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終焉

「母上」

「見よ、瑪瑙よ。あれが人間だ」

 翡翠は我が子の肩をなでながら遠くを指さす。

 そこにはユラスが声を張り上げ、何十万もの兵を動かす姿だった。

「今の父は新米兵士でも負ける」

 重病だったユラスに重い鎧を身に纏うことも剣を掲げることも出来ない。

 走ることすら怪しい状態である。

 が、この場にいる誰もが認めている。

ユラスは最強だと、彼の命令に逆らうという選択肢はないと知っていた。

「力があるから強いのではない……そう、滅びた鬼族がそれを物語っている」

 翡翠は鬼族出身。

 他を圧倒する力を誇っていたにもかかわらず天下は取れず、それどころか滅ぼされてしまった悲しき民族。

「息子よ、父のあの姿から学んで欲しい」

 指導者とはどのような条件を兼ね備えているのか。

 そして、どのように振る舞えば人はついていくのか。

「必ず鬼族を再興してほしい」

 滅ぼされ、各地に散らばった鬼族。

 各国や各地域に犯され、統一感が無くなった彼らをもう一度纏め上げて欲しい。

「はい、母上」

 母親である翡翠からの、限りない期待に瑪瑙は頭を垂れる。

 瑪瑙も成人式を迎えた年頃、物の分別はついている。

 一時の、火のように燃え上がった誓いではなく、水が流れるように滔々とした宣誓。

 その証拠に瑪瑙の肩に構えた巨大な斬馬刀がピクリとも動かなかった。

「うん、それで良い。そして、済まない」

 一族から見て瑪瑙の決意は有頂天に近い感情。

 だが、母親からすれば、息子を苦難極まる道を歩ませようとしている。

 一族と母親。

 その二つの感情に揺れ動いた結果、翡翠は何とも言えない笑みを浮かべる。

「さあ、これ以上父親から目を離すのはやめよう」

 翡翠はそう宣言することで心の迷いを断ち切る。

「これが父親の最後の晴れ舞台――しかと目に焼き付けようぞ」

 父の雄姿を魂に刻み付ける。

 その事柄は双方の感情と合致していたため、芯を持った声を出すことが出来た。


「協力感謝する、マージルード」

 日が没した後の作戦会議にてユラスはマージルードを労う。

 一日目、ユラスの宣言通りその日をほぼ彼の独力で持ち堪えた。

 ほぼ、というのは完全ではない。

 いくら何でも敵も馬鹿ではなく、午後から対策を練られてヒヤッとする場面があった。

「ご謙遜を、私どもの力なくとも問題なかったでしょうに」

 マージルードのその言葉は謙遜でない。

 第三軍の力を借りたのは日が暮れる前。

 太陽も沈み、止まない追撃にとうとうユラスは殿を引き受ける第三軍を出した。

 彼ら第三軍の活躍は本日最高。

 一時間にも満たない期間だったが、他の時間を合わせた数よりも多い戦果を叩きだし、これを以て敵は撤退した。

「さて、明日はお前達に任せるが問題はないな?」

「それは愚問です陛下」

 すまし顔でマージルードが答える。

「本日の戦を見て奮起しない兵などいないでしょう」

 長期の移動による疲労も抜けた。

 前代未聞の戦という緊張感もない。

 そして何よりあの状態での健闘という事実に将兵は高揚していた。

「そうか、なら問題ないな」

 と、ユラスは安心しきったように椅子に体を預け、瞑目する。

「二日目はお前達が主役だ」

 淡々とユラスは述べる。

「少々疲れてしまった。悪いが俺は後方で休ませてもらう」

 ただでさえ重病な体。

 戦闘を指揮したのが奇跡である。

「それが賢明かと、陛下」

 マージルードはその言葉に心底嬉しそうな表情を作る。

「陛下、後は私どもがお相手します。陛下は何の憂いもなく観戦してください」

 それがマージルードを含む六大王の本音なのだろう。

 必ず期待に応える。

 そんな意思が溢れ返っていた。

「そうか、なら、二日目の作戦はお前達で決めろ」

 ユラスは渾身の力を込めて立ち上がる。

「俺はもう休む。皆、これがサンシャインだというのを証明してやってくれ」

