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ロクサーヌ再婚するってよ  作者: 三輪 有利佳  (旧 美輪 伊織)


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2/2

ワタシ再婚するんです!


 ロクサーヌ・シーゲンターラーは転生前、日本で育ち『春永梨恵』という名前であった。

 二十九歳で職場の上司と結婚し、一人息子を十七歳まで育てた記憶は残っている。息子に弁当を作り、夫を会社に送り出し、自分はパートで介護施設の事務を担当していた……と思う。


 年に一度、家族で九州や北海道に旅行に行ったり、月に何度か外食を楽しんだりする、ごくごく普通の家庭であったみたいだが、記憶はふわりと浮かんでくるだけで明確ではない。

 そしてどういう経緯で死んだのかは分からなかったが、気がついた時には漫画本の中に転生していた。


 しかもその舞台は『君主の初恋と溺愛』。梨恵はこの漫画の大ファンで、三十回以上は読み返した。

 物心がつき言葉を多く理解していく成長過程で、ヒロインやヒーローがいる同じ時代軸に転生したことを確認し、この物語を傍観できるチャンスが自分の人生だと浮かれまくる。

 

 身分を隠した留学中の俺様王子が初恋をし、数々の試練を乗り越えて侯爵令嬢と結ばれる愛の物語……

 

 王道ラブロマンスと学園で次々と起こる事件を勧善懲悪で解決に導いていくストーリーは幅広い年齢層にも受け入れられ、本屋にも新刊が出るたびに通う人は多かった。


 ロクサーヌは完全なモブで生まれた。

 シーゲンターラー貿易会社の社長の一人娘として生まれたため、金銭的には余裕があり、幼少期から上層教育も受けさせてもらえ、生まれた場所は幸運だったと言える。

 貴族の学園に通うことが目的のロクサーヌは当然のようにそのレベルまで学び、無事、貴族も通う学園(舞台)に入学。


 事件は現場で起きている!ではないが、この人生で現場を見ることなく死ぬなんてありえない!と精一杯学園生活を謳歌した。


 ヒロインの侯爵令嬢とはもちろん友人になり、爵位の壁を乗り越え、程よく近しい仲になっておいた。ヒロインが名前の認識はお互いできる!そう言ってくれるくらいには仲良くなった。


 誕生日のプレゼントは勿論のこと、ちょっとした気配りと目配りでヒロインは平民のロクサーヌであっても茶会に招待するレベルまで友人として扱ってくれた。

 当然ワガママ王子(ヒーロー)とも一言二言は交わしたことがある。(えっへん)


 ストーリーにはスパイスのようにハプニングが起こる。王立学園は数回の事件で騒がしい状況にはなったが、ロクサーヌはいつも冷静に対応できた。


 犯人がわかっていたし、事件の結末も知っていたからだ。学園もののストーリーのため、死人が出ることも怪我人が出ることもない安心安全な運び。これもこの漫画の人気ポイントであった。


 ロクサーヌはいつもほんの少し遠くで見守り、決して手を出さず、『君主の初恋と溺愛』を堪能して学生時代を終わらせた。


 脇役のクリス・ハイボルト男爵令息に一つだけ重要な役割があるとすれば、物語の終盤に自分の地位を明かしていないヒーローを領地で挙げる結婚式に招待することである。クリスの相手が平民だったのだがそれがロクサーヌであった。


(まあ、誰かとは結婚しないといけないしね)


