第二十一話 夕方の海を泳いでこいよ
太陽が夏を喜んでいるように輝いている。
青い空、広い海。日差しが降り注いではいるものの、ビルに囲まれた場所とは違った爽やかな空気が、心を晴れやかにさせる。
俺達は今、千葉県に来ている。
全室オーシャンビュー、新鮮な海の幸が味わえるビュッフェが自慢のホテルは、夏休みの子供連れで賑わっていた。
「こんないい所、よく予約できたね」
「一室だけ空いてたんだよ」
「この狭い部屋で、四人……」
自慢げに話す兄の隣で、お兄様が部屋に着いて早々、困惑の表情を浮かべた。
こじんまりとした和室に、テーブルと座椅子が並んでいる。
テレビは小さいけど、それ以外はいい部屋だよな。
何よりこのオーシャンビュー!
「嫌なら帰っていいですよ」
先輩がお兄様に辛辣な声をかける。
本当は一緒にいたいはずなのに!
素直じゃない所がまた可愛いです。
先輩に向けた暖かな視線が、氷のように冷たい視線になって返ってくる。
「ウッ」
俺、何かしましたか? 先輩、ご機嫌悪いな……。
お兄様とお泊まりで緊張してるのかな?
「おいおい。庶民にとっては、この部屋だって十分すぎるくらい贅沢なんだぞ」
兄が、お兄様に顔を近づけて説教を始めた。
溺愛する弟の前で叱られてバツが悪いのか、お兄様の頬がうっすらと赤くなる。
「夜は、とれたての海の幸が食べ放題なんだぞ! お刺身や目の前で焼いてくれるステーキまであって……。楽しみだなぁ〜! ねー亜蘭くん?」
「はい。俺は兄と違って、感覚がお兄さんと同じなので」
棘を感じる。
「無料貸出サービスにUNOあるじゃん! 亜蘭くん、寝る前やっちゃう?」
「はい。俺は兄と違って、UNOもできます」
先輩、どうしてさっきから、お兄様との差別化を図ってるんですか?
「そういえば、お兄様の名前って何て言うの? 何となくお兄様って呼んでたけど、文都はともかく俺がお兄様って呼ぶのもおかしいよな」
その理屈で言うなら俺もおかしい。
「日ノ岡希惟です」
「じゃ、これから希惟って呼ぶわ。では早速だけど希惟、海行こ、海」
普段から人との距離が近い兄が、希惟さんの肩を組み、強引に誘う。
「いや、希惟さんは、海には行きたくないんじゃないかな?」
ほら、すごく困った顔してる……。
15時過ぎとはいえ、まだ暑いし、吸血鬼だから日差しの下には行きたくないですよね。
「えー目の前、海だぞ? 水着持ってきたの俺だけ?」
夕方の海を一人で泳いでこいよ。
「俺、そこの磯で良かったら行きます」
え……? どういう風の吹き回しで?
「せ、先輩!? まだ外、暑いですよ? 無理しないでください。兄の事なんて、放っておいていいですから!」
「お前は来るなよ。俺が、兄より強いって所、ここで見てろ」
仰っている意味がよく分かりません。
「いいねー! 磯遊びとか何年ぶりだろ。じゃあ俺、亜蘭くん借りてくね!」
「あっ待って、先輩!」
先輩の頭に自分の帽子を被せる。
「無理しないで、早めに帰ってきてくださいね」
上目遣いの先輩が小さく頷いた。
俺の胸がキュンッという音を立てる。
かっ、かわいい。
「俺と亜蘭くんが二人きりだからって妬くなよ? この際、お前はしっかり点数稼ぎしとけ」
ドアが閉まる。
あいつ、本当は旅行来たかっただけなんじゃないか?
