中二病王太子のあっさりすぎる断念
ドスン、ドスンと足音を立てながら近づくゴリラ。
大きすぎるほどの体躯に、フーフーと荒い鼻息が周りの空気に溶け込んで、ひどく恐ろしげな気分にさせられる。気がつけばリオールの握り締めた手のひらの中は汗で湿っていた。軽く足も震えている。
まさかこんな静かな裏街道に、はるか南方の国に住むゴリラが出没するなどと誰が想像できようか。クマならともかく。いや、クマでも十分御免被りたい。
リオールにはこの国でも稀有な加護がある。
といってもそこはそれ、流石にゴリラ相手にして無事でいられる保証もないと思っている。
けれども、それでもこの場から逃げだすつもりもなかった。なんといってもリオールは王太子ウィルドレッドの従者であり、彼を守らなければならない義務があるのだ。
それに――彼らの前に立つユリベルとラビスィーラも当然守るべき対象だ。
慌てながらも地面に落ちていた棒きれを掴み彼女たちの前に出た。
一歩、また一歩と近づくゴリラに対し、グッと身構える。そこへ耳をつんざくような咆哮とともに、騎士服に身を包んだゴリラがリオールたちへと突っ込んできた。
(……騎士服っ!?ちょ、は、うえぇえ?)
そのおかしな事象に驚き呆気にとられた瞬間、風のようにリオールの脇をすり抜けた二つの影がその目の前で大きく手を広げたゴリラ(仮)の顔面と腹を蹴り倒していた。
「おお、お見事!」
「お見事じゃねえっ!や、あ?え、何が起こった、んですか?」
のんきにパチパチと手を叩くウィルドレッドに向かい、つい本気で怒鳴りつけたが、直ぐにリオールは自分の立場を思い出す。
どんなにあんぽんたれでも中二病でもウィルドレッドはリオールの第一だ、と。
あらためて倒れたゴリラの方に目をやると、勝ち誇ったようなラビスィーラがゴリラ、もとい騎士服の大男の肩口に足を置き颯爽と立っていた。
そしてその横には両手で顔を隠したユリベルがしゃがみ込んでいる。
「なんだ、リオール。見ていなかったのか?彼女たちがそれはそれは鋭い蹴りでそこのゴリラを見事に瞬殺した手腕を」
「違うでしょう!」
「……ああ。手腕ではないな、足……腿。いや、違う」
「そっちじゃありませんっ!!ゴリラ!いえ、ゴリラではないですよね。その、騎士服……え、彼女たち…………?」
恐る恐るもう一度彼女たちに目を向けると、ユリベルは相変わらずしゃがんだまま顔を下げていたが、ラビスィーラの方はこちらへ笑顔を向けていた。
「うちのゴリラが大変申し訳ありませんでしたわ」
(ゴリラじゃないだろうがっ!!騎士服着たゴリラってなんだ?あれ?いや、そうじゃない、絶対に!……って、うちの、ゴリラ?)
首を捻りつつリオールが視線をユリベルへと移すと、顔色を青くした彼女が大きく息を吸いこんでいた。
そうして「あ、あの……」と声をあげたその時、さらなる唸り声とともに倒れていたゴリラ(仮)が立ちあがり、怒涛の勢いでリオールたちの前に立ちはだかった。
そして――片膝をつく最大級の礼をウィルドレッドに向けたのだった。
「ウィルドレッド王太子殿下とお見受けいたします。このような非公式な場におきまして、大変ご無礼かとも考えましたが、臣下の一人として御挨拶申し上げまする」
「え?」
「え?」
「え?」
「あれ、バレてる」
その言葉に、全員の目がウィルドレッドへと向いた。
「ええ……本当ですの?」
訝しげにラビスィーラが声を漏らすと、騎士服の男が膝をついたままそれに答える。
「間違いございません。昨日、道中にてアルゴレスト殿下と行き合いました折、王太子殿下がいらっしゃいますゆえ、不備なきようにと仰せつかりました」
「なんだ。じゃあリオールと川に落ちたのは、やっぱりアルゴだったのか。ねえ?」
「え、ええ。まあ……はい」
(あんの、脳筋王子っ!誰にも言うなって言ったよな!?)
いくら騎士とはいえ人前、しかもウィルドレッドが狙っている花嫁候補にバラしてどうするのだろうか。
その上ウィルドレッド自身もあっさりと自分の正体を暴露する。リオールは頭を抱えた。
どうしてまあ、この肝心な時にあっさりと答えてしまうのかと。しかも、あれが自分の弟だと気が付いていたとも言い切った。
(……いや、しかしそうするとアルゴレスト殿下だと気がついたこの騎士は?あれでも一応変装はしていた。直接顔を見た私や、ご兄弟である殿下ならば気がつくかもしれないが。一介の騎士が気づく、のか?)
