99.群がる爪牙⑦
シンリュウは、だらんと脱力した右手で刀の柄を持ち、柔らかな表情のままバーンクロウへと静かに歩み寄った。少なくとも、バーンクロウにはそう見えた。しかし次の瞬間、まるで時が歪んだかのように、シンリュウが刀を一振りすればバーンクロウを両断できる間合いにまで入られていた。それに気がつくと同時に、バーンクロウは両手から前方へ激しく火炎を放射し、背後に飛び退いた。紫色の一閃。炎が上下に分かれ、その間から先程と全く変わらない表情のシンリュウが現れる。
バーンクロウは両翼を広げ、そして両足で大地を強く踏みしめた。全身が燃え上がると、バーンクロウは大口を開き、まるで太陽を吐き出したかのように灼熱の巨大な火球をシンリュウへと放つ。
「あらま、凄いねえ」
シンリュウが柄に左手も添え、両の手で水平に刀を薙ぎ払う。波動の斬撃が飛び火球を斬り裂くが、火球は形を崩すことなくシンリュウへと迫る。一方で火球を斬りぬけた波動の斬撃も、そのままの勢いでバーンクロウへと向かう。シンリュウの刀が紫色のゆらゆらとした煙のような光に包まれ、その刀をシンリュウは振りかぶると真向から振り下ろした。真っ二つになった火球がシンリュウの両脇に伸びる木々を焼き尽くす。バーンクロウも迫りくる波動の斬撃に対し、自らの右手を溶岩のように変形させ、燃え滾る剣にすると斬撃をものともせず受け止めた。
シンリュウは細く息を吐き続けながら、一足飛びにバーンクロウの懐まで間合いを詰める。バーンクロウは燃え滾る剣で、自身の首をまさに刎ねるところであった刀を受け止める。波動と炎のぶつかり合いで、森の木々が震えた。ぎりぎりとした鍔迫り合いになった後、バーンクロウが左腕を大砲のように変形させ、至近距離から炎弾を放ちシンリュウを消し飛ばそうとする。
その時。
シンリュウの目の色が変わった。心底、この戦いを楽しんでいるような、狂気をはらんだ笑みを浮かべる。それと呼応するように、煙のようにゆらめいていた刀の周りの波動が渦巻き、刀身が深紫に輝く。周囲が暗くなったと感じる程の輝きだ。ほんの一足、シンリュウが間合いを後ろへ外す。途端、バキッと激しい音がして、バーンクロウの作り出した燃え滾る剣が折れ、そのまま刀身がバーンクロウの首筋に触れた。
その時。
バーンクロウの目の色が変わった。驚きと、それでいてどこか嬉しそうな表情でもあった。シンリュウの刀がバーンクロウの首を刎ねた瞬間、バーンクロウの全身が炎そのものとなり、天へと舞い上がると、上空で再び翼を広げた魔人の姿へと戻った。両手を掲げると、地上を覆い尽くすような、これまでで最も巨大な火球を生み出す。
「シュシュリーが人間に倒されたと聞いた時は、信じ難かった。しかし・・・案外、人間のなかにも強き者がいるのだと分かったぞ。我を楽しませた褒美だ、あのメイン・ストーリーはお前たちに譲ろう。創造主も、あるいはそれをお望みかもしれない。まあ、このまま消し飛ばなかったら、の話ではあるがな」
そう呟くと、バーンクロウは火球を落下させた。大地に衝突すれば、この辺りの一帯が消滅するかもしれない。
シンリュウは刀を鞘におさめた。すると、シンリュウの全身を、深紫の光が包んだ。シンリュウはなおも狂気的な笑みは浮かべ続けている。視界におさまらないくらいの、そして目を覆ってしまいそうな眩しさの火球が降ってくるのをみつめ、そして目にも留まらぬ速さで跳躍すると木々の枝から枝へ跳びあがり、樹冠を飛び出して、音もなく抜刀した。
キシキシと音を立てながら迫る巨大蟻の群れ。
