準備
サンシャインの首都――ケイスケ。
サンシャイン国の政務を司る施設の、最奥にあるは宰相の執務室。
一般の部屋とさして変わらない大きさの執務室には机と椅子、そして本棚と最低限の装飾しか施されていなかった。
「ふう……」
深夜であろうとこの施設の明かりは消えない。
それは宰相の部屋とて例外はなく、椅子に座るヘレンの元には引っ切り無しに羊皮紙が到着していた。
「少し疲れたかな」
書類の山を一つ片づけたヘレンは軽く伸びをする。
「お茶と菓子です」
今、ヘレンが何を欲しているのかを正確に察知したのは秘書のリム=コールナース。
見た目はあどけない少女だが、彼女もヘレンと同じくエルフ族。
長命なため、少なくとも百年は生きている猛者である。
だからだろう、リムの瞳には老年な光が宿っていた。
「うん、ありがとう」
ヘレンはにこりと笑ってそれらに手を付ける。
お茶の甘さも菓子の種類も今のヘレンの気分にぴったり合致したもの。
ヘレンが嬉しくなるのも無理はなかった。
「しかし、仕事が多いですね」
話し相手が欲しいと察知したリムはそう前置きする。
「戦争中ゆえに仕方ないにしても、少々量が多すぎでは?」
ヘレンだけではない。
この施設に勤めている官吏達はほぼ休みなし。
仕事、睡眠、食事の三つしか最近はしていなかった。
「うーん、まあ。仕方ないよ」
やれやれとばかりにヘレンは首を振って。
「何せ近い内に政治の機能をカリス国の王都に移すんだから」
とんでもない爆弾発言を口にした。
「え……」
リムが絶句している横でヘレンは続ける。
「今はまだ既存勢力の存在があるから叶わないけど、ユラスが全て片付けるだろうね。身の危険も反感もなくなれば即座に移すよ」
ヘレンの脳内では、遷都はすでに確定事項。
ユラスがカリス国を占領できない事態も、ゲリラに悩まされる事態も想定していない。
彼女はユラスの軍事的才能に全幅の信頼を置いていた。
「驚いたかな?」
ヘレンのその声掛けにリムは正気を取り戻し、そして首を振る。
「いえ、薄々予想はついていましたが、それをいざ実行に移すとなりますと」
「言うは易く、行うは難し。確実に起こる事柄でも、実際になると思考停止して迷うよね」
ヘレンはリムを叱らず、うんうんと頷く。
「ただ、上手くいっているのにわざわざリスクを取る必要があるのでしょうか?」
一般に遷都というのは国の歴史に残るほど大きな出来事。
それを行うには相応の理由が必要だとリムは聞いている。
「あるに決まってるじゃない!? この国は教育国家だよ? 最高の教育環境を用意し、傑出した人物を世に送り出すことに力を出し尽くさなければならないんだ」
サンシャインは教育国家。
政治や軍事ではなく、教育に全力を注がなければ教育国家と名乗れない。
素晴らしい教育環境を作り出す目的で遷都を行うのは十分な理由だった。
「と、言っても完全に切り離すわけじゃない。このケイスケと周辺の領地は教育機関が自治を行ってもらうけどね」
机上の空論で終わらせない。
現実に即した実力を身に付けてもらう。
「机上でも現実でも随一の人間を作り出すのが私達政治家の役目だよ」
ヘレン達サンシャインの政治を司る者達の最大の役目はそれに尽きる。
極端な話、たった一人の人物を出現させる代償として国が滅びても構わない。
過激な思想だが、それが前国王の悲願であり遺言だった。
「ああ、楽しみだなあ」
数百年生きたエルフはフフフと笑う。
「国や民族のために一人を犠牲にすることを正当化されたことはあっても、その逆が支持されたことはないんだよね」
無論、歴史上には一人の王のために全てに犠牲を強いる国もあった。
が、それは強制的に行われたもの。
庶民自ら自発的に行われたことなど一度たりともない。
「国全体がその考えを持っている……滅びた国も含め、こんな国は初めてだ」
此度の遷都もそう。
長年親しんできた土地を離れ、かつての敵国の首都へ拠点を移す。
通常の国なら反対の嵐だろう。
だが、この国はどうだ?
