苦労人従者のなさけない不平
あれからウィルドレッドに引きずられるように連れられて、リオールは複雑な気持ちでここ加護の街の地に立っていた。
彼は初めてここへ来て女神ヨーフェテリエの加護を付与された時のことを今でも覚えている。
父親であるオベロイス伯爵がよくやったと誇らしげに両手を上げ、母親である伯爵夫人が満面の笑みをたたえた。
長男である兄が、素直に羨ましいと口にしたのはあれが最初にして最後の出来事だった――
「ふは、ふははははははは……」
もう乾いた笑い声しか出てこない。
あの、加護のお陰で、リオールの一生が決まったのだ。
遠い目で王都の方角を見つめるリオールの目の端に、ひょいと赤い塊が映った。
「いやあ、すごい人出だな。やはりテリエッタは加護の街の第一だ」
老若男女が行き合う街中の喧騒の中、青い瞳をキラキラ輝かせ、物珍しそうにあれもこれもと興奮しきりのウィルドレッドがテンション高くリオールに話しかける。
(いや殿下。あなたはここ、初めて来たでしょうに)
そこを至極冷静にリオールは心で突っ込む。
そう、カロゼム王国民の中で女神ヨーフェテリエの加護を付与されることのない『絶対の例外』それがカロゼム王家の血を継いだ者の証明である。
まず結婚の儀式を通した王太子の子として生まれた者には、加護が付与されることは絶対にない。
現在の王の王太子時代に生まれたウィルドレッドとアルゴレストがまさしくそうだ。
しかし王の子の子あたりではその確率がグンと下がる。
そうすると加護を付与された時点で王家の一員から名を外されてしまう。
成人を迎え、女神ヨーフェテリエの教え通りの結婚の儀式を正しく済ませた王家の子であっても、加護の無い子が生まれる確率はそうそう多くないのだ。
さほど遠くない過去、一度『加護無し』の王族が途切れそうになった時があった。
王や王子たちが女神ヨーフェテリエの教えを守らず儀式も行わず、ただ決められた婚約者と普通に結婚をした。それだけで加護無しが生まれてこなくなったのだ。
その時期は自然災害天変地異に加え、他国からの侵害その他諸々、王国が地図から消える危機を国民全てが感じていた。
慌てた貴族たちが、たった一人残っていた加護無しの王族を祭り上げ、急ぎ儀式を行い、花嫁をあてがい王に据えたところ、災害に侵略が何もなかったようにぴたりと止まり、今に至る。
世に何の役に立つかわからない加護はいくつかあれど、完全無能の『加護無し』でなければ王を名乗ることが出来ないという、正に不可思議な存在。
それがカロゼム王国の王というものだった。
だからこそ、どんなにやっかいな病気持ちでも『加護無し』の王太子ウィルドレッドを命の危険にさらすわけにはいかない。
それにウィルドレッドからの命令でもある。
そう思い歯を食いしばって、ここテリエッタまで付いてきたリオールだ。
ここへたどり着くまでの二十日間の旅を振り返ると、ぶるりと背筋が震えた。
王都から出ることの少なかった自分もあまり人のことを言えた義理ではないが、ウィルドレッドのものの知らなさときたら本当に最悪だ。
相乗り馬車での一触即発事件から色々と頭の痛くなることばかりを起こしてくれる。
(そろそろ休みが欲しいと切実に感じるがどうなのだろう……)
早く、誰か追手をさしだし……いや、迎えに来てくれないかというリオールの願いは、屋台でだらだらとうんちくを語るウィルドレッド相手にキレた店主の怒鳴り声にかき消された。
「だあっ、兄ちゃんいい加減にしてくれっ!あんたがそこで訳の分からないことをベラベラ喋っていられると客が寄ってこねーんだよ」
安いアクセサリーを握り締めた店主が、それをぶるんぶるん振り回しながらがなり立てる。
売り物にもかかわらずそんな扱いをするということは、よほど苛立っているのだろう。
「いや店主よ、褒めているのだからしっかりと聞いて欲しいな。君の店のものは面白いものが多いと言っているのだ。ほら、このネックレスなどチェチンリンローニの涙に引けを取らない個性的な仕上げだ」
「やかましい!そりゃあ俺の嫁が適当につなげて作ったやつだってーの。何がチンチロリンの涙だ、意味が分かんねえ」
(国宝です)
リオールは心の中だけでそう告げた。
「あと、店主」
「なんだっ!?」
「せっかくの売り物が壊れてしまうぞ。大事にしないと」
そう言われて店主がその大きな手のひらを見れば、留め金部分が歪みかけているブローチがあった。
「ああー、畜生っ!もういい、これをくれてやるから二度と近寄ってくるな、わかったな!?」
べしっと投げつけられたそのブローチは、慌てて差し出したウィルドレッドの両手をするりとすり抜け屋台の台の上に落ちる。
こんなに近くで投げられたものですら掴み切れない彼の運動神経の無さはある意味すごい。
リオールはそれを横から拾い上げ、それが当然のようにウィルドレッドの手のひらの上に乗せた。
「ほう、紫水晶だな」
「阿呆、ガラス玉だ。お貴族様の店じゃあるまいし、そんなもの扱えるか」
下町のお土産物屋台は手軽に買える程度のものしか扱っていない。そんなことも知らない上に、ものの良し悪しもわからないウィルドレッドの姿にリオールの頭痛がぶり返す。
