辺境伯令嬢のたわいのない賭け事
辺境伯家のタウンハウスの居間で、お気に入りのお茶を飲んでいたラビスィーラが、ふと思い出したようにユリベルへと声をかけた。
「そういえば、手形を替えていただくのを忘れてしまいましたわね」
「あのネックレスのことでしょうか?ラビスィーラお嬢様」
ウィルドレッドとリオールたちとの旅の最終日、不本意な別れ方をしてからというもの、ラビスィーラは非常に機嫌が悪かった。
見た目はさほど変わらないが、ラビスィーラの機嫌は日々の訓練によくあらわれる。
その証拠にあれからひと月ほど経っているにもかかわらず、あの場に飛び出してきたユリベルの父親、エスパッダ辺境伯の右腕であるフィアータ男爵の体は常にボロボロだ。
辺境伯家のタウンハウスに到着してからというもの、毎日のようにラビスィーラからの特訓と称したしごきを受けているのだから当然だろう。
ちなみに、フィアータ男爵を放置してアルゴレストと先に王都へ行ってしまったラビスィーラの弟のであるリソベルーリは、早々にタウンハウスへと引き戻されて一日と半日でダウンした。
その後から今現在にいたるまで、ベッドの上でうなされている状況である。
それだけ不機嫌の塊であったラビスィーラがようやく落ち着きはじめ、柔らかな笑顔を見せるようになり、あの日以降、初めてウィルドレッドに対しての言葉を発した。
「そうよ。あのチンチロリン!」
笑いながらラビスィーラが手を叩いた。
話題のそれは、旅の途中で見てもお世辞には素敵なものと言い難い出来であったが、タウンハウスの中であるといっそう貧弱に思えるほどだった。
貴族ならば子供のおもちゃにもなりそうにない。おそらくタウンハウスの侍女ですら誰一人として欲しがらないだろう。
しかしそんなネックレスを思い出して、とても楽しげな様子で笑うラビスィーラ。
(あんなに喜んで。私も、なにか、リオール様からいただけたのなら良かったのに……)
プレゼントというものはもの自体だけではなく、それを渡してくれた人や気持ちというものが大事なのだ。
全く欲しくもないネックレスでも、羨ましいと思ってしまう。そんな自分が恥ずかしくて、ユリベルはきゅっと下唇を噛む。
「せっかく王太子殿下が下さった手形ですからね。ちゃんとお願いを叶えていただかないと。そうね、軍馬百頭と換えてもらえるのかしら?」
「え?」
「それとも王宮の名刀百振りとか?」
「お嬢様……何か違います」
(けど、それはそれである意味ラビスィーラお嬢様らしいかな)
生まれてこの方において辺境伯家の跡取りしか欲したことのない彼女が、おねだりなど考えていること自体稀有なことなのだ。
「その、ただ、謁見できますでしょう、か?」
旅の道中こそイラっとさせられるほど迷惑をかけられ、時には耳をふさぎたいくらい話しかけられるほど近くにいたが、貴族とはいえ男爵令嬢のユリベルからは本来遠い雲の上の存在だ。
本当に王太子殿下へ目通りが叶うことが出来るのかはわからない。
その上、どこが?と突っ込みをいれたいくらいだが、一応病弱という理由で社交にでることはほぼ皆無だったウィルドレッドだ。あの後すみやかに王宮へと帰ったと思われるものの、今まで通り全くといってその姿を人前に出すことはないらしい。
「あら、絶対に外せない儀式があるじゃない。王太子殿下には」
「あ!……結婚の儀式」
ユリベルの言葉に、にっこりと笑顔を返すラビスィーラ。
もう残りひと月とせまったウィルドレッドの二十歳の誕生日、成人として認められるその日に執り行われる結婚の儀式。王国存亡がかかっている儀式には、あのウィルドレッドであっても出席することは絶対に間違いはない。
「お父様の名代として出席すれば、お目通りも叶うでしょう」
ふふふ。と、口角をあげて笑みを深くしているが、ラビスィーラはそれでいいのだろうかと、ユリベルは思う。
そもそもあの旅の始まりは、ラビスィーラがウィルドレッドを気に入り、人となりや様子をみたいと考えたからこそだった。
その相手がまさか王太子だとは思いもよらなかったが、入り婿候補に考えるくらいにはお気に入りだったのだ。
「それで、よろしいのでしょうか……お嬢様?」
「よろしいもなにも、結婚の儀式はひと月後なのよ。儀式に参加される三人の乙女は決定しているわ」
ラビスィーラが首を少しだけ傾けてそう答えると同時に、居間の扉が大きく開く。
相当厚みのある絨毯敷きにもかかわらず響く足音とともに辺境伯家当主、アダマント・エスパッダが入室した。
ひと月後の結婚の儀式へ参列のために王都へと一昨日タウンハウスへ到着したところだが、早速王宮から呼び出された。
出て行った時よりも深い皺を眉間に刻みながら、たった今帰宅したようだ。着替えも済んでいない。
そうして開口一番「違う」と言い放った。
「お父様、一体なにが違うとおっしゃられますの?三人の乙女には、ケイル伯爵家とドレイズ子爵家にコーズ子爵家のご令嬢が選出されたのではありませんか」
「それが違うのだ」
ふた月前、ラビスィーラが辺境伯領より家出する時にのされたエスパッダ辺境伯は、その時に痛めた右ひざをかばいながらゆっくりとソファに腰を下ろす。
「コーズ子爵家の令嬢が三処女より降ろされた」
