苦労人従者の大いなる逆転
「でっ、で、で、殿下っ!ちょっと、どういうことですか!?」
リオールが右手で書類を握り締めながらウィルドレッドの私室へと飛び込んだ。普段ならばどんな時でも礼節をわきまえ得て行動する彼にとって、これは非常に珍しいことだった。
「あ、ちょうどいいところに。リオール、ちょっと腰、腰揉んでくれないかな?」
そんなリオールの形相にひきつつも、ソファに寝そべり続けるウィルドレッド。
実は正体がバレ、ラビスィーラたちと離れた後すぐ、たった数時間で遭難した。
残り二日の行程、ほぼ一本道の裏街道をどうすればそうなるのか不思議なほどだが、これもまたウィルドレッドの逆張りの才能だろう。次から次へと面倒をしょい込み、倒れる。
そうしてなんとか王都へとたどり着き王宮へ帰ることが出来たのが、なんと十日前のことだったのだ。
二日の道程が二十日以上、つまり予定の十倍かかるとはリオールにも想定外であり、帰宮の報告を入れた後、二人仲良くダウンしてしまったのも予定外の出来事であった。
溜まりに溜まった疲労が抜け、ようやく床を上げたのが三日前。当然王太子に送られてくる書類も山のように溜まっている。そこで回って来た書類を確認したところ、あまりの急展開に臣下の礼も吹き飛んでしまった。
「殿下の腰なんてどうでもいいです。むしろそんな腰、砕けてあそばせなさい」
「いやいや、リオール。君が何を言っているのか、さっぱりわからないのだけれど?」
「わからない!?そんなのこっちこそわかりませんよ!」
その相変わらず呑気な声に苛立ち、ぶんっと大きく手を振り上げた。
力を入れ過ぎたためくしゃくしゃになった書類をテーブルに叩きつけられる。それをウィルドレッドは軽く引っ張り一文字一文字追いながら読んでみた。
「ええと『ご要請を受けました三処女の一のこと、アベル領よりフィアータ男爵家の長女ユリベルを選出させていただきますこと、ここにご報告させていただきます』だって…………えっ!?」
さすがのウィルドレッドもその内容に目を丸くする。一体どういった話でこんなことになったのか?
首を捻りつつ顔を斜めにして、指先でつまんだ書類をもう一度きっちりと読み返す。しかしどうやって読もうが内容は変わらない。
「これって、あのユリベル嬢のこと?」
「他に誰がいるとお思いですかっ!アベル領!フィアータ男爵家!ユリベル……そう書かれているではありませんか……」
自分の口からユリベルの名前が零れると、本当にここに書かれている名前が彼女のものだと実感する。そうしてリオールはその場に力なく膝を落とした。
(ユリベル嬢……彼女が儀式に……そんなまさか……)
項垂れているリオールを尻目に、ウィルドレッドは皺を伸ばした書類を再度眺めた。
「んー、これって王家からの依頼だよね。しかも、直接エスパッダ辺境伯家に向けて送っているみたいだし。こんなことするのって、さあ……」
ウィルドレッドが疑問の言葉を言いきらぬ間に、開ききった私室の扉から、先触れもなくアルゴレストが入室してきた。
慌てて立ち上がり頭を下げるも、リオールはアルゴレストの言葉に再びひっくり返りそうになる。
「ああ、辺境伯より返事が届きましたか。兄上」
「やっぱり、アルゴの仕業か」
その呆れたような言葉に、リオールは弾かれたように頭を上げた。とてつもなく嫌な予感しかしない。なにせこの兄弟は、常にリオールの斜め上を行く。
「アルゴレスト殿下!?……え、まさか?」
「リオール、あの時お前言ったろ?兄上が気に入って一緒に旅している女の子がいるから一枠空けておけって」
(言いましたけどーーっ!!)
「なのに兄上もお前も、なかなか帰ってこないし。帰ってきたと思ったら寝付くし。空けた枠を早く埋めてくれって、宰相がせっついてくるから、俺から連絡してやったんだって」
「何故エスパッダ家へ?アルゴは彼女が誰だかわかっていたの?」
珍しく、ウィルドレッドがアルゴレストへ真面目な顔を向ける。
「いいえ。でもあの後、人探し中だと言うリソベルーリと行き合いました。あらためて、あそこはエスパッダしか知らない裏街道だと聞き、関連の者だと確信しました」
(そこは間違っていない。いないけれども……だからといって!確認もせずに!儀式の参加を強要するとはどういうことだっ!!)
