はじめてのミニスカート通学
お読みいただきありがとうございます。
第三話では、あいが“はじめてのミニスカート通学”に挑戦します。
ただスカート丈が少し短くなっただけなのに、いつもの朝が少し違って見える。
そんな戸惑いと、小さな勇気の物語です。
親友の美咲とのやり取りも交えながら、あいが少しずつ前を向こうとする姿を見守っていただければ嬉しいです。
◆ 鏡の前の一センチ
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。
あいは、いつもより少し早く目を覚ました。
目覚まし時計が鳴る前だった。
部屋はまだ静かで、家の中からも大きな物音は聞こえない。
いつもなら、もう少しだけ布団の中でまどろんでいたくなる時間だ。けれど今朝は、目が覚めた瞬間から胸の奥が落ち着かなかった。
昨日の夜のことが、頭から離れない。
妖魔のこと。
アムルのこと。
魔法戦士として、これから少しずつ学んでいくこと。
そして――。
「……膝上十五センチ」
布団の中で小さくつぶやいた途端、あいの頬に熱が集まった。
昨日、アムルは言っていた。
変身後の戦闘服に動揺しないためには、日常の中で短めのスカート丈に慣れておくことも訓練になる、と。
義務ではない。
無理にとは言わない。
でも、あいには必要な訓練だとも言われた。
昨日の夜、あの細い道での戦いを思い出す。
マジカル・ビジョンに警告が出ていたのに、体がすぐに動かなかった。怖かったから。杖の扱いに慣れていなかったから。そして、短い戦闘服が気になって、意識が散っていたから。
次も同じように動けなかったら。
そう考えると、胸の奥が少し冷える。
あいは布団を握りしめてから、ゆっくり起き上がった。
「……今日だけ。まずは、今日だけ」
自分に言い聞かせるように、小さく声に出す。
ベッドから降り、制服をかけてあるハンガーの前に立った。
私立さくら女子高等学校の夏服。
白い半袖ブラウス。薄手の紺色ブレザー。胸元につけるピンク色のリボンタイ。緑と紺のチェック柄のプリーツスカート。
いつもと同じ制服のはずなのに、今朝は少し違って見えた。
あいはまず、ブラウスに袖を通した。
ボタンをひとつずつ留め、リボンタイを整える。ブレザーは軽く羽織るだけにして、最後に問題のスカートを手に取った。
普段なら、何も考えずに穿いている。
標準丈に近い、落ち着いた長さ。制服はきちんと着るものだと、あいはずっと思っていた。
けれど今日は、そのままではいけない。
あいはスカートに足を通し、ウエストを整えた。
姿見鏡の前に立つ。
鏡の中には、いつものあいがいた。
黒髪のツインテール。眼鏡。白いブラウス。紺色のブレザー。ピンク色のリボンタイ。
けれど、スカートの丈だけが、これから変わる。
あいは机の引き出しから定規を取り出した。
透明な三十センチ定規。数学の図形問題で使うこともある、見慣れたものだった。
「……測る必要、あるのかな」
自分でそう言ってから、すぐに首を横に振る。
ある。
少なくとも、今のあいにはある。
感覚で「これくらい」と決められるほど、あいは器用ではなかった。
それに、目安は膝上十五センチ。十五センチと言われた以上、ちゃんと測らないと落ち着かない。
あいは鏡の前で、少しだけ息を整えた。
プリーツスカートで丈を短くするには、ウエスト部分を外側に折り曲げるのが一番わかりやすい。
美咲も、時々そんなふうに調整しているのを見たことがある。
あいはスカートのウエストを両手で持ち、外側へくるりと一回折った。
布が重なり、スカートの裾が少し上がる。
「……短くなった」
当然のことなのに、声が震えた。
鏡に映る自分の足元を見て、あいは思わず視線をそらしかける。
けれど、ここで目をそらしたら測れない。
定規を持ち、膝の上から裾までの長さを確認する。
「……十二センチ」
あいは小さく息を吐いた。
まだ足りない。
膝上十五センチには届かない。
もう一回。
あいはウエストをもう一度、外側へくるりと折った。
プリーツが少し整えにくくなって、あいは指先で丁寧に布の重なりを直す。
鏡の中のスカートは、さっきより明らかに短くなっていた。
胸がどきどきする。
もう一度、定規を当てる。
「……十四センチ」
あいは固まった。
十四センチ。
ほとんど十五センチ。
あと一センチ。
たった一センチだ。
定規で見れば、小さな幅でしかない。問題集の余白に線を引けば、すぐに終わってしまう距離。
それなのに。
あいには、その一センチがとても遠く感じられた。
「……もう、これでいいんじゃないかな」
思わず、弱い声が出る。
十四センチでも十分短い。
鏡の中の自分は、すでにいつものあいとは違って見える。学校へ行けば、きっと美咲にはすぐ気づかれる。先生にも、もしかしたら声をかけられるかもしれない。
これ以上短くする必要が、本当にあるのだろうか。
あいは定規を握ったまま、鏡の前で立ち尽くした。
昨日のアムルの声が、胸の奥によみがえる。
――目安としては、膝上十五センチくらい。
義務ではない。
でも、必要な訓練。
あいは鏡の中の自分を見る。
制服をきちんと着ていたい自分。
目立ちたくない自分。
恥ずかしくて、今すぐ元の丈に戻したい自分。
その一方で、夜道で動けなかった自分もいる。
マジカル・ビジョンの警告を見ても、反応が遅れた自分。
転んでしまって、怖くて、恥ずかしくて、それでも立ち上がった自分。
あの時、もう少し落ち着いて動けていたら。
そう思うと、十四センチで止まることが、少しだけ逃げのようにも感じられた。
「……一センチだけ」
あいは、震える声でつぶやいた。
一センチだけ。
たった一センチ。
でも、今日のあいにとっては、その一センチが大きな一歩だった。
もう一回、ウエストを折るか。
あいは指先をウエスト部分にかけた。
でも、すぐには動かせない。
もう一回折ったら、確実に十五センチになる。
でも、その分、鏡の中の自分はもっと見慣れない姿になる。
あいは深呼吸をした。
「……大丈夫。学校には、これくらいの子もいる」
美咲の姿を思い浮かべる。
短めのスカートでも、自然に歩いている美咲。
廊下でも階段でも、変に慌てず、いつも明るく笑っている美咲。
同じようにできるとは思えない。
でも、今日の目標は、美咲のようになることではない。
慌てず歩くこと。
背筋を伸ばすこと。
変身後に動揺しないための、最初の練習をすること。
あいは、ぎゅっと目を閉じた。
そして、スカートのウエストを外側に、もう一度だけくるりと折り曲げた。
布が重なる感触が、やけにはっきりと指先に残った。
あいはゆっくり目を開ける。
鏡の中の自分を見た瞬間、頬が一気に熱くなった。
「……短い」
声が、ほとんど息になった。
けれど、逃げずに定規を当てる。
膝の上から、スカートの裾まで。
透明な定規の目盛りを、あいは慎重に追った。
十三。
十四。
十五。
そこで、ぴたりと止まる。
