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我が主はいずこに  作者: 柏木椎菜


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九話

 ヒューは席に着いても、何となくそわそわしながら台所のセシルに声をかけた。

「あの、セシルさん、やっぱり僕も何か手伝いを――」

「いいよ。ヒューには午前中、部屋の掃除をやってもらっちゃったし、もう十分だ。それにもうすぐできあがるから」

 火の前でフライパンを振るセシルは背中越しに言う。そこからは肉を焼く音と香ばしい匂いが漂っている。

「ヒューには大きいほうの肉と、付け合わせの野菜を多めにしておいてやろう。……できた!」

 二枚の皿にそれぞれ盛り付けると、それを持ってセシルはヒューのいる食卓へ来る。

「腹減っただろう。召し上がれ」

 ヒューの前に焼き上がったばかりの肉が静かに置かれる。滲み出た表面の脂が艶やかに光り、吸い込んだ匂いと共に空腹に拍車をかけてくる。向かいのセシルの肉と比べれば、言っていたようにヒューの肉のほうがやはりわずかに大きい。

「僕は大きい肉じゃなくても――」

「いいから。たくさん食べて大きくなってくれればいいんだ。変な遠慮はするな」

 しもべとして、こう言うのは自分の立場であるはずが、この家に来てからはまるでセシルがしもべのように接してくれるため、ヒューはどうにも調子が狂う感じが続いていた。

 セシルが保護者となり引き取ってくれてから数日が過ぎていた。四つも部屋があるこの家はセシル一人では少し持て余しているようで、使われていなかった部屋はすぐにヒューの部屋に変わった。警官のセシルは基本昼間は家にいないので、その間することのないヒューは外を眺めたり、自分の部屋を掃除するぐらいしかやることはなかった。しかし今日は自分の部屋以外も掃除し、セシルに少しでも喜んでもらおうと思っていたのだが、これにセシルは驚き、家事はやらなくていいと言われてしまったのだ。その結果なのかどうか、今こうして大きい肉を譲られて食べている。

 セシルはまだ主になるとは言ってくれていないが、それでもヒューとしては主になるかもしれない彼のために力になり、手伝いをしたかった。それなのにセシルはやらせようとしてくれない。それどころかヒューに対して主のように接してくれる。食べたい物はあるか、風呂で背中を洗ってやる、暇なら何か用意しよう――それらは本来、ヒューがすべきことばかりだ。それができないことは自由を与えられていても、ヒューにしてみれば不自由に感じられるのだった。

 けれど手伝いは止められても、セシル自身には好感が持てていた。家に帰れば常にヒューを気にし、今日はどうだったと話を聞きに来る。自分の話も交えながら、そこにはいつも笑顔が絶えない。彼が側にいるだけで明るく、幸せな気分になれた。そんな時にいつもよぎるのは、セシルがまだ主でないという残念な思い……いつそう言ってくれるのか、ヒューは平穏な生活の中で密かに待ち続けていた。

 夕食を終えて、セシルは食器を片付けながら言う。

「さてと……じゃあ食後の勉強を始めようか」

「はい」

 返事をしたヒューは自分の部屋から本を持って再び席に着く。

「昨日の続きは、このページですね」

 ぺらぺらとめくり、開いたところをセシルに見せる。向かいに座ったセシルはそれを手に取るが、ふと思ったように聞いた。

「なあヒュー、本当に俺でいいのか? やっぱり学校へ通ったほうがいいと思うけどな。友達もできるし、広い場所でも遊べるし」

「僕に友達は要りませんから。学校なんて行っても無意味です」

 正直に言えば勉強も同じだった。ヒューは読み書きもできて、簡単な計算もできた。物語の主人公が何を感じていたとか、歴史の偉人が現在にどんな影響を与えたとか、そんなことは主に仕えるしもべに必要なこととは思えなかった。友達など論外だ。