「あらまあ。けれどもベルヌイ様は元々華やかな噂のある方でしたからね、仕方のございませんこと」
「しかし他に成り手がなかったのだ。それをっ、あのっ……くそっ!」
それから胸ポケットに忍ばせていた親書をラビスィーラの前にと差し出した。
「ええと、『アルベ領より残る処女の選出を求む』ですって!……つまり、辺境伯家より乙女を選べと言うお達しですのね」
「ああ、そうだ。せっかく、今日の今日までのらりくらりとかわしてきたというのにどう言うことだ!?さすがにこれほどギリギリになってからでは、人材を探しだしたとしても王太子殿下に相応しい教育が間に合わない……」
そう。儀式さえうまく執り行われるのであれば、相手が最悪平民でも構わない。
しかし、それでも王家に嫁ぐための儀式に参加するのだ。最低限の作法は覚えてもらわなければならない。
そのために、費やす時間がないのならば、自ずと候補者は限られてくると言うもの。
つまり辺境伯家のアベル領で、貴族令嬢としての作法の心得があり、儀式までのひと月以内にその準備が出来るものとして該当するのはたった二人だけ――
ラビスィーラ・エスパッダ辺境伯家令嬢と、ユリベル・フィアータ男爵令嬢の二人だけだった。
丁寧に親書を折り畳み、ラビスィーラはそれを辺境伯の前に置く。
「それでは、私が」
「いや、それは困る」
彼女がそう紡いだ言葉を、辺境伯は押しとどめた。
「リソベの技量をはかりたいがために延ばし延ばしにしてきたが、やはりラビスとの差は大きい。あやつも悪くはないのだが、どうしてもお前と比べると粗が目立つ。アベル領とこの国の境界を守るのはラビス、お前に任せたいと思っている」
「けれども、それでは……」
「ああ、だが選ばれるとは限らないだろう?三分の一の確率だ。他の二家のようにやる気はないのだ。影に隠れていればいい、だから」
辺境伯の申し訳なさそうな瞳がユリベルの顔へと向けられた。
「頼む、ユリベル。お前が我がアベル領を代表で三処女の一として王太子殿下の結婚の儀式に出てくれ」
一瞬、ユリベルは何を言われているのかわからなかった。
いや、聞こえてはいた。話の流れからみても、そうなるのだろうという予感もしていた。
けれども実際に懇願を受けた時、目の前に映ったのは辺境伯ではなく、リオールの顔だったのだ。
もう一度だけでも会いたいと願っていたリオールの、主である王太子ウィルドレッドの儀式の相手のうちの一人となる。
そんな一度たりとも考えたこともなかったことが現実としておこりうるとは。
辺境伯はたった三分の一だと言い切るが、その三分の一の確率で自分の好きな人の仕える王太子の妃となってしまう。
(嫌だ……でも……)
ぶるりと小さく震える拳をぎゅっと握りしめる。
(私がここで引き受ければ、お嬢様な何の憂いもなく長年の夢、辺境伯家の跡取りとなる。だとしたら……決まっているの)
ユリベルは姿勢を正して辺境伯へと向かい合う。そうして丁寧にお辞儀をしてみせた。
「お話、つ……謹んでお受けいたします。御領主さま」
「ユリベル!」
「おお、ユリベル。よく言ってくれた!万が一の時にも、我がエスパッダ家が全て後見することを誓おう」
重荷が取れたような辺境伯がほっと息を吐いたと思うと、急に饒舌になりあれやこれやと条件を並べ立て始めた。
その言葉を右から左へと聞き流しながらユリベルは一人思いを馳せる。
(ああ、リオール様。どうか私のことを図々しい女と思わないでくださいね)
きっと側近であるリオールには、自分の参加は知られてしまうだろう。
けれどもウィルドレッドが王太子だと知ったから儀式に参加するのだと思われたくない。そんなせめてもの願いを頭に浮かべたところで、それもまた図々しい願いだったことに気がつく。
ばかね。そう自嘲の笑いを浮かべていると、いつの間にかラビスィーラが辺境伯に何かを頼んでいるようだった。
「ではよろしく、お父様」
立ちあがったところ左ひざを軽く蹴られ、弾き飛ばされるように居間から辺境伯が出て行ってしまうと、ラビスィーラはあらためてユリベルの前に立つ。
「あの、お嬢様。御領主様に、何をおっしゃったのですか?」
「ああ、一つだけお願いしたの。あなたが私のために賭けをしてくれたのだから、私もそれに見合った賭けをしようと、ね」
「そんな……お嬢様がそんなことをなさる必要などありません」
「いいのよ。本当にたいしたことではないのだから」
笑いながらラビスィーラはユリベルの両手を握る。
「ユリベルも私と同じで頑固だから、一度自分で決めたことは覆さないと思うけれど、もう一度確認するわ。儀式に参加するのね」
「はい。参加させていただきます」
強く、美しいラビスィーラの為だ。例え何があろうと、もう何一つ迷わないと決めた。
「それならば私が言うべきことはないわ。でもそうね、これだけは言わせてちょうだい」
ふわんと柔らかな香りが舞い上がったと思ったら、ユリベルはラビスィーラの胸の中に納まっていた。
「大好きよ、ユリベル」
「……私もです、ラビスィーラお嬢様」
ぎゅっと抱きしめられながらユリベルは、最後に一度だけと、一粒だけ涙をこぼすことを自分に許した。