「……十五センチ」
あいは小さく言った。
膝上十五センチ。
アムルが示した目安。
昨日の夜、自分で「がんばる方向で」と言った、その最初の形。
達成してしまった。
そう思った瞬間、胸の奥がふわりと揺れた。
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
今すぐ元に戻したい気持ちも、まだある。
学校へ行くことを考えると、胃のあたりがきゅっと縮む。
でも、鏡の中のあいは、たしかにそこに立っていた。
いつもの制服。
いつもより短いスカート。
緊張で少し赤くなった顔。
それでも、逃げずに一センチを越えた自分。
あいは定規を胸元に抱えるように持ち、小さく息を吐いた。
「……できた」
誰に聞かせるでもなく、あいはつぶやいた。
まだ、部屋の中だけだ。
玄関にも出ていない。エレベーターにも乗っていない。学校どころか、瑞穂台駅へ向かう歩道橋にもまだ着いていない。
それでも。
鏡の前の一センチを、あいは越えた。
膝上十五センチ。
その数字は、今朝のあいにとって、初めての小さな勝利だった。
◆ お母さんのひと言
膝上十五センチ。
定規の目盛りを何度見ても、その数字は変わらなかった。
あいは姿見鏡の前で、しばらく動けずにいた。
緑と紺のチェック柄のプリーツスカートは、いつもよりずっと短い位置で揺れている。
達成した。
そう思う一方で、今すぐ元に戻したい気持ちも、まだ胸の中に残っていた。
「……本当に、これで行くの?」
鏡の中の自分に向かって、小さく尋ねる。
返事はない。
けれど、鏡の中のあいは、確かに膝上十五センチのスカート丈で立っていた。白い半袖ブラウス。薄手の紺色ブレザー。ピンク色のリボンタイ。そこまではいつも通りなのに、スカートの長さだけで、まるで自分ではないみたいに見える。
あいは、そっとスカートの裾に手を添えた。
短い。
昨日の戦闘服ほどではない。
けれど、制服としては、あいにとって十分すぎるほど短かった。
その時だった。
こんこん、と部屋のドアが軽く叩かれた。
「あいちゃん? まだ準備終わらないの?」
「っ……!」
母の声だった。
あいの心臓が、跳ねた。
今はだめ。
まだ心の準備ができていない。
「あ、あの、お母さん、ちょっと待っ――」
「ごめんね、入っちゃうわよ〜」
言い終わるより早く、ドアが開いた。
あいは反射的にスカートの裾を両手で押さえた。
けれど、もう遅い。
部屋に入ってきた郁子は、あいの姿を見るなり、少しだけ目を丸くした。
「あら……」
その一言で、あいの顔が一気に熱くなる。
「ち、違うの」
「違うの?」
「えっと、その……違わないけど、違うというか……」
自分でも何を言っているのかわからない。
あいはスカートの裾を押さえたまま、視線をうろうろさせた。定規は机の上に置いたはずなのに、見つかったら全部説明しなければいけない気がして、余計に落ち着かなくなる。
郁子は、そんなあいを見て、ふっとやわらかく微笑んだ。
「珍しいわね。あいがそんなにスカートを短くするなんて」
「そ、そんなに……短いかな」
「いつものあいに比べたら、かなり短いわね」
「……やっぱり」
あいは小さくうつむいた。
やっぱり、変なのかもしれない。
母にそう言われた瞬間、今すぐウエストを元に戻したくなる。
けれど、郁子の声に責める響きはなかった。
「でも、似合ってるわよ」
「えっ」
あいは思わず顔を上げた。
郁子は、少し首をかしげながら、もう一度あいを見る。
その目は、娘の変化をからかうものではなく、驚きながらも受け止めている目だった。
「うん。いつもより少し大人っぽく見えるかも」
「お、大人っぽく……?」
「ええ。リボンもきちんとしているし、ブレザーも合ってる。短めでも、だらしない感じではないわ」
その言葉に、あいは少しだけ肩の力を抜いた。
だらしなく見えない。
それは、あいにとってとても大事なことだった。
制服をきちんと着たい。
清楚に見られたい。
真面目でいたい。
その気持ちは、スカートを短くしても変わっていなかったから。
「でも……」
郁子はそこで、少し心配そうに眉を下げた。
「今日は、少し風が強いみたいなのよ」
「風……」
「朝のニュースで言ってたわ。昼間も時々強く吹くかもしれないって」
あいは、思わずスカートの裾をもう一度押さえた。
風。
今の自分にとって、それはかなり大きな問題だった。
通学路。
マンションの外。
瑞穂台駅へ向かう道。
歩道橋の階段。
そこに風が吹く。
想像しただけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「や、やっぱり戻した方がいいかな……」
あいが小さく言うと、郁子はすぐに首を横に振った。
「戻しなさいって言ってるんじゃないの。ただ、気をつけなさいってこと」
「気をつける……」
「階段とか、風が強い場所とかね。あと、急いで走らないこと」
「うん……」
「スカートが短い日は、動き方も少し意識した方がいいわよ」
その言葉に、あいはどきりとした。
動き方。
まるで、昨日アムルに言われたことと同じだった。
もちろん、母は魔法戦士のことなど何も知らない。
短めスカートへの適応訓練のことも、変身後の戦闘服のことも、妖魔のことも知らない。
それでも、母の言葉は不思議なくらい、今のあいに必要なことだった。
「……うん。気をつける」
あいは小さくうなずいた。
郁子は安心したように笑う。
「それならいいわ」
そして、ふと思い出したように続けた。
「あ、そうそう。お父さんは先に出たわよ」
「お父さん、もう?」
「今日は早めに出るって。あいがまだ寝てると思って、声はかけなかったみたい」
「そっか……」
あいは少しだけほっとした。
父に今の姿を見られたら、さらに慌てていたかもしれない。
父はきっと怒らない。穏やかに「珍しいな」と言うだけだろう。けれど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
郁子は、あいの表情を見てくすりと笑った。
「お父さんに見られなくて、ちょっと安心した?」
「そ、そんなこと……」
「顔に出てるわよ」
「……出てる?」
「すごく」
あいは両手で頬を押さえた。
熱い。
朝から、何度顔を赤くしているのだろう。
郁子はそんなあいを見て、少しだけ楽しそうにしながらも、最後はやはり母親らしい声に戻った。
「あいちゃん」
「な、なに?」
「似合ってるけど、無理はしないのよ」
あいは目を瞬いた。
「無理……?」
「おしゃれでも、学校でも、自分が落ち着かなくなるほど頑張りすぎなくていいの。今日は試してみて、やっぱり大変だったら、また考えればいいんだから」
その言葉は、胸にそっと入ってきた。
無理はしない。
でも、試してみてもいい。
母の言葉は、昨日のアムルの言葉と少し似ていた。
強制ではなく、けれど前へ進むことを否定しない。
