第五十ニ話 カレーへの信頼
触れろ……?
先輩、なぜ俺にそんな事を……。
夕食後、俺はリビングテーブルに肘をついて両手を組み、先輩から下された命令について考えていた。
どこに? いや、どんな感じで? うっかり先輩のプライベートを侵害したりしませんか? 先輩が好きに触れていいと仰るなら、俺は正直すごく嬉し……。
「触らないでっ!」
「え?」
兄が動画配信サービスを視聴している。
なんだ、ドラマのセリフか。びっくりした。
「何見てるの?」
「吸血鬼のヒロインを取り合うラブコメディー」
テレビに映された映像の中で、色白の女の人が、茶色い髪の男の人に手を握られている。
この色白の女の人が、吸血鬼でヒロインなのか。
「俺が思うに、この二人は好き同士なんだ」
ヒロインが、茶色い髪の男の人を平手打ちした。強く顔を叩かれた衝撃で、男の人がよろめく。
「いや、引っ叩かれたけど」
好き同士なのに?
「照れてるんだろ」
「それにしては強すぎだろ」
「このヒロインは、何かある度、男たちを引っ叩くんだ」
「なぜ」
「吸血鬼だからだろ」
え……? このヒロインのせいで吸血鬼のイメージ悪くならない?
「吸血鬼っぽい要素はどこに?」
「あるぞ。このヒロイン、血をめちゃくちゃ飲む。毎話1.5ℓくらい飲む」
怖っ。ラブコメディーじゃなくて、ホラーじゃん。風評被害で吸血鬼から訴えられるぞ。
「好きなのに触らないでとか言う?」
「お前、分かってないな」
兄が知ったような顔で愛を語る。
「愛情の裏返しなんだ。好きな人に対してほど、素直になれないんだよ。特に吸血鬼は」
深いな。特に吸血鬼はそうなの?
「例えばこのヒロインが、もっと私に触ってって言ったらどう?」
「それはもう……」
それはもう?
「完全に血狙ってるだろ。間違いなくハニートラップ」
いや、毎話1.5ℓ血飲んでるんだろ?それで満足しろよ。水みたいに飲むじゃん。
「あ、明日ご飯どうする?」
父と母が、結婚記念日を祝うニ泊三日の旅行に、明日から出かける。その為、ご飯は自分達で用意する。
「俺が何か作っておくよ」
「マジで? できる弟をもって俺は幸せだよ」
「こういう時だけ調子いいよな。そうだ、この間上手くはぐらかされたけど、お前、本当は先輩の事が好きで……」
「本当は……好きなのに……」
テレビに映された映像の中で、ヒロインが素直になれない胸のうちを語る。
「ほら、やっぱり好き同士なんだよ」
いや、えええー……さっき平手打ちしたじゃん。なんだその愛情表現……。
冬の準備を始めるように、色づいた葉がはらはらと路上に落ちる。
放課後、落ち葉が道の端に降り積もる歩道を、理人と、先輩を間に挟むようにして歩く。
「俺も見てるよ、そのドラマ」
気になって結局、最新話まで見てしまった。ヒロインを取り合う男達三人が何かある度に引っ叩かれ、最新話では、兄が好き同士と言っていた第一の男が、両頬を平手打ちされた。
理人は、
「俺はあのドラマをアクションのジャンルとして見てるよ」と言った。
「ヒロインは何であんなに引っ叩くの? 触れられる度に引っ叩くじゃん」
「愛情の裏返しなんじゃない?」
兄と同じ事言ってる。
ドラマの話題には参加しない先輩を横目でみる。
先輩、吸血鬼は好きな人に対してほど、素直になれないって本当ですか? 先輩から平手打ちされたら脈ありってことですか?
「あ……! 先輩、よかったら夕飯、ご一緒にいかがですか?」
すっかりいつも通りに、先輩は俺にくっ付いている。
それにしても最近の先輩、かわいすぎないか? 天界に連れ戻されたりしない? あ、天使じゃなくて吸血鬼か。
「何で?」
「父と母が、結婚記念日を祝うニ泊三日の旅行でいないので、今日は俺が夕飯を作るんです。兄しかいないので、お気兼ねなく」
「へぇ……」
「甲斐くんがご飯作るの? 男二人なら、適当にお惣菜とか買って食べればいいのに」
「前に先輩から、食事には気を遣うように言われたから」
健やかな血を育むために。
「何作るの?」
「カレーにしようと思って。家にある食材で作れるし、ちょうどチョコレートがあるから隠し味に入れて……」
「へ〜……甲斐くん意外と家庭的なんだね」
意外と?
「甲斐くんのカレー楽しみだな〜」
お前は呼んでないぞ。
ところで今日、結局、俺から先輩に触れてないけど、何も言われないな。もしかして忘れてる? それとも冗談だったとか……。
先輩が、笑顔のお手本のような笑みを俺に向ける。
「俺も楽しみ。まだ今日の分、触れてもらってないし」
「……」
冗談じゃなかったんですね。催促されてるような気もするし。
「触れて……?」
理人が俺を訝しむ。
「お前が料理できるなんて知らなかった。よく料理するの?」
「いえ、全く」
二人が動きを止めて俺を見る。
何?
「全く?」
「一回もしたことないの? 調理実習とかなかったの?」
「学校では料理好きの子が率先してやってくれて、俺は片付けしかさせてもらえなくて」
「あ〜……」
もしかして、俺の料理経験の少なさが不安を煽ってる?
「大丈夫です。カレーですから」
「まあ、カレーだしな」
「大丈夫だよね、カレーだから」
カレーへの信頼は厚い。
「先輩においしいって言ってもらえるように、心を込めて作ります」
先輩は柔らかく笑って、
「楽しみにしてる」と言った。