 そう言い切ったユラスはしっかりとした足取りで外へと向かう。

 その道中、フランドールの後ろに立ったユラスは小声で。

「……フランドール。明日になればこの手紙を開けろ」

 と囁く。

「え? あ、はい」

 突然振られたフランドールは思わず戸惑ってしまった。

 幸か不幸かこの小さな出来事に気付いたのは皆無。

 何故なら誰もが明日の戦をどうするかで夢中となり、喧々諤々な議論が行われている。

 なお、後日にこの手紙を開けたフランドールは凍り付く。

 その手紙には。

『約束を果たす。だからお前は明日から城へ戻るまで俺の姿でいろ』

 その約束とは、もしユラスが存命中に大陸統一が出来なければ荒野に遺体を捨てる旨だった。


「……」

 基地を出たユラスは一人馬を走らせる。

 月の無い夜半なこともあり、明かりはユラスの持つランタンのみ。

 周り全てが闇なのに握る手綱に迷いはないことをどう表現すればいいのだろう。

 直感を越えた、神の意志が働いているようにしか思えなかった。

「ようやく辿り着いた」

 森を抜けたユラスの眼前に現れたのは一面の荒野。

 盆地に似た地形である。

「ここが俺の死に場所だ」

 その中心に降り立ったユラスは馬を闇へと走らせる。

 これで正真正銘ユラス唯一人。

 草木も虫もなく、ただ星々を抱える夜空があるだけだった。

「意外と地面は暖かいんだな」

 大地に体を横たえたユラスはそんな感想を述べる。

「不思議だ、未練も後悔もない」

 悲願達成の道半ばで力尽き。

 己の亡骸は今のように荒野へ打ち捨てられる。

 傍目から見ても己は泣き叫んでも良い状況だろう。

「とても気持ち良い」

 が、何故かユラスの身を包んでいたのはえもいえぬ充実感。

 あれほど己の体を苛んでいた苦痛が綺麗さっぱり消え失せ、まどろみの中にいるよう感触があった。

 何故なのだろうか。

 ユラスは残された気力で考え、考えた結果に出た答えが。

「ああ、そうか……俺の生は戦場にあったのだな」

 己は戦の申し子だと、戦うために生きてきたのだと悟った。

「大陸統一などおまけに過ぎなかったのか」

 空前絶後の兵を動員し、己の全てを捧げたあの一戦。

 あの一戦を経験したいがためにユラスは大陸統一という目標を掲げた。

 大陸統一のために戦を続けたのではない。

 戦を続けたいから大陸統一を掲げた。

 今までの道程を振り返ると、そう考えた方がしっくりときた。

「……悲しいなあ」

 そこまで考えたユラスは一筋の涙を流す。

「俺にとっては前国王など戦の一要素に過ぎない事実が悲しいなあ」

 前国王のケイスケ=シノミヤは紛れもなく尊敬に値する人物。

 その想いは現在でも変わっていない。

 変わっていないからこそ苦しかった。

「うっうっうっ……」

 その事実にユラスは身を震わせる。

 己の内に隠されてきた醜い願望が露わとなり、この身を消し去りたくなる。

 そのまま泣きながら生を終えるかと思いきや、己の顔を照らす灯りに気付いた。

「やはりここでしたか」

 闇に浮かび上がった貴婦人。

 柔らかな声音と透明な瞳から前国王の面影を感じさせる人物といえば。

「そのままで良いですよ、じっとしていて下さい」

 レンカ=シノミヤは身を起こそうとするユラスを押しとどめ、膝をついて彼の頭をそこに乗せた。

「星が綺麗ですね」

「……ああ」

 レンカはユラスの髪を梳きながらそう語りかける。

 ユラスはむずかゆい気分に襲われたが、残念なことに払い除けるだけの力が残っていなかった。

「レンカ、俺は戦をするために生まれてきたのか?」

 何故ここにいるのか、どうしてここが分かったのか。

 そんな野暮な質問はしない。

 残された時間が限られている以上単調直入に聞く。

「いいえ、ユラスはお爺様を生かすために生を受けたのです」

 優しく、しかし毅然とレンカはユラスの悟りを否定する。

 己の出した答えを否定されたユラスは不快な感情を抱くが、レンカの心はそれを包み隠した。

「それにしては……血を流し過ぎてしまったが」