けれどもそんなことはおかましなしのこの世間知らずの王太子は、それを聞いてさらに楽しげな声を出した。
「そうか、ガラス玉でもこんなに美しいものが出来るのだな。店主の嫁御は神のごとき手を持っている」
「お、おう。ありがとよ……」
手放しで褒めたたえられて腹の立つ人間はそういない。
あれだけ腹を立てていた屋台の店主だが、すでに毒気を抜かれたようになっている。
「うん。これだけのものをタダでいただくわけにはいかない。リオール、財布を」
その言葉に条件反射で応えてしまってから、リオールははたと気がついた。
ウィルドレッドは金の使い方を知らない、と。
実際ほとんど王宮から出たことのないウィルドレッドが直接買い物などしたことはなかった。
この花嫁探しの旅に出て、初めて貨幣に触れたも同然の生活をしていたのだ。馬車の代金を自分で払ってみたいと駄々をこねた時も、リオールが手渡した銅貨をそのまま車夫に渡し替えただけだった。
(まずい。あの性格だと、キラキラしているからというだけの理由で金貨を選ぶ……)
リオールが危惧したように、今まさに財布の中から金貨を取り出し渡そうとしたところで、彼らの後ろから声がかかった。
「あら、違いますよ。ええ、そちらの小さい。そうそう、銅貨を二つでよろしいと思います」
風に揺れる風鈴のような涼しげな声が、ウィルドレッドに助け船を出した。
「これで、いいのだろうか?」
「ええ、十分です。ねえ、ユリベル?」
「はい、お嬢様。ご店主、そちらでかまいませんね」
もう一つの茶色い影が軽やかにリオールの横に現れると、ごく自然に店主と挨拶を交わす。
彼は大きく目を見開いてその影に見惚れ、彼女らが店主とのやりとりするのをただ黙って見つめることとなった。
そうしてブローチの代金を支払い屋台の店主からの帰れコールの受け、広場から少し離れた場所に置かれていた椅子に移る。
「いやあ、ありがとうございます。お二方のおかげで助かりました」
「ふふ。そんなことございませんわ。私も図々しくもお声を掛けてしまったのではないかと心配しておりました」
黒髪の美少女がその美しい笑顔を向ける。それに負けじと輝く白い歯を見せて、王太子ウィルドレッドが応えた。
「とんでもない!もの慣れぬ僕たちを正しき道程へ導いてくれたランプの天使かと見間違えましたが、図々しいなどとは露とも考えませんでした」
(おい。おい)
大事なことなのでリオールは二度突っ込んだ。
さすがにその思春期の病が漏れだした台詞は初対面相手に止めて欲しい。
上品に笑う美少女は気にも止めてないようだが、隣に付いているユリベルと呼ばれた焦げ茶色の髪の可憐な少女の顔はひきつっているように見える。
それ以上は口を開くなと言う代わりにこっそりウィルドレッドの裾を引いたが、おもいっきり剥がされた。
「まあ、ランプの天使ですって!面白い例えをされるのね」
「いいえ、私は貴女のような美しい女性を飾りたてるのに、陳腐な台詞しか浮かべることのできない想像力の欠如した男でしかありません」
そう言って、黒髪の少女の右手を取る。
と、思われたその手が空を切った。
まさかそこまで運動神経が足りないのかと、リオールが驚いていると、座っていた目の前が暗くなりそこにどすの利いた声までが落ちてくる。
「おうおう、兄ちゃんたち。金貨とは随分と景気のいい様子じゃあねえか。ちょっくらその財布を俺らに貸してくれねえか?」
「素直に置いてきゃあ、何もしねえよ」
大きな体に乱暴な口調。いかにも下町の破落戸といった輩が、いつの間にかウィルドレッドの右手首を掴んでいた。
「おい、その手を離せ!」
しまったと、舌打ちを鳴らしてしまうほどリオールは慌てた。
今までこんなことがないようにと周りに気を使いながら上手いことウィルドレッドを目立たせないようにしてきたのに油断した。
どこにでもこんな輩の一人や二人はいるものだが、テリエッタが加護の街だからと気を緩めすぎていたのだ。
最悪、金貨の入った財布を投げつけて走って逃げるという手を使えばいいのだが、しかしそれでは今ここで知り合いになり始めた少女たちをも一緒に守れるとは限らない。
むしろ破落戸の矛先が彼女たちに向いてしまってはまずい。どうするか、そう考えを巡らしていると、突然少女の大きな叫び声が空気を裂いた。
「きゃぁあああ!誰か、見回りの騎士を呼んでください!殺されるぅうう!」
いささか演技くさいような声だったが、効果は抜群。
道行く人々がこちらを気にかけ始めたところで、慌てた二人組の破落戸たちが財布を奪い取ろうとした。
しかし何故か突然一人が膝から崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。
その男につんのめるようにしてもう一人が倒れ込むと、リオールの左手がぎゅっとなにかに包まれるような温かさを感じる。
「走って、早く」
こちらを心配するその言葉に誘われるように、急ぎ荷物とウィルドレッドの襟首を掴み、リオールはその場から逃げるように走り出した。