あいは、鏡の中の自分をもう一度見た。
膝上十五センチ。
まだ慣れない。
まだ恥ずかしい。
それでも、さっきより少しだけ、立っていられる気がした。
「……うん」
あいは小さく返事をした。
「今日だけ、試してみる」
「うん。それでいいと思うわ」
郁子はにこりと笑った。
「じゃあ、朝ごはんできてるから、準備が終わったら降りてきてね」
「うん。すぐ行く」
「髪、リボンのところ少し曲がってるわよ」
「えっ」
あいは慌てて鏡を見る。
ピンク色のリボンタイが、ほんの少しだけ斜めになっていた。
郁子はドアのところで振り返り、やさしく言った。
「そこを直したら、いつものあいちゃんらしくなるわ」
そう言って、部屋を出ていく。
ドアが閉まると、部屋はまた静かになった。
あいは鏡の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
叱られなかった。
変だとも言われなかった。
似合っている、と言われた。
それだけで、胸の奥にあった不安が、ほんの少しだけ軽くなる。
あいはリボンタイを直し、ブレザーの前を整えた。
そして、もう一度スカートの裾を見下ろす。
短い。
やっぱり短い。
でも、今はもう、さっきほど逃げ出したくはなかった。
「……階段と、風」
母の言葉を小さく繰り返す。
気をつけることが、ひとつ増えた。
でもそれは、やめる理由ではない。
今日一日を乗り切るための注意点だ。
あいは深呼吸をして、姿見鏡の中の自分に小さくうなずいた。
「……行こう」
まだ胸はどきどきしている。
けれど、母のひと言のおかげで、あいは少しだけ部屋の外へ出る勇気を持てた。
◆ エレベーターの鏡
朝食を終え、あいは鞄を肩にかけた。
玄関で靴を履く時も、どうしてもスカートの裾が気になってしまう。
膝上十五センチ。
さっき、姿見鏡の前で確かに測った数字だった。
何度も見直して、何度も迷って、それでも戻さなかった。
けれど、部屋の中で立っているのと、実際に外へ出るのとでは、まったく違う。
「いってきます……」
いつもより少し小さな声で言うと、母の郁子がキッチンの方から顔を出した。
「いってらっしゃい、あいちゃん。今日は風が強いから、気をつけてね」
「うん。行ってきます」
あいはもう一度うなずき、玄関の扉を開けた。
廊下の空気が、足元にすっと触れる。
その瞬間、あいは反射的にスカートの裾へ手を伸ばしかけた。
けれど、途中で止める。
裾ばかり押さえていたら、余計に変に見えるかもしれない。
そう思って、あいは手を鞄の肩紐に戻した。
マンションの廊下は、朝の光に照らされて明るかった。
遠くで誰かの玄関が閉まる音がする。エレベーターホールの方からは、機械の低い音がかすかに聞こえていた。
いつもの朝。
いつもの通学前。
それなのに、今日だけは廊下の数メートルさえ長く感じる。
あいはできるだけ普通に歩こうとした。
けれど、一歩進むたびに、プリーツスカートの裾がふわりと揺れる。そのたびに、朝の空気が足元を通り抜けるようで、胸の奥が落ち着かなくなる。
エレベーターホールに着くと、あいはボタンを押した。
表示階がゆっくり近づいてくる。
その間も、あいはまっすぐ立とうとした。
母に言われた通り、風に気をつける。アムルに言われた通り、慌てない。
まだアムルの声は聞こえない。
けれど、昨日からの言葉は、胸の中に残っていた。
やがて、エレベーターが到着する。
小さな到着音が鳴り、扉が開いた。
その瞬間、あいは息を止めた。
開いた扉の奥、正面の鏡に、自分の姿が映っていた。
「……っ」
白い半袖ブラウス。
薄手の紺色ブレザー。
胸元のピンク色のリボンタイ。
緑と紺のチェック柄のプリーツスカート。
制服そのものは、いつも通り清楚で落ち着いている。
けれど、スカートの裾だけが、あいにとってはどうしても特別に見えた。
膝上十五センチ。
鏡の中の自分は、たしかにその丈で立っている。
部屋の姿見で見た時よりも、なぜかずっと現実味があった。
ここはもう自分の部屋ではない。マンションの共用部分で、これから外へ出るための場所だ。
学校では、これくらいの丈の生徒もいる。
美咲は、いつも自然に着こなしている。
さくら女子では、スカート丈にある程度の自由がある。先生たちも、極端でなければ大きく問題にしない。
わかっている。
頭では、ちゃんとわかっている。
それでも、鏡に映る自分を見ると、頬が熱くなる。
あいは小さく息を吸い、エレベーターの中へ入った。
そして、操作ボタンの前に立つ。
いつもの癖で、一階のボタンを押す。
指先が少しだけ震えた。
扉が閉まる。
正面に鏡はある。けれど、あいはもう鏡の真正面には立っていない。操作ボタンの前で、扉の方を向く形になる。
それでも、一度見てしまった自分の姿は、頭の中から離れなかった。
やっぱり、短い。
誰にも聞こえない声で、心の中だけでつぶやく。
エレベーターが静かに下り始めた。
あいは鞄の肩紐をぎゅっと握る。
手を離せば、またスカートの裾を押さえてしまいそうだった。
その時、エレベーターが途中の階で止まった。
小さな到着音が鳴る。
あいの体が、ぴくりと強張った。
扉が開く。
そこに立っていたのは、同じマンションの住人らしい、上品そうな四十代半ばくらいの主婦だった。淡い色のカーディガンに、きちんとまとめた髪。買い物用の小さなバッグを手にしている。
「あ、おはようございます……」
あいは慌てて会釈した。
「おはようございます」
主婦の方も、穏やかに会釈を返す。
それだけだった。
本当に、それだけ。
主婦はエレベーターに乗り込み、自然にあいの後ろ側に立った。
扉が閉まる。
エレベーターは再び下り始めた。
沈黙が、急に重くなる。
あいは操作ボタンの前に立ったまま、まっすぐ扉の方を向いていた。
鏡はもう視界に入らない。だから、自分の姿を確認することも、背後の主婦の表情を見ることもできない。
それが、かえって落ち着かなかった。
後ろに人がいる。
ただ、それだけのこと。
主婦の方は、きっと何も気にしていない。
朝のエレベーターに乗って、一階へ下りようとしているだけだ。
それなのに。
背後から視線を感じる気がして、あいの心臓はまた落ち着かなくなった。
スカートの裾が、いつもより短い。
後ろから見られているような気がする。
別に何もおかしくないはずなのに、何か気づかれてしまうような気がする。
あいは、裾を押さえたい衝動を必死にこらえた。
押さえたら、かえって目立つ。
気にしているとわかってしまう。
そう思うのに、指先は落ち着かない。
鞄の肩紐を握る手に、少しだけ力がこもる。
自分では見えないけれど、たぶん肩に力が入っている。
背筋も固い。膝も、必要以上にそろえてしまっている気がする。
美咲なら、きっとこんなふうにはならない。
短めのスカートでも、いつも通り明るく笑って、普通に立っている。
階段でも、廊下でも、誰かと話している時でも、自然体のままだ。