「風舞い 竜巻」
サクラが風を纏った二刀の脇差を手に、華麗な回転をする。天に伸びる柱のように風が渦巻いた。
「奔流魚々!」
シズクが薙刀を振るうと、魚の群れのようにいくつもの水流がうねり放たれる。
ルナが去ってからも、しばらくは「行燈手鞠」の効果は続いていて、梟の者たちはライムたちよりも、身近にいる蟻たちを追い立てるため発砲することに決めたようだ。
「魔物とはいえ、あんな感じで無理やり人間を襲うように仕向けるのは、なんだか嫌っすね」
ネガが呟く。ライムも大きく頷いた。
「あれが梟の栞だとしたら、目的はやっぱりメイン・ストーリーなのかな」
レモンがかつて所属していた、かもしれない場所。父、シトラスは妹のレモンを連れて梟の栞を抜け出した。何か思うところがあったのだろうと、今の状況を見て改めて感じる。
「おい、ネガ。あと数発、あの蟻・・・いや、梟の面の奴らに攻撃をぶち込める程度に回復してもらえないか?」
トラヒコの言葉に、ライムもネガを真っすぐに見つめる。
「そのつもりで残ったっすけど、おいらの役目はそれだけじゃないっす。2人の状態をみて、あとどれくらい無茶が効くのかを判断するっす」
ネガが、ライムとトラヒコの腹に手をあてる。
「トラヒコは、あと1発・・・本当はもう安静にしてなきゃダメっすけど、『疾風』を1発くらいなら許可出来るっす。ライムはその腕、きっと新しい技か何かを試したんだと思うっすけど、今の状態でその技はダメっす。波動を飛ばすくらいなら、あと5,6発は放っても大丈夫っす。もちろん、『勁弾』はダメっすからね!」
ネガの言葉に、トラヒコは渋々頷き、ライムは「ありがとう、ネガ」と笑顔で頷いた。
ポンっと気の抜けるような音がして、「行燈手鞠」の効果が切れた。ルナの鞠が地面に弾み、ネガの足元へと転がってくる。それを拾い上げて、「じゃあ、許可した範囲で無茶してくるっすよ」とネガが2人に素早く回復魔法をかけた。
梟の者たちは、視界が戻ってすぐにジャンベの姿を探しているようだった。少なくともライムにはそう見えた。ジャンベの姿が既にないことで慌てているようでもあった。そして、すぐに撤退の準備を始めた。モッチが言っていたように、あの本がこの場所にないことが分かれば、勝ち目のない戦闘を避けて一刻も早く退散したい、というのが透けて見える。
「逃がさねえぞ!」
トラヒコが鞘から抜刀し、風の斬撃が一文字に飛ぶ。前方の大木を斬り倒し、梟の者たちの進路を塞ぐ。
「聞きたいことが、山ほどあるんです」
ライムが腰を落とすと、ちょうど6発、正拳突きを放つ。波動の拳が梟の者たちへ命中し、弾き飛ばす。
その時。
上空が突然焼けるように熱くなり、ライムが見上げると本当に空が焼けていた。バーンクロウの攻撃だろうか。そして全体像すら捉えられない規模の攻撃は、じわじわと落下してきている。ライムたちが絶句している間に、今度は深紫色の光が上空の炎を受け止めるように広がった。そして広がった光が瞬くと、斜め格子状に上空の炎が切り刻まれ、細切れになった炎が雨のように森へ降り注ぐ。迎え撃つように、ココノハが放ったのであろう大量の波動の矢が飛ぶのが見えた。
「金魚鉢!」
ライムやトラヒコ、ネガが水に包まれた。うっすらと目を開けると、すぐそばにももう1つ、円形の水の塊があるのが見えた。炎の雨を、水の膜が防いでくれている。これがなければ、ひとたまりもなかった。ふと、ライムのすぐそばに落ちた火の粉が、意思を持ったかのように不思議な動きをし、先程まで魔具製銃で巨大蟻を追い立てていた梟の者たちを焼き尽くした。同時に、宙が燃えて1冊の冒険譚が現れると、炎の雨から逃げ惑っていた蟻たちがその冒険譚へと逃げ込んでゆく。
