奮闘侍女のせつない感情
(リオールさんに手を振り払われてしまった……!?)
ラビスィーラとの約束を遂行するために、男性陣へ張りついてみたものの、ウィルドレッドにはのらりくらりと質問をかわされ続ける。
そんな中、リオールだけがユリベルを気にかけて、色々と話題を振ってくれていた。
少し困ったような表情になりつつも、なんのかんのとユリベルの相手をしてくれるリオール。
いつの間にかユリベルは、その柔和な顔立ちへと心惹かれていってしまった。
少し違うことをして離れていても、つい彼の姿を探してしまう。先ほどもそうだった。
料理と野宿の支度で分かれた時、あろうことかラビスィーラに全て押し付けて、リオールたちの手伝いに向かってしまったのだ。
勿論、野営慣れしているラビスィーラなので支度自体は全く問題ない。しかし、主をほったらかしてということが、ユリベル自身にとってもあり得ないことだった。
けれどもそこまでしてユリベルが彼らのもとへと近づき、リオールが負った火傷の手当までしたというのに、彼はユリベルからまるで逃げるかのように、足早に移動してしまった
ユリベルのショックは隠しきれない。
しつこくまとわりついていた自覚はある。
けれどもそれは一応、ラビスィーラの入り婿候補であるウィルドレッドの情報収集だという大義名分の下での話だ。
そして確かに最初こそそのつもりでウィルドレッドへと話しかけているつもりだった。それがいつの間にかユリベル自身が、彼の側に付いている、リオールとの会話を楽しんでしまっていた。
(……そんなに迷惑だったの?)
大きく肩を落としたユリベルは、とぼとぼとラビスィーラの下へと向かった。あのまま炊事場へは戻れなかったからだ。
リオールからあれほどの大きな拒絶を受けてまで、もう一度彼に声をかけられるほどユリベルは厚顔無恥ではない。
いや、本来のユリベルならばラビスィーラの為ならば恥を恥とも思わず計画を遂行出来るはずだったのだが、今この場においてはそう思ってしまったのだ。
「んー……ねえ、ユリベル?」
「はい。ラビ……お嬢様……」
「何があったのかしら?」
「いいえ。いえ……その、どうも私では……ウィル様のことを調べるのが、難しそうです。……申し訳ございません」
「そんなに落ち込まなくても……あ、ユリベル?」
実際あれほどまとわりついていた割には、全くといってウィルドレッドの情報は手に入っていない。
それどころか気がつけばさりげなく彼と話をかわしているラビスィーラの方がよっぽど情報通だ。
それが最近読んだ本だの、最近王都で流行ったお菓子で美味しかったものなどろくでもない情報であっても。
自分のしていることに、本当に意味があるのか?
ただ単に、リオールたちの邪魔をしているだけではないのか?
あの拒絶が頭のなかで反すうされて、そんな考えが頭のなかでぐるぐると回りだす。
ぽろりと、焦げ茶色の瞳から、小さな水玉がこぼれ落ちた。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい」
その涙が頬を伝う感覚とともに、ユリベルは気が付いてしまった。
(私……リオールさんが好き……)
人目を惹くラビスィーラの隣に並ぶユリベルにも分け隔てなく笑顔を向けてくれる。
主であるウィルドレッドの我がままに、ほんの少しだけ眉間を寄せながらもテキパキとさばいていく姿。
川に落ちたのを目にした瞬間は、息が止まりそうになった。
職分を逸脱してウィルドレッドへと声をあげてしまったのも、全てはリオールのことを思ってのことだった。
ラビスィーラの為と言いつつ、ユリベル自身がリオールのことを知りたいと感じていたのだ。
だから、この謝罪の言葉はラビスィーラに向けてのものでもあり、迷惑をかけてしまったリオールへの思いも込められていた。
しかしそんなふうにしてユリベルのこげ茶色の瞳からぽろぽろとこぼれる涙は、ラビスィーラにはそうはとられなかった。
「ユリベル。支度をなさい」
「……え?」
謝りながら涙を流すユリベルに肩を置き、ラビスィーラはすくっと立ちあがる。
そうしてほぼ支度の終わったはずの野営準備を取っ払い始めていく。
「え、え、え?」
「さっさと片づけてここから離れるわよ」
「待ってください、ラビスィーラお嬢様。もう暗くなってきていますから。それでは、リオ……ウィル様たちがお休みになれません」
夜間行軍訓練も経験済みのラビスィーラやユリベルならば、この程度の裏街道など整備されているも同然なので問題ない。
しかし、あの虚弱ウィルドレッドなどは野営準備がなければまず休むことすらままないだろう。
ユリベルがそう説明しても、ラビスィーラの手は止まらない。
「放っておけばよいでしょう。私のユリベルを泣かすような方々ならば、見極める必要もないわ」
「な……泣いて、など」
慌てて瞳の縁に残る涙をぬぐい取って言い返すが、全く無意味だった。
