第三十五話 ちゅきちゅきうさちゃん
吸血鬼メイクを落とし、制服に着替えて、先輩のクラスへ移動する。まだ担当の時間が終わらない理人が文句を言っていたけれど、気にせずに一人で向かう。
脱出ゲーム、カジノ、縁日、喫茶店、占い……。教室の壁、全面に装飾をしたり、個性的なパネルで目を惹きつけたり、それぞれの教室が、それぞれのやり方で、行き交う人を手招きしている。
仮装している人や、パネルを持ってクラス企画の宣伝をする人、他校の制服を着ている来校者、在校生、その家族らしき人、この特別な二日間を、誰が一番楽しめるか、競争しているみたいだ。
先輩の教室の前には、そこに入るための長い列が出来ていた。
メイド喫茶って人気あるんだな。
前にピリピリしてるって聞いたけど、大盛況みたいで良かった。
それにしても、さっきからすごい歓声が聞こえてくるんだけど、先輩のクラス、有名人でも来てるの?
教室から出てくる満足そうな顔をしたお客様達が、共通してみんな、かわいいしか言ってないし。
この教室に入ったらもう、かわいいしか言えなくなっちゃうの? わ〜楽しみだな〜。俺にも、かわいいしか言えなくなる魔法かけてください。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
入店の順番が来た俺を、女子の制服を着た、坊主頭の屈強な男が、野太い声で出迎えた。頭にはふわふわのウサギ耳カチューシャを付けている。
「……教室を間違えました」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「おかえりなさ……」
「うわああああああ」
女子の制服を着て、ウサギ耳カチューシャを付けた屈強な男達に、席に連行される。
え? どういうこと? 男が女子の制服着てメイドするコンセプトなの? こっ怖いよ! 地獄だよ! 声太いし、すね毛すごいし、筋肉隠せてないし、かわいいなんて一ミリもないよ!
早くも泣き出しそうな俺に、屈強な男がメニューを聞きにくる。
「あ、あいちゅこーひーと、ちゅきちゅきうさちゃんパンケーキで……」
もういい、何かさっと食べて地獄から脱出しよう。
「はい、ご主人様。あいちゅこーひーと、ちゅきちゅきうさちゃんパンケーキですね。かしこまりました」
その声でリピートしないで。
両手で目を覆い隠し、あいちゅこーひーと、ちゅきちゅきうさちゃんパンケーキを待つ。
俺は先輩に会いに来ただけなのに。
ひぃん、先輩、助けてください……。
どこにいるんですか?
「ご主人様」
俺の大好きな声がして、指の間から恐る恐る目を開く。
「お待たせしました。あいちゅこーひーと、ちゅきちゅきうさちゃんパンケーキです」
光を集めたような髪に、淡い茶色に緑が混じった鉱物のような美しい瞳、小さな顔にぱっちりとした大きな目が可愛らしい印象も与える、中性的で、非の打ち所がない顔立ち。同じ男とは思えない、華奢な体。
先輩が、ふわふわの猫耳カチューシャを付けて、ミニスカートに黒タイツ、襟元にリボンを付けたシャツ、手の甲が隠れる大きめのカーディガンという格好で、俺の目の前に立っている。
先輩は胸の前でハートマークを作り、
「おいしくな〜れ、萌え萌えきゅん」と真顔で言った。
「……」
「……おい、何か言えよ」
椅子から立ち上がって、先輩の手を掴む。
突然の俺の行動に、目を見開いて驚く先輩の手を引き、俺は先輩を連れて教室を飛び出した。
立ち入り禁止のドアを開け、屋上に駆け出る。
俺と先輩以外には誰もいない。
肩で息をする俺をクールダウンさせるように、爽やかな風が吹いた。
「おい、急にどうしたんだよ」
誰にも取られないように、強く先輩を抱きしめる。
心臓がまだ、激しく鼓動を打っている。
「こんなかわいい姿、俺以外に見せないでください」
「……」
俺を見上げた先輩が、
「そんなによかった?」と聞いた。
「お前、猫好きなんだな」
猫も好きですけど、俺が何より好きなのは先輩です。
「これで我慢して」
そう言って、先輩が猫耳カチューシャを外す。
「そんなんじゃ、先輩のかわいさを減らせません……」
先輩をぎゅうっと抱きしめ、髪に頬を擦り寄せる。
柔らかな髪の質感と花の香りが、地獄のメイド喫茶で荒んだ心を癒していく。
「お前が拗ねるの初めてだな」
何でだろう。感情を抑える事ができない。
「先輩、好きです」
「知ってる。俺が望むだけ血をくれるって、言ってただろ」
「だけど、まだ怒ってますか?」
あんなに嬉しそうにしていた先輩が、理人の話をした途端、怒ってしまって、兄からも浮気をしていると誤解を受け、だけど先輩の理人への態度は変わらない。
何がどうなっているのか、未だに分からないし、先輩をこれ以上傷付けたくなくて、結局何もできていないけれど……。
「俺は、先輩が機嫌が悪い時には、何か喜ぶことをしてあげたい、不安で手が冷たい時には、手を重ねてあげたい、先輩が笑っている時に、いつもそばにいるのが俺だったらいい、そう思っています。それじゃ、ダメですか……? 先輩が、俺を信じてくれる理由になりませんか?」
先輩に、いつも笑っていてほしいと思っている俺が、先輩が嫌がることをする訳ないじゃないですか。
「もう、怒ってないから」
先輩が、小さくため息を吐いた。
「浮気してないって、信じてやる」
「そろそろ戻らないと」
俺から体を離し、教室に戻ろうとする先輩の手を掴む。
「お前は甘えん坊の大型犬かよ」
「先輩、何でその格好、受け入れちゃうんですか? 断っていいのに」
「文化祭のノリだろ。みんな体張ってるんだから」
それであの地獄絵図。
「本当に戻るんですか?」
あんな恐ろしい所に? 危険すぎるよ。
「俺は戻らなくてもいいけど、お前、大丈夫なの?」
「……」
天使を誘拐した罪で殺されてしまう。
「その姿で、色んな人と写真撮るんですよね?」
意外そうな顔をした先輩が、俺の表情を観察する。
「やきもち?」
うっ。
これじゃ面倒くさい奴だと思われてしまう……。
先輩は、
「機嫌直せよ、お前だけに特別な写真撮ってやるから」と言った。
インカメラに切り替えて、先輩がシャッターを押し、二人だけの写真を撮る。
わー自撮り。確かに特別な写真だ。
「俺にも送って」
一枚ごとに表情の違う先輩が写っている。全部かわいい。さすが先輩、写真慣れてるな。
「機嫌直った?」
「ありがとうございます。うれしいです」
写真を送り終えた俺のスマホを、先輩が、もう一度手に取った。
俺の頬に、先輩の唇が触れる感覚と同時に、シャッター音が鳴る。
「え?」
「はい、誰にも見せるなよ」
先輩は、そう言って俺にスマホを渡し、足速に行ってしまった。
「……」
沸騰したお湯のように熱い顔を、両手で覆い俯く。
「先輩……それは反則です」