あいには、それが遠い。
たった一枚の制服のスカートなのに。
たった数センチ、いつもより短いだけなのに。
どうしてこんなに、体が固くなるのだろう。
エレベーターの階数表示が、ひとつずつ下がっていく。
早く一階に着いてほしい。
けれど、一階に着いたら、今度はマンションの外へ出なければならない。
外には、もっと人がいる。
通勤中の人も、学生も、自転車で急ぐ人もいる。
瑞穂台駅までの道。
歩道橋。
改札。
電車。
考えただけで、また胸がどきどきしてきた。
その時、背後で小さくバッグの金具が鳴った。
たぶん、主婦が持ち手を直しただけだ。
それだけなのに、あいの心臓が跳ねる。
見られているわけではない。
何か言われたわけでもない。
なのに、気になってしまう。
あいは心の中で、深く息を吐いた。
大丈夫。
誰も、そんなに見ていない。
きっと、気にしているのは自分だけ。
そう思おうとしても、完全には落ち着かない。
でも、少しだけなら、呼吸を整えられる気がした。
吸って。
吐く。
もう一度、吸って。
ゆっくり吐く。
母の言葉を思い出す。
階段や風には気をつけてね。
昨日のアムルの言葉も、かすかに重なる。
無理に堂々としなくていい。
まずは、慌てずに歩けるようになること。
あいは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
まだ顔は熱い。
まだ体は固い。
まだ慣れないスカート丈。
それでも、部屋を出た。
玄関を出た。
エレベーターに乗った。
それだけでも、今のあいにとっては前進だった。
やがて、エレベーターが一階に到着する。
扉が開いた。
あいは反射的に、操作パネルの「開」ボタンを押した。
後ろの主婦が、軽く会釈をする気配があった。
あいも小さく会釈を返す。
主婦は静かにエレベーターを降り、エントランスの方へ歩いていった。
あいは「開」ボタンから指を離し、少し遅れてエレベーターを降りる。
エントランスのガラス扉の向こうには、朝の光が広がっていた。
マンションの外。
そこから先は、もう本当の通学路だった。
あいは鞄の肩紐を持ち直し、小さく息を吸った。
「……大丈夫。たぶん、大丈夫」
自分にだけ聞こえる声でつぶやく。
まだ足は少し固い。
胸もどきどきしている。
それでも、あいはガラス扉へ向かって、一歩を踏み出した。
◆ 背筋を伸ばして
マンションのエントランスを出ると、朝の空気があいを包んだ。
ガラス扉の外は、もういつもの街だった。
通勤に向かう人の足音。自転車のブレーキ音。遠くから聞こえる車の走る音。瑞穂台駅へ向かう歩道には、同じように駅へ向かう人たちが少しずつ増え始めている。
あいは鞄の肩紐を握り直し、ゆっくり歩き出した。
膝上十五センチ。
その数字が、歩くたびに頭の中で揺れる。
部屋の中で測った時より、エレベーターの鏡で見た時より、外に出た今の方がずっと落ち着かなかった。
風が吹いていなくても、歩くたびにスカートの裾がふわりと揺れる。朝の空気が足元を通り抜けるようで、そのたびに胸の奥がそわそわした。
大丈夫。
さくら女子には、短めのスカートの子もいる。
美咲は、いつもこのくらいの丈で普通に歩いている。
そう自分に言い聞かせても、あいの手は何度もスカートの裾へ伸びかけた。
押さえたい。
でも、押さえたら余計に目立つかもしれない。
鞄の肩紐を握る手に、自然と力が入る。
その時、後ろから規則正しい靴音が近づいてきた。
あいは、反射的に肩を強張らせた。
スーツ姿の四十代くらいの男性が、あいの横を通り過ぎていく。
片手にビジネスバッグを持ち、もう片方の手でスマートフォンを軽く握っている。急いでいるのか、あいのことなど見ている様子もなく、すっと前へ出ていった。
ただ、それだけだった。
本当に、それだけ。
けれど、あいの胸はどきんと跳ねた。
見られたかもしれない。
そんなはずはない。
男性はただ通勤途中で、駅へ急いでいるだけだ。あいのスカート丈など、気にしていないに決まっている。
そう思うのに、背中から熱が広がっていく。
あいはつい、スカートの裾へ手を伸ばしかけた。
指先が、布に触れる寸前で止まる。
押さえたら、もっと気にしているみたいに見える。
でも、押さえないと落ち着かない。
どうすればいいのかわからず、あいの歩幅が少し小さくなった。
足が固い。
膝もぎこちない。
いつも通り歩いているつもりなのに、自分の動きだけが不自然に感じる。
その時だった。
「裾ばかり気にすると、余計に動きが固くなるわ。背筋を伸ばして、呼吸を整えて」
耳元に、落ち着いた声が届いた。
あいは、はっとして周囲を見回す。
「アムル……?」
声は小さくしたつもりだった。
けれど、すぐ近くに人がいないことを確認してから、あいはもう一度だけ視線を左右に動かす。
黒猫の姿は見えない。
歩道の植え込み。マンションの壁際。少し先の街路樹の陰。
どこにもアムルはいない。
それでも、あいにはわかった。
今のは、アムルの声だ。
「姿勢が整うと、魔力の流れも安定しやすいの」
アムルの声は、昨日の夜と同じように落ち着いていた。
急かすでも、叱るでもない。ただ、あいが立ち止まらないように、横から支えてくれるような声だった。
あいは、ごく小さく息を吸った。
背筋。
呼吸。
裾ではなく、姿勢。
そう思っても、すぐにはうまくいかない。
歩道を行き交う人の気配が気になる。
前を歩く人のバッグの揺れ。自転車のベル。信号待ちをする人の横顔。全部が、いつもより近く感じる。
けれど、裾にばかり意識を向けていると、確かに体はどんどん固くなっていく。
あいは、鞄の肩紐を握る手を少し緩めた。
まず、肩の力を抜く。
次に、背中を少しだけ伸ばす。
胸を張る、というほどではない。
そんなに堂々とはできない。
ただ、うつむきすぎないようにする。
足元ばかり見ないようにする。
あいは視線を、少し先の歩道へ向けた。
瑞穂台駅へ向かう道。
朝の光が、建物の隙間から斜めに差し込んでいる。通勤客や学生たちは、それぞれの速度で駅へ向かっていた。
誰も、あいだけを見ているわけではない。
たぶん。
そう思うだけでも、少しだけ呼吸がしやすくなる。
「今日はそれだけ意識して」
アムルの声が、静かに続いた。
それだけ。
その言葉に、あいは少しだけ安心した。
今日一日で、完璧に慣れなくてもいい。
美咲みたいに自然に歩けなくてもいい。
膝上十五センチのスカートで、明るく笑って過ごせなくてもいい。
まずは、背筋を伸ばして、呼吸を整える。
それだけ。
あいは、ゆっくり息を吸った。
朝の空気が胸に入る。
少し冷たくて、少しだけ湿っていて、いつもの通学路の匂いがした。
吐く。
足を一歩前に出す。
スカートの裾は、やっぱり揺れる。
短いことも、恥ずかしいことも、変わらない。
でも、さっきよりは少しだけ、足が前に出る気がした。
「……うん」
あいは、誰にも聞こえないくらい小さく返事をした。
