第二十八話 危うくキュン死
夜に沈んだ街を、月が照らしている。
夏休みの間の約束、先輩のバイト帰りのお迎えも今日で最後。先輩のシフトがいつもより遅い時間だった為、辺りは真っ暗だ。
明るい街灯の下で待っていると、先輩が恐る恐る裏口から出てくるのが見えた。何故か背後をキョロキョロと確認し、俺の姿を見つけて駆け寄ってくる。
先輩は縋りつくように、俺に抱きついた。
「先輩? あの、歩きにくくないですか?」
先輩が不安そうな目で俺を見上げ、
「このまま歩いちゃダメ?」と訴える。
「え、全く問題ありません」
そんなかわいく言われたら、俺にくっ付いた先輩を引きずって歩くような状態でも、俺は何kmだって耐えられる。
先輩は、何かに怯えるように緊張した表情で身を硬くしている。
「先輩」
俺の呼びかけに、先輩がビクッと肩を揺らす。
「何?」
「何かありました?」
「いや? 別にいつも通りだけど」
そうは見えないですけど。
住宅街から少し離れた場所にある、先輩の家の前に着く。
いつ見ても立派なお屋敷が、いつもより暗いような気がして、高い塀の奥に目を向けると窓からの明かりがないことに気づいた。
「じゃあ、先輩、俺はこれで……」
お別れを告げようとするも、先輩は俺から離れない。
「あの、先輩?」
いつもと様子の違う先輩を不思議に思い、首を傾げると、先輩は突然その場にしゃがみ込んだ。
俺の足にしがみつき、
「俺から離れないで」と懇願する。
「え!? え!? どうしたんですか!?」
「頼むから、今日だけ、俺のそばにいて離れないで」
え? 今日だけじゃなくても俺は構いませんが。
「何があったんですか? そんなに怯えて……」
まさか、また理人が告白を?
先輩は、知られたくなかった事を告白するみたいに、
「今日、バイトの休憩中……ホラー映画見せられて」と、かすかで弱々しい声で言った。
「俺は嫌だって言ったんだけど……よりによって今日、家に誰もいないし」
キュンッ。
「…………」
はっ! 危うくキュン死する所だった。
え? 先輩、ホラー苦手なんですか? 吸血鬼なのに? それで、そんなに怖がってるんですか? 普段、あんなに強気なのに?
思わず、目を押さえて天を仰ぐ。
と、尊いです先輩。
「俺、本当に無理なんだよ。お化けとかゾンビとか」
愛しさが爆発して、心臓がギュッと締め付けられる。
えー!? 何ですか、そのギャップ萌え……。
先輩には怖いものなんてないと勝手に思っていたけど、そんなことないんだな。
そういえば、吸血鬼ハンターについて話してくれた時も、理人の告白の時も、怖がってたし……得体の知れないものが怖いのかな。
「先輩、俺でよければ一緒にいますよ」
こんなに怖がってるのに一人にできない。
「マジ? じゃあ泊まってくれる?」
「はい。家に連絡いれますね」
家に電話をかけると、数コールの後、兄が電話に出た。
「あ、兄貴? 今日、先輩の家に泊まるから」
「え!? お前……え!?」
何驚いてるんだ?
「お前、嫌がる亜蘭くんに無理やり迫ったりしちゃダメだからな! 亜蘭くんは俺の天使なんだから!」
「殺すぞ?」
何でそんな発想になるんだよ。先輩はお前の天使じゃないだろ、みんなの天使だよ。
まだ兄が話していた気もするけど、乱暴に電話を切る。
服とかどうしようかな。一回、取りに帰る間、先輩一人にするのもかわいそうだし。
「コンビニ寄ってもいいですか?」
「いいよ」
先輩がしゃがみ込んだまま、俺を見上げて、
「ごめん、急に泊まらせて」と弱々しく言う。
「全然、大丈夫ですよ。先輩の役に立てて嬉しいです」
先輩の家、行くの初めてだな。
誰もいないって言ってたし、手土産とかいらないかな。俺、本当お財布とスマホしか持ってないから、タオルとか借りるの申し訳な……。
急激に体中の血が沸騰して、蒸気が噴き出す。
「先輩! やっぱりダメです!」
「え?」
危なっ! 何で気づかなかったんだろ。誰もいなくて、先輩の家に、先輩と二人きりでお泊まりって……。先輩の匂いがする先輩のベッドで寝るってこと? 無理無理無理無理。
先輩が、眉尻を下げ、
「俺を見捨てるの?」と潤んだ瞳で、俺に訴える。
「行きます」
いやいやいや、俺しっかりしろー!
「あの、先輩、俺の代わりに希惟さんに来てもらうのはどうですか? 希惟さんが来るまでいますから」
「あいつを呼んで、あいつに弱みを見せるくらいなら俺は死ぬ」
ええええ。
「コンビニ行くんだよね?」
「行かないです、コンビニは行かないです」
余計なものが目に入ってしまいそうなので。
「本当にどこも行かなくていい? ドラッグストアとか」
「行かないです、ドラッグストアも行かないです」
もっと品揃えあるじゃないですか。行かないです、もちろん。
「じゃあ、家入ろ?」
文都、恋愛対象として先輩に認めてもらうって決めたんだろ。情けない兄と違って、誘惑に惑わされない強い姿を先輩に見せるんだ。
俺は、試練に挑むような気持ちで、先輩の家の門をくぐった。
「お前、先歩いて」
自分の家なのに怖がる先輩の体温を背中に感じながら、家の中にお邪魔する。
吸血鬼のお屋敷っていうと、薄暗くて古い洋館ってイメージだけど、実際は全然普通なんだな……。
子供たちが鬼ごっこを楽しめそうな広いリビング。ガラスのテーブルや窓辺には、花とキャンドルが幾つも飾られている。
リビングと続く空間には、10人くらいが座れそうなソファとふわふわのカーペット。オシャレなクッションと大きなテレビ、遊び心のあるデザインのサイドテーブル。
その奥にある、こじんまりとした空間は、照明があえて抑えられ、丸い大理石のテーブルとデザイナーズチェアが置かれている。
壁にはアートが飾られ、所々に置かれた植物が癒しを与え、個性的な間接照明が、白を基調としたインテリアにアクセントを加え、その全てが調和されている。
いや、全然普通じゃないな。
あつ森で作りたいな、こんな家。
「お前、ご飯食べた?」
俺をバックハグした先輩が、上目遣いで聞く。
「ひゃっ!? はい、食べました!」
「何で慌ててるの?」
クスッと笑いながら、先輩が俺の指に自分の指を絡める。
「じゃあ、シャワーして寝るだけ?」
あわわわわわわ……。
「緊張してる? 何か飲む?」
先輩が俺の腕を引き、リビングからキッチンへ移動する。
わぁー生活感を感じさせないキッチン素敵。俺が見たことないタイプの冷蔵庫ですけど、あの窓みたいな所、何ですか? まさかワインセラー付き冷蔵庫?
冷静さを取り戻す為に、先輩から視線を逸らしていると、先輩は俺の顎に指をふれ、天使のような笑みを浮かべた。
「今からシャワー浴びるから、お前絶対、そばを離れるなよ」