教育のためなら喜んでと言わんばかりに官吏達は嬉々として業務に励む。
貴族や高級官吏も例外でなく、彼らも概ね肯定の意思。
「今更ながら前国王の偉大さを痛感するよ」
ヘレンは思い出す。
それは前国王との相対時のこと。
人に関わるエルフとして奇異の評価を受けていた己を最大の礼をもって前国王は迎えた。
この世に生きる生命を最大限に尊敬する思想。
つまり自己を余すことなく発揮しても良いという考え。
その思想を前国王から聞いた際、ヘレンは前国王を夢見がちな理想家と捉えたのも無理なかろう。
が、好奇心に負けてヘレンは嘱託として前国王の陣営に入った。
今、思うと好奇心に従って良かったとヘレンは思う。
おかげでヘレンは多数の人々から己の生き方を肯定されるという幸福を味わっている。
「リム、君もいずれ分かる時が来るよ」
エルフであるリムもそう。
彼女もまたエルフの里を出て一人放浪の旅を続けてきた彷徨人。
幸いにも早い段階でサンシャインに出会ったため、ヘレンよりもこの世の辛苦を味わっていない。
が、こうして己と関わっていくうち、如何に世界が生き辛いのか理解する時が来るだろう。
その時、リムはヘレンの言葉を理解する。
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」
ヘレンは前国王の口癖を知らず口にしていた。
「ダースベール帝国! それが貴様らの態度か!」
ユラスの怒号があたりの空気を揺らす。
場所は変わってカリス国の王都の離れ。
カリス国の制圧を終わらせたユラスは時をおかず、侵略中のダースベール帝国に使者を送る。
内容はカリス国をどう分割するか。
書簡を使い、使者同士を往復させてその内容を決めていく。
そして概ね合意に至り、後は直接会って最終合意まで至った。
が、ここで問題が起こる。
こちらはユラス自らが出ているのに、向こうは将軍ではなく往復させていた使者を出した。
確かに誰が出るかという取り決めはなかったが、ユラス側は王自身が出ると明文していた。
なのに向こうは将軍を出さないどころか何の権限もない使者の一人を送って寄越す。
誠意のない帝国の態度にユラスは文字通り烈火のごとく怒り、その使者に当たり散らした。
「し……しかし、サンシャイン王。帝国は一応私に全権を委任しているわけでして……」
怒りを一身に受けている哀れな使者はそう弁明するも。
「その問題ではない! 貴様は皇帝に対してでも同じ態度を取れるのか! 代理の者を寄越して良いと本気で思っているのか!?」
「それは……」
ユラスの詰問に使者は顔を蒼くして口ごもる。
その臆病な態度がますますユラスを苛立たせ、ついに。
「貴様では話にならん! もっとましな奴を連れてこい!」
ユラスはテーブルを割るがごとき勢いで手を叩きつける。
凄まじい音が響き、そして使者の体も震え上がった。
交渉決裂。
このまま終わりかと思いきや、使者の後ろで控えていた護衛がスッと前に出た。
脂っこい髪の毛を後方で束ね、蛇のような鋭い目つきを持つ五十代の男。
全体として凹凸のないのっぺりとした顔は仮面を連想させた。
「ご無礼をお許しください」
その護衛は頭を下げる。
それだけで理解できる、この男は単なる護衛ではない。
「私の名はジャイロ=ウィザード。此度の軍の参謀長です」
この侵略の黒幕。
帝国の反対を押し切って軍を出兵させた張本人が目の前にいる。
彼は護衛に紛れてユラスの実力を測っていた。
「もういいです、貴方は下がりなさい」
丁寧だがそこはかとない恐ろしさを与える声音。
「は、はいい……」
彼は限界だったのだろう。
最低限の礼すら行わずその場から脱兎のごとく逃げ出した。
「彼はこういった修羅場を何度も経験しているのですけどね」
使者が出て行った方向に目を向けながらジャイロは続ける。
「場数を踏んだベテランでさえ震え上がらせる――なるほど、さすが就任早々一国を滅ぼしただけあります」
「そんな言葉で場を取り繕う気か?」
ジャイロのお世辞にユラスは全く取り合わない。
「貴様が何と言おうと俺を試した事実は変わりないんだぞ?」
ユラスは試されることを嫌う。
正確にいうならば、リスクだけ払うのを厭う。
こちらの手の内の一端を見せたのだから、相応のリターンをもらわなければユラスの気が収まりそうになかった。
「もちろん、その代償は払います」
ユラスの剣呑な気配を察したのかジャイロは続けて。
「当初の取り決めは一時から八時までの領土を頂く予定でした。が、謝罪も兼ねて一時から九時で呑みましょう」
カリス国の領土の割譲。
レルムント地方の中央にあるカリス国は最も国に接している。
南には教育国家サンシャイン。