「無意味か……きっぱり言うんだな。まあ、嫌なら行くことはないけど、俺は教師じゃないし、表面的な教え方しかできないぞ? それでもいいのか?」

「セシルさんの負担になるなら、教えてくれなくても構いません」

「俺がそう言ったら、学校へ行くのか?」

「行きません」

 セシルは大きな溜息を吐く。

「それじゃまずいだろう。学んだことは大人になった自分を助けてくれるんだ。最低限の勉強はしておかないと」

「負担にならないなら、このままセシルさんに教えてもらいたいです」

 ヒューに勉強をする意思はないのだが、セシルが勉強を重要視するからには、その意に沿って学ぶつもりではいた。これにセシルは苦笑を見せる。

「どうしても学校へ行かないって言うなら、俺が教えるしかなさそうだな……わかったよ。でも後からの文句は受け付けないぞ」

 本に目を落とすと、そこから一時間ほどの国語の勉強が始まった。学ぶ内容は退屈だが、セシルといる時間は楽しいから、結局勉強する時間も楽しく感じられるヒューだった。

「――今日はこのぐらいにするか」

 切りのいいところで本をぱたりと閉じてセシルは言った。

「ありがとうございました」

 丁寧に礼を言うヒューだったが、その顔をセシルは不思議そうに見ると聞いた。

「警察署で会った時から思っていたけど、ヒューは厳しいしつけでもされていたのか?」

「しつけですか? そういうことは何も……」

「そうなのか? じゃあその敬語はどこで身に付いたんだ?」

「……敬語?」

 聞き返したヒューをセシルは丸い目で見る。

「もしかして、自覚なく使っているのか」

 意味が理解できないヒューは首をかしげる。それを面白そうにセシルは笑った。

「すごいな。無意識に敬語を使いこなしていたとは」

「あの、僕の話し方って、何かおかしいんでしょうか?」

 急に不安になり始めたヒューに、セシルは笑顔で頭を振った。

「いや、おかしくなんてないよ。むしろ礼儀正しくていい。ただ……」

「ただ? 何ですか?」

「子供らしくはないかな。自分を抑え込んでいるみたいで……もっと素直な言葉でずけずけ言ってくれてもいいんだぞ。子供は純粋なほうがいい」

 以前にも同じことを言われたのをヒューはぼんやりと思い出す。

「でも、僕はずっとこの話し方で……どんなふうに変えれば……」

 目覚めた直後からヒューは自然と敬語を使った話し方をしていて、自分ではこれが当たり前だと思っていたが、どうやら違うらしい。子供らしくないと言われても、ヒューにはどこをどう直せばいいのかすらわからなかった。

「まずは、ですます言葉をやめることだ。たとえば、本を読みますって言うなら、本を読むでいい。さっきもありがとうございましたって言ってくれたけど、俺にはありがとうでいいよ」

