決着
「バロッサ大将、そろそろ出番ですよ」
「ん? あー」
木陰の下で横になっていたバロッサはまどろみから覚醒する。
浅黒い肌に小麦色の髪の毛を持つ青年。
精悍な顔つきだがどこか野性味を感じさせるのはその態度によるものだろう。
「起きて下さい、バロッサ大将」
その場から動こうとしないバロッサに再び声をかけられる。
奇妙なのはバロッサの周囲に人影がないことである。
なら、その声はどこから響いてくるかというと、何とバロッサの影からだった。
「あの御方を待たせると私が怒られるのですが……」
影は涙声となり、バロッサの影から少女が浮かび上がる。
彼女は影族、影の中に己を潜めることが出来る希少な一族。
真っ黒と表現してもさし支えない色合い、辛うじてシルエットから少女だと判別できる。
文字通り全身が黒いため容姿は不明に近かった。
「やれやれ、本当にお嬢はせっかちだな」
あの御方という言葉にようやく反応したバロッサ。
「さて、ラランが折檻を受けるのは俺が耐えられないから行くか」
ズボンに就いた埃を払って立ち上がる。
「すぐに行く、お嬢にそう伝えておけ」
「はい、わかりました」
ラランの声に喜びが混じっていたのは偶然ではないだろう。
彼女は影の中にもぐり、木々の影を伝ってあっという間にいなくなった。
「随分と余裕なようね」
「神経を張りつめさせる程ではないだろ」
バロッサを出迎えたあの御方はそう辛辣な言葉を送る。
「今は戦時中、その意味を深く理解してほしいわ」
「そうするさ」
バロッサは肩を竦め、そしてあの御方の名を呼ぶ。
「お嬢……いや、フランドールさんよ」
元人間と表現する方が正しいか。
形状こそ人形なものの、その内から溢れてくる瘴気は人間が発するものではない。
それこそ影族であるラランの方がまだ人間らしいと言えた。
「お嬢よ、魔族はもう少し闇を保っているぞ」
何の気なしにバロッサはフランドールをそう形容する。
「相手に一切を悟らせない――不明が魔族の本質だろうが」
「否定はしないわバロッサ。けど、仕方ないでしょう、何せ私は魔族へと転生して日が浅いのだから」
バロッサが発した魔族という耳慣れない言葉に彼女は反応するどころかごく自然に返す。
それどころか。
「外道転生の影響か。まだ私の中で陛下を殺せという怨念が渦巻いているのよね」
外道転生。
その術は非魔族を魔族の真祖へと転生させる術であり、魔族の亡骸百体を触媒として使用する禁断の術。
魔族の亡骸に残されている思念を取り込むがゆえに媒体となる者が受ける苦痛は、残虐な処刑方法を百通り受ける苦痛にも匹敵する。
並の者は勿論のこと、ちょっとばかし才ある者でも発狂は確実。
そんな忌むべき術をフランドールは進んで受け、そして耐えた。
フランドールの気質は元から強情だったのに加え、彼女は人間の限界に絶望していたため、発狂することはなかったのだろう。
魔族の恐ろしさはカナリア地帯に住む者にとっては骨身に染みている。
しかも圧倒的な力を持つ、魔族百体に匹敵する魔力を持つ真祖。
ゆえに皆は彼女をあの御方と呼び、お嬢と軽口を叩けるのはバロッサただ一人だった。
「頼むから謀反なんてしてくれるなよ」
バロッサのその言葉はユラスの身を案じているからではない。
「カナリア地帯を焦土にされ、俺達希少族は根絶やしにされるからな」
あくまで種の保存。
バロッサはカナリア地帯に住む全種族を代弁しての言葉だった。
「私達の役目は何かしら?」
フランドールはようやく本題を切り出す。
「そりゃあマーカスの捕縛だぞ」
「ふうん……マーカスって興味深い人物よね」
「まあな、ボルトマン帝国において最も危険だとされる人物だ」
「へえ、それは面白い」
フランドールはクツクツと笑い、そして。
「彼を下僕にしようかしら?」
だらりと伸ばした右腕に視線を投げかけながらそう漏らす。
魔族と化した今のフランドールだと傀儡を創り出すことも造作もない、が。
「止めておけ、お嬢よ」
バロッサは一際鋭い声音で制止する。
「あの小僧の結末を見ただろう。もし匿えば王様は容赦なくお嬢を殺すぞ?」
ユラスはやる時は徹底的にやる。
すなわち、例え味方であろうとも敵を抱え込むような真似をすれば、逆臣として処罰する。
その苛烈さは周知の事実であった。
「冗談よ、バロッサ」
フランドールは微笑みながら続ける。