北には軍事国家ダースベール帝国。
東には数多の異種族部落が存在するカナリア地帯。
西には唯一中央大陸へと繋がる国である商業国家バズワール。
レルムント地方には大別して五つの国があった。
そしてサンシャインは南、ダースベール帝国は北にあり、先にサンシャインが王都を占領している事実から鑑みると、二時から十時までがサンシャイン、残りが帝国という割譲で決着がつく。
だが、その構想に異議を唱えたのがユラス。
ユラスは一時から四時までの国境付近の領地を所望した。
カリス国の東に広がるはカナリア地帯。
カナリア地帯とは草木が生い茂り、険しい山々や密林など人を寄せ付けない魔境。
およそ戦略的価値は何もない場所だが、その地帯には人間以外の部族が多数生息している。
生命尊厳を掲げるサンシャインからすれば、そのカナリア地帯に住む種族とは面子をかけて彼らと友好関係を作っていかなければならなかった。
ならば一時から九時までがサンシャイン領となるのだが、そうなるとダースベール帝国と国境を接するため、向こうからすれば面白くない。
ゆえに帝国はサンシャインと国境を接する七時と八時の半ばまで求める。
もちろんユラスはそれに反対して話がこじれ、何度も書簡を往復して合意に至った。
ここで誤解しないでほしいのは、ユラスが反対したのは帝国と国境を接するからではない。
七時と八時の間には中央大陸の玄関口であるバズワールと繋がる都市があったから。
ここを抑えるか否かで中央大陸からの物流量が大きく違うがゆえに、経済的視点から鑑みるとにここを失うわけにはいかなかったことを追記しておこう。
「サンシャイン王の実力の一部を知れたのです。領土のいくばくかなど安いものですよ」
ジャイロは簡単に譲歩する。
彼の思惑はユラスに十分すぎる程伝わっている。
この協定など紙くず同然。
時期が来ればサンシャインと帝国が矛をまみえることは火を見るよりも明らか。
戦争する前提で物事を考えた場合、優先されるべきは領土よりも情報。
それも相手の総大将のとなれば喉から手が出るほど欲しかった。
「さすがユラス=アルバーナ。彼を使い物にならなくさせるだけの力を持っていますか」
ベテランの使者に再起不能なほどの深い傷を与えたユラス。
今後、帝国はユラス率いるサンシャインの攻略を根本から見直すだろう。
すなわち、帝国がますます倒しにくくなったことと同義である。
「なるほどな」
ユラスはクツクツと笑う。
一杯喰わされたのは事実だが、怒りよりも賛嘆の方が大きい。
「良いだろう、呑もう」
そのことも相まり、ユラスはこれ以降異議を唱えず、めでたく当初の約束通り進んだ。
「ジャイロ、一つ聞いていいか?」
交渉が煮詰まり、これで散会と思いきや、ふとユラスが口を開く。
その時の彼の表情は子供のように目を輝かせながら。
「あらゆる生命は祝福され、尊敬されてしかるべき――という理念はどう思う?」
教育国家サンシャインの建国理念を問う。
「そうですねぇ」
受け取った言葉をジャイロはしばらく口の中で弄び、そして。
「反吐が出る戯言です。弱者は強者によって利用され、使い捨てられるのが正しい」
酷薄な笑みを浮かべたジャイロは、前国王が最も忌み嫌う弱肉強食の論理を言い放った。
「そうか」
ユラスはジャイロの言葉に対して鷹揚に頷き。
「残念だ」
短い一言に込められた、敵として戦う相手だと言外に伝えた。
サンシャインの首都――ケイスケ。
今、この都市はレルムント地方において最も活気があった。
その理由はただ一つ。彼らの王、ユラスが凱旋したからである。
就任早々仇敵を撃破、そして併呑。
この事実に民衆は色めき立ち、詩人は彼を称える詩を次々に発表した。
戻ってきたユラス達を一目見ようと民衆達は中央街へ詰めかけ、ユラスそして魔導騎士団らは特に惜しみない称賛を送った。
そして夜。
国によって大量の酒や食料が都市に支給され、民衆達はそれを食しながら歌い踊り、それは夜が更けても途切れることはなかった。
「……」
そんな光景をユラスはバルコニーから無言で睥睨する。
彼の瞳には民衆を見下す感情の類など微塵もない。
あるのは子を見つめるような厳父の視線だった。
「就任早々国を空けてすまなかった」
ユラスが気にかけているのは就任して政治をふるう間もなく戦いに行ったこと。
家族で例えると、父がしばらくの間長期出張に出かけたようなものである。
ユラスの活躍は響いているが、王不在の事実は心寂しかったに違いなかった。
「次を持ちましょうか?」
空になった盃を手に持つユラスに尋ねるは鬼族の翡翠。
「まだまだお替りはありますよ?」
鬼族が好む米で作った酒。