 自分の人生を少し俯瞰で見ていたところはあったが、実際に会ってみるとクリスは好青年でロクサーヌはちゃんと彼に恋していた。

 スラリとした体躯に優しげな容姿に胸をときめかせたし、田舎ののんびりさを兼ね備えた性格も人生二周目の推し活に励む彼女にはピッタリの相性と言えた。


 男爵位というのも家格として悪くない。

 裕福な貿易商人の父親と男爵。釣り合いとしては花丸をもらえる結婚だ。ロクサーヌはこの結婚、この人生は上手くいく!と自信満々だった。



 しかしそこからは簡単ではなかった。結婚し、ハイボルト男爵領に移ってから苦労が始まる。


 まず、自分が思っていたほど、男爵家はお金がなかった。

 そうなのだ……結婚式の段取りの段階で気がつくべきであったのに、ロクサーヌは推し活の物語に夢中になりすぎてこの世界のお金の価値などをあまり考えていなかった。


 花嫁の持参金は当然ながら潤沢に父が用意してくれたので、結婚当初は非常に厚遇してくれた。


 しかし一定期間が過ぎると急に親戚一同が『非常識な嫁』とロクサーヌの陰口を叩くようになった。


 なんと平民のシーゲンターラーの家の方が裕福であったのだ。


 実家ではメイドが複数おり、家事など全くしたことがないロクサーヌ。貴族の家なら当然のようにメイドや侍女がいると思い込んでいた。だがハイボルト男爵領は平民に毛が生えた程度。自分のことは自分でするような貴族だった。


 挙式後、クローゼットに並んだ服はメイドがいなければ着れないものばかり。着飾るものはたくさん持っているのに、生活の役に立つ便利な品は持参品に含まれていない。

 

 この生活レベルの差が姑の癇に障って、嫁いびりが始まった。



 現代日本と違い、核家族で生活なんて田舎の領地ではある訳がない。

 そこそこ広い屋敷に祖父母も一緒に生活し、ロクサーヌは使ったことのない掃除道具や、調理道具、竈に手を焼いた。日本人だった時の主婦のノウハウなんて役に立たない。あれは物語だから成立するのだ。

 食材だって好き勝手できない。

 クリスのことが好きだったこともあり、初めのうちは『努力しなきゃ!』と頑張りもした。


 しかし、貴族のプライドが高いハイボルトの姑はロクサーヌにはとにかく辛く当たった。


「母親がいないとこんな簡単なことも出来ないのね」

 これが彼女の口癖であった。


 大好きな父親や、亡くなった母親を貶されるのは人生二周目であっても耐え難いものがある。


 しかも姑たちはちゃっかり持参金で屋敷の修繕を大規模に行なっており、父ゴードンから美術品までせしめていた。なのにとんでも無くキツく当たられる。

 ゴードン・シーゲンターラーは『私は平民だからね。ロクサーヌが男爵様に気に入って頂けるように精一杯のことはするよ。気にするな』といつも言ってくれた。


 それがまたロクサーヌの心を申し訳なくさせる。

『できたお父様……とんでもない人と恋愛結婚してしまったわ。しかも家の利益にもならない相手だったとは……トホホ』


 ロクサーヌは初めての帰省の時父親に頭を下げた。


 しかしここからがまた苦しい戦いが始まった。

 クリスとの間に中々子供が授からない。


 前世の記憶を頼りにして『どうやったら妊娠できたっけ?』と必死に色々試したが全く気配がない。


 そのうち、クリスが『ロクサーヌの母親も一人しか産めていない。妊娠し辛い体質なんじゃないか?』と言い出した。味方であって欲しい夫からこんなふうに言われては立つ瀬がない。


 ロクサーヌは酷く気落ちした。


 姑はもちろん祖父母や領地の親戚一同が、顔を合わせる度に嫌味を言ってくるのもストレスで、ロクサーヌは王都にいた時のような明るさが徐々に失われていった。


 特に従妹のレイチェルはロクサーヌを目の敵にしていた。

 今思えば彼女はクリスを『兄様!』と呼んでいたがきっと恋愛感情込みで呼んでいたに違いない。


 どっしりとした安産型の体型のレイチェルにずんぐりとした熊のような夫。このコンビはロクサーヌの苦手な二人であった。


 年始の集まりでハイボルト家に泊まっている時も、二人で遠慮なく寝室にて夫婦の営みに励む。防音壁など無い屋敷だ。家中の者が夫婦生活を認識していただろう。

 

(恥ずかしくないのかしら?)

 ロクサーヌが思わず呟いたがその声に姑は目を吊り上げて反論した。


「レイチェルは命を繋ぐという貴族の使命をよく理解しているお嬢さんだわね」

 朝食の席で堂々と宣った姿はロクサーヌに呆れを通り越して、世界の違いを見せつけた。

(家族以外の人に夫婦の寝室事情がバレるなんておメンタルが鋼すぎる)


 ロクサーヌはこの領地の人々の認識と自分の認識の差にとことん苦しんだ。



 それからも王都の友人たちに相談して色々試したが妊娠の兆しは訪れなかった。

 

 王都に里帰りした時、悩んでいるロクサーヌを心配して叔母が有名な産婆を連れてきてくれた。

 この女性が『月のものには周期があって……』と説明をしてくれた時、一気に記憶が蘇る。


 そうだ!妊娠しやすい時期はこのタイミングだ!

