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第五十三話 カレーのポテンシャル

「これは……」


 先輩と理人が、困惑した顔でこちらを見ている。

 リビングでくつろいでいた二人が、キッチンに様子を見に来た時、俺はちょうど野菜を切り終えて、それをフライパンに入れた所だった。


「ん? 何?」


 理人が、疑問に満ちた声で、

「甲斐くん……? カレーなんだよね? ぶつ切りのきゅうりと大根が入ってるけど……」と言った。


「うん。カレーは、冷蔵庫に残ってる野菜とか入れていいって聞いたから」

「今日に限って、何で冷蔵庫にきゅうりと大根があったかなぁ……。カレーのポテンシャル信じすぎじゃない?」

「文都。お前、今まで食べてきたカレーに、きゅうりと大根が入っていた事あったの?」


 とりあえず、冷蔵庫にあった、キャベツと玉ねぎときゅうりと大根を入れてみたけど、順番的には次は何を……。


「あ、チョコレートだ。チョコレートを入れないと」


 板チョコをパキパキと割って入れていく。


 何枚くらい入れればいいんだろう? 板チョコ2、3枚?


「そんなに入れちゃうの……? 隠し味なのに、隠す気ないじゃん」

「あとは煮込んで……」

「いや、甲斐くん。フライパンに野菜とチョコレートが山盛りだよ? 水入る余地ほぼないじゃん」

「あ、でも野菜から水分が出るから」

「出るから……? だから大丈夫だと言いたげな顔……」


 先輩? どうして信じられないものを見るような目を俺に向けているんですか?


「甲斐くん、普通のフライパンで無水調理をしようとしてるの? 底の厚い鍋じゃないと普通に焦げ……あー野菜も大きすぎるよ」

「やっぱりそう思う?」


 俺も、そんな気がしてた。


 包丁を、フライパンに入った大根に突き立てる。


「甲斐くん!? まさかフライパンの上で切ろうとしてない!?」


 え、そうだけど。何で?


 先輩が俺の手首を掴む。


「文都、包丁を置いて俺と手を繋ごう」

「え?」


 今ですか? 何で急にそんな嬉しいご提案を? でも繋ぐっていうか、一方的に先輩が掴んでませんか?


「おい犬、きゅうりと大根を救出しろ」


 俺が手を掴まれているうちに、先輩からの命令に従って、理人がため息を吐きながら、きゅうりと大根をフライパンから取り出す。


「あ……えっと……? 何か俺、間違ってましたか……?」


 先輩に、おいしいカレーを食べさせてあげたかったんだけどな……。


「あ……ほら、きゅうりと大根は……」


 先輩の声が段々小さくなっていく。


「めんつゆと、お酢と胡麻油で漬けるとおいしいから……」

「……」


 先輩が俺から目を逸らす。


「そうなんですね! 俺も食べてみたいです。後で自分でも作ってみます!」

「はは……」

「先輩に気を遣わせてるじゃん。そして新たなきゅうりの悲劇が起こる予感」




 カレー粉を入れる前の鍋が、既にいい匂いを漂わせている。


 先輩と理人の手伝いのおかげで、後はルーを入れるだけ。ところで二人とも、どうしてそんなに疲れてるの?


「こいつ……。当たり前のように切らずに肉入れるし」

「隠し味の追加で、インスタントコーヒーとジャム一瓶入れようとするし……。そもそもキャベツもカレーの具として適切なのかな……? 料理できない奴ほど確固たる自信を持ってるの何でなの……」

「後はルーを入れるだけですね」

「甲斐くん!? まさか全部入れないよね!?」


 え? 入れるけど。


「文都、ここに分量が書いてあるから。6皿分だから半分でいい」

「へー。俺、入れれば入れるほど、濃厚になっておいしいのかと思ってました」

「俺と先輩の努力が、ドロッドロの泥になるよ」


 先輩と理人に見守られながら、ルーを入れてかき混ぜる。


「できました!」


 俺を見て、先輩がにっこりと微笑んだ。


「お前、もう料理するなよ」


 なぜ。




「ただいま〜」


 タイミングよく兄が帰宅する。


「わ〜カレーの匂いだ〜」

「お兄さん、お帰りなさい」


 先輩に気づいた兄が、動きを止める。


「え……俺の嫁?」


 何でだよ。幻覚見てるの?