一度酔えばそれがしばらく長引くという特性を持った酒である。
「いや、今はよい。それより翡翠、こちらに来て欲しい」
ユラスはそう手招きして翡翠を傍に寄せる。
「見てみろ、翡翠。この都市を、この王国を。父上が望んでやまなかった世界がここにある」
ユラスの言う父上とは炎帝傭兵団の初代団長。
ユラスや翡翠達傭兵団の中で生まれた子は全員が初代団長を父上と呼ぶ取り決めがなされていた。
「さぞかしお喜びでござろう」
翡翠も感極まった声で賛同する。
初代団長が求めぬいていた理想がある。
そしてその頂にユラスが立っている。
この時ばかりは頑固な翡翠も目に涙を浮かべて感慨にふけっていた。
「うーん、君達だけがこの国を造ったわけじゃあないんだけどね」
が、その空気をぶち壊す一声が入る。
「お前か」
「うん、お前だよ」
相も変わらずへらへらした口調。
ユラスからうんざりされても翡翠から殺意を浴びても道化師然を崩さない人物と言えばただ一人。
「やあ、飲んでるかい?」
サンシャインの宰相ヘレン。
脇に秘書のリムを連れた彼女は果実酒が入った瓶を手に持っていた。
「貴方達脳筋が動けるのは私達のおかげなのですけどね」
リムは皆に聞こえる音量で溜息をこぼす。
「やれやれ、どこかの鬼は自分達だけでやったとお思いですか?」
「……何か言ったか小娘?」
リムの毒舌に翡翠が反応しないはずがない。
彼女は端正な顔立ちに血管を浮き立たせながら。
「引き籠りの根暗は陰口が好きでござろうな」
唸るような声音でそう絞り出した。
「さあ?」
常人なら意識を失うほどの殺意を受けながらリムは軽く笑う。
まるで己が上で翡翠は下という態度。
翡翠が怒るのも無理はない。
「はいはい、ストップストップ」
「止めとけ翡翠」
そのまま嫌悪状態を維持するのは彼女達の上司からすれば不本意でしかない。
それゆえユラスとヘレンは各々の方法で気分を反らさせた。
「私が来た理由はね」
少しの間の後ヘレンはそう切り出す。
いつまでもこの場を遊ばせておいても意味がないと判断したらしい。
「カナリア地帯の住む部族の懐柔についてなんだけど、おおよそ目星は付けておいたよ」
ヘレンが取り出したのは長い羊皮紙。
その羊皮紙にはユラスの知りたい情報が書かれていた。
「ありがとう」
ユラスは礼を言ってその羊皮紙を受け取る。
「それにしてもユラスって仕事が好きだよねえ。凱旋したその日ぐらいゆっくり休んでもいいんじゃない?」
ヘレンがそう軽口を叩くがユラスは眉根一つ上げずに羊皮紙に目を通す。
ユラスにとっては休みなどなく、あったとしてもそれは次の戦に向けた準備期間であった。
カナリア地帯に住む部族は大別して三つに分けられる。
一つはエルフやドワーフ、亜人といった人間が理解しやすい文化を持つ部族。
前国王は建国後から彼ら集落に赴き、年若い青年達との交流を行っていた。
「この辺りは問題ないよ。あったとしても私達が気にすることじゃない」
前国王が打った正しい布石によって友好的な部族の併合は首脳クラスでなく、その下の事務官クラスで十分だった。
続いて意思疎通ができ、ある程度知能がある、ダークエルフやオークといった特殊な文化を持つ部族。
彼らの文化の中には生贄の儀式や、信託で選ばれた者を集落の運営の一切を任せるなど理解し難い文化を持つ。
「ここら辺の対応は私に任せてほしいかな?」
ヘレンはにんまりと笑う。
「ユラスがカリス国を滅ぼしてくれたおかげで向こうが信を置き始めているよ」
カリス国はそういった特殊な文化を持つ部族を根絶やしにしようと何度も兵を送り込んでいた。
いわば彼らにとって侵略者だったわけであり、その侵略者を滅ぼし、かつ理解していこうという姿勢を見せるサンシャインに警戒心を解くのは当然と言えるだろう。
「上手いことやるよ」
蛇の道は蛇。
こういった文化と共存していく繊細な問題に関してはユラスよりもヘレンの方が適任。
「任せる」
そのことも理解しているせいかユラスは特に何も注文を付けることなく視線を落とした。
「けど、次が問題なんだよねえ」
最後は意思疎通も見込めない、ゴブリンやオーガといった魔物と評されても仕方のない部族。
この類の部族は、他者の生命の犠牲の上に生活を成り立たせているがゆえにサンシャインの理念とは相いれない。
「撲滅も視野に入れないと」
人間だけの問題でなく、彼等は上に挙げた部族にもしばしば迷惑を掛けるため放置しておくわけにもいかない。
つまりカナリア地帯を手中に収めるには最後の部族と戦わなければならないのだった。
「さて、どうするか」
ユラスの次の目標。
それはカナリア地帯に巣食う害ある部族の脅威を跳ね除けることである。