 と女性に大切な周期があったことを思い出し、ロクサーヌはついにどうにか妊娠した。


 妊娠期間は幸せな時間であった。


 クリスに似た子供だったら栗色の髪の男の子が生まれるのかな?と想像したり、自分の色を持って生まれたら銀髪で目立つ子供になるだろうな……と想像したり。

 名前を考える時間も幸せで『男の子だったら王都で大司祭様にお名前をいただきましょうね』、などと笑い合いながら過ごしていた。


 自分の甘さを思い知ったのは出産直後であった。


 産婆の

『女の子でございます』という声のトーンがとても低かった。


 湯沸かしの手伝いの女性も、メイドたちも、笑顔を浮かべる人が一人としていない。

(お、女の子が生まれたから?)

 全身に汗をかき、鈍い痛みに耐えて呼吸もままならないロクサーヌは、ガバリとクリスの顔を見た。


「可愛い子供だな……そうか女か……また授かるまで頑張るか……」

 労いも、愛おしさも、どんな感情も乗っていない言葉であった。


 そして姑のメイナードからは怒りに満ちた空気が漏れ出ていた。

「女というだけでも出来が悪いのに、クリスの色が全くない。貴女まさか他の種を仕込んだなんてないでしょうね?」


 湯で汚れを落とした赤子の髪は見事な銀髪でフニャフニャと動く口元の色素はとても薄かった。


 ロクサーヌは思わず謝りそうになった。

『女の子ですみません』

 口を衝いて出そうな言葉をグッと堪えて赤子を抱きしめた。


(なんて悪意に満ちた言葉なんだろう。この姑の口から吐かれる毒に私の大切な者が汚されそう)

 そう考えると目頭が熱くなる。

 命は平等と教えてもらったのにこの世界は全く平等じゃ無いのはわかっていた。

 だけどこれはあまりに酷い。そして惨い。


 クリスの顔を見た瞬間、妊娠期間により育んできた愛が終わったのを感じた。

 いつも『素敵』と思っていた顔立ちが急にマザコンのアホ面に見えたからだ。命をかけて子供を産んだのに夫はロクサーヌに感謝も何もない。


(こんな時代錯誤の父親じゃこの子が可哀想すぎる)


 部屋で赤子に乳をやりながらロクサーヌは深く考えた。


 この考えはきっと日本人として過ごしてきた人生二周目の影響もある。だからこそ、自分と娘が幸せに生きる環境に身を置かなければきっと私たちは不幸になってしまう。


 ロクサーヌの頭に初めて『離婚』という文字が浮かび上がった。

 貴族の離婚は条件がいくつか揃うと認められる。


 できるだろうか?でもどうだろう?


 思いを巡らせてはいたが、赤ちゃんは待ってはくれない。

 体をゆっくりと休める間も無いままにひと月があっという間に経った。


 ロクサーヌの目の下の隈が一段と濃くなった朝食の席でその小さな諍いは起こった。


 ロクサーヌは乳母や世話係を雇ってもらえると思っていたのに、一ヶ月が経過してもハイボルト男爵家には使用人が増えることがなかった。

 乳母の給金に使いなさい、とお金は父から届いていることを知っていたのでロクサーヌはクリスにも苛立ちを感じていた。


 夫の言い分としては『母や従姉妹たちは自分で子育てをしたよ。ロクサーヌだけ特別というのは違うんじゃないかい?』と言う。そして夜泣きの酷いフレイラはロクサーヌに託されたままで、誰も手伝ってはくれなかった。