「それだと、失礼になりませんか?」

 これにセシルは、ぷっと吹き出す。

「ははっ! 本当にヒューは子供らしくないな。というか、大人びているのか?」

「すみません……」

 しょんぼりするヒューを見てセシルは慌てて手を振る。

「あっ、謝ることはないよ。難しいって言うなら無理に変える必要もない。でも、普通は敬語のほうが難しいはずなんだけどな……」

「セシルさんは、敬語で話されるのは嫌ですか?」

「他人なら構わない。だけどヒューとは一緒に暮らして、もう他人じゃないんだ。敬語が作る距離は、できれば感じたくないな」

 これまでの話し方をセシルは望んでいない――ならばとヒューは自分を変えることを即決した。

「わかりま……わかった。それじゃあこれからは、敬語を使った話し方はやめ……る」

 一瞬きょとんとしたセシルだったが、ヒューのたどたどしい努力にすぐ笑顔になった。

「本当に無理しなくていいからな。これは俺の単なるわがままだから」

「僕は、セシルさんの言う通りにしたいん、だ。これで、子供らしく見え、る?」

「ああ。近所の子供達と変わらないよ……」

 そう言うとセシルは目を細め、ヒューをじっと見つめた。

「……何?」

「ヒューを見ていると思い出してね……」

「何を思い出す、の?」

 聞くとセシルは視線を落とす。

「俺には以前、妻と子供がいたんだ。だけど五年前、流行病で二人とも……」

 閉じた本の表紙をさすり、セシルはそこをじっと見つめる。

「家族が、いたんだね」

「ああ」

 微笑んだセシルは頷く。それを聞いてヒューはこの家の部屋が持て余されている理由を知った。ここにはもともと夫婦と子供の三人が住んでいたのだ。しかし妻と子供を失い、セシル一人になってしまった……使われることのなくなった部屋に囲まれて。

「息子は当時二歳だった。大人しかったけど、俺と遊ぶ時だけはよくはしゃいでいた。あのまま成長していれば、今は七歳……ヒューよりは少し小さいかな。でもヒューを見ていると成長した息子を想像できるんだ」

「僕に、似てるの?」

「いや、全然」

 セシルは自嘲する。

「顔も、髪も、声も、息子とは似ても似つかないよ。だけどヒューが話して、食べて、何かしているのを見ているだけで、俺は何となく嬉しい気持ちになれるんだ」

「似てないけど、息子さんを思い出せるから?」

「ああ……迷惑だよな。勝手に重ね合わされたら……すまない」

「何で謝るの? 嬉しい気持ちになれるなら、それはいいことだよ。僕のことは気にしないで、セシルさんは好きなだけ僕を見ていいよ」

 無邪気な言葉に、セシルはふっと笑う。

「ずっと見ていたら気持ち悪いだろう。でも、ありがとうな」

 セシルの伸ばした手がヒューの黒い頭をわしゃわしゃと撫でる。それにヒューは笑顔を浮かべた。セシルが嬉しいなら、ヒューも嬉しかった。セシルが幸せを感じてくれることが何よりなのだ。そのためならヒューにためらうようなことはない。が、その一方で、願わくば早く主になってほしいという希望は心の隅に留めたまま、今日も時間は過ぎて行くのだった。

 そんな日々を過ごしていたある日の午後――居間で一人読書をしていたヒューの耳に、玄関の扉を叩く音が聞こえ、すぐに椅子から立ち上がった。

「どなたですか?」

 内側からたずねると、穏やかな高い声が返ってきた。

「あの、向かいの、クインです」

 聞き覚えのある声にヒューは扉をそっと開いた。

「……何か、用ですか?」

 現れたヒューを見て、訪ねてきた若い女性は目を丸くするも、次にはぱっと笑顔を見せた。

「もしかして、あなたがヒュー君?」

「はい。そうですけど……」

「セシルから聞いているわ。少し前から一緒に暮らしているって。聞いていた通り、利発そうな子ね。……ところで、彼はいるかしら。その、じゃがいものスープを作り過ぎてしまって、一人じゃ食べ切れないから、お裾分けしようと思って持って来たんだけど……」

 そう言う女性は両手で小さな鍋を持っており、蓋がされて中は見えないが、かすかに美味しそうな匂いを漂わせていた。

「セシルさんは今、昼寝をしてて……起こしてきますから待っててください」

「あ、そ、それならいいの。邪魔はしたくないから。スープだけ貰ってくれたら――」

「バーバラ……?」

 その時、ヒューの後ろからのそりとセシルがやって来た。今日は休日で、午前中の家事を終えた後、休憩で部屋に戻ったセシルだったが、そのまま寝入ってしまっていた。目覚めたばかりなのか、まだ眠そうな青い目はしっかり開き切っていない。