なんとか叫びだそうとする口をおさえ、拳を握りしめる。
しかし、ウィルドレッドに意中の少女がいるから、儀式の枠を空けてくれと頼んだのは、まぎれもなくリオール自身である。そこはアルゴレストへ向け文句の言えた筋合いではない。
「仕方がないなあ。予定と違っちゃったけど……ああ、アルゴ。三処女の件、了解したからもう帰っていいよ」
しっしっ、と面倒くさそうに手を振るウィルドレッドに向かい、アルゴレストは切れ長の目尻をこれでもかと下げて答える。
「それでは兄上、良き伴侶をお選びくださいませ!」
これで自分の婚約者、シュレーゼ・メキャリベとの障害なき結婚が近づいたと、アルゴレストがほとんどスキップという足取りで部屋を出て行った。それはもうウキウキ気分で。
それを横目で見送りながら、ウィルドレッドは小さくため息をついた。
「全く、アルゴのおかげで計画が台無しだ」
「え?」
「我が愛しのラビスィーラ嬢を捕まえるべく、せっかく『花竜堕天』と作戦名までつけたのに、実行する間もなかったよ。残念だなあ」
淡々と語るウィルドレッドの前に立ち、リオールは大きく頭を下げた。
「今からでも遅くありません!作戦のネーミングはアレですけれど、殿下のお気持ちは彼の方にあられるのでしょう?お手伝いいたします!いえ、させてください!」
このままユリベルが儀式の相手となると、三分の一の確率で正妃となってしまう。決まった婚約者のいないウィルドレッドの儀式に参加するということは、そういうことだ。
ならば、どうにかその相手をラビスィーラと取り替えてしまえばいいだけ。そんな身勝手な思いで体が動いていた。
しかし、リオールの言葉に耳をかしたウィルドレッドだが、一拍置いて何かを考えるような素振りをした後、ゆっくりと答えを返す。
「うーん。でもまあ、いいかな?」
「っ……」
「アベル領宛てに出した依頼に対してラビスィーラ嬢が出てこないのが答えだろう?もし彼女にその気があったのならば、その時点で三処女になってくれると思うんだ」
(……確かに、あの気の強そうな、というかゴリラを一発でのした力があれば、誰も逆らうことができないな)
「王命って無理強いすれば、逆に辺境伯も意固地になりそうだしね。だったらいいかなって」
「その、何が、いいのでしょうか?」
嫌な予感でリオールの胸が大きく騒ぎ出す。そこを事も無げにウィルドレッドの大鉈が落とされた。
「いやだから、ユリベル嬢も僕の愛すべき小鳥だってことだよ」
「っ……殿下ぁあ!!」
足が崩れそうになるのを踏ん張り、リオールはそれでもくってかかろうとするが、最高に整った笑顔のウィルドレッドに次の言葉を言われてしまえばもう降参だった。
「リオール、これはもう決定事項さ。君は僕の最良のためにあるのだろう」
「ぐっ…………はっ!ウィルドレッド殿下の申すままに」
唇を噛みしめながらリオールは全てを享受せざるをえない。
なぜならリオールの加護は『翼賛』――各王の世代に一人しか出現することのない特別な加護である。
その王、もしくは王太子の補佐をするときのみ強力な力を有する、まさしく王の為だけの加護『翼賛』は決して主を裏切ることは出来ない。
そうとウィルドレッドが決めたのならば、どれほど心の中で嫌がっていても最大限最良の結果を出そうとするのがリオールの加護なのだ。
三処女の中からユリベルを選ぶとウィルドレッドが言ってしまえば、それに抗う術を持たないリオールは、ぎゅっと瞳を閉じて瞼の裏に映る姿を思い出す。
(少なくとも、彼女の想いが叶うことを喜ばないと……)
リオールの瞳を覗き込み「ウィル様は?」と、はにかみながら尋ねるユリベルが、三処女の一に選ばれた。そしてその彼女のベールをウィルドレッドがとろうと言うのだ。
ならばリオールのすべきことは決まっている。
大きく深呼吸をして、胸の痛みを無理矢理に抑え込み、これから儀式までのやるべきことに没頭すべく仕事に戻っていった。
***
ひと月という日々はあっという間に走り去っていく。
ただでさえ国家的重要行事である王太子の成人と結婚の儀式の準備だ。激務はリオールにそれ以外のことなど考える暇すら与えなかった。