 何千何万ではきかない血を大地に染みわたらせたユラス。

 武を嫌い、殺生を好まなかった前国王は決して喜ばないだろう。

「ユラス……では問いますが、あなたは武の力を使わずにお爺様の信念を広まらせることが出来ましたか?」

「無理だ、俺は武力しかない」

 ユラスは戦場で生まれ、戦場で生きてきた。

 生粋の武人であるユラスが戦場以外で力を発揮できる場所などないのが道理。

「ユラスは一つの道を貫き通した――それは褒められこそすれ責められる所以はありません」

 ユラスにはそれしか選択肢がなく、一つしか選べないのに罪を問うというのは酷だろう。

「ありがとう……おかげで救われた」

 大きく息を吐いたユラスは礼を述べる。

 心に刺さっていた最後のとげがレンカの言葉によって抜かれた。

 これでもうこの世界に何の未練もない。

「疲れた……少し眠る」

 ユラスはそう残して目を閉じる。

「はい、ゆっくりとお休みなさい」

 レンカがそう応えると何故かユラスは再び目を開けて。

「レンカ、ほんの少し目を閉じるだけだ。二、三分ほど横になったら俺はまた動き出すぞ」

 そう抗議するユラスは悪戯っぽい子供のような印象を与える。

「くすっ、そうね。ではしばらく膝を貸しましょう」

 そんなユラスにレンカは唇に手を当てて微笑んだ。

「ああ、そうしてくれ……レンカ、また会おう」

そう呟くと同時にユラスは息を吸い。

 そして、その息が吐き出される事は二度となかった。


「良い季節ですね」

 バーラント墓地を訪れた老婦人が墓の前に立ってそう呼びかける。

 見たところ墓参りに訪れた参拝者といえるが、彼女とその墓の主を知れば驚きに包まれるだろう。

 その老婦人は教育国家サンシャイン皇帝――レンカ=シノミヤ。

 そして墓は軍神ユラス=アルバーナと宰相ヘレン=クルスマスが眠っている。

 当然この墓地もただの墓地ではない。

 路上に落ちた小石から草まで全てが由緒ある代物であり、墓守も選抜されたエリート。

 参拝するだけでも相当な功績を上げなければ足を踏み入れられない聖域だった。

「あれから色々とありました」

 レンカは過去を追憶するかのように目を閉じる。

 レラクの謀反。

 翡翠とステラステラの跡目争い。

 マージルードの後追い。

 バロッサの病死。

 リムの失脚。

 フレリアの暗殺。

 国を揺るがす大事件がレンカの存命中に起きていた。

 が、レンカがこうしてコロコロと笑っている様子から全て解決したのだろう。

 夢物語に思えるが事実である。

「夜は終わり、星が消える。そして太陽が現れて万物を照らす」

 ユラスの生きた時代が数多の英雄を生み出した夜の時代なら。

 レンカが生きた時代は絶対なる存在が一人君臨する時代。

 少なくともこの時代においてレンカと比肩しうる実力と地位を持った人物は皆無。

 現人神とも表現できた。


「ユラスやヘレンだったら今の私をどう評価するでしょう」

 度重なる大事件はレンカの心身を確実に蝕んできた。

 老いも加わり、最近はユラスやヘレンが存命中だった古き良き時代の夢をよく見る。

 最近になってから急に古い物に愛着を持ち始めたのは、己に死期が迫っているのかもしれないと考えている。

「が、二人に会うのはもう一仕事終えてからでしょうね」

 そう呟いたレンカは後ろを振り返る。

 そこには次代の芽。

 再び来る戦乱の夜の時代を照らす無数の星の卵達の姿があった。

「彼ら彼女を一人前にするのが私の最後の役目」

 彼らは未熟。

 もう少し薫陶しなければ忽ちのうちに枯れてしまうだろう。

「だから、もうちょっとだけ酒を飲むのは待ってくださいね」

 レンカはフフフと笑い、その場を後にする。

 爽やかな初夏のこの季節。

 その歩みはまるで少女のように軽やかなものだった。














大進撃          完




これにて完結です。

お読み頂き誠にありがとうございました。

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