アムルの姿は見えない。
けれど、どこか近くで見守ってくれているのだと思うと、胸の奥の不安がほんの少しだけやわらいだ。
その時、また後ろから人の気配が近づいてきた。
あいは一瞬、体を強張らせかける。
けれど今度は、裾に手を伸ばさなかった。
背筋を伸ばす。
呼吸を整える。
前を見る。
通り過ぎたのは、自転車を押した若い女性だった。
あいの横を過ぎても、何も起きない。何か言われることもない。
ただ、朝の通学路が続いているだけだった。
あいは小さく息を吐いた。
まだ、大丈夫とは言い切れない。
まだ、足元が気になる。
まだ、誰かに見られているような気もする。
それでも、さっきより一歩だけ、普通に歩けた気がした。
歩道の先には、瑞穂台駅へ向かう歩道橋が見えてくる。
あそこを上れば、駅へ向かう人の流れがさらに増える。
そして、おそらく美咲にも会う。
美咲なら、きっとすぐ気づく。
そう思った瞬間、また頬が熱くなる。
けれど、今度は足を止めなかった。
あいは鞄の肩紐を持ち直し、もう一度だけ背筋を伸ばした。
「……今日は、それだけ」
アムルの言葉を、自分の中で繰り返す。
裾ばかり気にしない。
背筋を伸ばす。
呼吸を整える。
それだけを胸に、あいは歩道橋へ向かって歩き続けた。
◆ 歩道橋の美咲
瑞穂台駅へ向かう歩道橋が近づいてくる。
あいは、無意識に歩幅を小さくしそうになって、慌てて呼吸を整えた。
背筋を伸ばす。
裾ばかり気にしない。
前を見る。
アムルの声を思い出しながら、あいは歩道橋の階段に足をかけた。
朝の時間帯の歩道橋には、駅へ向かう人の流れができていた。スーツ姿の会社員、鞄を肩にかけた学生、自転車を押して歩く人。誰もがそれぞれの目的地へ向かっていて、あいだけを見ているわけではない。
わかっている。
それでも、階段を一段上るたびに、スカートの裾がいつもより近く感じられた。
今日は風が強い。
母の言葉が頭をよぎる。
あいは、足元ばかり見ないように気をつけながら、慎重に階段を上っていった。
そして、階段を上りきったところで、視界がふっと開けた。
朝の光が歩道橋の上に差し込み、駅へ向かう道が見える。瑞穂台駅の方へ流れていく人の列。その向こうに、通学路のいつもの景色が広がっていた。
その時だった。
「あっ、あいちゃーん!」
明るい声が、朝の空気を弾ませるように響いた。
あいの肩が、びくっと揺れる。
声のした方を見ると、歩道橋の反対側から、ショートヘアの少女が手を振っていた。
橘美咲。
中学からの親友で、あいをいつも「あいちゃん」と呼ぶ、明るくてフレンドリーな友人。
美咲は、今日もいつも通りだった。
白い半袖ブラウスに、薄手の紺色ブレザー。胸元にはピンク色のリボンタイ。緑と紺のチェック柄のプリーツスカートは、あいと同じくらい――いや、もしかしたら少しだけ短いかもしれない。
けれど、美咲はまったく気にしていないように見えた。
歩道橋の上でも、風が少し吹いていても、自然に立っている。肩に余計な力は入っていない。片手を軽く上げて、いつものように笑っている。
その姿が、あいには少しまぶしく見えた。
「お、おはよう、美咲ちゃん」
あいが小さく手を上げると、美咲は軽やかな足取りで近づいてきた。
「おはよ、あいちゃん! 今日は早いね」
「う、うん。ちょっと……早く起きちゃって」
「へぇ、珍しい」
美咲はにこにこと笑いながら、あいのすぐそばまで来る。
その視線が、ふと下へ向いた。
あいの心臓が、跳ねた。
気づかれた。
絶対に気づかれた。
あいは反射的にスカートの裾へ手を伸ばしかける。けれど、途中で止めた。押さえたら、余計に意識しているのがわかってしまう。
美咲は一瞬だけ目を丸くして、それからぱっと表情を明るくした。
「ていうかさ!」
「え、えっと……」
「まさかのミニスカデビュー!?」
その言葉が、歩道橋の上で明るく弾んだ。
あいの顔が、一気に熱くなる。
「み、ミニスカデビューって……そんな、大げさな……」
「大げさじゃないって! やるじゃん! あいちゃん、すっごく似合ってる!」
美咲は悪びれもなく、満面の笑顔で言った。
声は明るい。
でも、からかって傷つけようとしているわけではない。いつもの美咲らしい、素直な驚きと喜びがそのまま出ている声だった。
それでも、あいは恥ずかしくてたまらなかった。
「そ、その……似合わないと思うんだけど……」
あいは視線を落とし、鞄の肩紐を握った。
膝上十五センチ。
朝、鏡の前で何度も測った数字。
部屋の中では、なんとか立てた。
エレベーターでも、どうにか乗り切った。
通学路でも、背筋を伸ばして歩こうとした。
けれど、美咲に直接言われると、やっぱり恥ずかしい。
美咲は、あいの言葉を聞くなり、首を横に振った。
「全然! むしろ可愛いって!」
「か、可愛い……」
「うん。いつものきちんとした感じもあいちゃんらしくて好きだけど、今日のもいいよ。なんか、ちょっと新鮮」
「新鮮……」
「そうそう。あいちゃん、もともと清楚な感じだから、短めでも全然変じゃないよ。むしろバランスいいと思う」
美咲はさらりと言う。
その言葉に悪意はない。
それどころか、あいを安心させようとしてくれているのがわかる。
けれど、褒められれば褒められるほど、あいの顔は熱くなった。
「そんなに見ないで……」
「あ、ごめんごめん。あんまり珍しかったから、つい」
美咲は笑いながら、少しだけ視線を上げた。
そのさりげなさに、あいは少しだけほっとする。
美咲は、人との距離が近い。
でも、相手が本当に困っている時には、ちゃんと引いてくれる。
そういうところが、あいは昔から好きだった。
「でも、ほんと似合ってるよ」
「……ありがとう」
あいは小さく返事をした。
まだ恥ずかしい。
けれど、少しだけ胸の奥が軽くなった。
美咲に変だと言われなかった。
似合っていると言われた。
それだけで、朝からずっと張り詰めていた気持ちが、ほんの少し緩む。
あいは、そっと美咲の制服姿を見た。
美咲のスカートは、今日も短い。
あいと同じ十五センチくらいに見える。角度によっては、もう少し短いかもしれない。
けれど、美咲は自然体だった。
歩道橋の上で風が抜けても、慌てない。
階段の方へ視線を向けても、姿勢が崩れない。
片手で鞄を持ち直す動作も、スカートを意識しすぎている感じがまったくない。
短めのスカートでいることが、特別なことではないみたいだった。
あいには、それが不思議で、少しだけ羨ましかった。
「美咲ちゃんは……いつも平気だよね」
「ん? 何が?」
「その……スカート、短くても」
「ああ、これ?」
美咲は自分のスカートをちらっと見て、あっけらかんと笑った。
「慣れかなぁ。最初はちょっと気にしたかもだけど、今は普通だよ。動きやすいし」
「動きやすい……」
「うん。階段とか風とかは気をつけるけどね。でも、気にしすぎると逆に変な歩き方になるし」
その言葉に、あいはどきりとした。
