第三十四話 なんだ田中か
「……文都?」
姿勢を低くして寄り添い、先輩の背中をさする。
今にも泣き出しそうなくらい、不安そうに俺を見上げる顔が、懐中電灯の明かりに照らされた。
「あっ! これは吸血鬼です! よく見てください、先輩と同じです! 怖くないですよ!」
まずいぞ、こんな所で先輩の醜態を晒すわけにはいかない。
「どうして来たんですか?」
ここは先輩が来るような所じゃないですよ。奥に行ったらリアルゾンビがいるのに。
先輩が、叱られた子供が言い訳をする時のように、
「……お前がいると思って」と言った。
「……」
え? か……え? かわっ……かわいっ、え?
「俺に会いに来てくれたんですか?」
「ちょっと様子見るだけのつもりが、いきなり中に入れられて……」
「あー……」
さっき丁度、並んで待っている人がいなかったから……。
「先輩、立てますか?」
「無理」
俺は、先輩の両手をとり、その手を先輩の耳に当てた。
「こうすれば、怖い音が聞こえなく……」
いや、耳塞いだら、俺が何言ってるかも聞こえないな。
片方だけ、耳から手をずらし、やさしく耳元で話しかける。
「俺の背中に乗ったら、こうして耳を塞いで、目をつぶっていてください」
俺の声に反応して、先輩の肩がビクッと揺れた。
よっぽど怖いんだな……。先輩の名誉を保ちつつ、早くここから出して上げないと。
先輩が俺の背中に体を預ける。
軽っ。前におんぶした時も思ったけど、先輩って何でこんなに軽いの?
心配になってくるな。
「俺、この後、クラスの喫茶当番だから」
まだ少し落ち着かない声で、先輩は、そう言った。
「じゃあ、この後、着替えてから見に行きます」
先輩の冷たい手が、俺の顎に触れ、顔を振り向かせるように引いた。
「着替えるの? 俺は、これも気に入ったけど」
「え……?」
先輩が、甘えるような声で、
「よく見えない。明るい所で、もっと見たい」と言う。
そ、それ以上は供給過多です。
あと首が痛いです。
「気に入っていただけたのなら、明日、この格好で先輩に会いに行きます」
「明日? うん、じゃあ……」
先輩が俺の耳元で、そっと囁く。
「そのまま、俺とデートする?」
先輩の吐息が耳にかかってゾクゾクする。
「その時、よく見せて。お前の吸血鬼姿」
俺の背中で、先輩が笑う声がした。
やっと先輩とまともに会話できたことが嬉しい。ずっと、どうしたらいいか分からなくて、もどかしかったけど……。
「先輩、俺……」
手に持った懐中電灯を前方に照らす。
突如、俺の視界に現れるゾンビ。
「ひぃっ!?」
「え!? 何!? ……ぴっ」
俺の背中で固まる先輩。
首を傾げるゾンビ。
「何か話し声するから気になって。甲斐くん? 何やってるの?」
なんだ田中か。
「驚かすなよ」
「いや、驚かすだろ、お化け屋敷なんだから。誰かおんぶしてるの? もしかして転んじゃった?」
「まあ、そんな所」
怖がりすぎて動けないとは言えないので、適当に誤魔化す。
「大丈夫?」
心配したゾンビ田中が、先輩の顔を覗き込む。
「うわあああああん!?」
「せ、先輩!? 耳と目を閉じて、あ、いや、目を閉じて、耳は塞いで……」
「ああああああああ」
混乱した先輩に首を絞められる俺。
「うっ!? せ、先輩……? し、死ぬ……」
「甲斐くん!?」
俺を心配するゾンビ田中。
「何々? どうした?」
「甲斐くんが何?」
騒ぎを聞きつけて、狭い通路に集結するゾンビ軍団。
「あわわわわわわ」
激しく震え出す先輩。
「し、し、し、死んじゃう」
好きな人に殺されそうな俺。
パニック映画か。
ゾンビ軍団を持ち場に戻らせつつ進み、出口付近へ到着する。
5分もかからず終わるはずの通路が、とてつもなく長く感じた……。
黒いカーテンの隙間から漏れた明かりが、お化け屋敷のゴールを告げている。
「もう大丈夫ですよ」
背中から先輩を下ろす。
「ごめん……。迷惑かけて」
「迷惑だなんてそんな……。俺は、先輩になら何度、首絞められても大丈夫です」
「本当、悪かったって」
一人で歩く先輩の背中を見て、はじめてのおつかいを見ているような気持ちになる。出口まで数歩の距離だけど。
よかった……何とか先輩の名誉は保たれた……。
「先輩?」
音もなく、通路の脇から姿を現し、先輩の肩に手を置く黒い影。
先輩の持つ懐中電灯に照らされ、血に塗れたピエロの顔が、暗闇に浮かび上がった。
「よしよし、もう怖くないですよー……」
お化け屋敷から出た、明るい廊下で、ぬいぐるみをハグするように、俺を抱きしめる先輩。
ピエロのお面を手に持ち、呆然と立ち尽くす理人。
結局、こうなってしまった……。
先輩の大きな瞳に溜め込まれた涙が、限界を迎えてこぼれ落ちる。
「先輩……。泣かないで」
理人が、先輩の濡れた目元にキスをした。
「…………は?」
「ちゃんと、しょっぱいんだね。甘いのかと思った」
「は!? お前、何してんの!?」
先輩が潤んだ瞳で理人を睨み、
「お前、殺されたい?」と脅迫する。
「だって、きれいで勿体無いから」
こいつ、本当に油断できないな。
「それで……誰が先輩を泣かせたの?」
ほぼ、お前だよ。
「先輩を泣かせるなんてひどいよ。先輩、どうして欲しい? 俺が先輩の代わりに何でもしてあげるよ?」
「お前が死ね、ピエロ野郎」
そうだそうだ。
思う存分、自分を痛めつけてくれ。
「でも、その前に……」
理人がスマホを取り出し、先輩の泣き顔に向けた。
「先輩の泣き顔、写真に収めとかないと。やばい興奮してきた。わぁ、涙目で俺を睨む先輩ゾクゾクする〜」
「やめろ」
お前、本当に何も変わってないな。




