第二十三話 兄を甘やかさないでください
部屋に戻ると、兄と希惟さんが締切ギリギリで脱稿しました、みたいな顔で俺達を出迎えた。
二人とも疲れた様子だけど、ホッとした表情を見るに、無事、仕事は終わったみたいだな。よかった。
「お風呂どうだった? 気持ちよかった?」
他意のない兄の言葉に、先輩が顔を逸らす。
「え?」
それを見て、俺もさっきの事を思い出してしまい、俯いて赤面する。
「何で二人とも新婚初夜みたいな反応なの? ウッ!」
とりあえず兄を殴っておく。
「亜蘭くん、もしかして無理矢理、文都に何かされた?」
おい、お前の中で俺のイメージどうなってるんだ。修正しろ。
8割くらいお前のせいだからな?
「それはちょっと、お兄さんにも言えません」
先輩、もうちょっと違う言い方できませんでしたか?
そんな言い方したら希惟さんがまたお怒りに……。
「亜蘭、そろそろ夕食の時間だ。行こう」
ならない。
「え? え? 兄貴、希惟さんどうしちゃったの?」
「俺が仕事を手伝いながら、兄としての心得を説いてやった」
兄貴ー!
「す、すごい効果だよ! 何て言ったの?」
「やるなら亜蘭くんの前ではやるな。見えない所でやれ」
うわー……。先輩が向こう向いた途端、希惟さんが鬼の形相にー……!
何説いてくれてんだクソ兄貴。
握りたてのお寿司や、目の前で焼かれるステーキ、揚げたての天ぷら、和食、洋食、中華と取り揃えたバイキング。目移りしてしまう、ご馳走のパレードに、目を輝かせるのは子供たちだけではない。
「亜蘭くんステーキ貰った? 次、何取る? 俺はやっぱりお刺身かなー」
「じゃあ俺も刺身で」
「バイキングって好きなもの全部、食べれるのがいいよね。お皿に好物並べて、俺の一押しプレートみたいな」
彩にセンスの欠けらも感じさせない、兄のお皿に一同絶句する。
「いいんだよ。今日だけは俺の好きな物だけ食べたいんだよ」
「分かります」
先輩、兄を甘やかさないでください。
「希惟は、こういう庶民派の高級バイキング(?)経験ないだろ? 取り方分かる? 教えてあげようか? 大事な事は、食べられる分だけ取ることなんだ」
希惟さんの持つお皿が目に入る。
控えめに少しずつ置かれた洋食のオードブルと、そこに添えられたソース。それはまるで、季節の食材達がダンスするパーティ会場。
「くっそ! お前何でもできる子か! 韓国ドラマに出てくるハイスペックイケメン御曹司か!」
「ありがとうございます」
「褒めてねーからなぁ?」
褒めてるよ。
食事も終盤となり、宿泊客達が手にするものもデザートが多く見られるようになってきた。
目を引くチョコレートファウンテンや、小さなサイズのケーキ、フルーツやアイスが並び、あれだけ食べたというのに、兄の食指が動く。
「亜蘭くん! デザート貰いにいこ。俺、あのチョコレートかけるやつ好きなんだ〜」
「俺も好きです」
「ジャバジャバ、チョコかけてやろうぜ」
二人が席を外した所で、希惟さんに話しかける。
「お仕事、終わってよかったですね」
「あなたが、公都さんに手伝うよう言ったんですか?」
あ、先輩がいないにも関わらず、俺に応じてくれるんですね。
意外だ、絶対無視されると思ったのに……。
「いえ、兄が手伝うと言い出して……もしかして邪魔してしまいましたか?」
「邪魔だなんて、とんでもない。彼、昨年度の営業成績、社内一位らしいじゃないですか。優秀ですよ」
は? そんなすごいことしてたの? あいつ。
「知らなかったみたいですね。先日、名刺をいただいたので、調べさせて貰いました。さっき手伝っていただいた時にも、話を聞きましたが、小さなラーメン店も詳しいし、繁盛店もこまめにリサーチしてる。メニューの値段設定から客層、よく見てると思います。努力家ですよ」
そ、そうなの? 趣味で口コミサイト見てるだけじゃなくて? ラーメンが好きなだけじゃなくて?
ていうか名刺貰ったら、そこまで調べるの普通のことなの?
「いいお兄さんを持って、幸せですね」
「希惟さんだって、いいお兄さんじゃないですか。忙しい中、先輩の為に旅行来て、その忙しさを見せないなんて」
本当、いいお兄さんだよな。弟思いの。
「希惟さん、カッコいいです」
「は?」
ん?
先輩の、は?って声が聞こえたような。
チョコレートのかかったマシュマロをお皿に乗せ、戻ってきた先輩と目が合う。
先輩とマシュマロって、最高の組み合わせですね。世の中にこれ以上の組み合わせ、存在しないんじゃないかな?
ところで、どうして、そんな苦悶に満ちた顔してるんですか? なんだか急に寒くなってきたし。
「お前の好きな人ってやっぱり……。そうか、だから俺に血を吸わせたくなかったのか」
先輩がテーブルにお皿を置いて、俺の隣に座った。
お皿を俺の方に寄せ、
「食べさせて、いつもみたいに」と甘える。
「あ、はい……」
先輩が無防備に口を開く。
恐る恐る希惟さんの顔色を窺うと、怒りで震えながらも、先輩がいる手前、それを必死で抑えている様子だった。
マシュマロをフォークに刺して、先輩の口へ運ぶ。
希惟さん、すみません! こんなにかわいい先輩がお口を開けているのに、逆らえません!
先輩が、フォークを持った俺の手を掴み、小指を噛んだ。
落としたフォークが床で音を立てる。
歯を立てられた場所から血が滴り、先輩はデザートを味わうように、その血を舐めた。
「は……、やば……。久しぶりのお前の血……興奮してきた」
先輩が、恍惚とした表情になる。
何ーーー!?
先輩、何ですかそのフェイントは!?
「お前が悪いんだからな。俺を挑発するようなこと言うから」
ここがバイキング会場だということも、目の前でお兄様が見ていることも、全く気にせず、先輩は血を吸うことだけに集中している。
いや、いくらなんでも、いつまでそうしているんですか……?
「そうやって俺だけを見てろ。兄のことなんて見るな」
連続してやってくる、やさしく指を吸われる感覚に、なぜか庇護欲をかきたてられてしまう。
かっ、かわいい。俺の指を吸う先輩が、かわいい……!
「亜蘭、血を吸いたいと言っていた人間は、こいつだったのか」
ヒィッ!?
人を殺す直前の顔をした希惟さんを目の前に、思わず震え上がる。
そこに、すごい勢いで兄が近づいてきて、俺に鉄槌を食らわせた。
「お兄様の前で羞恥プレイさせるって、どういう神経してんだ、お前ーーー!!」
希惟さんから受けた死刑宣告は、刑が執行される直前、兄からの暴力に減刑された。
「うちの文都が、大切な亜蘭くんにヘンタイしてすみません!」
希惟さんに対し、90°の最敬礼を繰り返す兄。
なるほど、これが営業成績No. 1の実力か。