アムルと同じようなことを言っている。
美咲は魔法戦士のことなど知らない。
短めスカートへの適応訓練のことも、魔力の流れのことも、何も知らない。
それなのに、自然に同じ答えに近づいている。
美咲はやっぱりすごい。
あいはそう思った。
「そっか……慣れ、なんだね」
「そうそう。あいちゃんもすぐ慣れるよ」
「すぐは無理かも……」
「あはは、じゃあちょっとずつ!」
美咲は明るく笑った。
その笑顔を見ると、あいも少しだけ口元を緩めることができた。
ちょっとずつ。
それなら、今のあいにもできるかもしれない。
「今日、一緒に行こっ」
美咲が当たり前のように言う。
「う、うん」
あいはうなずいた。
並んで歩き出すと、あいの緊張はまた少し戻ってきた。
歩道橋の上は、駅へ向かう人の流れがある。風も時々、建物の間を抜けるように吹いてくる。
それでも、隣に美咲がいるだけで、さっきより少しだけ心強かった。
美咲は、いつも通り自然に歩いている。
膝上十五センチのスカートでも、明るく、軽やかに、まっすぐ前を向いている。
その隣で、あいも少しだけ背筋を伸ばした。
まだ慣れない。
まだ恥ずかしい。
でも、美咲が「似合ってる」と言ってくれた。
それだけで、今日の一歩目は、少しだけ軽くなった気がした。
◆ 落ちたハンカチ
美咲と並んで、歩道橋の上を歩く。
瑞穂台駅の改札口へ向かう人の流れは、朝らしく少しせわしない。スーツ姿の会社員、鞄を肩にかけた学生、足早に階段へ向かう人たち。その中を、美咲はいつも通り軽やかに歩いていた。
あいは、その隣で、まだ少しだけぎこちない。
美咲が「似合ってる」と言ってくれたおかげで、さっきよりは落ち着いた。
それでも、歩くたびにスカートの裾が揺れると、どうしても意識がそちらへ向いてしまう。
膝上十五センチ。
朝、姿見鏡の前で越えた一センチ。
その小さな数字が、今は歩道橋の上で、何倍にも大きく感じられた。
「今日、風あるよねー」
美咲が何気なく言った。
「う、うん……」
あいは少しだけ肩を強張らせた。
「でも朝の風って気持ちいいよね。駅まで歩くと、ちょうど目が覚める感じ」
「美咲ちゃんは、平気なんだね」
「ん? 風?」
「うん。あと……その、スカートとか」
言ってから、あいはまた恥ずかしくなった。
美咲はきょとんとしたあと、明るく笑う。
「ああ、慣れだよ慣れ。気にしすぎると、かえって動きにくいし」
「……さっきも、そんなこと言ってたね」
「うん。あいちゃん、今ちょっとロボットみたいになってる」
「ろ、ロボット……?」
「悪い意味じゃないよ? 緊張してるなーってだけ」
美咲はそう言って、からっと笑った。
あいは少しだけ頬を膨らませかけて、けれどすぐに力を抜いた。
たしかに、自分でもわかる。
歩幅は小さいし、膝は固いし、鞄の肩紐を握る手にも力が入りっぱなしだ。
アムルにも言われた。
裾ばかり気にすると、余計に動きが固くなる、と。
あいは小さく息を吸い、少しだけ背筋を伸ばした。
その時だった。
鞄の外ポケットから、白いものがするりと落ちた。
「あっ」
あいは足を止めた。
ハンカチだった。
朝、慌てて鞄に入れたせいで、きちんと奥まで押し込めていなかったらしい。白いハンカチは、歩道橋の床の上にふわりと落ち、風に押されて少しだけ前へ滑った。
「ま、待って……」
あいは慌てて手を伸ばした。
けれど、その瞬間、頭の中がまた真っ白になりかけた。
しゃがむ。
拾う。
でも、スカートが短い。
歩道橋の上には、駅へ向かう人の流れがある。
すぐ横を通勤客が通り過ぎ、後ろからも学生たちの足音が近づいてくる。
こんなところで、どう拾えばいいのだろう。
考えれば考えるほど、体が固まってしまう。
あいは、膝を曲げずに上半身だけを前へ倒そうとした。
自分でも不自然だとわかる。
けれど、膝を曲げてしゃがむことの方が恥ずかしくて、どう動けばいいのかわからなかった。
その時、美咲の手が、あいの肩にぽんと軽く触れた。
「あいちゃん、その取り方は危ないって!」
「えっ……?」
あいは固まった。
美咲の声は明るいけれど、少しだけ真剣だった。
「周りに人がいるんだから。そうやって中途半端にかがむ方が、かえって目立つよ」
「あ……」
言われて、あいはようやく気づいた。
スカートのことばかり気にして、周りの人の流れや、自分の姿勢のことをほとんど考えていなかった。
隠そうとしているつもりなのに、その不自然な動きの方が、かえって人目を引いてしまう。
美咲はあいを軽く後ろへ促すと、すっと一歩前に出た。
「こういう時は、ちゃんとしゃがめばいいの」
そう言うと、美咲は自然な動きで腰を落とした。
その動きは、あいが思わず見入ってしまうほど滑らかだった。
膝から下の向きは安定していて、体の軸がぶれない。
腰を深く落としているのに、上半身は前に倒れすぎない。まるでバネが入っているみたいに、動きに無駄がなかった。
しかも、ちゃんと周りを見ている。
人の流れを邪魔しない位置に足を置き、膝の向きも自然に人が少ない側へ向いている。左手はさりげなくスカートの前を押さえ、右手だけがすっと床へ伸びる。
短めのスカートでも、慌てない。
体を無理に固めない。
隠そうとして不自然になるのではなく、最初から自然に乱れない動きをしている。
美咲の指先が、ハンカチを拾い上げた。
それは本当に一瞬だった。
拾う。
立ち上がる。
裾を整える。
その全部が、流れるようにつながっていた。
「はい、あいちゃん」
美咲は何事もなかったように、ハンカチを差し出した。
「あ……ありがとう」
あいは両手で受け取った。
胸が、まだどきどきしている。
恥ずかしかったからだけではない。
美咲の動きが、あまりにも自然だったからだ。
「すごい……」
思わず、声が漏れた。
「え?」
「今の、美咲ちゃん……すごく自然だった」
「そう?」
美咲は不思議そうに首をかしげた。
「普通に拾っただけだよ?」
「普通に、が難しいんだよ……」
あいはハンカチを握ったまま、小さく言った。
美咲は、少し考えるようにあいを見て、それからにこっと笑った。
「まあ、慣れもあるけどね。あと、膝を曲げないで取ろうとすると危ないから、ちゃんとしゃがむ。これだけ」
「これだけ……」
「うん。あと、周りを見る。人がいる方に膝を向けない。鞄は体に寄せる。スカートは片手で軽く押さえる。あとは普通に取る」
美咲は指を折るように、当たり前のことみたいに説明した。
あいは目を瞬いた。
意外と、理屈がある。
美咲は感覚で動いているように見える。
けれど、その感覚の中には、ちゃんと体で覚えた手順があるのだ。
あいはもう一度、美咲の足元を見た。
美咲のスカートは、やはり短い。
あいと同じ十五センチくらい、もしかすると少しだけ短いかもしれない。
それでも、美咲は平気そうだった。
平気というより、どう動けばいいのかを体が知っている。
あいとは、そこが違う。
「私、さっき……すごく変な取り方しようとしてたよね」