「セシル! ごめんなさい。起こしちゃったかしら」

「いや、ちょうど起きたら君の声が聞こえたから……どうしたんだ?」

「あの、これ、じゃがいものスープなんだけど、多く作り過ぎたから、よければ……」

 差し出された鍋を受け取り、セシルはその蓋を開けて見る。と、すぐにいい香りが立ち上った。

「嬉しいな。バーバラの料理はいつも美味そうだね」

「私の料理を褒めてくれるのはセシルだけよ。もし味が薄かったら塩をちょっと入れてね。それじゃ……」

「あっ、お礼と言っては何だけど、お茶でも飲んで行かないか? 時間があれば、だけど」

「えっと、この後、出かけなきゃいけなくて……でもありがとう。次はうかがわせてもらうわ」

「そうか。残念だな……じゃあ、次の時に」

 女性は名残惜しそうな笑顔を残し、帰って行った。それをセシルも名残惜しそうに見送っていた。部屋に戻り、台所へ向かうセシルにヒューは聞いた。

「あの人はどうしていつも料理をくれるの?」

 調理台に鍋を置いたセシルは振り向く。

「言っていた通り、作り過ぎちゃうんだろう」

「何で?」

「多分、料理が好きなんだよ」

 そうなのか、とヒューは納得した。

 あの女性――バーバラと言葉を交わしたのは初めてのことだったが、ヒューは以前から彼女のことは知っていた。こうして時々、料理を持ってセシルを訪ねてくる姿を家の中から眺めていた。いつからかは知らないが、おそらくヒューがここに来る前から続いていることなのだろう。二人の間にはすでに親しい空気が流れているようだった。

 バーバラが訪ねて来ると、セシルはいつも笑顔になった。それは料理が貰えるからだとヒューは思っていたのだが、どうも違うらしいと感じ始めたのは、月日が経ってからのことだった。

 それまでは料理を持って来るだけだったのが、町の祭りに誘ったり、三人で買い物に出かけたり、用件を変えては頻繁に訪れるようになっていた。セシルのほうも、そんなバーバラを家に招き、一緒に食事をする機会を増やしていた。時にはヒューに留守番を頼み、二人だけで出かけることもあったが、寂しくても、それに付いて行こうとは思わなかった。セシルがバーバラとの時間を大切にしていることを知ったからだ。彼はバーバラに想いを寄せている。そのバーバラも同じだ。二人は互いに恋をしているのだ。それに気付かず邪魔をするほどヒューは鈍感ではない。彼女に会うたび幸せそうに笑うセシルを見るのは、ヒューには嬉しいことだ。そしてバーバラという大事な存在ができたことも喜ばしい。彼女はセシルだけを見るのではなく、ヒューにも意識を向けた。食べたことのない料理を作ってくれたり、ほつれた服を直したりしてヒューとの仲も深めた。そんな優しさを持つバーバラは、セシルとお似合いの女性と言えた。こんな人が側にいればもっと幸せになれるだろう――そんな確信を持って、ヒューは二人の様子を何の心配もなく見守っていた。

 そうして季節は進み、暑く眩しい太陽に照らされ、そしてその勢いに終わりが見え始めた頃だった。

「……どうかしたの?」

 バーバラが作った料理が並ぶ食卓に着かされたヒューは、向かいに並んで座る二人を見つめた。セシルは今日、休暇を取って仕事を休んでおり、朝から家を訪れていたバーバラと共に目の前の料理を作っていた。品数が多く、気のせいかいつもより豪華な料理に感じられた。

