第二十五話 ちょっとお高いアイス
夏休みも終わりに近づいた、日曜日の午後。
それは突然やってきた。
「やっほー久しぶり」
「理人。お前……どの面下げてきたんだ?」
俺の家の玄関に、理人がにこやかな笑顔で立っている。
「甲斐くん、宿題写させて。はい、これアイス。みんなで食べてね」
ちょっとお高いアイスを俺に渡し、勝手に家の中に入っていく理人。
「おい! こら待て! 入っていいって言ってないぞ!」
「大丈夫大丈夫。甲斐くんのエロ本探したりしないから」
「そういう心配をしてる訳じゃない!」
「あはは。えーと甲斐くんの部屋はどこかな〜」
こいつ、全然人の話聞かないな。
「宿題写したら、すぐ帰れよ」
俺の部屋で、理人はテーブルの前であぐらをかき、宿題を開いている。
ちょっとお高いアイスも頂いてしまった手前、麦茶で最低限のおもてなしをする。
「冷たいなー。俺、甲斐くんに何かしたっけ?」
「先輩にしただろ!」
「この間の告白のこと?」
「あれが……告白……?」
当たり前のことを言ってます、みたいな顔をするな。余計怖いから。
「先輩と会ってる?」
「この間、先輩と先輩のお兄さんと俺の兄、四人で旅行行った」
「何それ? おもしろそー! 俺も誘って欲しかったな〜」
お前行ったら、希惟さんに殺されてたぞ?
「先輩、指輪してた?」
サラサラと宿題を写していく理人の手に、銀の指輪が光る。
「してないよ。俺が外したから」
理人の手が止まる。
「喧嘩を売っている訳じゃない。正直に言った方が、いいような気がしたから」
「……ありがとう」
意外な言葉が返ってきて、思わずギョッとする。
「なんつー顔してんの? あー……でも、そっか。俺、振られちゃってたもんね」
理人が、手に入らないものを恋しく思う顔になって、切なさが伝染した俺が余計なことを言う。
「俺も、同じようなものだから」
「え? 甲斐くんも振られたの?」
「諦めてないけど」
「じゃあ、俺と同じじゃん。でも俺は食欲の対象じゃないから、一歩リードだね〜」
おい、痛いこと言うな。
「俺が、吸血鬼ハンターの家系なんだって言ったら笑う?」
理人は、突然そう言った。
「は?」
「家系とは言っても、昔はこうでしたって話が残ってるだけで、実際にはみんな、吸血鬼の事なんて信じてなかったけどね。俺の父以外は」
先輩から聞いた、吸血鬼の敵。
人間社会に溶け込んでいる吸血鬼と同じように、実情はイメージとは違うみたいだ。
「俺の父は、俺が小さい頃から吸血鬼のことにご執心で、ほとんど家にいなかったんだよ。そのせいで母さんも病んじゃって、離婚して別々に住んでたんだけど」
他人のことを話すみたいに、理人は淡々と身の上を語る。
「俺が中学の時に、その父が事故で亡くなったんだ。あ、全然しんみりする所じゃないよ? だって俺、父親との思い出ないし」
そういう事を笑って言うなよ。
「その時に、生前、父が使っていた部屋に入る機会があって……。俺は、それまでずっと、空想の生き物に執着している父の事を冷めた目で見ていたし、吸血鬼なんて実在しないものの為に、家庭を壊すほど夢中になる理由も分からなかった。だけど、父の部屋にあった研究の数々に、みんなが狂ってると軽蔑の目を向けている中で、俺は、俺だけは、宝物を見つけたような気持ちになったんだ。生きる意味を見つけたみたいに胸が高鳴って、父と同じ血が流れていることを実感した」
俯いた理人の視線の先で、指輪が不安そうに、いるべき場所を悩んでいるように見えた。
「俺には分かる。どれほど父が吸血鬼と会う事を欲していたか。先輩が吸血鬼だと知った時、ずっと欠けていたものが見つかったように嬉しかったんだ。だからなのか、先輩の事がすごく気になる。先輩の事は何でも知りたいし、先輩の事を傷つける奴は殺してしまいたいと思う。先輩の事になると、自分を抑えられないんだ。ねえ、甲斐くん、これって恋で合ってるよね?」
「それは……」
勢いよく開かれるドアに、俺の言葉が遮られる。
「文都! このちょっとお高いアイス食べていい?」
休日の兄が、ちょっとお高いアイスとスプーンを持って立っている。
こいつ、いつもノックしないよな。しかも食う気満々じゃねーか。
兄は、ハッとした顔をした後、ここにいてはいけない空気を察したのか、
「修羅場?」と聞いた。
いや、何で?