 慣れない育児に疲れが溜まり、睡眠不足と食欲不振で乳の出が悪くなっていたことも重なる。そんな風に限界が近づいているなと思った朝だった。


「一ヶ月後の赤子(フレイラ)のお披露目会をどれくらいの予算でするの?女の子だし身内だけで小さくやれば良いんじゃないかしら?」

 姑が当初の予定のお披露目会より三分の一の規模で内輪でしようと言い出した。


 フレイラが生まれたことを祝う集まりがどうして縮小されないといけないのか?とロクサーヌは表情を険しくした。


「そんな……貴族の家に生まれた待望の子供ですよ?健康を祝うためのお席でもありますから通常通りにしませんか?」と珍しく反論した。

「ロクサーヌは派手な祝いの席にしたいのか?」

 クリスが嫌な言い方をする。

 ロクサーヌは『そんなつもりはないの、フレイラのお披露目会は長寿と健康を祝う場なのだから通常通りやってよいのでは?』と考えを伝える。そのうち、苛立ちのこもったロクサーヌの声に反応してフレイラが泣き止まなくなってきた。きっと乳も足りていないのだろう。


 ロクサーヌは疲れた表情を取り繕うこともできず、よろよろと赤子をあやしながらクリスに反論し続けた。

 

 それを見た姑のメイナードは顔を思い切り顰めた。

 

「たった一人産んだだけでどうしてそんなにキツそうに振る舞うの?そんなに大変?たった一人の赤ん坊よ?いい加減にしないさいな。そこまで苦しいなら実家にお帰りなさい」

 ピシャリと言い切った顔は義理の娘の苦労を少しも汲み取ろうとしていない。

(ああ、この人たちにとって私とフレイラの存在価値はあまりにも軽い)


 ロクサーヌは朝食の席から逃げるように部屋に戻った。


『奥様!奥様!大丈夫ですか?』

 ロクサーヌの心配をして果物を運んでくれたのは十四歳の洗濯メイドの少女だけであった。姑はもちろん、夫のクリスさえ疲れ切った妻を励ましに来てはくれなかった。



 ロクサーヌは父親に手紙を送り、離縁の手続きを始めた。

 父親は何も言わなかった。

 貴族には思うところがあるんだといつも言っていたから、平民の父は貿易の仕事相手である彼らに煮湯を飲まされた経験があったのだろう。


 静かな決意を聞いても

『心配するな。帰っておいで』そう言って優しく迎え入れてくれた。


 クリスと姑たちは離縁を突きつけておきながら持参金の返却にはかなり難色を示した。(かなりの金額をすでに使っていたから当然かもしれない)


 しかし、『(フレイラ)をハイボルトの血縁者とは名乗らせない、縁を切ります』と約束したらあっさり返す方向へと向かった。


 姑の人生設計の中で、娘を産んだ瞬間にロクサーヌの名前は抹消されている。ハイボルト男爵領には健康で田舎暮らしを逞しく過ごせる若い女性の方が都合が良かったのだろう。


 ロクサーヌはクリスにも愛想が尽きて離縁を言い渡されたとき、泣きもせずに直ぐに承諾した。

「母が妾を入れるか、離縁だって言うんだ。後継は必要だし俺はその提案を受けようと思う。結婚して七年だからな。ロクサーヌはどうしたい?女しか産んでいないし肩身が狭いだろう?」

 妻を守る気がない男になんて未練はこれっぽっちも湧かなかった。


 一つ不思議だったのはクリスはなぜかずっと()()()()()()クリスを愛し抜いていると信じていた。だからロクサーヌに酷い言葉やキツイ態度も平気で行なっていたのだと思う。


(愛し愛される設定があるのは主人公たちだけなのになぜ?強制力が私たちに働くことなんてあるかしら?)

 ロクサーヌの考えからすると漫画では二人はモブキャラだ。


 ロクサーヌはヒロインの友人BやCより遠い関係で名前も出てこない立ち位置であった。

 クリスも同じく、ヒーローが情報収集をするために訪れる社交場でよく会う友人のEやF。


 カードゲームや酒、タバコを嗜むことができる大人の店にこっそり通う王子とクリス。

 その店でどうでもいい男同士の会話をしたり、時々起こる珍事件を目撃したりするだけのキャラ。それがクリスだ。


 漫画内での役割の重要度が低い上に結婚というイベントは終わった。ストーリーが完結してしまったのだから設定が変わらないなんてあるだろうか。ロクサーヌはそこだけは気になっていた。

