俺は絶対に再婚してみせる・前編
「テオフィル・ジェット……今回の赴任先は王都だ。おめでとう。やっと戻れるな」
王宮に三年ぶりに呼び戻されたテオフィルは軍部大臣ダブリエ侯爵に直々に赴任先を言われ、その意味を正しく受け取った。
「ありがとうございます。お心に沿うように誠意を持って努めます」
テオフィルの硬い表情に大臣は僅かに頬を緩める。
「もう、義父と呼ばないで良い。娘の我儘を聞いてくれてありがとう。これからは職場の気安い上司だと思っておくれ。君の十年を奪ってしまって悪かった。王都に戻ったらきっと出会いも多いだろう。今後気になるご令嬢がいたら言ってくれ。私が手を貸せる時は使って欲しい。君はまだ若いのだから新たに家庭を持ってくれたまえ」
頭を下げながらテオフィルは少しだけ微笑んだ。
「いえ……我が家に過分な支援を頂いていたのです。両親も生活がガラリと変わっていました。そうですね、これからは自分にゆとりを持って相手を探したいと思います」
「ああ、そうしなさい。君は兄君と両親とリリーの全てを背負ってきた。もう十分だよ」
その言葉への返事をする気持ちはなかった。自分の人生が振り回されたと思う気持ちがあるから、素直に良かったとも言えなかった。
ただ、知らない間に作られた大きな借金が完済したような気持ちであった。
(ここに来ることがないようにしなきゃな)そう独り言を心で呟き大臣の部屋を後にする。
(俺の人生がここから好転するなんて思えんが……まあ、北の戦地よりマシだな)
久しぶりに整えた髪を撫で付けてテオフィルは配属先の青馬隊の寄宿舎に足を向けた。
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十年前、テオフィル・ジェットは伯爵家の次男として日々を順風満帆に過ごしていた。
家は伯爵家としては下位ランク。領地はほどほど、税収も飛び抜けて多くはない。
上を見ればキリはないが、騎士隊に所属し、気の合う仲間と見合う給料とそれなりに悪くない日々。家を継がない次男坊としてテオフィルは実家から騎士団に通っていた。
兄キーファー・ジェットは少しでも財政が良くなるようにと経営に乗り出し、ダブリエ侯爵の傘下の商会と取引を始めたようだった。継ぐ者ではないテオフィルは、その当時実家の状況にそれほど興味はなく(キーファーは頑張ってくれているな)程度の認識であった。
暫くするとジェット伯爵家に明るい話題が上がる。
兄キーファーの婚約が決まったのだ。相手の女性は大人しく従順で、一度顔合わせで会った印象は『素直で愛らしい』という褒め言葉がピッタリの女性であった。
子鹿のように儚く可愛らしい彼女は名家ダブリエ侯爵家の三女だった。
王の信頼も厚く、侯爵家でありながら軍事の要である家。
一つ残念なことと言えば婚約者リリーの体は丈夫ではないと聞く。なので子供は望めないかもしれないと言われていたが、兄は『我が家には弟がいるのでどうかプレッシャーに思わず嫁いで欲しい』とプロポーズしたそうだ。
リリーは穏やかで苦労知らずといった印象であったが、キーファーとは商会で知り合い愛を育んだそうだ。
しばらくしてテオフィルの配属先は戦地に赴くことのない貴族が大勢配属される白龍隊になった。ダブリエ家の力かもしれないと誰もが思ったが口にはしなかった。
兄の婚約でジェット伯爵家は羨まれるような良い流れに乗り始める。
ダブリエ侯爵家の力でジェット伯爵は重鎮が揃う貴族議会の末席に滑り込み、それに伴って夜会や茶会の回数も増えていく。
しかし父には野心がなく、恩恵を利用するというより、ダブリエ侯爵の意図するところは三女の嫁入り先の格上げをしているだけだと謙虚さは無くさなかった。
だから立ち位置をテオフィルたちにもよく話していた。『目立ちすぎてはいけない。実力以上の家格は攻撃の対象になってしまうからな』
しかし母は状況を楽しんでおり、品の良い貴族議会の夫人たちとお茶会で嬉々として交流を深めていると聞いた。
テオフィルはダブリエ侯爵の配慮が含まれた勤務先にも感謝をしていたし、このままどこかのタイミングでいいご令嬢でも紹介され結婚する可能性もあるな、と思っていた。