炎の雨が止むと、水の塊は形を崩し、ライムたちはびしょ濡れの状態で放り出された。向こうで、サクラとシズクも同様に濡れた姿で息を整えている。燃えて現れた冒険譚は、全ての蟻たちが逃げ込むと、再び宙で燃え上がりどこかへと消えてしまった。
周囲の草木も燃えてしまい、最も激しい衝撃を受けて窪地となった場所に立つシンリュウ。去り際にバーンクロウが残した言葉を考えている。
あの時、シンリュウは上空へと跳びあがり、迎撃しながらバーンクロウへと尋ねた。
「てめえらは、どんなエピローグを迎えようとしてんだよ?」
かつての言葉遣いに戻ってしまっていた。しかし、過去に引き戻されるには十分な刺激があった。
「我らではない。お前たち人間が、選ぶものだ。そして選ぶのは、創造主の信奉者たちでも、お前たちでもないかもしれない」
窪地に風が吹き抜けた。
シンリュウはもう、穏やかな顔だった。空をみつめる。そして、はあっと大きく息を吐き出した。
「あいつと会わずに済んで、良かったねえ」
頭をぽりぽりと掻き、シンリュウは歩き出した。
ライムたちは、モッチの瞬間移動で避難していた一同と合流した。ココノハの矢と、リキの砂で作った巨大な手で炎の雨を防ぎ切ったようだ。
アオイが薬を調合し、ミツカがその助手をする。2人の連携は、専門領域の重なるところもあってか、初めてとは思えない程スムーズであった。そこに、ネガも加わろうとして、ふらふらと座り込む。
「ネガさん、あなたもお疲れなんですよ~」
アオイに薬湯を差し出され、ミツカには特製ジュースを差し出され、両手に持つとどちらから口をつけていいのか分からなくなったようであった。手が塞がり、鞠が地面にぽんっと跳ね、それをルナが受け止めると、ぼうっとしているネガをしげしげと眺める。
ココノハと、ブジンカの四戦姫に見送られ、森を出る。そこには、車が2台停まっていて、一同を待っていたようだった。
「転送魔法装置まで送ってくれる」
通信魔具を手にそう言うと、モッチが車に乗り込んだ。リキとミツカも続く。ライム、トラヒコ、ネガ、そしてやっと目を覚まして大欠伸をしているユウヒと、未だ目を覚まさずライムとトラヒコに抱えられたジャンベはもう1台に乗り込む。
「そっちは、窮屈じゃないか?」
リキが窓を開けて申し訳なさそうに言うが、リキ1人で2人分と考えれば大した差はない。
車が走り出す。荒れた道を下り、転送魔法装置へ向かう途中、タイヤが瓦礫か何かを踏んで車体が揺れた。その揺れで、ジャンベが目を覚ます。目を見開き、ライムたちの顔を1人1人見つめる。
「おはよう、ジャンベ。うちもついさっき起きたとこ」
ユウヒが小さく欠伸をして手を振る。
「ジャンベ、大丈夫?」
ライムが、ジャンベと視線を合わせる。ジャンベも視線をライムに戻し、手にした冒険譚を撫でると、口を開いた。
「ボク、この本を読めると思います。そして、あの『7』の本、あれはもう、誰かが既に読んでいるんじゃないかと思います」
ライオンタウン。人通りも少なくなった、夜更けの通り。
竜の筆へ向かって歩くシンリュウ。しかし。
「ああ、そうだよねえ。分かってる、君たちに大事な話をしなきゃいけないってことは」
足を止めて振り返るシンリュウ。
「はい、シンさん。よろしくお願いします」
ライム、トラヒコ、ユウヒ、ネガ、ジャンベが、まっすぐな目でシンリュウを見つめていた。




