第三幕③ 犬面の男と煙の正体
ノック音はラビットの背後の扉からだった。
規則正しく、三回叩かれている。
(入る時は俺の他には誰もいなかったはず……だよな? デイドリームの関係者かな……)
「は〜い、どなたッスか?」
不安になる俊也だったが、ラビットは特に気にした様子もなく、振り返って返事をする。
『ラビット君、ディンゴだ。入室しても問題ないだろうか』
「おぉ、ナイスタイミングッス! 鍵はかかってないッスからどうぞ入ってくださいッス!」
扉越しから聞こえてきた声にラビットの表情は目に見えて明るくなり、ノックの主の入室を歓迎する。
「失礼する」
部屋に入ってきたのは、青年のようだ。
シワのない青のポロシャツに、ベージュのスラックスを身につけて清潔感があり、ジェーンと同じような仕事が出来る若手ビジネスマンのような雰囲気をさせていた。
ただし、その顔は犬の面によって隠されており、表情を知る事は出来なかった。
ピンと立てられた三角形型の両耳に、突き出た鼻先、目は細く鋭い眼光が光っていた。ラビット同様に精巧に作られている為か、まるで獲物として狙われているような油断のない視線を感じとってしまう俊也。
砂のような薄茶色の毛皮が付けられていたので犬と認識してしまったが、どちらかといえば狼のような野生の気配が強く見られた。
ただ、本来なら被捕食者である兎は怖がる様子もなく、犬面の青年と話している。
それは、ラビットの背後の煙の色で分かる。
だが、話している犬面の背後には何も視えない。
(……もしかして、あのお面のせいか? ラビットの煙もここに来たら視えるようになったし……)
俊也がそんな風に考えていると、ラビットが犬面の男性と共にこちらへ向かってくる。
「俊也、紹介するッス。こちらはディンゴさん。オイラと同じくコミュニティのメンバーッス」
『ディンゴという。改めてデイドリームへようこそ、坂口 俊也。君の来訪を心から歓迎する』
「あ、ありがとうございます………」
紹介された犬面の青年―ディンゴ―は、軽く会釈してから右手を差し出してきたので、戸惑いながらも握手に応じる俊也。
『顔を出せない無礼を許してもらいたい。少々見苦しい傷があるので、面をつけたまま話させてもらっても大丈夫だろうか』
「あ、はい……問題ないです……」
先ほどのラビットの声と同様に、はっきりと聞こえている。
面にスピーカーでも内蔵されているらしい。
『早速で申し訳ないのだが、いくつか確認したい。座長からは事前に聞いているが、君にしか見えない煙が見えると聞いているが、間違いないかな?』
「そ、そうです! 」
ディンゴからの問いかけに、食い気味に頷く俊也。
ディンゴはズボンから手帳とペンを取り出し、何か書き始める。
『見えるのは、他人……自分以外の人間にのみだろうか?』
「い、いえ。鏡越しで自分の後ろにもあるのを確認しました」
『煙の色は? 何の色が見えたかが分かれば教えてほしい』
「え、えーと………赤や青、黄色……他にも五色ほど見えました」
『………ほう、ちなみに煙がどういう物か分かるかな』
「か、感情じゃないかなと。分からないのも多かったけれど、赤い時は怒りで青が悲しみや憂鬱。黄色が喜びを表していると思いました。色の濃さでどれぐらいその感情が強いのかを意味しているんじゃないかなと………」
『…………そうか、なるほど』
ディンゴからの質問に答えるたびに、近くにいるラビットがだんだんと驚愕の表情を浮かべていくのが見えて、少し笑いそうになってしまうのを必死で抑える俊也。
当のディンゴ自身は、面を付けているので表情が分からなかったが、俊也が説明する事に口数が減っていき、最後には頭を抱えてブツブツと何かを呟きながら、考え込み出す始末。
面のせいで表情が分からないが、無表情な犬顔が悩む様子に俊也は少し不気味に感じてしまった。
『………三日で、覚醒しているとは。しかも症状を聴く限り、もう終わりかけに当たる。
自分の時とはだいぶ違うな。理解もしているようだし、当初の予想からも外れてばかりだ。
これならばラビット君の方が適任ではないのか?