「うん、ちょっと危なかった」
美咲は正直に言った。
「でも、初日ならそんなもんじゃない?」
「初日……」
「あいちゃん、今日がミニスカ初日でしょ?」
「そ、それは……」
あいはまた顔を赤くした。
美咲はすぐに笑って、明るく続ける。
「大丈夫。すぐ慣れるって。最初から完璧に動ける子なんていないよ」
その言葉に、あいは少しだけ息を吐いた。
アムルにも似たようなことを言われた。
一度に全部できなくていい。少しずつでいい、と。
母も、無理はしなくていいと言ってくれた。
そして今、美咲も同じように言ってくれている。
少しずつ。
その言葉が、また胸の中に落ちてくる。
「……今の、もう一回できるかな」
あいは小さく言った。
「しゃがむやつ?」
「うん。今すぐじゃなくていいけど……ちゃんと覚えたい」
美咲は一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうに笑った。
「いいよ。学校着いたら、人が少ないところで教えてあげる」
「本当?」
「うん。こういうの、コツがわかると楽だよ」
「ありがとう、美咲ちゃん」
「どういたしまして」
美咲は軽くウインクするように笑った。
あいはハンカチを今度こそ鞄の奥へしまった。
落ちないように、しっかりと。
その手つきはまだ少しぎこちない。
でも、さっきよりは落ち着いていた。
美咲の動きは、きっと真似しようとしてすぐ真似できるものではない。
運動神経の良さも、慣れも、あいとは違う。
けれど、見て学ぶことはできる。
あいはそう思った。
魔法戦士としての訓練は、変身して魔法を撃つことだけではない。
歩くこと。呼吸すること。慌てないこと。体を自然に使うこと。
そして、日常の中で、少しずつ覚えていくこと。
美咲は、まだ魔法戦士のことを知らない。
けれど今の動きは、あいには不思議と、何かにつながっているように見えた。
軽やかで、正確で、迷いがない。
もし美咲が本当に魔法戦士になったら。
ふと、そんな考えが頭をよぎり、あいは慌てて首を横に振った。
今は、そんなことを考えている場合ではない。
「行こっ、あいちゃん」
美咲が明るく声をかける。
「うん」
あいはうなずいた。
二人は再び、瑞穂台駅の改札口へ向かって歩き出した。
あいの足取りは、まだ少しぎこちない。
けれど、さっきよりほんの少しだけ、前を向けていた。
◆ 黒猫の気配
美咲と並んで、瑞穂台駅の改札口へ向かう。
歩道橋の上は、朝の人の流れで少しずつ混み始めていた。階段を上ってくる人、駅へ向かって歩いていく人、スマートフォンを見ながら足早に通り過ぎる人。
その中で、美咲はいつも通り自然に歩いている。
あいは、まだ少しぎこちなかった。
けれど、さっきハンカチを拾ってもらってから、少しだけ気持ちが変わっていた。
美咲の動きを見て、思ったのだ。
短めのスカートでいることは、ただ恥ずかしさに耐えることではない。
どう歩くか。どうしゃがむか。どこを見るか。どう体を使うか。
ちゃんと、慣れ方がある。
あいは鞄の肩紐を握り直し、少しだけ背筋を伸ばした。
「さっきの拾い方、ほんとにすごかった」
「えー、まだ言う?」
美咲は楽しそうに笑った。
「だって、すごく自然だったから」
「そんな大げさじゃないよ。あいちゃんが真面目に考えすぎなんだって」
「そうかな……」
「そうそう。考えるのはあいちゃんのいいところだけど、たまには体に任せるのも大事だよ」
美咲は軽く弾むように歩きながら、そう言った。
体に任せる。
それが、あいには難しい。
考えて、確認して、納得してからでないと動けない。
膝上十五センチのスカート丈だって、定規で測らなければ一歩も踏み出せなかった。
でも、美咲は違う。
歩く。
しゃがむ。
拾う。
笑う。
ひとつひとつの動きに迷いがない。
あいは、隣を歩く美咲を見て、少しだけうらやましくなった。
その時だった。
足元の空気が、ふっと揺れたような気がした。
「……?」
あいは思わず視線を下げた。
歩道橋の床。
通り過ぎる人の足元。
手すりの影。
朝の光。
何もない。
けれど、たしかに今、黒猫の気配が近くを通ったような気がした。
姿は見えない。
声も聞こえない。
それでも、あいにはわかった。
アムルだ。
今朝からずっと、どこかで見守ってくれているのかもしれない。そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
けれど、その直後。
「……あれ?」
隣で、美咲が足を止めかけた。
あいの心臓が、どきりと跳ねる。
「美咲ちゃん?」
美咲は少しだけ後ろを振り返り、手すりの下の方へ視線を向けた。
「今、猫っぽい気配しなかった?」
「えっ……?」
声が裏返りそうになった。
猫っぽい気配。
その言葉が、あいの胸にまっすぐ刺さる。
美咲には、アムルが見えないはずだ。
普通の人間には、基本的にアムルの姿は見えない。昨日の夜、アムル自身もそう言っていた。
それなのに。
美咲は今、何かに反応した。
「猫……?」
あいは、できるだけ自然に聞き返そうとした。
けれど、自分でも声が少し固いのがわかる。
美咲はもう一度、歩道橋の端の方を見た。
「うん。黒猫……っていうか、何か小さいのが通ったような」
「く、黒猫……?」
「あれ? 気のせいかな」
美咲は首をかしげた。
その表情は、本当にただ不思議に思っているだけだった。
何かをはっきり見たわけではない。確信があるわけでもない。
でも、何も感じていなかったわけでもない。
あいは、喉の奥がきゅっと詰まるような感覚を覚えた。
「歩道橋って、たまに猫が通るのかな」
美咲はそう言って、すぐに笑った。
「ううん、気のせいかな。朝だから、まだ眠いのかも」
「そ、そうかも……」
あいはぎこちなくうなずいた。
それ以上、何も言えなかった。
もし、美咲が本当にアムルの気配に気づいたのだとしたら。
どういうことなのだろう。
アムルは普通の人には見えない。
あいにだけ見える。
そう思っていた。
けれど、美咲は今、黒猫の気配に反応した。
見えたわけではない。
声を聞いたわけでもない。
ただ、何かを感じただけかもしれない。
それでも、あいの胸は落ち着かなかった。
「どうしたの、あいちゃん?」
美咲が顔をのぞき込む。
「えっ?」
「急に固まったから」
「あ……ううん。なんでもない」
「ほんと?」
「うん。ちょっと、考えごとしてただけ」
あいはそう言って、無理に小さく笑った。
美咲は少しだけ不思議そうに見ていたが、深く追及はしなかった。
「そっか。じゃ、行こ。電車、一本遅れると混むし」
「うん」
二人はまた歩き出した。
美咲はもう、さっきの黒猫の気配のことを気にしていないようだった。
いつものように明るく、駅へ向かう人の流れに合わせて軽やかに歩いている。
けれど、あいの胸には、小さな引っかかりが残ったままだった。
美咲ちゃんに、アムルの気配がわかった?