『君主の初恋と溺愛』の物語は学園を卒業したと同時に終了した。そしてクリスに対して自分は赤の他人より嫌いになりかけている。


 しかしそのことに囚われすぎていてはいけない。ここからは自分の人生と娘の人生をちゃんと設計していかなければと気を引き締めたのだった。



 ロクサーヌはハイボルト男爵とすぐに離縁が成立し王都に戻ってきた。

 父の会社のシーゲンターラー貿易会社で通訳の仕事をしながら、子育てをする日々が始まった。

 父親は『ゆっくり屋敷で子育てしろ。親には甘えていいんだぞ』と言ってくれたがこれ以上負担をかける気持ちはなかった。


 学園時代の勉強が功を奏して、外国への書類を作成したり、他国の言葉を翻訳し手紙の代筆をすることが仕事の基本だ。一部は自宅に持ち帰ることができたので、子供を放りっぱなしにしなくて済むのは良かった。


 それもこれも日本で育った自分の意識がそうさせていたのかもしれない。

 一歳ちょうどで王都に来たフレイラは父親の顔を覚えていないだろう。片親で寂しい思いもするかもしれない。だからこそ、自分が自立しておかねばとロクサーヌは自分に厳しく過ごした。


 しかし生活時間はキツくても、嫌味を言ったり、理不尽に嫌われる生活ではないというのは精神的負担を軽くする。その上、フレイラも離乳食から徐々に固形物が食べれるようになったり、片言を話すようになれば、シーゲンターラーの屋敷の中は一気に明るい雰囲気が満ちていく。

 父親が探してきてくれたミナコという乳母の女性との相性も良かった。

 穏やかで笑い上戸な五十代の彼女はフレイラをとても可愛がってくれる。『天使様ですね』そう言いながら勤務外の時間でもフレイラの相手をしてくれた。

(そうよね。赤ちゃんが産まれるって本来みんながこんなふうに明るくて癒される時間であるべきよね)


 ロクサーヌはクリスの家族の薄情さに益々離婚は正解だったと納得した。


 ある日乳母のミナコがロクサーヌと買い物をしていた時、大通りで馬車の事故が発生した。

 けたたましい大音に慌てたミナコが、尻餅をついた瞬間ギックリ腰になり動けなくなった。

 ロクサーヌはフレイラから僅かに目を離し、助け起こそうとしたのだが、たった五秒の間にフレイラが見えなくなった。


『フレイラ!!フレイラ!!』

 ロクサーヌはミナコを店主に頼み娘を探しに走り出す。だが、馬車事故と相俟って人が増え、小さなフレイラが見当たらない。他の人々の大声も飛び交っているのでか細いロクサーヌの声が通らない。


(どうしよう!!どうしたらいいの!?)

 不安のあまり瞳が潤み慌ててしまう。父の会社まで距離もあり、人を呼んでくることも、その通りを離れることもできずロクサーヌは真っ青だ。


「大丈夫ですか?お嬢さん」

 背の高い肩幅の広い男性だった。

 パッと見たかぎり高そうなネクタイピンをしているので貧しい人間ではないだろう。


「娘が!娘がいなくなってしまって」ロクサーヌは慌てて自分の状況を話した。背が高いその男は『わかりました』と言うとスッといなくなり、その後七人の騎馬隊員を連れてきた。

「捜索は彼らが手伝います」そう言うと颯爽といなくなった。


 十分もしただろか?フレイラがリンゴを手に抱えたままその男性に抱えられて戻ってきた。

「かあしゃマ!」フレイラは泣きもせずニコニコとロクサーヌに手を振った。


 (ああ神様!良かったーー!!)