「陛下の逆鱗に触れるようなしないわ」
フランドールもユラスの傍にいた人物。
ユラスの人となりは大分理解している。
「まあ、私の劣化型がいなくなったと喜びましょうか」
フランドールはそう呟き、思索を開始する。
彼女は謀略の名手、策を扱う人間の真理が手に取るように分かる。
マーカスも策士の部類に入るため、彼がどう行動をとるのかフランドールはおぼろげながら感じ取った。
「出来るだけ早く捕えたいわね」
フランドールはゆったりと足を延ばす。
「ここいらで第四軍の優秀さを知らしめておきたいわ」
「安心しろ、それはすぐに叶うさ」
バロッサは不敵に笑う。
「表に出ない裏部隊の実力……それを証明してやろうぜ」
「良い心意気ね……じゃあバイツとキマーン、コルへの三人を呼びなさい」
名を挙げた三人は第四軍の中でも際立った異能の使い手。
フランドールはその三人を使ってマーカスの陰謀を阻止するという。
「名目上は俺が上なんだけどな……まあ良い。お嬢の我儘ということで勘弁してやろうか」
バロッサはそう肩を竦め、外にいる伝令兵の元へと用件を伝えに行く。
「お嬢よ、その遊び心を抑えない限りトップには立てないぜ」
力量もカリスマ性もフランドールの方が上なのだが、ユラスを含めほとんど全員がフランドールよりもバロッサが大将になることを望んでいる。
その理由は自分以外の全てを弄ぶ刹那主義者であるからだった。
「ご心配なく、上に立とうとする気はないわよ……今わね」
バロッサに対する返答がそれ。
言葉に含みを持たせている。
「やれやれ、しばらく俺が大将か」
バロッサが困ったような、安心したような声でそう呟いた。
「……」
馬車の中、ある男は沈黙する。
一際立派な、二頭立ての馬車の乗り心地は良く、振動らしい振動などほとんどなかった。
足を組み、頬杖をついた男はずっと窓の外を見ている。
広大な大地の果てにある場所。
その先を捉えようと目を凝らしていると言い換えることもできた。
「一応言っておくけど、その先は騎士の国だよ」
その男の黄昏を打ち砕くような軽薄な声。
「私達の進行方向はボルトマン帝国。だから横を見ても仕方ないよね」
美しいソプラノボイスの声。
詩を朗読すれば聴者を幻想的な気分にいざなってくれそうだが、残念なことにこの女性はそんな意図など毛頭なかった。
いや、この女性に詩人といった芸術気質を求めるのは的外れだろう。
何せ彼女はその領域と遠く離れた分野――政治で働いている。
しかも一介の政治家ではない、彼女と同格の立場となると大陸でも五指に満たないだろう。
大陸でも有数の政治家、サンシャイン国の宰相。
「いやいや、こうしてユラスと共に過ごすのも久しぶりかなあ?」
宰相ヘレンは昔と全く変わらない、人を食った笑みを向かい側にいるユラスへと向けていた。
「お前はいつも変わらんな」
視線をヘレンに戻したユラスは溜息を零す。
「少しはグランカールに残してきたリムの心配でもしたらどうだ?」
ヘレンの腹心であるリムは王都に残してある。
しかもヘレンの名代として全権限が彼女の下にあった。
「アッハッハ! 心配はいらないよ。何せリムだよ? 私の予想通りのリムならそつなくこなしてくれるって」
「……」
ヘレンの笑いにユラスは黙る。
その沈黙はヘレンに対する負の感情故でない。
「お前が死んでもその代わりを務められると言いたいのか?」
「そゆこと」
ユラスは静かにそう問いかけるが、ヘレンはわざと気軽な様子を崩さなかった。
この十年、ヘレンはリムに対して厳しく当たってきた。
普通の者なら褒めちぎる功績を上げようとも、リムだと成功して当然という態度。
失敗でもしようものなら、それこそ自殺しまいかねないほど責め立てていた。
「だから大丈夫大丈夫」
ヘレンはそう繰り返す。
「ユラスが死なない限り瓦解することはないよ」
己の身などどうなっても構わない。
万が一が起ころうとも対処できるだけの人材と準備を用意しておいた。
懸念事項を全て潰した宰相に対し、国王が贈る言葉といえば。
「お前は生きろ、何があっても。そう、例え俺の命と交換してでもな」
この言葉以外にないだろう。
「問題なく進めているな」
「そりゃあそうだよ」
ユラスのぼやきにヘレンは相槌を打つ。
ユラスがいるサンシャイン軍は周辺国を突破、ボルトマン帝国へ足を踏み入れていた。
