第五十話 好きって事を比喩的に表現
「先輩!?」
「亜蘭くんがバイト帰りに来てくれたのに、お前は何て冷たい事を……」
「ああああああ違、違うんです! 先輩はいつ来ても大歓迎です!」
「いや……気を遣わなくていい。俺が突然来ちゃったから……」
先輩が目を伏して、気まずそうに、
「帰った方がいい?」と聞いた。
「かっ帰らないでください!」
デリカシーのない兄が風呂場まで案内したせいで、先輩が恐縮してしまったじゃないか。
それにしても、付き合ってると勘違いしているとはいえ、普通、風呂場まで案内する? 頭のネジ、何本か抜けてるんじゃない?
「俺に会いに来てくれたんですよね?」
「うん……。お前の部屋で待ってていい?」
「もちろんです! お待たせしないように、すぐ出るので……」
なので一旦、ドアを閉めて頂けますか?
先輩の前で全裸はちょっと抵抗が……。温泉一緒に入っておきながら、今更なんだけど。
「いいよ、ゆっくり入って。帰らずに待ってるから」
安心したように先輩が笑って、背中を向ける。
先輩の突然のご来訪は、俺にとって最高のサプライズプレゼントです……!
ああ……待ってるって言われただけなのに、このドキドキは一体……。
俺の部屋で先輩が待っているという現実が、俺の心臓の鼓動を加速させる……!
「お前、顔真っ赤だぞ。エッチな亜蘭くん妄想してないで、さっさと出ろよ」
「エッ……」
兄が勢いよく、風呂場のドアを閉めた。
「エッ……?」
お風呂上がりに、自分の部屋で、天使に遭遇するという奇跡が、俺を硬直させる。
俺のベッドで、天使が羽を休めている……!?
|(先輩が俺のベッドで、体を丸めて寝ている)
は!? かっかわっかわいっ。
な、なんて無防備な……。
「う……ん……」
寝返りをうって、先輩がゆっくりと体を起こした。猫が顔を洗うように、眠そうな目を擦る。
「ごめん……。寝ちゃってた」
寝起きが天才的にかわいい。
「髪、乾かさなくて大丈夫なの?」
俺の髪から水滴が落ちるのを見て、先輩が言った。
「あ、すぐ乾くので大丈夫です!」
寝ちゃった先輩に見惚れてたの、バレてないかな……。
首にかけたタオルで、頭をゴシゴシ擦る。
「座って」
促されるままベッドに腰掛けると、俺の後ろで膝をつき、先輩が俺の髪をタオルで拭いた。
甘やかされているようで、照れくさい気持ちになる。
「布団、お前のニオイがして……」
へあっ!? 俺のニオイってどんなニオイですか!?
消臭スプレー撒いとくべきでした!?
「ハグされてるみたいで、ホッとして寝ちゃった」
「……」
な……なっ……それって……え!? え!?
「首まで真っ赤だけど、大丈夫? 湯船浸かり過ぎ?」
これは、先輩が可愛すぎるせいです……!
「今日、何もなかった?」
先輩の声音に、不安の色が混じる。
「あ……はい」
なかったと言えば、なかった。
鬼ちゃんさんのせいで、妙に気疲れしたけど……。
「よかった……」
「先輩?」
先輩の弱気な声にハッとして、体を後ろに向ける。
振り向いた俺の頬を、先輩が両手でやさしく包み込み、唇にそっとキスをした。
「ウサギに盗られた分」
「……」
顔が、高温の蒸気に当てられたみたいに熱くなる。
「あ。俺、バイト帰りだから、肉焼いたニオイとかするかも」
先輩が、カーディガンの下に着ているTシャツを持って、クンクンとニオイを嗅いだ。服が引き上げられて、白い素肌と細い腰が露わになる。
「俺、やなニオイする?」
「ん゛ん゛っ」
正直、そんな無防備な所も好きです。でもちょっと自重してください。あと、何でこのタイミングで、ニオイ気にするんですか? 何か期待していいんですか? ちなみに先輩は、いいニオイしかしません。
「お前のことが心配で……。どうしても今日会いたくて」
「え……そんなに俺のことを……? 先輩、心配しないでください。ウサギさんと会うことは、もうないでしょうし」
先輩が、シュンとして俯く。
先輩を、こんなに不安にさせてしまうなんて、俺は何て不甲斐ないんだ……。どうにか先輩を元気付けてあげたいな……。
「デカ盛りの時に、血が欲しいって言ってましたよね? あの時は、我慢させてすみません。ここなら他に人もいないですし、安心して差し上げられます。先輩、それで元気、出ませんか?」
先輩が俺をどう思っているかなんて関係ない。今、一番、先輩が喜ぶことをしてあげたい。
俺の首筋に、先輩が指を這わせる。
「俺、今はキスがしたい」
んな。
「でも、せっかくお前がそう言ってくれたから……」
もしかして俺は今、会話の選択肢を間違ったのでは? ああああああもう二度と訪れないであろうチャンスを俺は。
「お前がいいって言っていた体勢でする?」
そう言って、先輩が仰向けで横になる。
両手を頭の上に置いた姿勢が無抵抗を表しているようで、少し恥ずかしそうに染めた頬と相まって、まるで別の意味で俺を誘っているみたいに見える。
「来て」
過去の俺!!! お前は何てことを先輩に望んだんだ!!!