「食べる前に、一つ聞いてほしいことがあるんだ」

 セシルは隣のバーバラをちらちら見ながら言う。そのバーバラは微笑んでいる。

「何?」

「実は――」

 彼女をいちべつしてからセシルはヒューを見た。

「俺とバーバラは、結婚することになった」

「結婚……! わあ、おめでとう!」

 ヒューはすぐに喜んだ。セシルはついに大事な家族を作ったのだ。こんな幸せなことはない。

「ありがとう。これからはバーバラも一緒に暮らすことになる」

 笑いかけたセシルに、バーバラは少し照れたような笑顔を見せると、そのままヒューを見た。

「……よろしくね。ヒュー君」

「はい。こちらこそ。……セシルさん、家族ができてよかったね」

「何言っているんだ。ヒューだって家族だろう」

「え? 僕も……?」

 すると二人は目配せをし、笑みをたたえてヒューを見る。

「一つ提案があってね。これまで俺はヒューの身元引受人という立場でしかなかったけど、バーバラと相談して、ヒューを養子に迎えようと決めたんだ」

「養子……?」

「つまり、俺達の子供になるってことだよ。歴とした家族になるんだ」

「私とセシルは、ヒュー君のお母さんとお父さんになるの。どうかしら?」

 自分がセシルの家族になる――思いも寄らない話に、ヒューの心は大きく動揺した。

「手続きは明日すぐにでもできる。認められるには数日かかるかもしれないけど、そうすればヒューは正式に俺達の家族だ。息子に、なってくれるか……?」

 返事を待つ二人を、ヒューは見つめ返して聞いた。

「どうして、家族にしたいの?」

「え……?」

「僕は、家族より主になってほしい」

 これに二人の笑顔が引きつったものに変わっていく。ヒューがセシルに求めることは初めからただ一つ、自分の主になると言ってくれることだけだ。保護者や家族ではなく、主……それ以外は求めていなかった。

「主って、どういうこと?」

 バーバラは首をかしげて聞いた。

「僕が仕える人のことです。言われたことは何でもするし、主は僕が守ります」

「そう言えば、廃坑の事故の時もそんなことを言っていたな」

「セシルさんは、いつ僕の主になってくれるの? いつかなるって言ってたのに……」

 主にはいつかなろう――ヒューはセシルが言ったその言葉を忘れてはいない。だがそれから数ヶ月が経った現在、それが果たされる気配はない。

 不満げなヒューを見てセシルは苦笑を浮かべる。

「そうか。ヒューはその遊びがずっとしたかったのか。ごめん。忘れてたよ」

 未だに遊びだと思い込んでいるセシルに、ヒューは思わず声を荒らげた。

「違うよ! これは遊びじゃなくて、僕は真剣に主に――」

「この先いくらでも時間はあるわ。家族になればなおさら。ヒュー君が望むなら、セシルは喜んで遊びに付き合う。そうでしょう?」

「ああ。これからは俺が一家の主としてヒューと遊んでやれる。遊びたい時は遠慮なく言って――」

「だから遊びじゃないんだ。僕には主が必要なんだ」

 二人の表情には、とうとう疑問が浮かんだ。

「……遊びじゃないなら、どういう意味なんだ?」

「さっきも言った通り、僕は主のしもべになって命令を聞いて、その主を守るんだ」

「一体何のために?」

「何のって……」

 聞かれてヒューはすぐに答えられなかった。何のために主に仕えるのかなど、今まで考えたことがなかった。ヒューの中には漠然と主を欲する気持ちがあるだけなのだ。

「どこで覚えたかは知らないけど、主とかしもべとか、あまりいいものとは言えないな。こだわるようなことでもない。特にしもべなんて虐げられる印象のある言葉だ。自分に対して使うべきじゃないと思うぞ」

「誰かに命令されて走り回るより、皆で協力して何かをするほうがずっと楽しいわ。しもべなんかになるより、私達三人が家族になるほうがよほど有意義でいいことよ。だからこれからは三人で力を合わせて、お互いを助け、守って行かない?」