 ロクサーヌは何度もお礼を言い、フレイラを抱き抱える。


 男性は馬車の事故の始末もあったのだろう。駆け込んできた騎馬隊員が呼びにくると慌ただしくその場を立ち去った。


 それから間も無くしてロクサーヌはその時助けてくれたのが青馬隊のジェット伯爵だと知った。

 よくよく考えれば迷子一人に騎馬隊の男性たちも動かしてくれたのだからと、父親を介してお礼をすることにした。

 お礼の手紙と商会で取り扱い始めた『肉缶詰』を贈る。父親と自分で共同開発を進めている保存食を作る工場は一年目。駆け出しの事業ではあるが、自社製品をロクサーヌも提案していたので、味などについて感想までもらえたら嬉しいな〜と期待する。


 地位のある伯爵様が食すことはないかもしれないが、あの騎馬隊の青年たちで食べても良いし、他の隊員に分けてもらっても良いだろう。

 二度と会うこともない伯爵様だ。お礼の品と手紙も埋もれてごちゃごちゃになってしまうかもしれないが、青馬隊の詰め所に行って『お礼を済ませた』という事実が重要だ!


 使用人たちに数の指示を出し、準備をすると『調理方法も丁寧に伝えてね』と言付ける。

 

 ロクサーヌはお礼の品物の手配が終わった瞬間に『よかったよかった!』と自己完結していた。


 だからあの当時、フレイラの父親に(テオフィル)がなるなんて想像もしなかった。


 暫くすると運命の歯車が動き出したようにロクサーヌの周囲は慌ただしくなっていく。

 テオフィル・ジェット伯爵はロクサーヌが独身であると知ると猛攻撃(?)を始め、最初にフレイラを陥落。そして父親のゴードンを陥落。そしてロクサーヌを陥しにかかった。


 どうやら彼はロクサーヌに一目惚れをしたらしく、お礼の品物が届いた際に彼女の情報を根掘り葉掘り聞いたそうだ。

『まあ!口が軽い人たちね。一体誰が手紙と品物を届けたのかしら?』と聞けば、シーゲンターラーで一番おしゃべりな馬丁と乳母のミナコであった。二人は大量の缶詰の使用方法とそれを開発した優秀なお嬢様の自慢話を青馬隊で惜しみなく披露したらしい。


 思い返すと恥ずかしすぎて気が遠くなりそうだがジェット伯爵はそれを聞いて益々ロクサーヌとの再会を望むようになったそうだ。


 まあ、これもご縁であろう。


 しかし結婚の大きな切っ掛けは自分の出自であった。


 父親のゴードン・シーゲンターラーはなんとソレイン王国のルカノワ侯爵令嬢の母と駆け落ちしていたのだ。これには腰を抜かしそうなほど驚いた。

(穏やかで隙のない商売人の父がまさかの大恋愛とは……)ロクサーヌは驚きすぎて声も出なかった。しかもこの話は王家経由で聞かされたのだ。




 一年ほど前、ソレイン王国の十七歳になる王子が留学のために海を渡ってきた。


 護衛を引き連れた彼は港町に着くと、胸いっぱいに異国の潮風を吸い込み周囲を見渡した。

 自国とは違う屋根の色に、出店の数々。




 その瞬間、眉目秀麗な顔が歪み、目が飛び出んばかりに驚いた。


 ソレイン王国で別れを告げた五歳年上の従姉が、オープンカフェでお茶を飲んでいる。王子の異変に気づき、視線を動かせば、護衛たちも驚きすぎて顎が外れそうだったそうだ。


 二週間前に港町で『元気でね!頑張るのよ!』と涙ながらに手を振っていた従姉が、カフェのテラスで異国風のドレスに身を包み、幼児にジュースを飲ませている。

 それは驚くだろう。

 


 銀髪も翡翠の瞳も、ロクサーヌと王子の従姉は他人の空似にしてはあまりにそっくりで、彼とお付きの護衛たちはロクサーヌの身元を慌てて調べ上げた。


 するとソレイン王家にも所縁の深いルカノワ侯爵の長女が行方不明で未だに消息を探し続けていることに辿り着く。


 年老いたルカノワ侯爵たちは娘がすでに亡くなっていたことには落胆していたがロクサーヌとフレイラに会うと、その存在を心から喜んでくれた。そして、娘を連れ去ったゴードン・シーゲンターラーは、かろうじてお咎めなしとなる。愛情いっぱいで娘を育てたことをルカノワ侯爵たちから認められたからだ。


 しかし困ってしまうのはルカノワ侯爵たちがロクサーヌたちにソレイン王国への移住を強要してきたことだ。


 美しく、娘と瓜二つの孫と、これまたそっくりな曾孫。

 侯爵も侯爵夫人も二人と会った瞬間、思いが溢れ出してしまう。

 