しかし、それならば座長が自分を指名した理由が分からない。単なる顔合わせならば、わざわざ呼び出す理由はなんだ?やはり……』
「ディンゴさん! 帰ってくるッスよ! 」
『うん? ……あぁそうか、話の途中だったな…』
ラビットに肩を揺すられたディンゴははっとした様子で俊也の方へ向き直ると、頭を下げる。
『少し余計な事を考えてしまった、申し訳ない』
「あ、いえ……大丈夫です……」
そう返した俊也だが、内心不安な気持ちになってしまった。
この人が頭を悩ませていたという事は、難しい症状なのだろうか。
そんな事を考えた俊也は恐る恐るディンゴにたずねてみる。
「あ、あの……俺の、この状態は何かマズいんですか?」
『いや、そうではない。君の症状については分かっている。なにせ自分にも同様の症状が出ていた』
「っ! じ、じゃあ………」
『結論から言うと、君のそれは病ではない。潜在覚醒による副反応だ』
「ふ、副反応………?」
予想していなかった言葉に俊也は戸惑ってしまった。
ディンゴは、困惑の表情を浮かべる俊也を他所に説明し始める。
『異能の潜在覚醒は発育不良だという事は座長から聴いていると思うが、肉体が異能を認識し始めると止まっていた異能の成長も一気に促進される。
本来ならば徐々に馴染んでいくのだが、現在の身体に適応出来るよう急激に異能が成長した結果、制御出来ない力が漏れ出してしまった。
それが、今の君の状態だ』
「つまり、これって……」
『端的にいえば、異能版の二次性徴だ』
「頭痛とか、目が痛むというのは……?」
『急に成長した際の成長痛があるかという質問だ』
「あぁ……なるほど…………」
ディンゴから告げられた言葉に納得し、頷く俊也。
だが、次第に身体が震え出していく。
寒さや怯えによる物ではない。
怒りからだ。
「ちゃんと説明しろよ!!! あのクソピエロ!!!」
気付けば、俊也は大声で叫んでいた。
「あんな、思わせぶりな言い方されたら、不安になるだろうが!! 病気じゃないなら、違うと、そういえばいいだろう!!」
ここ数日、抑えつけていた鬱憤を晴らすかのような俊也の絶叫は室内中に響き渡っていた。
ひとしきり喚いたせいで、俊也は息を切らしていたが、それでも怒りは収まっていなかった。
「ま、まぁまぁ。何もなくて良かったじゃないッスか! 」
「ラビット……?お前も知っていたんじゃないのか……俺の症状が副反応だって事を……!」
「ちょ、ま、待つッス! オイラもさっき急に呼び出されたから俊也を呼んだ理由なんて知らないッスよ!?」
『……なるほど、こうなる事が分かっていたから座長は自分に声をかけたという事か。
………それならば、事前に伝えて欲しい物だ』
肩で息をしながら睨みつけてくる俊也の気迫に怯えるラビット、その隣で何かに納得したように嘆息するディンゴ。
『坂口 俊也、落ち着きなさい。ラビット君が言っている事は事実だ。自分が保証する』
「………」
『座長が君に話さなかった理由も含めて自分が説明する。だから少し冷静になりたまえ』
俊也は不満を隠す気もなくラビット達を睨みつけていたが、ディンゴの穏やかだがはっきりした物言いに渋々同意した。
いつの間にかラビットが人数分の椅子を持ってきており、ディンゴと俊也に勧めてくる。
全員が椅子に座ると、ディンゴは説明を開始する。
『まず、座長が副反応について説明しなかった理由についてだが、君を不安にさせない為だ』
「俺の為? こんな症状が出ると分かっていたのに?」
『そこが誤解だ。座長は君を騙すつもりで言わなかった訳ではない。想定外が重なった結果だ』
「……想定外?」
『今までの傾向では、潜在覚醒はどんなに早くても一週間以上かかると予測していたのだ。その上、副反応が出るのは更に一週間は要する。三日でここまで急速に促進されたケースは今回が初めてだ』
「あ……そうッスね、確か最速はディンゴさんの二週間だったッス」
思い出したようなラビットの発言に同意するように頷くディンゴ。
『加えて、副反応はどんな症状が出るかは事前に予想出来ないのだ。余計な心配をして精神状態が不安定になると、却って酷くなる事が多い。
だから、座長はあえて話さなかったのだ』
「……酷いというのは……」
『様々だ。念動力の暴走によるポルターガイストや瞬間移動の暴走による無差別移動など周囲を巻き込む場合もある。
今回の君の症状は感情を色で見る「共感覚」が出ていたが、他人の心の声が絶えず聴こえてくるというのもある』
ディンゴが淡々と告げていく副反応の例に、瞬間移動して地中に埋まる姿や耳を塞いでも四六時中人の声が聴こえてくる状態の自分を想像し、身震いしてしまう俊也。
そんな状態は紛れもなく、地獄だ。
『安心したまえ。そこまでの症状が出るのは珍な事だ。君の症状を聴いた限り副反応は終盤に近い』