その上いつも通りのウィルドレッドは無茶ぶりを仕掛けてくる。
それを何度もやり過ごし、頭から突っ伏しそうになるギリギリのラインをリオールはなんとかこらえ、めでたく成人の日を迎えることが出来た。
その日、正装したウィルドレッドはきらきらと眩き輝く王太子姿を初めて王国民に披露した。
バルコニー下から見上げる祝いに駆けつけた民衆も、王宮内での祝いの宴に参加する貴族たちも、その完璧な王太子に皆感嘆の声をあげる。
彼の奇行をバカにし続けていた貴族であっても、あまりの美しく洗練された姿に、三処女の名乗りを断ったことに後悔する声まで聞こえ始めた。
参列の貴族たちが結婚の儀式前の大広間へ移ると、更にその声は大きさを増す。
特に三処女を選出したケイル伯爵とドレイズ子爵の鼻の上がりっぷりは天井知らずだ。
誰かが話しかける度に鼻は上を向く。それに相反し、エスパッダ辺境伯とフィアータ男爵は全く驕ることなく対応している。
その様子を見るほどに、やはりユリベル以外を選んだ場合の弊害が大きそうだと、リオールはため息をついた。
前に立つウィルドレッドにユリベルを選んでほしくはないものの、他の二人ではあまりにも親族の様子がまずい。いくら王家に力がないとはいえ、それでもカロゼム家は一国の王には違いない。干渉してきそうな芽は最初から摘んでおくのも『翼賛』のリオールの役目。
(やっぱり、仕方がないことなんだな……)
このひと月というもの、殺人的スケジュールの中でも振り切れなかった想いが、今日のこの日になり再び頭の中をよぎる。何度も思い出したユリベルの笑顔、それがまた脳裏に浮かび始めた。
その時、ほんの少しだけ灯りが落とされ、儀式の始まりの銅鑼が響く。
それが合図となり、思い思いに会話をしていた貴族たちが潮の引くように大広間の隅へと流れていった。
大きく豪奢な扉が開いていくと、鋼鉄の鎧を身にまとった騎士が先頭を切り威圧的な姿を現した。
その後ろには、全く同じ白いドレスに白いレースのベールで顔をすっぽりと覆っている三人の少女たちが続いく。
ゆっくりと、流れるように歩く三処女は、並ぶ順もランダムで、誰が何番目に出るのかなどは一切知らされることはなかった。
これが、正式に婚約している立場であるのならば当人たちにわかる合図も決めておけるが、ウィルドレッドにはそういった相手はいない。
すべてはウィルドレッドの気持ち次第。
そしてリオール以外の者は知らないが、ウィルドレッドは思春期の病さえ出さなければ、王国一優れた観察眼と頭の持ち主だった。一度会った者ならば、その姿を変えようとも絶対に間違えることはない。
騎士が所定の場所に止まると、その横へ並んでいく三処女。
どの姿も同じようにしか見えないのか、周りの貴族たちも興味津々そうに覗きこんでくる。ウィルドレッドがゆっくりとその少女たちの前に向かう。
そんな中、列の最後、騎士から一番離れたところに立つ少女と目が合った。
幾重に重なったレースのベールからは決して見えるはずがないのに、確かに会ったのだ。そして、その瞳が泣いていると――
(ユリベル嬢…………)
次第に大きくなる「何番目が選ばれるのか」という囁きも、リオールには届かない。
ただ、ウィルドレッドがユリベルの、最後の少女の手を取らぬように祈る、祈っていた。
けれども、ウィルドレッドの足がユリベルの前に止まると、もう全てを忘れてしまった。
加護も、何もかも、全部、全部。
気がつけばウィルドレッドの横をすり抜け、リオールはユリベルの手を取っていた。
「リ……オール様……っ!?」
(ああ、ユリベル嬢の声だ。間に合った……!)
彼女の驚きつつも跳ね上がるような声を聞いた途端、そっと手をかけてユリベルにかかるベールを持ち上げた。
その少女は間違いなくユリベルであり、彼女のこげ茶色の瞳がリオールを見つめて、嬉し涙に潤んでキラキラと反射している。
やはり諦められないと、全てを捨てる覚悟で飛び出したが、やはりそれで正解だったのだ。
その輝く瞳に中に自分だけが映っていることに、リオールは大きく安堵した。