はしゃぎすぎだろ。
振り返ると、姿勢良くお茶を飲む希惟さんの姿が目に入ってくる。
凛とした居住まいに、ファミリー向けのホテルが、高級旅館にアップグレードされたかの様な錯覚を受けた。
俺、希惟さんと二人きりじゃん……。
放し飼いにされた虎と、檻の中で一緒にいる気分。
希惟さんは、鋭い視線で俺を見ると、
「これから私がする事は、亜蘭には言うな。絶対に」と言った。
謎の口止めに怯える俺の心を落ち着かせるように、穏やかな波の音が響いた。
第21.5話 俺の空想上の文都
「亜蘭くん、足元大丈夫? 転びやすいから気をつけてね」
ゴツゴツとした岩には、海藻や藻が付いていて滑りやすい所もある。
小さな子供達が、バケツや網を持って岩場を覗き込んでいる様子を、亜蘭くんは興味津々で見ていた。
華奢な亜蘭くんがケガでもしたら、俺は文都と希惟、二人から殺されてしまう。
「俺、こういうの初めてです」
希惟、あいつ、こんなかわいい弟がいながら、本当に小さい時から遊んでやらなかったんだな。
俺だったら虫取りとか、プールとか、めっちゃ連れてってやるのに。
まあでも、体弱かったって言ってたしな……。
「こういう岩と岩の隙間とかに、カニがいたりするんだよ」
「へー……」
知らない子供が駆け寄ってきて、バケツの中を見せながら、
「見て! めっちゃカニ取れた!」と言った。
「へえ、すごいな」
それを見た亜蘭くんが、目を輝かせる。
キュン。
はっ!? キュンて何だ!? しっかりしろ俺! 弟の恋人だぞ!?
「お兄さん、俺もカニ取りたい」
「あ、うん! 取れるかな~? 動き速いから難しいけど」
亜蘭くんが慣れない磯遊びに苦戦しつつ、潮溜まりや岩場の隙間を探す。
亜蘭くんがカニみたいだな。
かわいい。
「……」
いや、亜蘭くんはかわいいだろ。かわいいものをかわいいって言うのはセーフだろ。
かわいい後ろ姿をしばらく見ていたものの、不安定な岩場で必死になる様子に見ていられなくなって、つい手助けをする。
「はい」
俺が、カニを捕まえて渡そうとすると、亜蘭くんは、
「どうやって持つんですか?」と聞いた。
「ここをこう」
亜蘭くんの手を持ち、指導する。
「うわ、意外と柔らかい! こわっ……」
「あはは」
亜蘭くんがキラキラの上目遣いで、
「お兄さん、マジで神ですね」と言った。
「……」
亜蘭くんの手を持つ、自分の手が熱くなっていくのが分かる。
いや、これはアレだから。褒められてカーッとなってるだけだから。
今日は暑いなー……。
「そ、そういえば、最近文都とはどうなの? 上手くいってる?」
カニを逃し、弟の話題を振る。
冷静になれ、俺。今日はおかしいぞ。
「あー……」
何故か亜蘭くんの表情が曇った。
文都との事を聞いただけなのに、痛い所をつかれたような顔をしている。
「あれからずっと吸えてないし、舐めたりはしたけど……。あと最近あいつ、気になる人がいるみたいで……」
はぁ!? マジかあいつ! 亜蘭くんの事、捌け口に使ってる上に、浮気!?
と、とんでもない弟を持ってしまった……。
「だ、誰かは分かるの? その気になる人って」
「はい。お兄さんも知ってる人です」
はぁー!? だ、誰だよ!? 俺が知ってて、亜蘭くんも知ってる人って、そんなにいないぞ!?
はっ。
勘のいい俺に、またもや天啓が降りてしまう。
動物園の帰り、亜蘭くんと一緒に来た、全身真っ黒な文都の友人!
ぐったりした文都を大事そうに支えてた!
何があったのか聞いたら、その友人が、
「(先輩が吸血鬼か試したくてわざと暑い中、歩き回らせて、その結果、血を吸われた甲斐くんが倒れたから)俺のせいかも」って……。
あれって、そういう意味?
あの時には既に? ていうか浮気相手も男?
でも、あの後うちに来た時、仲良さそうだったよな……文都と亜蘭くん。
文都の部屋のドア開けたら、亜蘭くんを文都が押し倒してて……。
俺の空想上の文都が、亜蘭くんを押し倒し、
「俺が誰と何しようが、俺の勝手だろ? お前は黙って俺の言うこと聞いてればいいんだよ」と脅した。
うわーっ!?
思わず頭を抱える。
そういえば文都、スケジュールアプリで亜蘭くんのこと管理(?)してたじゃん! やっば! なんて奴なんだ。
「お兄さん?」
「亜蘭くん……。あんまり辛かったら我慢しなくていいんだよ? 俺は、亜蘭くんに自分を大切にしてもらいたいよ……」
亜蘭くんの視線が、俺の背後に移る。
視線の先にある、ホテルの部屋のバルコニーから文都が大きく手を振っていた。
それを見て、亜蘭くんも大きく手を振り返す。
亜蘭くん……。酷い扱いされても、文都の事が好きなんだな。
こんなにかわいいのに、なんて健気なんだ。
俺は、亜蘭くんの為に、ちょっとだけ泣いた。




