「もちろん、大丈夫ですよ」
「じゃあ、俺が単純に会いたい時にも来てくれる?」
な……かわいすぎて捕まりますよ?
「も、もちろんです」
「ハグしたい時にも?」
わー何てかわいいんだ。
「はい、いつでも呼んでください」
「ふふっ絶対だからな」
先輩が目を細くして、満足そうに無邪気に笑う。
うっ、守りたいこの笑顔。
先輩は天使のような笑顔のまま、
「約束破ったら、頸動脈に穴開けるからな」と俺を脅した。