結婚式が半年後だから兄夫婦への祝い金を準備しておけと父に言われていたある日。
ダブリエ侯爵家に家族全員が呼ばれた。「火急の用のため」という簡潔な手紙の字は乱れており晩餐にはどう考えても遅い時間だった。
帰宅したばかりのテオフィルは騎士服から着替える間もなく、少し慌てている両親と家紋入りの迎えの馬車に詰め込まれる。
四頭立ての立派な馬車が鉄柵のそばを通り、レンガで覆われた門壁を過ぎれば大きな庭が見えてくる。普段夜会でしか行かない広大な屋敷は義姉になる実家なのだと思うと(兄さんは上手くやったなぁ)と少しばかり羨ましくも思った。
執事が恭しく迎えてくれた時、手土産を持ってきていないことに気がつくが母は緊張で気がついていないようだった。
両親が押し黙ったままでどこか顔色が悪いようだと気がついたが、何が起こったのかを聞くのは憚られた。
おそらく両親とも何も分からないようだったし、文を持ってきた使用人の様子に困惑しているようだった。
『家族で』と言われていたが応接室に向かう中に兄の姿はない。
テオフィルと両親は『なんだか様子がおかしい』と幾度も視線を彷徨わせた。しかし両親とも答えを持ってはいないようだった。
ダブリエ侯爵家では席に着くと酒を注いでくれ、母には紅茶や菓子を出してくれた。
その様子に(敵意を持たれてはいないようだ)と少しばかりホッとする。
両親はそれらに口をつけるのは躊躇っていたようだがテオフィルは唇を湿らせる程度にグラスを口に運んだ。
侯爵は額に汗を滲ませたまま部屋に入って来た。
「単刀直入に言う。実はキーファーは今治療を受けている」
「「え?」」
家族の声は揃っていただろう。
キーファーに何があったのか…………
ダブリエ侯爵は鎮痛な面持ちで話し始めた。
「キーファーはリリーと婚約する前に付き合っていた女性がいたらしい。その女性が今日宝飾店で待ち伏せしていてね。彼女に襲われたんだ。いや、女性のことは調査済みで私も知っていたんだよ。だが清算できていると思っていたんだ」
テオフィルから見てもキーファーはスマートで明るく、モテる要素の多い男だった。自分が大柄で無骨な体型なのに対して、少し細身で喋り方も柔らかい。女性には持て囃されていたのはなんとなく分かっていた。
リリーが現れるまで結婚を約束している女性がいるとは聞いていなかったから、元の恋人とどれくらいの深さの関係だったのかは疑問だが、これは本人たちにしか把握できない。
「兄が前の恋人と浮気したのですか?」
テオフィルが焦って聞くと侯爵は首を振った。
「いや、浮気はしていないはずだ。リリーとの交際が決まったことで相手の女性と別れ話をしたようだよ。ただ、彼女は諦めていなかったみたいでね。キーファーのことを追い回していたらしい」
元恋人がキーファーに付き纏い、リリーにも嫌がらせをすることが幾度かあったらしい。相手はリリーも知っている子爵家の令嬢であった。
嫌がらせは何度かあったので抗議文を送ったこともあるそうだ。ダブリエ家としてはリリーの希望もありことを大きくしないことを選択した。元々全く知らない人間でもない。ことを荒立てると子爵令嬢が傷つくだろうとリリーが配慮した。
長女、次女がハキハキとした高位貴族らしい性格であったのとは逆で、三女はのんびり育ち。
体を労られ少し過保護に育った分、人に優しくできる子だと侯爵は言う。
「だが、その令嬢は気持ちが暴走してね。今日リリーに向けて刃物を突き立てようとしたんだ。そしてその場に居合わせたキーファーが庇って刺された」
「なんてこと!」ジェット夫人がソファで気を失いかけたのを慌てて伯爵が支える。
「キーファーはその場で倒れ、それを見てリリーが逆上しその子爵令嬢を階段から突き落とした」
テオフィルは驚きで目を見開いた。
細く子鹿のような女性だった。
そんな女性が刃物を持った女をよくぞ突き落としたものだ。攻撃された時反撃できるのは、その知識がある訓練された人間。そして状況に逆上してとんでもなく感情を爆発させた人間。
「子爵令嬢は亡くなったよ……受け身を取る間も無く階段から真っ逆様に落ちたと聞いた」