そんなはずはない。
でも、完全に気のせいとも思えない。
あいは、そっと周囲に視線を向けた。
歩道橋の手すり。
人の足元。
朝の光の中にできる小さな影。
どこにもアムルの姿はない。
それでも、どこか近くで、黒猫がこちらを見ているような気がした。
アムルなら、何か知っているのだろうか。
聞きたい。
けれど、今ここで声を出すわけにはいかない。隣には美咲がいる。周りには通学客も通勤客もいる。
あいは、胸の奥に湧いた疑問をそっとしまい込んだ。
昨日から、わからないことが増えてばかりだ。
妖魔。
魔法戦士。
アムル。
魔力の流れ。
そして、美咲が感じたかもしれない黒猫の気配。
日常の通学路のはずなのに、そこにはもう、少しずつ非日常が混じり始めている。
あいは隣を歩く美咲を見た。
明るくて、運動神経がよくて、いつも自然体で。
短めのスカートでも堂々としていて、あいが困っていると、すぐに助けてくれる。
そんな美咲が、もし。
そこまで考えて、あいは小さく首を横に振った。
まだ、何も決まったわけではない。
見えたわけでも、知ったわけでもない。
ただ、気配に気づいたかもしれないだけ。
今は、それ以上考えても答えは出ない。
その時、美咲が前を向いたまま、軽く声を弾ませた。
「ほら、あいちゃん。もう改札見えてるよ」
「あ……うん」
顔を上げると、歩道橋の先に瑞穂台駅の改札口が見えていた。
朝の人の流れは、そこへ向かって自然に集まっていく。
通勤客の足音、学生たちの話し声、改札機の小さな電子音。いつもの駅の朝が、少しずつ近づいてくる。
あいは鞄の肩紐を持ち直した。
まだ胸は少しざわついている。
けれど、立ち止まるわけにはいかない。
瑞穂台駅の改札口は、もうすぐそこだった。
あいは美咲の隣で、もう一度だけ背筋を伸ばした。
◆ はじめての通学
歩道橋の先に、瑞穂台駅の改札口が見えてきた。
朝の駅は、いつも通りにぎやかだった。
改札機の電子音。通勤客の足音。友人同士で話す学生たちの声。二階にある改札口へ向かって、人の流れが自然に集まっていく。
あいは、その流れを見て、少しだけ足を止めそうになった。
ここから先は、もっと人が多くなる。
マンションの廊下よりも、エレベーターよりも、歩道橋よりも。
改札を抜け、ホームへ下り、電車に乗る。瑞穂台駅から桜坂駅まで、約三十分。
その間ずっと、このスカート丈でいる。
膝上十五センチ。
朝、鏡の前で定規を当てた数字が、また頭の中に浮かんだ。
まだ恥ずかしい。
まだ足元が気になる。
人の視線を意識してしまう。
でも、あいはさっきより少しだけ落ち着いていた。
エレベーターに乗った。
マンションの外へ出た。
通勤中の人に追い抜かれても、裾を押さえずに歩けた。
美咲に気づかれて、顔が熱くなったけれど、逃げずに会話できた。
ハンカチを落として慌てたけれど、美咲の動きを見て、どうすればいいのか少しだけわかった。
完璧ではない。
むしろ、失敗ばかりだった気がする。
それでも、あいはここまで来た。
「大丈夫?」
隣から、美咲が顔をのぞき込んだ。
「あ……うん」
「また考えすぎてる顔してた」
「そんなに顔に出てる?」
「出てる出てる。あいちゃん、真面目だから」
美咲は楽しそうに笑った。
その笑顔は、いつも通り明るい。
歩道橋で何か黒猫の気配に反応したことも、もう気にしていないようだった。
美咲の明るさは、あいにとって少し不思議だった。
何か気になることがあっても、必要以上に引きずらない。
目の前のことを、軽やかに受け止める。
短めのスカートでも、風が吹いても、人の流れがあっても、自然に歩いていく。
あいには、まだできない。
けれど、美咲の隣にいると、できない自分を責めすぎなくてもいいような気がした。
「美咲ちゃん」
「ん?」
「さっき、ハンカチ拾ってくれてありがとう」
「いいっていいって。落としたら拾う。当たり前でしょ」
「でも……助かった」
あいがそう言うと、美咲は少しだけ得意げに笑った。
「じゃあ、今度ちゃんと教えてあげる。短めスカートの歩き方講座」
「こ、講座……」
「そう。歩き方、階段、しゃがみ方、風が強い日の注意点。全部セットで」
「それ、すごく本格的だね……」
「でしょ? 美咲先生に任せなさい」
美咲が胸を張る。
その仕草があまりにも自然で、あいは思わず小さく笑った。
朝からずっと張り詰めていた気持ちが、ほんの少しだけゆるむ。
美咲は、あいを無理に変えようとしているわけではない。
からかいながらも、ちゃんと見てくれている。
困っていたら止めてくれて、似合っていると言ってくれて、必要なら教えると言ってくれる。
そのことが、あいにはありがたかった。
「……お願いします、美咲先生」
あいが控えめに言うと、美咲はぱっと笑った。
「よし、任された!」
その明るい声に、あいの胸の奥が少し温かくなる。
アムルの言葉も思い出した。
裾ばかり気にすると、余計に動きが固くなる。
背筋を伸ばして、呼吸を整える。
今日はそれだけ意識して。
今日は、それだけ。
完璧に慣れなくていい。
美咲みたいに堂々とできなくてもいい。
学校に着くまでずっと平気でいられなくてもいい。
ただ、裾ばかり見ない。
背筋を伸ばす。
呼吸を整える。
あいは、そっと息を吸った。
駅の空気が胸に入る。
人の声。
改札機の音。
朝の光。
隣を歩く美咲の気配。
全部が、いつもの通学路のはずだった。
けれど今日だけは、少し違っている。
スカートの丈が違う。
歩き方を意識している。
心のどこかで、アムルの言葉を思い出している。
日常の中に、魔法戦士としての準備が混じっている。
それはまだ、あいにとって落ち着かないことだった。
でも、怖いだけではなくなっていた。
「行こ、あいちゃん。電車、混む前に乗りたいし」
「うん」
美咲が改札口へ向かって歩き出す。
あいも、その隣に並んだ。
歩くたびに、スカートの裾はやっぱり揺れる。
そのたびに、胸は少しだけどきどきする。
けれど、あいはもう裾を押さえなかった。
鞄の肩紐を持ち直し、視線を少し前へ向ける。
背筋を、ほんの少しだけ伸ばす。
それだけで、世界が大きく変わるわけではない。
恥ずかしさが消えるわけでもない。
自信満々になれるわけでもない。
でも、さっきより一歩だけ、前を向けた気がした。
美咲は隣で、いつものように明るく歩いている。
あいはその横で、ぎこちないながらも、同じ方向へ足を進めた。
瑞穂台駅の改札口が近づく。
ここから、桜坂駅へ向かう。
そして、私立さくら女子高等学校へ行く。
いつもの通学。
けれど、今日は少しだけ違う通学。
あいは小さく息を吐き、もう一度だけ背筋を伸ばした。
こうして、あいの“はじめてのミニスカート通学”が始まった。
◆用語説明
【パートナー猫 (コンパニオン・キャット)】
魔法戦士に寄り添い、導き役となる特別な猫。
普通の人間には基本的に姿や声を認識できず、魔法戦士だけが明確に視認できる不思議な存在である。
パートナー猫は、魔法戦士の指導役として、変身方法、魔力の扱い、戦闘時の判断、妖魔への対処などをサポートする。
また、魔法戦士にとっては先生であり、案内役であり、精神的な支えでもある。
ひとりの魔法戦士には、それぞれ対応するパートナー猫がいるとされている。
現在、物語に登場しているパートナー猫は、宮本あいを導く黒猫・アムルである。
今後、魔法戦士が増えるにつれて、それぞれに対応する新たなパートナー猫が現れる可能性がある。
ただし、その詳しい仕組みや役割の全容は、まだ明らかになっていない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ミニスカート通学一日目のあいは、緊張と恥ずかしさでいっぱいでした。
それでも、アムルの助言や美咲の明るさに支えられながら、少しだけ背筋を伸ばして歩くことができました。
今回は、美咲が“黒猫の気配”に反応する場面も入りました。
それが何を意味するのかは、今後の物語の中で少しずつ描いていく予定です。
ご意見・ご感想、読んでみたいシチュエーションなども、お気軽にお寄せいただけると励みになります。
次回もよろしくお願いします。