怯える俊也を安心させるように優しい言葉をかけるディンゴ。
その言葉に俊也は思わず安堵の息を吐いた。
落ち着いた俊也を見ながら、ディンゴは穏やかに言葉を続ける。
『坂口 俊也。確かに座長が事前説明を怠ったのは事実だが、君から連絡があった後にラビット君や自分に声をかけ、すぐさま行動したのも座長だ。
怒る気持ちは分かるが、どうか収めてくれないか』
思い返してみれば、クラウンは俊也が帰る際に妙な事があれば連絡するよう忠告していた。
何か起こる事を予測し、気にかけていたから、ここまで迅速に対応する事が出来たのだ。
黙っていた事に腹が立ったのは確かだが、どちらかといえば連絡がなかった事に対して苛立っていたのが一気に噴き出した結果の八つ当たりに近い。
急に冷静になったせいか俊也はこれまでの自分の言動が恥ずかしくなってしまった。
その時、こちらの様子をチラチラと伺うラビットが見えてしまい、俊也は思わず俯いてしまった。
そんな俊也の様子を特に気にする事なく、ディンゴは話を再開する。
『さて、副反応は異能の成長の遅れを取り戻せば、自然と収まる。ただ、個人差があるので日常生活に支障が出ないように症状を和らげる薬がある』
ディンゴはそう言うと、ポケットから小さな袋を取り出して俊也に手渡す。
『座長から君に渡すよう頼まれた目薬だ。寝る前に一滴ずつ挿すと良い』
「あ、ありがとうございます……それとすみません、ムキになって怒鳴ってしまって……」
『気にする事はない。奇怪な症状が出ていたら、誰でも不安になるモノだ。むしろ君は落ち着いている方だぞ? 自分の時は、座長に殴りかかっていた』
「え!? 嘘でしょう!? 」
サラリと明かしたディンゴの昔話に、俊也は思わず聞き返してしまった。
しかし、ラビットは「あ~、懐かしいッスね〜。そんな事もあったッス」と当時を思い返して、懐かしそうに笑みを浮かべている。
ディンゴ自身も『あの時の自分は青かった』と言いながら、身体が小刻みに揺れている。
笑っているらしいが、どうやら本当の事らしい。
冷静な人かと思われたが、なかなか感情的な所もあるようだ。
俊也も二人に釣られて一緒に笑っていた。
そこでふと、俊也はこの場にいないクラウンの事が気になった。
「あの、ところでクラウンは……?」
『座長なら、ジェーン女史から外出禁止の令が出ているので溜まった仕事を全て片付けるまで、執務室に軟禁状態だ』
「あぁ……それは、仕方ないですよね」
前回見た机を覆う書類の山とジェーンの凍てつくような笑顔が脳裏をよぎり、俊也は思わず身震いしてしまった。
「という事は、ジェーンさんも執務室で監視を?」
『いや、ジェーン女史は別件で外に出ている。故に自分が監視役を代行している』
「えっ、じゃあ今はクラウン一人だけですか? そんな事したら逃げ出しちゃうんじゃ……」
『問題ない、アイ君達が一時的に見てくれている』
「……いや、小さい子達に見張りさせるのは無理があるんじゃないですか!?」
三つ子達の機嫌をとっている間に、いつの間にか姿を消すクラウンを想像してしまう俊也だったが、ディンゴは首を振って否定する。
『逆だ。座長は子供好きだから、彼らに嫌われる事を最も恐れている。アイ君とツヴァイ君には、座長がサボったら「約束破るの?」と言うように伝えてあるから問題ないだろう』
「あ~、効果抜群ッスね。まだ小さいアイちゃん達に言われたら、絶対にやりきりますッス」
『アイ君達は座長がサボるタイミングなども熟知しているから、監視役としては適任とも言える。
ただ、あまり長く離れていては三人が退屈してしまうだろう。そろそろ自分は座長の監視に戻ろう』
そう言うと、ディンゴは椅子から立ち上がる。
それを見た俊也も慌てて立ち上がって、頭を下げた。
「あ、ありがとうございました」
『礼には及ばない。自分が出来る事を行っただけだ。……まさか、医者の真似事をするとは思わなかったが……』
「えっ、あ、あの……すみません。ディンゴさんは医師じゃないんですか?」
『うん? いや、前職の関係で応急処置程度なら可能だが、自分は医者ではない』
「えっ……」
『先読みが得意な座長の事だ、大方こうなる事を予測して自分に声をかけたのだろう。……出来れば普段の業務にも活用してほしいモノだ』
普段のクラウンのサボり癖に溜息をつくディンゴに、同情するように苦笑するラビット。
どうやらクラウンの動向に振り回されているのは、ジェーンだけではないようだ。
『あぁ、それから君が来ている事を伝えたらアイ君達が会いたがっていた。付き合ってあげてほしい』
「あ、はい!」
『では、これで失礼する。ラビット君、お疲れ様』
「ディンゴさんもお疲れ様ッス!」
ディンゴは軽く会釈すると、部屋から出ていった。