「三人で……?」

「ああ。家族になればもう孤独じゃない。しもべのように理不尽な命令を聞くこともない。皆、同じ仲間になるんだ。家族という絆で結ばれた仲間に」

「でも、僕は……」

 口ごもり、うつむくヒューに二人は笑顔を向ける。

「何も心配することはないよ。それとも戸惑っているのか?」

「急にお父さんとお母さんができたら、戸惑いもするわよね。でも大丈夫だから。三人で少しずつ慣れて行けばいいわ」

「ヒュー……こっちを見て」

 セシルに言われ、ヒューはおずおずと視線を上げた。

「俺達と、家族になってくれないかな」

 にこやかに、だが懇願する眼差しがヒューを見つめてくる。自分の望みとは違う。けれどセシルは強く望んでいる。家族になりたいと……。彼は主ではない。でもヒューは彼の幸せや喜びは望んでいた。その笑顔はヒューも幸せにしてくれるのだ。そんなセシルの幸せを自分が止めたくはなかった。自分の望みが叶わなくとも、彼がそう望んでいるのなら、応えてあげなければいけないのだろう――複雑な心境を整理できないまま、セシルの青い目を見たヒューは、ためらいがちに小さく頷いて見せた。

「本当に、いいのか……?」

 注意深く確かめるセシルに、ヒューはもう一度小さく頷いた。家族になる――この返事に、二人の表情は一気に明るくなり、安堵を見せた。

「よかった……ありがとう、ヒュー。俺達はもう本当の家族だ。かけがえのない息子だ」

 椅子から立ち上がったセシルはヒューの側まで来ると、その小さな身体を強く抱き締めた。

「……家族になって、嬉しい?」

 セシルの胸に顔を埋めながらヒューは聞いてみた。

「ああ。すごく嬉しいよ。また大事な家族ができたんだ。もう失うわけにはいかない……」

 バーバラもやって来ると、二人を包み込むように抱き締める。

「ええ。三人で、新たな幸せを作って行きましょう」

 初めてできた両親に抱き締められたヒューは、そんな二人から伝わる柔らかな喜びを肌で感じていたが、一方で胸の中では強い迷いを生じさせていた。セシルは家族を得たが、自分は何を得たのだろうか。幸せも喜びも楽しさも、ヒューは欲しがってはいない。あって困るものではないが、なくても困らないものだ。自分はここで、一体何をすればいいのだろうか。

 それからのセシルは毎日幸せそうだった。バーバラに見送られて仕事へ行き、帰って来たら三人で食卓を囲み、一日の話をする。休日には公園へ行き、ヒューと遊んだり勉強を見たり……充足した日々を過ごしているようだった。ヒューも優しい両親を得て、決して居心地の悪さは感じていない。しかしそんな時間を過ごしていくたびに心には懐疑を抱いていた。このまま、ここにいるべきなのか……? 毎日見るセシルは家族を持って、それだけで満足そうだった。けれどヒューは違う。セシルのために家族にはなったが、それは自分が望んだことではない。親になってしまったセシルは、おそらくもう主にはなってくれないだろう――ヒューはそんな気がした。

「じゃあ、留守番、お願いね」

 バーバラが買い物かごを手に出かけて行った。それをヒューは居間から見送る。セシルはすでに仕事へ行き、今ここにはヒュー一人だけがいた。この時を待っていた……。

 窓からバーバラの姿が見えなくなったのを確認して、ヒューはすぐに玄関を出ると、彼女とは反対の方向へと歩き出す。何度か慣れ親しんだ家を振り返るが、足は緩めない。寂しさに後ろ髪を引かれる思いはあるものの、ヒューは強く決心していた。自分には家族ではなく、やはり主が必要なのだ。セシルがなってくれないのなら、もうここにいる意味はないと思った。主を探しに行かなければ……一人になった時を見計らって家を出ると数日前から決めていたヒューは、今日こうして無言の別れを告げて去った。二人は悲しむかもしれない。セシルは町中を捜し回るかもしれない。幸せなままでいさせたかったが、それでは自分の望みが叶わないのだ。壊してしまうことを許してほしい――胸の中でそう詫びて、ヒューはまた孤独な道を歩き出す。この先に待っているはずの主を信じて。

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