ジェット伯爵は言葉にならず震える手でグラスの酒をグッと喉に流し込んだ。
「キーファーは?キーファーは無事なのでしょうか?」
ダブリエ侯爵は大きく息を吐き出した。
「傷は深い。今リリーが彼に寄り添っているが……」そう言って首を振った。
ジェット家の三人は話が終わると大きな寝室に通された。
素晴らしい調度品に囲まれ、天蓋のついたベッドが中央に置かれている。
そこにはリリー・ダブリエ侯爵令嬢が緩めのワンピースに身を包みキーファーの手を握って跪いていた。もう数時間このままなのだという。
テオフィルが背後から覗き込むとキーファーの顔色にはほとんど生気がない。
(不味い……かなりの傷なんだ)騎士だからこそ、切られたり、刺された傷の患者を何人も見てきた。
キーファーはかなりの深傷だと一目で分かった。侯爵家の医者たちだから最高の手当は施しているだろうが、一撃で重要な臓器に刃先が届いてしまったのだ。
リリーは涙を流し『キーファー様、キーファー様目を覚まして』と祈るように縋っている。
テオフィルは複雑な気持ちでその夜、家族とその部屋で過ごした。
結局兄キーファーは明け方近くに息を引き取りそのまま帰らぬ人となった。
母は泣き崩れ、リリーはそのまま気を失った。
侯爵はテオフィルたちに休める部屋を案内し、子爵家とのやりとりは自分が全てやると言っていた。
これは立派な事件だ。しかし警邏隊もいなければ騎士の人間もいない。
侯爵はこのまま事件を貴族らしく終わらせるのだろうなと考えた。
『リリー嬢は自己防衛のためであるから殺人罪は問われないだろう』と父はポツリと話した。
テオフィルも同じことを考えていたが、キーファーが死んだことをまだ受け止められずにいた。
兄がどんな女性たちと関係を持っていたのかはわからない。兄弟であってもそう言ったことは話さないものだ。
結果を見れば彼は刺されて死んでしまったのだから、よくない別れ方だった可能性はある。一線を超えて犯罪者となった子爵令嬢も階段から落ちて亡くなった。
裁かれるべき人がすでにこの世からいないとなって仕舞えば、後に残された自分たちのことをどうにかするしかない。
貴族家としてはそれほど力がある方ではないジェット家はダブリエ侯爵に任せるしかなかった。
キーファーは暴漢に襲われたリリー・ダブリエを助けた英雄として亡くなり、子爵令嬢はその暴漢が暴れた際に階段から転落した。そう新聞に載った。
子爵家はお咎めはなかったが口を噤むことを条件に出されたのではないかと推測するが子爵家は領地に引き篭もって事件に幕を引いた。姿の見えない暴漢は捜索隊が探している……と小さく纏められた。テオフィルは誰もが傷つかないようにダブリエ侯爵が考えた筋書きなのだと理解した。
母は、亡くなった息子を思いストレスから暫く声が出なくなった。
二ヶ月がすぎた頃テオフィルに縁談の話が上がった。リリー・ダブリエ侯爵令嬢である。
「もし、君が良ければなんだがリリーと結婚しないか?実はキーファー・ジェットと鉱山に投資していてね。その事業がこのままでは頓挫してしまいそうなんだよ」
兄の始めた事業は鉱山の発掘とそこから取れる材料を使った軍需産業だったらしい。兄から持ちかけられたダブリエ侯爵家が乗り出し、商会とともに大きな事業として漕ぎ出した矢先だったそうだ。それを完遂させるための結婚。完全な政略結婚の打診であった。
どちらにしても兄とリリー嬢が婚約したからその事業は始まったのだ。
ジェットの後継としてテオフィルは悩み抜き、そしてその提案に乗った。
結論から言えば、結局リリーとはまともな結婚生活は送れなかった。
リリーは心が弱り体も弱った状態で嫁いできた。
事業は侯爵家が舵取りしたので金はどんどん入ってきたが、リリーは只管兄の気配をジェット伯爵家で追い求め続けた。兄の部屋で過ごし、兄が使っていたベッドで休み、兄の衣服を手入れしながら過ごしていた。どう見ても狂気の中にいるようにしか見えなかった。
会話も成立するし、夜会にも共に参加する仲睦まじさではあったがどこか一線を引かれたままテオフィルとリリーの生活は続いた。もちろん指一本触れられるような関係ではなかった。
