第三十一話 ツンツンしてる先輩もかわいい
新学期、少しだけ暑さが和らいだ、夏休み明け初日の登校。
バスの座席に座り、揺られながら、先輩の利用する停留場を気にする。
「夏休み明けの学校って、ちょっと気怠くない?」
前の座席に座る、兄が振り向いてそう言った。
その顔をまじまじと観察してみる。
完璧なバランスの顔のパーツ、万人に好かれやすい、犬っぽい顔立ち。今日は、分け目を付け髪をセットしていて、皺一つないワイシャツにきっちりとネクタイを締めている。
先輩はこういうのが好きなのか。
休日は、素材を台無しにする、よれよれのTシャツにステテコ姿で、前髪もパイナップルみたいにゴムで止めている干物男なのに。
「お前は、何でまた俺と同じバスなんだよ」
「最近、会社が騒がしくて。ちょっと早めに行きたいから」
兄は口元に手を当て、小さな声で、
「買収されるらしいんだよ、うちの会社」と言った。
「え!? 何で!?」
「本当、何でだろうな。社長がおじいちゃんだから引退したいのかな? 税理士の先生とか来て、バタバタしてるよ」
眠そうな顔で兄はそう話す。
空気が抜ける音がして、バスが乗客を迎え入れる準備を終える。停留場から先輩がバスに乗った。
朝日を浴び、少し気怠そうな雰囲気と相まって、儚い印象を受ける。機嫌を損ねたら二度と会えない天使みたいだ。
「おはようございます」
「亜蘭くん、おはよ〜」
兄を見て、目をパチパチさせた先輩が、迷わず兄の隣に座った。
「おはようございます」
重い石が、突如俺の頭上に落ちてきた気分になる。
「亜蘭くん、文都と喧嘩した?」
兄が、控えめな声で先輩に声をかけた。
聞こえてるからな?
「あいつ、浮気したんです」
「…………」
「!? だから、何でそうなったんですか!?」
あの話のどこに浮気要素が!?
先輩、理人が先輩のことを好きな事もご存じですよね?
機嫌の悪い猫のように、先輩は全くこっちを見てくれない。
「やっぱり、まだ怒ってるんですね……」
気まずい表情で、兄が、
「お前、ついにバレたの?」と俺に聞く。
そういえば、こいつも浮気がどうとか言ってたな。
「え……? お兄さん、二人のこと知ってたんですか?」
「ああああああああ違うんです先輩」
いや、何でいい訳してるみたいになってるの? 俺。
「ごめん、亜蘭くんを傷つけたくなくて……」
悪ノリやめろ!
「いいんです。お兄さんは悪くないから……。俺、お兄さんのこと好きです。大丈夫」
あわわわわわわわ……。
兄が、先輩の手を握って、
「亜蘭くん、いつでも俺のところにおいで」と言った。
「……そんな事言われたら、俺、益々お兄さんの事、好きになっちゃうかも」
少し首を傾けた先輩の髪が、光の粒が溢れるみたいに揺れる。
天使のような笑みを向けられた兄が、真っ赤な顔で固まった。
俺の中で、カップル成立までのカウントダウンが10秒前から開始する。
「先輩、もうすぐ着きます! 移動しましょう、移動!」
兄から先輩を引き剥がして、席を立たせようとする。
カップル成立は、なんとしても阻止しなければいけない。
「こら! 亜蘭くんを横取りするな!」
俺からしたらお前が横取りしてるんだよ。
先輩が立ちあがろうとした瞬間、バスが大きく揺れ、バランスを崩して、兄の方にもたれかかった。
ちょうど良く兄の膝の上に、先輩の後頭部が着地し、兄が先輩に膝枕をしているような状態になる。
「……」
「……」
「あ、いいですねこれ。気持ちい〜寝ちゃう」
先輩が猫のように兄に擦り寄る。
兄が、先輩の頭上で手の置き場に困っていると、それに気づいた先輩は兄の手を握って、自分の髪に触れさせた。
先輩が、
「なでなで」と言いながら、兄の手を使って、自分の髪を撫でる。
ああああああああ。
かかかかかわいすぎて息ができません。
先輩、そんな危険な技をお持ちだったんですね。兄が羨ましすぎて、帰宅後八つ当たりしてしまいそうです。
強すぎる先輩からの攻撃に、完全にノックアウトされた兄は、しばらくそのままの姿勢で硬直していた。
バスを降りた所から、学校までの道のり、そして校門をくぐってからは尚一層、辺りを注意深く警戒する。
先輩の前で、理人と会わないようにしないと……。
「おはよ、先輩」
どこから現れたのか、理人が先輩の前に、ひょっこりと顔を出す。
見ているこっちまで、笑顔になってしまうような笑みが、先輩に向けられている。
「おはよ甲斐くん、ひどい顔してるね」
お前のせいだわ。
先輩は、理人を見て、
「お前、雰囲気変わったな」と言った。
え? そうですか?
「うん。ほら、先輩が嫌がるシルバーアクセ全部捨てちゃった。もうしないよ」
理人はそう言って、両手を広げて見せたあと、首を左右に振って、何も付いていない指と耳を見せた。
首を振るたび、サラサラと黒髪が揺れて、香水のいい香りが漂う。
そういえばチャラチャラしてないな、今日。
先輩は、
「いいんじゃない?」と言った。
「え!?」
先輩!? あんなに怒ってたのに、むしろ理人に友好的になってませんか?
「先輩? 俺、理人と会ってますけど……」
「……」
無言の先輩が、表情だけで、だから何?と訴える。
え……? どういうことですか?
もう気にしてないにしては、俺に対する態度が辛辣だし……。
俺は、どうしたらいいの? 吸血鬼の気持ちが分からないよ……。
理人は、先輩には聞こえないように、
「甲斐くんのお兄さんが、誰かの為に努力したり、変わろうとしたりするのはカッコいいって言ってたでしょ? 俺、変わりたいから。これからは自分の気持ちだけじゃなくて、先輩の気持ちも考えるようにするよ」と言った。
「つまり、先輩の事を必要以上に知ろうとしたり、先輩の事を傷つける奴を制裁するのを止めるってこと?」
「……甲斐くん、気づかれなければ、やってないのと同じなんだよ?」
違うだろ。何も変わってないな、こいつ。
「怒ってても来てくれるんですね」
「……」
下校の時間、先輩は日課をこなすように、俺の教室に来た。
目も合わせないし、何も話してくれない、相変わらずの塩対応だけど。
ツンツンしてる先輩もかわいいなぁ。
でも、そろそろ何で怒ってるのか教えてほしいです……。
先輩の指が俺の指に触れた。
先輩が顔を背けたまま、俺の指を弄ぶように、指と指を組んだり、指先をつついたりしている。本当は、かまってほしいみたいに。
え? 本物の天使なんですか? 先輩。
「何が先輩を不安にさせてしまったのか分からないですけど、俺のこと信じてください。きっと、何か誤解があるんだと思います」
まだ少し不満の表情が残る先輩と目が合う。
「うっ」
かわいいな。
「せっかく午前下校なので、ご飯食べに行きますか?」
表情が明るくなった先輩が頷きかけた、その時。
「いたいた〜亜蘭くん! 文化祭の打ち合わせするから来て!」
元気な声と共に、教室にバタバタと入ってきたご友人に、先輩は連行されてしまった。
そういえば、文化祭……うちのクラスの企画……。
先輩、絶対嫌がるだろうな……。




