1日目【鶴岡八幡宮】
◇◇◇◇
そのまま紬は東京駅へと向かった。
普段の東京駅とは姿が真逆で、駅全体が静まり返っている。
「朝1番はやっぱり、すがすがしいわね~」
そんなことを言いながら、ホームへと上がっていく。
心を入れ替えようと、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
そして、深く息を吐く。
始発の横須賀線が遠くから近づいてくると、一気に周囲が騒がしくなる。
放送の音、周囲の話声……
紬が乗った車両はほとんど無人で、そっと窓際の席に腰を下ろす。
列車がゆっくりと動き出し、東京の町、ビル群、スカイツリーが次第に遠ざかる。
そして、空が少しずつ色を変える。
携帯電話は電源を落とし、ただ静かに景色を見つめる。
◇◇◇◇
「やってきましたぁ!鎌倉っ!」
鎌倉駅に降り立つと、潮の匂いがした。
参道へ向かうと、人はまばらでまだシャッターも開いていない。
紬は一人で参道をのんびりと進む。
まだ多くの店ではシャッターも開いていないが、紬の目には1つの店が目に留まった。
古い日本家屋を改築したような、古民家風の食事処だった。
そこに入ると、70代くらいの老夫婦が店番をしている。
「ご注文はどれにするの?」
席に着くなり、丁寧そうな高齢の女性が紙とペンを持って現れた。
「じゃあ、鯵の焼き魚定食でっ!」
注文したのはお店のおすすめの一番上にあったものだ。
「はいよ。鯵定一つ~!」
「ん」
そのまま、女性はお冷とおしぼりと箸を持ってきてくれた。
しばらくして、奥から高齢男性がお盆に乗せて持ってくる。
「わぁっ!」
紬は思わず口元を抑える。
出来立ての味噌汁の湯気が宙に立ち上る。
紬はその香ばしい匂いにつられたまま、箸で鯵に触れる。
「っ……!!」
箸でほぐした鯵の身はふっくらとしていて、箸を当てるたびに弾力で跳ね返ってくる。
口の中に入れた瞬間、磯の味が広がる。
(こんなにも美味しいものを、どうして今まで食べなかったのだろう)
紬は、あまりのおいしさに箸が止まらない。
その横で老夫婦は嬉しそうに微笑んでいる。
店を出る頃には、参道に少しずつ人が増え始めていた。
紬はスーツケースの取っ手を握り直し、鶴岡八幡宮へと歩き出した。
◇◇◇◇
紬は参道をきょろきょろ見渡しながら歩く。
そして、ふと立ち寄った骨董店で古い茶碗を手に取った。
「わぁ……伊賀焼に信楽焼、美濃焼っ!なんて素敵なの...特にこの美濃焼は私の家の食器と合いそうだなぁ~」
そう呟きながら茶碗を棚に戻す。
(今割れ物を買って、割れたら大変だものっ!)
紬はそう思った。
「その茶碗気に入りましたか?」
会計のところにいた一人の女の人が近づいて来る。
「はい!ですが、まだ旅の途中なもので……」
紬は正直に答える。
「配送も承っておりますが、いかがでしょうか?」
女の人の提案に紬の心に花が咲く。
「お願いします!」
そのまま、勢いに任せて買ってしまった。
◇◇◇◇
長い参道を歩くと、鶴岡八幡宮の大きな門が見えてくる。
神楽殿の前を通過する
階段を上るたびに、息が切れる。
だが、紬の心のうちはどこかすがすがしいような感じだ。
境内の空気はどこか不思議で神聖な感じがしてくる。
やっとの思いで着いた本殿に手を合わせる。
紬は心の中でそっと願った。
「自由でありたい」と。
その願いは、朝の光に溶けていった。
◇◇◇◇
再び、電車に揺られて小田原駅に着く頃には、すっかり太陽が昇っていた。
新幹線の改札を抜ける。
そして、そのまま次の電車のホームへと向かおうとしている時、駅弁売り場の前で足が止まる。
色とりどりの弁当が並んでいるが、紬が選んだのは「小田原名物・鯛めし弁当」
電車内で机を出し包みを開く。
すると、ふわりと鯛の香りが紬の鼻へと運ばれる。
白身はしっとりとしていて、噛むとほのかな甘みが舌に広がっている。
また、柚子がとってもいいアクセントになっていて美味しい。
窓の外では、街が良く見えないような速度で駆け抜ける。
紬は鯛めしを止まらない箸で口に運びながら、ふと昨夜の志木の声を思い出す。
【え……ちょと___?】
あの時志木は何を言おうとしたのだろうか。
紬の胸には罪悪感という名の物が刺さる。
「途中で切ってしまったから、詫びも込めてお土産買おう……職場にも変わってもらってるだろうな。仕事……」
◇◇◇◇
京都に着く頃には太陽が赤く染まっている。
紬は宿に荷物を置くと、貴重品だけ持って夕食探しに出かける。
直前で宿を取ったせいで夕食が付けられなかったのだ。
そのかわり、直前割ですごくお得。
近隣で有名だという店舗に並ぶ。
30分ほどで入店がかなった。
周囲の人の話し声から普段はもっと並ぶということがわかって、紬は内心驚く。
紬が、注文したのはこの店で定番の湯豆腐定食。
鍋の中で白い豆腐が揺れ、レンゲでそっとすくう。
口に含むと、滑らかで、とろける。
大豆の濃厚な甘みが口の中いっぱいに広がる。
そして、胡麻だれの風味もとってもマッチングしている。
「かまなくてもいい……飲み込めるんじゃないかしら?」
そんなことを思いながら、あっという間に食べつくす。
食べ終わり、外に出ると足元を街灯が照らしていた。
◇◇◇◇
紬は、携帯電話を取り出し明日の予定を確認する。
木の温かみを感じながら布団に入る。
そして、静かに目を閉じた。
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