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Hacker  作者: 游雲
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18/22

18.侵入者

 仁科部長が誘ったそのイタリアンの店は帝都銀行のビルから東京駅方面に二ブロック歩いたビルの最上階にあった。仁科部長と並んで歩きながら、絵理子は自分がまだ帝都銀行に勤務している錯覚に陥った。

「仁科部長も大変ですね」

「もう部長と呼ぶ必要はないよ」

「すみません。まだ抜けなくて」

 二人はその店に入ると窓際に案内された。そこから『帝都銀行』の本店のビルが見えた。何事もないようにどの階も煌々と明かりがついている。この大事件は一部の人間しか知らされていないから、あのビルで働く大半の人間は通常の業務に追われているのだろう。大事件を知らなくてもやはり忙しいのだ。そのギャップが何だか不思議な気がした。

 仁科部長はペペロンチーノを絵理子はボンゴレを注文した。

「きみがいなくなって本当に大変だよ。もっと強く慰留すればよかった」

 と、仁科部長はしみじみとした口調で言った。

「すみません」

「でも、いいところに転職できてよかったじゃないか」

「よかったのかどうか、仕事が違いすぎてとまどっています」

「きみなら大丈夫だよ」

 注文したパスタが運ばれてきた。絵理子はフォークをまわしながら、

「仁科部長、ひとつ質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「霧旗くんと知り合ったのは、官庁サイト改竄事件のときですか?」

「そうだよ。あの時は財界のIT担当者も呼ばれて、私も東西銀行のIT担当者として召集がかかり対策本部の会議に出席した。そのとき那智くんといっしょにいた高校生が霧旗くんだ」

「実は土日に実家に帰って、父の日記を整理していたら、その時の状況を綴ったものが出てきたんです」

「きみのお父さん?」

「はい」

「成瀬さん?もしかしてきみのお父さんは成瀬教授なのか?」

「はい、そうです」

「知らなかった。どおりで優秀なわけだ。あのときおなじ対策本部で同じ会議に出席させてもらった。個人的にお話をしたことはなかったが、ITのセキュリティに造詣が深く、会議でもしっかりリーダーシップをとっていらした」

「そうなんですか。私は父とは仕事の話をしたことがなかったので」

「同じコンピュータの仕事をしていたのに?」

「そうですね。いま思えば不思議ですよね。でも父は家では仕事の話を一切しませんでした」

「那智くんもそのとき知り合ったんだ」

「それで私を紹介してくださったんですね」

「そうだね。きみのお父様が亡くなった後、会社を設立したことは聞いていたんだが、あれ以来あまり話す機会はなかったので、きみを採用してくれるかどうか自信はなかったんだが」

「いい会社を紹介していただいて感謝しています」

「うん、うちにいたときよりも生き生きしてるよ」


 午後8時に絵理子は仁科部長とともに10階のオペレーションルームに戻ってきた。あと3時間か。田川やその他のシステムオペレーターは霧旗が検索したログをもとに、侵入された箇所の確認作業に追われていた。霧旗が指摘したように『ナルセエリコ』は毎日いろんなところに侵入していた。絵理子も協力してひとつひとつのログを確認したが、コピーをしたのは顧客データだけで、その他のところは閲覧ばかりだった。ログを処理しながら絵理子はだんだん不愉快になってきた。まるで自分の家を隅々までのぞかれた気分だった。しかし、もし自分がここに残っていたら本当に防げたのだろうか。口惜しいがITのスキルでは霧旗にはかなわない。 

 午後10時30分に霧旗が戻ってきた。少しお酒が入っているのか上機嫌だった。ジャケットを椅子にかけると、

「さて、いよいよショータイムだ」

 と、自分のPCを立ち上げ監視体制に入った。霧旗がもどってきて一気に緊張感が高まった。田川や他のSEも緊張していた。

 絵理子は横目で霧旗を見たが、真剣なまなざしだった。絵理子は『酔っ払い』と嫌味を言いたくなるのを押さえて、黙って自分のPCの画面に集中した。

 午後11時になると予測どおり『ナルセエリコ』がログインして侵入してきた。画面を見つめる全員に緊張感が走った。

 『ナルセエリコ』は普通にログインし、社内のスケジュールが格納されているサーバーに立ち寄っていた。

 今回は霧旗のPCで侵入している場所が逐一画面に捉えられている。

 霧旗は誰に言うともなく、つぶやいた。

「がさつな奴だな。これじゃ見つけてくれと言わんばかりだ。たぶん監視されていることに気が付いていないのだろう。ぼくならどこに侵入してもログは残さないのに」

 『ナルセエリコ』は次に掲示板のサーバーに侵入していた。掲示板にある情報をひとつずつ見ているようだった。その動きは、目的があって何かを探しているのではなく、単にいろんなところをのぞいて見てるだけといったように映った。