「まあ君もよくアルゴだと気が付けたね」
ウィルドレッドの前にしゃがみ込む大きな体躯が着込むのは、カーキの騎士服。
王都の薄いグレーのものとは違い、華美な装飾もない実務的なものだ。表にほとんど出ることのないウィルドレッドに付きそう従者のリオールも実際目にしたことはなかったが、知識だけはあった。
この色の騎士服を着ることのある隊といえばたった一つ。貴族の中でも王家から独立した騎士隊を持つことの出来る、あの家名しかなかった。
「はい。我が主君のご子息、リソベルーリ様がいらっしゃいましたので」
にやりと凶悪な笑顔をたたえてその騎士服の男は答えた。
「ああそうか。エスパッダ辺境伯のリソベルーリとアルゴは随分と仲が良かったっけ」
アルゴレスト自身が普段から話していたことだったので、当然リオールもウィルドレッドもそのことは知っていた。そしてこの裏街道を教えてもくれたのも、辺境伯家のリソベルーリだとも。
そうすると、その辺境伯の騎士を「うちのゴリラ」と呼んでいた、ラビスィーラは――
「つまり、ラビスィーラ嬢は、辺境伯家のご令嬢ということでよろしいのでしょうか」
「ええ、その通りでございます。ウィル様……ではなく、ウィルドレッド殿下。そして、ユリベルはそこにいるフィアータ男爵の三女になりますの」
(マジかっ!?)
リオールは顎が抜けるかと思うほど驚いた。ラビスィーラが実は辺境伯令嬢だということにも驚いたが、ユリベルについてはそれ以上だ。
まさかあれほど可憐で柔らかそうでいい匂いがして可愛らしいユリベルの父親があのゴリラ(偽)などと誰が思うのか。本気で血縁関係の有無を調べるべきだとも考えた。
しかし、やたら恥ずかしがって顔を下に向けているユリベルの姿を見るに、その親子関係に間違いはないのだろう。
「で、そのフィアータ男爵が突然飛び出してきたのは、やっぱりユリベル嬢が泣き出しちゃったから?」
ウィルドレッドの言葉にピクリと反応したフィアータ男爵が、地を這うような低い声で静かに反論する。
「いいえ、殿下。そろそろ王都へたどり着くという頃合い。さすがにここまで来て、年頃の男女が一緒に旅をするというのも外聞がよろしくないかと思い、僭越ながらご忠告を差し上げるべきかと考えました」
「うーん、そうだねえ。ラビスィーラ嬢やユリベル嬢に迷惑をかけるわけにはいかないし。特に僕は、結婚の儀も近いわけだし……だろう?」
「は、ははは。ご理解のほど、大変ありがたく存じます、殿下」
にこやかに笑っているつもりのフィアータ男爵の笑顔が怖い。
いや、実際笑ってはいないのかもしれない。彼の後ろには、腕組みをしたラビスィーラが物言いたげに立っているし、その隣には娘のユリベルも拳を握り締めて付き添っている。
「だということだ。ラビスィーラ嬢、ユリベル嬢。君たちとの旅路は大変楽しく過ごさせていただいたよ、ありがとう」
旅の道中と変わらぬ気安さで声をかけるウィルドレッドに、ラビスィーラは腕組みをほどいた。
「私は自分で決めたことを途中で止めることは良しとはしない主義なのですが……今回のみはそういうわけにもいかないのでしょうね」
「だね」
ウィルドレッドの答えに合わせるように、胸元に両手を置いて美しい礼をしてみせた。
ユリベルもラビスィーラに倣うように腰をかがめたが、その顔はリオールへと向いていたと彼には思えて仕方がなかった。
「じゃあ、また」
そう言って、ぴらぴらっと手を振ると同時に振り返り、ゆっくりと歩き出すウィルドレッド。
リオールは急ぎ持てるだけの荷物をまとめて後を追った。王都へたどり着くまで大した日数はかからないし、どうせエスパッダ辺境伯の息のかかった人間が周りに付いてくるだろうから危険はないだろう。
しかしリオールには、あれだけ大騒ぎして無理矢理王宮を抜け出してきたのにもかかわらず、こんなにあっさりと戻っていいのだろうかという気がしないでもない。
「本当にいいんですか?ウィルドレッド殿下」
「もちろん、いいよ。だって、もう必要がないからね」
見る人が見れば、ぽおっと頬を赤らめるような笑みを浮かべてウィルドレッドは言い切った。しかし長い付き合いのリオールにはわかる。
(ああ、これ一番やっかいなヤツだ……)
機嫌よく歩くウィルドレッドの隣で、リオールは軽く後ろを振り返った。最後、涙目になっていたユリベルに声をかけられなかったことに後悔したが全てあとの祭り。
もう見えないなあと、小さくため息を吐くと、いつの間にか転んでいたと騒ぐウィルドレッドの手当てに向かった。