「文都? 早く……」
先輩が切ない表情で俺を見る。
「あ、すみません」
これは血を吸う為、他意はない。
うう……いつもより緊張するな。
先輩の顔の横に腕を置き、覆い被さるように、ゆっくりと体を倒す。ベッドが軋む音を立てた。
「あのさ……」
「は、はい」
先輩が、俺から目を逸らす。
「やっぱり……キスしていい?」
んな。
「嫌……?」
「い、嫌な訳がないです」
むしろ再び到来したチャンスに舞い上がっています。先輩、なぜ今日はそんなに積極的なんですか? 鬼ちゃんさん、本当にこれでも俺に可能性はないんですか?
「ウサギに盗られた分しか貰ってないから、まだ足りない。俺の方が多くないと、やだ」
は……? キスをおねだりする理由が可愛すぎませんか?
「今度は、お前からして」
先輩、ちょっと緊張した顔してる。かわいいな……赤くなってるし。先輩が俺を求めてくれているのが嬉しい。
そんな顔されたら、益々、先輩が欲しくなってしまいます。
先輩の唇に触れる直前に、開かれるドア。
「文都ー……」
「……」
「……」
一瞬で入ってはいけない空気を察した兄が、ドアの所で固まっている。
はい、きた〜……。もう驚きもしません。この家に俺のプライバシー権はないんですか? もう、ここまで来るとわざとか? わざとなのか? おい。
ちなみに俺の部屋のドアに鍵はない。
「先輩、ちょっとだけお待ちください。兄を始末してきます」
「ちょ、ちょっと待って! ごめんごめん、本当にごめん! 違う、邪魔するつもりじゃなくて、俺は、秒で売り切れると話題のビスキュイサンドを亜蘭くんにと」
兄に近づいて胸ぐらを掴む。
「お前、わざとやってるだろ。本当は先輩の事が好きで、俺を邪魔してるんだろ? なあおい、はっきり言ってみろよ」
「落ち着いて文都、俺はお前の味方だよ」
兄がビスキュイサンドを乗せたお皿を上げて、降参ポーズをした。
「俺の事が好き?」
先輩が俺の後ろから顔を出す。
「今、お兄さんが俺の事が好きで邪魔してるって言わなかった?」
しまった。
怒りに任せて、つい余計な事を……。
脳内で、理人が汚い言葉で俺を罵る。
何とか状況を好転させる一言を探そうと、兄を掴んでいた手を離し、一旦、深呼吸をして姿勢を正す俺。
「先輩……これは俺の兄です。ただ、兄という存在です。それ以下でもそれ以上でもありません。故に、先輩にとっても兄でしかありません」
「急に何?」
先輩が兄と距離を詰める。
「お兄さん、好きってどういう好きですか?」
兄が先輩の強い視線にたじろいで、その拍子に個包装のビスキュイサンドが皿から滑り落ちた。
秒で売り切れると話題のビスキュイサンドが……!
同時に手を伸ばす兄と先輩。ビスキュイサンドは床に落ちる前に、先輩の手によって救われた。
「よかった。お兄さん……」
事故というのは、思いもよらない時に起こる。だから、普段から用心する事がとても大切だ。
先輩が顔を上げた瞬間、下を向いていた兄と事故が起きた。
「……」
「……」
先輩のおでこに兄の唇が触れている。
これは、デコチュー?
「うわあああ」
先輩から兄を引き剥がし、胸ぐらを掴んで揺らす。
「何もなかった! 何もなかったんだ!」
「落ち、落ち着いて文都、俺はお前の味方」
「真っ赤な顔で言われても説得力ないんだよ!!」
先輩が、キスされたままの格好で固まっている。床に片膝をつき、ビスキュイサンドを手に持って、まるで君主を前にして、叙勲を受ける騎士のようだ。
「先輩! 兄が大変な失礼を……」
いや、先輩としては良かったのか? どうなんだ? どうなんですか!?
「俺は、大丈夫……」
先輩が顔を逸らす。
これはどういう反応なんだ〜……。
「ごめんね、亜蘭くん!」
兄が先輩の手を取って立たせる。
「あ、いえ」
「これは事故、事故だから……!」
「は、はい。事故……ですよね」
「そうそう、事故!」
二人が手を握ったまま、照れくさそうに微笑み合っている。
いや……めっちゃいい雰囲気〜……!
「でも俺、安心したよ」
兄が、ほんのりと赤くなった顔を、先輩から逸らして、
「亜蘭くんみたいな可愛い子に、自分がドキドキできるって事」と言った。
どういう意味? いやそれ、どういう意味? 好きって事を比喩的に表現しているの? それとも日頃、不整脈とかで悩んでたの? とりあえず殺る? 殺るしかないのか?
ああ、ただでさえ鬼ちゃんさんの事で頭が痛いのに……。




