辺境伯令嬢のてきとうな洞察
リオールが落ちた。
そう思った瞬間にユリベルはすぐに川の下流へと体を向けた。しかし、足は動かない。
ユリベルはラビスィーラの侍女であり、エスパッダ辺境伯家に連なる家系の者として、主を置いて追いかけるという選択肢はなかった。たとえ誰よりも強いラビスィーラであろうと、仕える者としては当然だ。
そのはずなのに、ユリベルはどうしても川の流れていく先を見つめてしまう。
「お嬢様!」
自ら動けないのならば指示を仰ごうとラビスィーラへ声をかけるが、彼女もどう対応しようかと考えているようだ。
一瞬の突進で、リオールと共に川へ落ちて行った間抜けな襲撃者。
ざっと気配を探ったところでは、それ以外の者が近くにいるようには思えない。だとしたら、リオールを探しに行くようにと、ラビスィーラが一言ユリベルに言い付かってくれればいい。
そうすれば、すぐにでも川を下っていける、そう思った。
しかし、ラビスィーラがユリベルに何かを口にする前に、ウィルドレッドが呑気な声を出して言った。
「川の流れとは、早いものですねえ。まるで時の流れのように一瞬だ。手もだせるものではない」
「え?」
「ええ?」
そしておもむろに川の岸へしゃがみ込み、手のひらを川へ突っ込みぴしゃぴしゃと水を跳ね上げさせる。
「うん。これだけならば簡単に水もつかめるような気がするというのに、一気に流れ去ってしまえば手も足もでない。不思議なものですね」
にっこりと、その整った顔を笑顔に変えてラビスィーラとユリベルに向ける。
そして立ちあがった時にはお約束のように川にすべり落ちそうになっていたが、すぐに隣によっていたラビスィーラが手を差し出したので大事にはならなかった。
しかしたった今リオールが流されていくのを見ていたというのに、どれだけ粗忽者で呑気なのかと思い、彼の言動に正直苛立ち始めるユリベルだ。
だから、つい声を出してしまった。
「あのっ、ウィル様……私、リオールさんを探しに行ってきましょうか?」
「……ユリベル?」
怪訝そうな声を出したラビスィーラを敢えて見ずに話を続ける。
「ラビお嬢様と一緒にこちらで待っていただければ、私が川沿いに戻ってみます」
これは、誰ともわからない者の接近を許してしまったというユリベルの不手際なのだ。
つまり、リオールを追いかけることはその尻ぬぐいなのだと、彼女は自分に言い聞かせる。
そんなユリベルにもう一度笑いかけるウィルドレッド。
「まあまあ、そんなに慌てなくても大丈夫でしょう」
「慌てるなって……ウィル様は、リオールさんが心配ではないのでしょうか?」
「ユリベル!」
噛みつくユリベルを諫めるように、めずらしくラビスィーラが声を荒げた。
あくまでもリオールはウィルドレッドの従者だ。例え旅に同行しているとはいえ、ウィルドレッドがリオールのことを心配していないなどと、一々口にすることは過干渉であり、ぶしつけな態度であるという考えなのであろう。
しかし、ウィルドレッドはそれを鷹揚に手で抑える。
普段なら絶対に引くことのないラビスィーラが、何故か彼のこの仕草を受け、ユリベルを叱りつけることを止めた。
「心配はー……そうですね、川の水は冷たいですから、濡れて風邪をひかないようにといったところでしょうか。リオールは普段から喉が弱いんですよ」
「え、あの?」
「それ以外はあまりしていません。彼を信用していますので」
「は、はあ……」
あまりに飄々とした受け答えに、なんだか毒気を抜かれた。
旅に同行してからというもの、常にはしゃいでいる姿とはうって変わって、どうにも勝手が違いすぎる。
「それに、必要な荷物も選んで置いていっているようです。ほら、昼ご飯の入った袋もちゃんとここにあります。ですから少し落ち着いて、ゆっくりとここで休憩といきませんか?」
そうして、リオールが川に落ちる前、岸に投げ入れた荷物の袋を両手で掴んだ。
しかしそのたった二つの荷物の重さに耐えきれなく、今度こそ見事にひっくり返ったウィルドレッドだった。
結局のところ、それからウィルドレッドの言う通りその場で昼食と長い休憩を取っていると、残りの荷物を抱えたリオールが重い足取りながらも、どこにも怪我なく合流することができた。
「申し訳ありません、お待たせいたしました」
まるで川に落ちたことは大したことではないように、遅れたことを謝罪するリオール。
「先ほどの方は、どうやら連れの方とはぐれたようです。それで、間違えて私の腕を掴んだようですが、突然すぎて私の方が足を滑らせてしまいました」
「本当に?危害はなかったのですか?」
「ええ。あちらも迷惑をかけたことを、大変申し訳なく謝っておいででした」
「ほらね。心配はいらなかったでしょう?」