やがて元々虚弱であったリリーの食が細り、風邪をこじらせた後ベッドから起き上がれなくなった。
「テオフィル様。どうか私たち親子を許してね。こんな状態だけどキーファーの居る神のもとに行ける喜びで私はどうにかなってしまいそう。私はね、あの女が神の国でキーファーのそばにいたらどうしようとずっと気になっていたのに、自分の命を断つことはできない意気地なしなの。せめてキーファーが育った家で、彼の生きていた環境に身を置いていたかったの」
テオフィルは『そんな気がしていた』とだけ伝える。自分も事業のため、家のためと考えていたが正直ここまで歩み寄れないとは思っていなかった。初夜さえ一緒に過ごせなかったリリーをテオフィルはとうの昔に同居している姉と位置付けていた。
それに貴族の令嬢としてリリーは決して劣った人間ではない。『心を病んでいる』と義父は言ったが、結婚は他の男性と結ぶことは可能であっただろう。
この家で、突如いなくなったキーファーの気配の中で過ごすことをリリーは選んだ。
深く執着のある愛。自分には体感したことがない愛だった。
そしてキーファーもリリーを愛していたのは間違いない。
危険が迫った時身を挺してリリーを庇ったとはそう言うことだ。
テオフィルは何も言えなかった。だがリリーのことを嫌いにもなれなかった。
結婚はしたが『義姉』という最初の設定、見えない何かが二人の関係だったように思う。
リリーはそれから一月後にひっそりと息を引き取った。
ダブリエ侯爵はテオフィルとリリーの結婚生活が二年ほどしかなかったのに沢山の恩恵をジェット伯爵家にもたらしてくれた。それは義理の息子になったテオフィルにと言うより『心を病んだ娘を背負わせてすまない』と言った意味で尽くしてくれているようだった。
死別後に休みを取っていた白龍隊に戻ったのだが、一年も経つとテオフィルは令嬢たちからの猛アタックを受けるようになった。
その時になって初めてテオフィルは自分がかなり恵まれた人生に切り替わっていることに気がつく。リリーとの寂しい結婚生活に気持ちをもってかれて状況を把握できていなかった。
資産を築いたジェット伯爵は昔のような、下位ランクの伯爵家ではないからだ。
『自分の人生を取り戻してみるか』気軽に考え、誘われた女性たちと食事に一緒に行くこと数回。
幾人かの女性と交流を持って見た時テオフィルは女性が苦手になっていたことに気がついた。
女性の自分に向ける必死な思いに自分は全く応えられていない。そう考えると気軽な付き合いが出来なくなる。
「誰かいい子はいたかい?」そう聞かれるたびに
(兄たちのような気持ちになれない俺はダメな人間だ)と思ってしまい、相手の女性と距離をとっていく。
すると相手は猛獣のように牙を剥きながら距離を詰めようとする。
ある夜会で一度ずつ食事に行った二人の女性が偶々居合わせた時があった。
どっちつかずでいた自分が悪かったのだが、彼女たちが言い争っている姿に、益々女性に後ろ向きになっていく。
そしてそんな自分にほとほと愛想が尽きてしまった。
すでに軍部の大臣に上がっていたダブリエ侯爵が提案した。
「気持ちの整理がつくまで暫く田舎に行ってゆっくりするかい?」と。
「不誠実だった俺を鍛えるためにも、厳しい勤務地に飛ばして来れませんか?そこで自分と向き合いたいんです」
ダブリエ侯爵は『痛ましい』と明らかに顔に出した。
違う形で王都を離れて、ゆっくりしたら良いとも言ってくれた。
だが、自分の女性に対しての失態を許せず、兄たちの愛の形に翻弄されていたテオフィルは誰かとすぐに結婚する気もせず、ダブリエ侯爵に委ねた。
勤務地を二〜三年で移動しなければならない役割を与えられ、田舎を転々とする。
田舎に行くと人との距離が否が応でも近い。
『騎士様!これ持って帰って食べておくれ』『ちょっと!!騎士様!赤ちゃん抱っこしておいてくださいな』そんな言葉が飛び出てくる。
貴族の自分であっても隊服を着ていれば皆同じ。
気安い人々に揉まれて、人の優しさや、家庭の原点の感覚を取り戻してきたと思った時に辞令があると言われた。
テオフィルの愛に対して凍っていた部分が少しずつ動き出し、そしてついに王都にもどって来たのだ。