 ロクサーヌが『平民として育ちましたから、今更ソレイン王国に戻ることも、王国の社交界に出ることも難しいです。ご親戚の皆様にお祖父様たちの資産を狙っていると思われるのも嫌ですし、良い関係でいましょう。移住は致しかねます』と丁寧に断っても彼らは圧倒的な資金力で押してこようとする。

 国レベルのお金持ちは、多少大きな貿易商人の資産とは比較にならない。

 

 もう慣れ親しんだ国から出て行かないとダメかもしれない……そう思った時にテオフィルがプロポーズをしてくれた。

 伯爵位で、王家の信用もある自分が盾になるからこの国に留まってくれ、そう言ってくれたのだ。


 ロクサーヌたちは考えに考え、そしてテオフィルの愛に応えることにした。

 もちろんルカノワ侯爵家の血縁者としての地位を祖父母からいただき、円満な結婚式である。


 自分は平民で離婚歴もあるし、ジェット伯爵家には相応しくありませんよと言ったが、テオフィルは大笑いした。


「ロクサーヌ、今じゃ君の方が血の素晴らしさは僕を遥かに凌ぐよ。この情報が公開されたら僕たちは社交界の中心となるだろう。でもね、そんなこと全てを抜きにして君は僕の女神だ。温かい家庭を築こう。僕は騎馬隊の副長だから戦場に赴く時もあるだろう。だからこそ、家庭での幸せを大切にしていきたいんだ」


「正直に言えば私には、身に余る資産があるので親族からの嫌がらせも覚悟していただかないといけないかもしれません」


「そうだね。でも僕ならその資産を狙う必要もないし、二人なら乗り越えていけると思わないかい?」


 ロクサーヌはクリスとの結婚とは違う大人になった考えのもと今度は結婚を決めた。

「彼との幸せな家庭を築くために私は努力を惜しまない……」


 そう父にも話した。



 テオフィルの亡くなった奥様と比較される時もあるだろう。

 平民出身で至らないことを笑われることもあるだろう。

 祖父母の資産や地位を狙って近づいてくる嫌な人たちもいるだろう。


(それでもフレイラとテオフィルとの幸せを私は諦めない)

 

 もう前世の知識なんて少しも役に立たないだろう。

 ロクサーヌの人生はまだ前半かもしれないのに、正直に言えば『君主の初恋と溺愛』のストーリーより数奇な運命と言える。


「人生には沢山の選択肢があるけれど、それを正解にしていくのは自分自身」


 幸せになるのには地位もお金も大切だ。けれどそれをどう扱うかや、どう感じて大切に出来るかも重要だと思う。


 男爵家の嫡男と結婚した時、ロクサーヌは『誰かとは結婚しないといけないしね』と傲慢な考えのもと嫁いだ。

 今ならわかる。もっともっと自分はちゃんとクリスたちに向き合うべきであった。


 転生先の幸運を当たり前に享受するだけでは幸せは得られない。


 行動の努力だけじゃない。その心根が姑のメイナードに見透かされていたから仲良くなれなかったのだ。

 子供を育てながら苦労したからわかる事もある。


 テオフィルと出会えた幸運も父親が優しく、お金の苦労をさせないように努力してくれていることにももっと感謝しなければ……今は心から思えていた。

 

 ロクサーヌはフレイラの笑顔を守るため今日も日々のことに感謝して生きていく。

 

 

 

 


 



 

 


 




 


 

 

テオフィル目線のストーリー…3話目の投稿は余裕がある時になります。すみません

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― 新着の感想 ―
騎馬隊(軍関係者)のところに、携帯に便利で保存性も高い“肉缶詰”を持っていけば、喜ばれるのは当然だね。糧食を現地調達しなくてすむんだぜ。
日本人からすると、男爵家は昭和時代の古風なお家のようなものなんだなと思いました(今でもど田舎はこんなもんらしいですが)。 ロクサーヌの前世も令和あたりの常識を身につけているのであれば、そりゃあわないよ…
ちゃんと転生主人公にも非があって、改心するのがいい
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