「奴さんにこちらが監視していることを教えてやろう。エリー、サーバー内の社内用のチャットに誘導するから奴にそこで声をかけてくれ」

「私が?」

「友達のように声をかけてくれればいい」

 霧旗はチャットが活発に使われているように操作をして、侵入者を上手にチャットに誘導した。絵理子は自分のPCを前にして緊張した。じっと画面を追った。そして、侵入者がチャットにアクセスしたのを確認すると、キーボードを叩いてメッセージを送った。


 ―ナルセさんこんにちは。

 相手は動きを止めた。こちらが監視していることに気が付いたようだ。そして同じチャットにレスを書き込んできた。

 ―あなたは誰?

 ―本物の成瀬絵理子よ

 画面はしばらく反応がなかった。五分ほど経過してレスが返ってきた。別人のようにがらりと言葉遣いが変わっていた。

 ―悪かったな。あんたのIDを使わせてもらった。かなり上位の権限がついていたので、仕事がしやすかったぜ。で、何の用だ?辞めたんじゃないのか?

 ―ええ、そうよ。『GAIA』に転職したわ

 ―ちっ、じゃあその辺にNachiかShunがいるんだな?

 絵理子と霧旗は顔を見合わせた。やはり『0CEAN』を追放されたオクトパスに間違いない。霧旗は自分のPCからチャットにレスした。

 ―Shunだよ。お久しぶり。

 ―やっぱりいたな。そうかShun、おまえだな。おれが苦心して作ったフィッシング詐欺のプログラムを削除したのは?

 ―その通りだよ。

 ―余計なことをしやがって。

 ―クレジット会社から依頼があったからね。

 ―でも、あのフィッシング詐欺は結構楽しかったぜ。買ってもいないものが届いてあわてふためいている奴を見て、腹がよじれるほど笑ったよ。

 ―あいかわらずだな。お前にはみんな迷惑してるよ。人を困らせるのが楽しいのか?

 ―楽しいよ。ハッカーにはおれみたいにひねた奴もいるさ。

 ―なぜこの帝都銀行に侵入するんだ?

 ―都市銀行でセキュリティが一番甘かったからだ。

 ―だから顧客データを盗んだのか?

 ―ほう、そこまで知っているのか?銀行の顧客データは一番セキュリティが高いのかと思ってチャレンジしてみたが、案外盗み出すのは簡単だったよ。

 ―その顧客データを返して欲しい。

 ―もう捨てちまったよ。

 ―嘘をつくな。これから成瀬さんのIDを削除する。もう侵入できなくなる。きみが設置したバックドアも削除させてもらったよ。

 ―それはどうかな?入る方法はいくらでもあるさ。おれにできないことは何もない。それじゃあ明日のこの時間にまた会おう。


 偽物の『ナルセエリコ』はそれからすぐにログアウトした。時間は11時36分だった。

 霧旗はPCの画面を閉じると椅子から立ち上がり大きく伸びをした。絵理子はオクトパスを取り逃がした気がして少しイライラしながら、霧旗を見上げて責めるように尋ねた。

「どうするの?」

 田川やSEたちも霧旗のほうを一斉に見ていた。

 霧旗はじっと考えこんでいたが、まるで自分に言い聞かせるように、

「相手がオクトパスだとわかったんだ。それなりの準備をしなくちゃ。ハニーポットを用意しよう」

「ハニーポットって?」

 霧旗は絵理子に向かっていたずらっ子のように、ニッと笑いながら、

「囮もしくは罠と訳せばいいかな。奴が興味が沸くような囮サーバーを設置してそこへおびき寄せる。そしてその時が奴のIPアドレスを検知するチャンスだ。奴のIPアドレスさえつかめば反撃の糸口が見つかる」

「でも本当に明日も来るかしら」

「奴は必ず来る。新しい侵入経路を見つけて新しいIDで侵入してくるよ。そういう奴だ」

 絵理子は困惑していた。それを見て霧旗は傍に寄り、肩を叩いた。

「エリー、今日は引き上げよう。明日が勝負だ。絶対に捕まえてみせる」



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