「あ、文都のお兄さん、久しぶり〜。俺のこと覚えてますか?」
「おおお覚えてますとも」
「黒石理人っていいます。甲斐くんと同じクラスです」
何でそんなに挙動不審なんだ?
それよりアイス溶けるだろ、一度戻してこいよ。ちょっとお高いやつなんだぞ? お前がいつも買ってくるようなやつじゃないんだぞ。
「あ、あのさ……」
おずおずと兄が口を開く。
「文都と亜蘭くんの関係、理人くんは知ってるの?」
俺と先輩の関係って何だ?
理人が天井を仰ぎ、何かを考えるような仕草をした後、
「(血を吸う、吸われるの関係なら)知ってます」と言った。
「え!? 知ってるの!? いいのそれで!?」
「いいっていうか、それは本能だから仕方ないっていうか、俺も、できれば吸われてみたいですけど」
「え!? そっち!?」
どっち?
「甲斐くんと先輩は、それだけの関係だから。俺は負けないし、気にしないよ」
「体だけの関係には負けないって事ですね?」
「そうそう、そういうこと〜」
年下に何、敬語で話してるんだよ。理人も失礼な事言うのやめろ。傷つく。
その時、ふと視線を理人の手元に落とした兄が、石化したように固まった。
何だ? いきなりどうした?
「ゆ、指輪……? え? ご婚約されている? でも、文都はしてないじゃん」
兄が、俺と理人を交互に指差しながら見る。
いや、何で俺が婚約してないと不思議なんだよ。俺だってできるならしたいわ先輩と。
「あー……これ、俺、一回振られちゃってるから……」
理人が捨てられた子犬のように呟く。
「え……超複雑……」
そんな複雑な話じゃないぞ? こいつが一方的に暴走して玉砕しただけだぞ。
「え、どっちが本命なの?」
だからどっちって、どっち?
先輩、どうして、こんなポンコツがいいんですか……?
「俺はもう、誰を応援すればいいのか分からなくなってきたよ……」
だから、さっきからお前は何に悩んでいるんだ?
「文都、お前、この事を亜蘭くんが知らないと思ってるんだろ?」
急に真剣な顔つきになった兄が、俺にそう言った。
この事? 理人を家にあげた事?
確かに、先輩からしたら嫌な気持ちになるよな……。
「いや、先輩は知らないけど……」
「お前はそう思ってるかもしれないけど、亜蘭くんは、お前と理人くんのこと、気づいてるからな!」
「え!? 何で!?」
俺だって、突然来た理人にびっくりしたのに!?
「お前、先輩に話したの?」
「俺、先輩から着信拒否されてるよ?」
おい、それでよくメンタル保てるな。
「文都、お前はもっと真摯に向き合うべきだ。お前の行動一つ一つが、亜蘭くんや理人くんを傷つけてるんだぞ?」
え……先輩はともかく、理人はないだろ。むしろ俺が蹴られたんだぞ?
「そうそう、俺めっちゃ傷ついてる」
え? そうなの? 俺って存在するだけで、周りを傷つける男?
だけど、兄の話にも一理ある。理人が俺の家に来る所を、先輩が目撃してたんだとしたら、後でちゃんと説明しておいた方がいいかもしれない。
「分かった。先輩にはちゃんと話すし、これからは行動に気をつける」
兄は、アイスの蓋を開けながら、
「早く決着つけろよ、どっちつかずが一番良くないんだから」と言った。
ん? お前、何の話してんの?
兄のスマホが鳴り、着信を知らせる。
「亜蘭くんからだ」
「は!? お前、先輩と連絡先交換してたの!?」
人差し指を口に当て、静かにするよう促すと、兄は先輩からの電話に出た。