他国からの侵略。
その事態に、アレルギー反応を起こしたかのように国民は拒絶反応を示すかと思いきや、意外と静かだった。
ユラスがあの大帝の血を引く者ということもあるが、何よりヘレンが流布した情報が大きかった。
「ボルトマン帝国は大陸統一を掲げて建国した国だからね。月日は経とうともその理念は奥深くで脈打っていたんだよ」
ユラスの悲願は大陸統一。
それはボルトマン帝国の理念と一致している。
それゆえボルトマン帝国の国民は部外者であるユラスの侵略を好ましいものと捉え、口先だけになった支配者を非難していた。
一般国民でさえこの様子。
ならば上の兵士や貴族の心情は聞くまでもないだろう。
「時折お前が恐ろしくなるな」
大義をこちらに引き寄せ、侵略を正当化させたヘレンの手腕にユラスはクツクツと笑う。
ボルトマン帝国の首脳陣も、生命さえ保証してくれるのならばユラスを受け入れようという動きで出てきていた。
「私としてはこのまま無血開城にしたかったんだけどね」
と、ここでヘレンの顔が曇る。
「やれやれ、本当に思った通りに進んでくれないよ」
ヘレンのため息には理由がある。
このまま何もせず、白旗降伏かと思いきや、帝国内部でクーデターが起こった。
その結果、降伏派や穏健派は粛清され、代わりに過激派が勢いづく。
彼ら過激派の信条は徹底抗戦。
国民全員が死ぬまで戦い抜くという狂信的集団だった。
「やはりあいつか?」
「そう、あいつだよ」
ユラスの軽口にヘレンは不機嫌な声音で応える。
「はあ……第四軍は何をやっていたの? 捕えられなかっただけでなく部下をも失うなんて軍法会議ものだね」
「フランドールよりあいつの執念の方が勝っていたということだろう」
ユラスはフランドールの肩を持つ発言をする。
「ヘレンには悪いが、俺にとっては最上の結果だ」
ユラスは満足げに頷く。
己の眼は間違っていなかった。
あいつこそ自分が出なければならない敵。
他の者が奴に敵うはずがなかった。
「マーカス=マレラント……最後に立ちはだかる敵よ」
「敵影が前方に見えます!」
伝令兵の報告によってユラスは馬車を降り、愛馬へと跨る。
寒気が残っていた春は鳴りを潜め、初夏の香りが漂う光景がユラスの目に入る。
特に遥か彼方にある青々と茂った森林に目を通すと少なからず彼の気が晴れた。
「なるほどね、これがマーカスの覚悟か」
ユラスは目を細め、敵影らしき姿を捉える。
少し小高い丘に陣取った彼ら。
その丘は丁度ボルトマン帝国の帝都を一望できる場所にあった。
「敵数はおそらく七万! 将軍はマーカス=マレラントです!」
「そうか」
大方予想通りの数字なのでユラスはたいして驚かない。
先の一戦で敵兵の大多数を葬った今、五万という数を差し引いたらそれぐらいだろう。
「こちらの数は二十万。問題なく勝てそうだと思う?」
「数という要素だけで勝った気になった幹部がいたら、俺はそいつを即刻降格させるな」
ヘレンの軽口にユラスは唇の端を釣り上げる。
「扇形のこの場所では二十万という数を展開できない。それに向こうが高所で風上、おまけに将軍が士気旺盛とくれば数の利など容易に吹き飛ぶ」
戦場の要素は数だけで決まらない。
それと同等に重要なのが地の利。
さらに外してはけないのが核となる将軍の器量。
戦場に出た覚えがない以上実力は未知数だが国を想う心は一級品。
用兵術や作戦などはそれに長けた者に任せればよい。
詰まる所、トップの役目は中間幹部の言うことをどれだけ末端兵士に実行させられるかに尽きる。
その事実から鑑みるに、マーカスの将才など考慮の内に入らなかった。
「レラクは前衛、その突進力で敵陣へ食らいつけ。翡翠は友軍、細かいことは言わん、独自の判断で動け。マージルードは後方待機、いつでも出撃できるよう集中していろ。フランドールは敵の後方へ移動、攪乱しろ」
ユラスは黄金パターンを口にする。
各々の特性を存分に生かした配置である。
「? フランドール、どうした?」
バロッサの隣にいるフランドールの顔が晴れないことを悟ったユラスは彼女にそう尋ねる。
「何か問題でも……ああ、そうか」
言いかけたユラスは途中でその理由に思い当たって得心する。
思えばフランドールの軍だけ期待に応えていない。
他の軍はマーカスを逃したものの、彼の捕縛はユラスの命令に入っていない。