ウィルドレッドは、合流したばかりのリオールに食後のお茶を淹れてもらい、それを口にしながらドヤ顔を向けた。
確かに何でもなかったかのように振舞っているところをみると、ユリベルだけがあたふたとしていたように思えて、少しだけ恥ずかしくなる。
「お詫びにと、手持ちのチーズや白パンもいただきましたので、夕食にお出しいたします」
当たり前のように自分の主の世話を焼くリオールの姿を見てユリベルは、ようやくここで彼の無事を確認できたような気になった。
***
「ところでユリベル」
「はい、お嬢様。なんでしょうか」
予定の三分の一も進めなかったため、一昨日に引き続き野宿となった。
本来ならば辺境伯の手の者が使えるようにと、この裏街道には一日の行程ごとに小さな小屋が用意されている。
しかしウィルドレッドたちとの旅は、全くといっていいほどに予定通りにはいかず、大きく時間を費やしていたためなかなか小屋までたどり着けない。
ラビスィーラとユリベルだけであれば逆に、予定を大きく繰り上げることによって小屋の使用をすっ飛ばしただろう。そのため野宿の準備は万端だ。
今日もまた寝床の支度はユリベルたちがおこない、その間リオールとウィルドレッドは夕飯の片づけをしてもらっている。
その途中、大きな布で場を区切っているところでラビスィーラが声を潜めながらかけてきた。
「……寝込みを襲うのは、やっぱりまずいかしらねえ?」
っげほ!げほげほっ!あまりに驚きすぎたために喉がけいれんした。まあまあ、と背中をさすりながらラビスィーラは言葉を続ける。
「あら、襲うと言ってもケガをさせるつもりはないのよ」
「ダメに決まっています!な、なにを……言って……」
ようやく吐き出した言葉も、途切れ途切れになってしまう。
(え……まさか、まさか夜這い、とか?お嬢様が……ダメ!そんな、絶対にそんなことはダメぇええ!)
辺境伯家から飛び出してくる時も、『さっさと既成事実を作って相手を捕まえてしまえばいい』などと言っていたラビスィーラだが、まさか本当に実行する気があったのかと慄いた。
「あ、あのですね。お嬢様、いくらその、既成事実だとか言っていても、本当にやっていいことと悪いことが、あると、思うのですが……」
事が事だけに、周りには誰もいないことを知りつつも、さらに声を潜めて語りかける。
いくらラビスィーラが剣と辺境伯の爵位にしか興味がなく、目的のためには手段を選ばない性格だとしても、さすがに未婚の貴族令嬢が口に出す言葉ではない。
一通りは淑女としての教育も受けてきているはずなのだが、これは一体どういうことだろう。ユリベルは少しだけ考えを深くした。
(もしかして、それほどまでにウィル様に本気なの?って、でもやっぱりダメ!)
そう考えると、妙に顔が赤くなる。出来るだけ諭すように、そして自分も落ち着かせるようにと、ユリベルは静かに尋ねた。
「……それほどまでに、ウィル様をお気に召しましたか?ラビスィーラお嬢様」
「え?いいえ。全く」
呆気ないほどの答えに、逆にひっくり返りそうになった。
(なんでぇええ!?)
ユリベルの問いに少し考えるような素振りをしてから、そっと彼女の耳もとへと唇を近づける。
「彼ね、多分、思っていたよりもバカなおぼっちゃまではない気がするの。さっきの様子を見たでしょう?妙に落ち着いていたし。本当のおバカさんなら、リオールが川に落ちた時、きっと慌てふためくと思うのよね」
「はあっ?」
「だから候補者の中に入れていいものか、ちょっと襲って正体をひん剥いてから考えようかと思ったのだけれども、やっぱりダメかしら?」
「ダメですっ!」
どこの貴族令嬢が、結婚相手にと考えている男性を襲って正体を暴こうというのか?いや、それはそれでありあのか?いえいえ、それではリオールにも迷惑がかかる。
などと頭の中でああでもないと考えおかしくなりそうになったが、それが一周回ったところでパンっと何かが爆ぜた。
「わかりました、お嬢様」
「わかってくれたのね、じゃあ」
「いいえ、違います。そこまで言われるのならば、私が、絶対に私が、ウィル様とリオールさんが、どこの誰なのか、本当にお嬢様に相応しいのかを調べ上げます」
そうユリベルが言い切ると、一瞬口を尖らせたラビスィーラだったが、ふと思い立ったように笑う。
「なら、ユリベルにおまかせしようかしら?どうせこの分では、王都へ着くまでまだまだ時間もかかりそうだし、ね!」
「大船に乗ったつもりでお待ちください」
泥船でも気持ちが大きければ大船だ。いざとなれば守るものだけ掴んで逃げ切ればいい。
それが何になるかはわからないが、それはその時に考えよう。
ユリベルは明日からの情報収取のあり方をもう一度再考しながら寝床についた。




