第四十五話 チャーハン大好物
運命の土曜日。
「ここは……」
商店街の一角に位置する、町中華。
赤い看板の下の暖簾をくぐり、店に入る先輩に続く。
「予約した日ノ岡です」
丸テーブルに通され、しばらく待っていると、大きなお皿を手にした店員が俺たちの席にやってきて、それを置いた。
ドンっと重い音がして、テーブルが揺れる。
皿から溢れそうな大盛りのチャーハンの上に、餃子、唐揚げ、チャーシューが並べられている。
「こ、これは……」
突如、目の前に現れた怪物に狼狽える俺と兄に、先輩がサラッと説明する。
「チャーハンメガ盛り3.5kg、総重量4kg」
「メ、メガ盛り……?」
状況が読めない俺と兄が目を白黒させる。
「今日は、何の日でしたっけ……?」
「お前の欲求不満を解消させる日」
欲求って、食欲のこと……?
同時に先輩の意図を理解した俺と兄が、恥ずかしさと自責の念に駆られて、顔を俯かせる。
「もしかして、チャーハン嫌いだった? お兄さんも……」
「俺、チャーハン大好物です」
「俺も亜蘭くんの次に好き」
「それならよかった」
「はは……」
「ははは……」
よ、よかった〜……。
場合によっては、兄を殺す所でした。
兄が、
「お前が紛らわしいこと言うから勘違いしちゃったじゃん」と俺に耳打ちする。
え? 俺のせい……?
「俺は初めからデカ盛りだと思ってた」
「は? 俺だって初めからデカ盛りだと思ってましたけど?」
この数日、後ろめたさと期待でずっと葛藤してたくせに、デカ盛りにソワソワしていただけとは言わせないぞ。
「お兄さん、デカ盛り経験者としては、やっぱり最初はゆっくり食べ進めた方がいいと思いますか?」
デカ盛り経験者。
思わず吹き出す俺に、兄が鋭い視線を向ける。
「余計な事は考えず、亜蘭くんは食べたい分だけ食べればいいよ。あいつが一人で3kgくらい食うから」
なっ。
先輩が小皿にチャーハンをよそって、兄に渡す。
「どうぞ」
「え……俺の嫁……?」
違うわ、チャーハンに埋もれて死ね。
山を崩すように、もくもくとチャーハンを食べ進める。
食欲だろうが何だろうが、先輩が俺の為にしてくれることは何だって嬉しい。絶対に食べ残してなるものか。あと普通においしい。
「お兄さんは、この間、兄に噛まれて怖かったですか?」
リスのように頬を膨らませる兄に、先輩が聞く。
兄は悲劇の主人公のような顔で、
「怖かったよ……。俺、死んだかと思った」と言った。
まあ、寝てる時に、いきなり成人男性に噛まれたら普通びっくりするよな。
俺が、先輩に初めて血を吸われた時は、はっきり起きた状態だったけど、激しく動揺したし。色んな意味で。
「人を噛んだりしたらダメだよって、亜蘭くんから叱っておいて」
それ、先輩に言う?
先輩は、少ししゅんとした顔で、
「兄は、お兄さんを怖がらせてしまって、自分を責めていると思います」と言った。
「亜蘭くん……。君は天使なの……?」
兄が、先輩の頭を撫でて、
「大丈夫だから、もうすっかり治ってるし」とやさしく声をかける。
そもそも大げさなんだよ、あの程度で。
「今度、希惟に会ったら、怒ってないから安心しろって言っておくから」
「兄を受け入れてくれるんですか?」
「ん? 受け入れて……? う、うん、全然大丈夫だよ」
「じゃあ、また同じ事があっても大丈夫ですね」
先輩が兄に向かって微笑む。
「え……? あ……そ、そうだね……」
先輩の前だからって見栄を張るな。
「そういえば、あの時あいつが何か言ってた気がするんだけど、何だったかな……。俺、それでギョッとして逃げちゃったんだよな……」
兄が、テーブルに頬杖をついて考え込む。
先輩が、絶えず口を動かす俺を見て、
「それはそうと、よっぽどお腹減ってたんだな」と言った。
「欲求、満たされた?」
先輩が天使のように俺に笑いかける。
「それはもう、もちろん」
俺も先輩に釣られて微笑む。
お腹はち切れて死にそう……。
「あ、先輩にお聞きしたかった事があるんですけど……」
「何?」
「あの……どうして俺に、キスしてくれたんですか?」
先輩が、意外なことを聞かれた顔をする。
「何でって、それは……」
長期的に捕食する為とか言われたら俺は泣く。
「そういうこと、するものなんじゃないの?」
え? まさかの疑問形?
いや、俺……血を吸う、吸われるの関係について詳しくないですけど。むしろ俺が知りたい。
先輩は、俺の手を両手で握ると自分の口元に引き寄せた。
「欲求不満が解消されたなら、今度は俺のこと満たしてくれる?」
「え……?」
わあ先輩、笑ってる顔が天使みたいにかわいいです。
「しばらく味わってないから限界なんだよ」
いや、やっぱり怖いです。笑ってるのに。
「せ、先輩? 落ち、落ち着いて……ここは町中華です」
隣に兄もいます。
「そうやって、いつも俺のことお預けするよな」
「お預けだなんて、俺はいつでも先輩の好きなようにしてほしいって思ってますよ」
「その割には、誰かれ構わず誘惑してるじゃねーか」
「な……誘惑!? それ、俺のことですか?」
「お前以外に誰がいるんだよ。心配で毎日電話してる、こっちの身にもなってみ……」
知られたくないことを口走ってしまった様子の先輩が、フリーズする。
「え……? もしかして先輩、俺が誰かに取られないか心配してるんですか?」
それで毎日、安否確認を……?
口元に手を当てて俯く。
は? 何ですかそれ? 嬉しすぎるんですけど……。あれ……でも、それって……まるで……。
俺のこと好きみたいですよ?
い、いや浮かれるな俺。まだ決まった訳じゃない。大体、誘惑って何のこと?何でそう思われてるんだ?
ずっと物思いに耽っていた兄が、突然晴れやかな顔をして、
「思い出した!」と言う。
「あいつ、血が欲しいって言ってたんだよ」
「兄が……?」
「吸血鬼になった夢でも見てたのかな? それとも蚊かな?」
「ふぅん」
希惟さんを揶揄うように笑う兄の隣で、先輩が意味ありげに笑った。