しかし、第四軍はマーカスの捕縛を明言されたのだが、達成することが出来ず、逆に三人の部下を失う羽目となった。
その事実がいたくフランドールのプライドを傷つけたのだろう。
「相変わらず誇り高いな」
そんなフランドールに対し、ユラスは間違えて痛い目を見た子供を前にした親の気分になった。
「バロッサ、フランドール。此度の戦はお前達がカギだ」
ユラスは二人だけに聞こえるよう声を落とす。
「この戦、よほどの運がない限り明日もある。ゆえに第四軍は夜が訪れると動き、敵をかく乱してほしい」
人間は一日中戦い続けることが出来ない。
まあ、例外はいるものの、何万も集まった軍にそれを当てはめることは出来ない。
それゆえユラスは闇に乗じて敵を休ませるなと命令した。
「お前は何のために魔族となった? まあ、如何に魔族という種族が愚かだということを身を以て知らしめたかったのなら失敗してもいいがな」
フランドールの士気を上げるには激励といった飴を与える言葉ではない。
逆の、鞭を食らわせる言葉の方が良い。
ユラスの目論見は正しかったのか。
それは、フランドールはきっと顔を上げ、気丈に見返したことで明白となった。
「天晴! 真に天晴ぞ! マーカス!」
サンシャイン軍を後ろに控えさせたユラスは大音声で口上を述べ始める。
「我が軍の大将達をここまでてこずらせたのは後にも先にもマーカスただ一人……これを褒めずに何を褒める!?」
ユラスの声量は平均より大きく逸脱している。
彼は敵軍の後方から味方の後方まで届きそうな大声を出しているにも拘らず、ユラスには気負った様子もなく、ごく自然な、称賛の表情を作っていた。
「――何を言っとるか! この外道が!」
しばらくの沈黙の後、丘の上から怒りに満ちた声がユラス達に降り注ぐ。
「レルムント地方だけで飽き足らず! 大陸に戦乱を齎そうとする悪魔よ! 貴様からの賞賛など万の言葉に近い侮辱に値する!」
「ハッハッハ! 悪魔とはまた大層な評価だな! 面白い!」
ユラスがマーカスに対して激昂せず、笑い飛ばしたのは彼の覚悟を感じたがゆえか。
冷徹な面をのぞかせるものの基本的にユラスは豪放磊落。
多少の暴言など喜びこそすれ腹は立てなかった。
「其方の国を想う心は感心の一言! もし望むのであれば我が幕下に加える用意がある!」
「血塗られた! 血と骸で造る道の建設の手伝いをしろと!? ふざけるな! 悪魔の手先に堕ちるぐらいなら死を選ぶ!」
「血塗られた道! 何を言うか!? それこそボルトマン帝国の理念ではあるまいか!? 大陸統一という覇道を達成するべく造られた国だろうが!」
ユラスの言葉に嘘はない。
大帝、マクルガランは大陸を統一したいがために国を興し、覇業に勤しんだ。
が、現在の帝国は現状を維持するために全力を尽くしている。
今の立場を守ろうとする現支配者と大帝の悲願を達成しようと息巻く侵略者。
他の国ならいざ知らず、ボルトマン帝国の場合だとユラスに大義があった。
「黙れ黙れ! 貴様ら王族のお題目によってどれだけの母が泣いたのか! どれだけの子が路上で過ごしたのか! 土の味を知らん者にその苦労が分かるか!? 戦争など! 起こさん方が良いのだ!」
「ほう! それが其方の本音か! 聞けて嬉しく思うぞ!」
マーカスの心の叫びを知ったユラスは怯むどころか大きく笑う。
「不肖ながら俺もその土の味を知っている! 負けた者! 敗者! 弱者に対しては人間として認められない屈辱をも味わった! 何せ俺は一介の傭兵団出身だからな! 雇い主に嵌められて負け、団員の半数が失っただけでなく、敗北の全責任を負わされた記憶など絶対に忘れんさ!」
ユラスが思い起こすのは少年時代。
とある国を攻める作戦に参加した際の経験であった。
「その時の俺が訴える! 強くなれと! 不正義を許すなと! 大陸をも左右するような力を手に入れ! 二度と俺のような思いをする者がいなくなれとな!」
ユラスがこうまで昔のことを口にする機会は珍しい。
マーカスの心の声がよほどユラスの魂を動かしたのだろうか。
「こうまできては問答など不要! 後は力で決着をつけようぞ!」
マーカスはそう切り上げる。
「おお! そうするか! ではマーカスよ! 戦場で会おう!」
何故もっと舌戦を行わなかったのだろうか。
ユラスとしては彼と再会し、心ゆくまで話してみたいと願った。