「あ、この間はごめんね」


 気まずそうな顔をして恋が始まる予感を演出するな。


「いえ、事故ですから」


 理人が俺に、

「何かあったの?」と聞く。


「知らない方がいいと思う……。カレーを食べよう」


 そう、あれは事故。嫌なことは忘れるに限る。

 忘れ……。はっ。


「何? 不穏な空気やめて」

「ご飯炊くの忘れてた」

「oh」

「俺のたった一回のミスで、取り返しのつかない事に……。料理って恐ろしい」

「たった一回のミス……?」


 せっかく上手くいっていたのに、最後の最後で、こんな悲劇が……。


「大丈夫、レンジでチンのご飯あったかも」


 そう言って、兄がキッチンを漁る。


「よかった。お兄さんはまともみたい」

「お兄さんは神だから」


 お兄さんは? 何が俺の株を下げたの?


 兄が、何かを持って俺たちの所に戻ってくる。


「ご飯なかったけど、タピオカはあった。これで代用できるよね?」

「できないよ。何で代用できると思ったの? モチモチモチモチしてたらおかしいでしょ!? あと何でタピオカがあってレンチンご飯がないの!? 兄弟揃って料理音痴かよ!! 俺もうツッコミ疲れたよ!!!」


 先輩が、呆れた様子で、

「俺がやるから、待ってて」と言った。




 先輩の後ろに立って、米を研ぐ様子を眺める。

 

「早炊きで、30分くらいで炊けるから」


 お手伝いしようとしたら、きっぱり断られてしまった。

 お米を炊いていなかった事が、一瞬で信頼を失うほどに、致命的な失敗だったんだな……。


 先輩は、手早く米を研ぎ、炊飯器にセットすると、フライパンからほぼ救出されたチョコレートを湯煎にかけた。


「何してるんですか?」

「ホットチョコ作ろうと思って。牛乳あるし」

「へー……。先輩、家庭的ですね」


 先輩を後ろからギュッと抱きしめる。


「……」

「今日、俺から触れてなかったので」


 先輩、相変わらず細いな……。ちゃんと食事してますか? カレーたくさん食べてほしいです。

 ところで、全く反応がないですけど、俺、やり過ぎました? 先輩に触れろと言われたのを良いことに、調子に乗りすぎましたか?


「あの……先輩、俺……」


 ふと目に入った先輩の耳が、真っ赤に染まっている。


「……」


 え……?


「先輩、もしかしてドキドキしてますか?」

「うるさい」

「あの、俺は先輩のご命令に従って……。それに、先輩が俺にしてる事の方が……」

「するのと、されるのは違うから……」


 俺の方がドキドキしてきた。

 先輩って、強気な事言ったり、大胆なスキンシップするから、こういう事しても平然としてるのかと思ってたけど……。

 前もキスの話した時、ピュアな反応だったし、意外と恋愛経験が浅い? あ〜……俺が守ってあげたいです。


「俺、命令されなくても、先輩に触れたいですよ」


 許される関係じゃないから、しないだけで。


「先輩、他の人に触って欲しいなんて言わないで下さいね」


 俺は、先輩の危なっかしい発言が心配です。


「俺、お前以外に、そんな事言わないけど」

「え……?」


 振り向いた先輩が、俺に上向きの視線を送る。

 眉尻が下がって、不安そうにも見える。


「俺に触れたいって本当?」

「え? はい。好きな人には、触れていたいです。変な意味ではなく」

「変な意味?」


 墓穴掘ってしまった。


「いえ、あの、先輩とのお約束の中で、もし俺が先輩の触れられたくない所に触れてしまったら、いつでも引っ叩いてください」


 ドラマの如く。

 そして俺の理性を呼び戻して。


「……ない」


 恥ずかしさを押し殺して、無理やり言葉にするみたいに、先輩が言う。


「俺の全部、触れて欲しい」

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