「いいえ。辺境伯の騎士たちが何をしようとも、今まで全く泣いたことのないユリベルが泣いたのよ。それだけでもう、あの方々と一緒に旅はできません」
それだけ言い切るとラビスィーラは、ユリベルへと振り返りぎゅっとその身体を優しく抱きしめた。
「今は何も聞かないわ。でも、落ち着いたら話してちょうだいね」
(そんな……何もされていないのに……ああ、どうしよう)
逆に、仕事を邪魔していたのはユリベルの方だ。けれどもその涙の理由を説明するのも難しい。
なにぶんにもユリベルにとって、リオールへの恋心は生まれて初めての感情であり、そして当然ながらその恋に揺り動かされるのも初めての経験だった。
どうやって説明をすればいいのか?ユリベルが口をはくはくとしながら言葉を探していると、彼女たちの急な動きに気がついたウィルドレッドとリオールが、にこやかに声をかけてきた。
「どうされましたか?ラビ嬢」
「場所を移すのでしたら私もお手伝いをいたしましょう」
一度整えた寝床を、取り払いはじめていたのだからそう思ったのだろう。その上で手伝いを申し入れてくるリオール。
やっぱり紳士的だとユリベルはポッと頬を赤らめた。
しかしラビスィーラは、そんな彼女の姿には気が付かない。
「ええ、場所を移すつもりです。けれどもお手伝いは結構ですわ」
ずいっと三歩ほど前に出て、少し冷たい印象の目元を、より一層冷ややかにしながらラビスィーラが答えると、そこではじめて、おや?という顔をした。
「何か私どもが御迷惑をおかけいたしましたか?」
旅のともという意味での迷惑というのならば始めからといっていいほどだが、この際それは言う必要のないことだ。
ラビスィーラとユリベルだけならばとっくに王都へ到着していたのだから。しかし、今ラビスィーラはそんなことは全く違うことで腹を立てているのだ。
「ユリベルを泣かせるような方々とは御一緒できませんので」
え?という顔で驚くリオールと、振り向くウィルドレッド。
「そ、それはどういったことでしょうか?」
慌てているようでいて、少しワクワクしたような口調のウィルドレッドに比べて、青い顔色をしたリオールは口をぱくぱくとさせるだけで声が出てこない。
「どうもこうもございません。とにかく私たちは、これで」
ツンっとすました声が響いたのと同時に、勢いよくリオールが走り寄ってきた。
その勢いに反射して後ろにいくばくか下がったユリベルだったが、それ以上は木の根に足を阻まれて動けなかった。そうして足を止めたユリベルの手のひらをリオールは両手で優しく包み込んむ。
「っあ、先ほど?……手を、はらってしまった時に、ケガを?」
「……いえ。そのっ、そうでは、なくて……」
「でも、随分と痛そうだ。その……涙の、あとが」
心配そうに覗きこむリオールの緑色の瞳が痛くて熱い。夜のとばりが下りかけているこの時間帯でもきらきらと輝いている。
「……やっ、違います。あの、誤解、なんです」
そう反射的に答えるもその手を押しのけることはしない。
それどころか顔を真っ赤に染めてもじもじと視線を動かすユリベルだ。
「誤解、ですか?あ、はい。ならば……」
そこまで口にすると、ようやくその手の置きどころに気がついたリオールだが、こちらもまた離すこともせずにそわそわと体を揺らしながら顔を赤くした。
「えー……と、誤解だそうですよ。ラビ嬢?」
「……そのようですわねえ」
さらに声を明るくしたウィルドレッド。
何とも都合のいい解釈だが、当の本人たちが誤解だと言い切った。ならばこれ以上強行する必要はないかと、ラビスィーラが納得しそうになったその瞬間――
「ユリベル!」
「はい、ラビスィーラお嬢様!」
ユリベルを呼ぶ声が聞こえたかと思えば、いつの間にか握っていた手が離され、リオールの体がふわりと浮いた。
何があったのかと考える間も無く、気がつけばユリベルとラビスィーラの後ろでウィルドレッドと並んでいた。
「え?リオール……瞬間移動?」
「そんな訳ないでしょう。いや、ないと思うのですが……」
そこまで遠くにいたわけではないが、一足飛びで近づけるほど近くにいた覚えもない。
そう首を捻りつつ、リオールがユリベル越しにその視線の先を覗き込めば、ギラギラと光る二つの瞳が見てとれた。
その上なんとそれは、プシュー、プシューっと危険極まりない鼻息を荒げている。
「あ、あれは……クマ、ですか?」
リオールの慄くような声が聞こえる。
木々生い茂る裏街道だ。そういった危険とてあると考えたのだろう。
しかし、ラビスィーラはあっさりとその考えを切り捨てた。
「いいえ、ゴリラですの」
「ゴリラぁあ!?」
当然だろう。ゴリラなど本来なら南方にしかいない動物だ。
しかしながら、目の前にいるのは確かにゴリラ。大きな体躯を揺らしながら四人へと近づいてくる。
ユリベルは心の中で大いに謝った。
(すみません。すみません。あれは、うちの、父親ですっ!)




