16.調査
絵理子には自分の部屋で脅迫状を何回も読み直したが文面以上の発見はできなかった。次にUSBメモリをパソコンに挿入し、データを確認した。
データはテキストデータになっていた。そのデータの顧客は法人個人あわせて約10万件の顧客データが格納されていた。氏名、住所、電話番号のほか預金残高まで記載されていた。データの内容および配列から、支店で扱うデータではなく、ホストコンピュータから直接ダウンロードしたデータと思われた。預金残高から判断すると少なくとも1000万円以上の預金がある高額預金者のようだった。
そのなかに自分の名前があり、絵理子はびっくりした。那智から1000万円を振り込んだと聞いていたもののまだ残高を確認していなかった。自分の個人情報も盗まれていると知り、絵理子は憂鬱になった。
絵理子の部屋の扉がノックされ、大きなあくびをしながら霧旗が入ってきた。
「土日はゆっくり休めた?」
「ええ、おかげさまで。あなたは?」
「土日は二日ともお袋のスナックを手伝ってたから眠いや」
「日曜日もやってるの?」
「地元のお客さんが来るんだ。フィッシング詐欺のレポートありがとう。よくできてる」
「どういたしまして」
「そうそう、エリー、あなたの銀行で事件だって?」
「私の銀行じゃなくて、私の前の勤務先の銀行よ」
「同じだよ。どれ、脅迫状を見せて」
絵理子は手にしていた脅迫状を霧旗に渡した。霧旗は目を通すと脅迫状を絵理子に返した。
「この脅迫状からはたいしたことはわからないね。闇金融では口座番号や預金残高の情報は一人2,3万円で取引されているというから、この身代金はいやに低い金額だ。もしかすると犯人は素人かもしれない。それに身代金の受け渡しはまた連絡があるみたいだからから、すぐに顧客データをインターネットに公開はしないだろう。でもなんで郵送なんだろう。とにかく行って調査してからだね」
「言われてみれば、この身代金の金額は低いわね。それから、送られてきた顧客データを確認したけど、どうもホストコンピュータから直接コピーしたみたい。配列がホストコンピュータと同じだわ。外部からのハッキングの可能性が高いわ」
「そうか。『帝都銀行』のセキュリティは金曜日にちょっとのぞいたけど、かなりお粗末だったから、いずれこんなことが起きるんじゃないかと思ってた。通常、顧客データの流出っていうと内部の人間の犯行がほとんどなんだけど、今回は外部からの犯行も視野にいれないといけないね。本当にオクトパスならセキュリティを突破することが目的だから大した被害にはならないと思うけど、彼が身代金を要求するなんて何か裏があるのかも知れない」
「とにかく行ってみましょう」
「1時だよね。ごめん、12時に起こしてくれる?それまでちょっと寝てる」
そいういと、霧旗はまたひとつあくびをして、自分の部屋にもどった。絵理子は開いた口がふさがらなかった。
絵理子は12時に霧旗をたたき起こすと、また霧旗の赤いポルシェで金曜日来たばかり帝都銀行の本店に向かった。
月曜日の割には道が空いていて、12時30分過ぎには大手町に到着した。交差点は昼食から帰るサラリーマンやOLでいっぱいだった。
絵理子は霧旗の赤いポルシェから降りて正面入口に向かおうと歩き出すと、ポンと肩を叩かれた。振り向くとそこには以前のITの部署の後輩の行員たちがいた。そのうちのひとりが絵理子を小突きながら、
「成瀬先輩、見ちゃいましたよ」
「え?」
「だって、真っ赤なポルシェが停まって、すごいイケメンが降りてきて、ドアを開けてエスコートしてるから誰が降りてくるのかなと思ったら成瀬先輩なんだもの。驚いちゃって。ねぇ、だれですか?彼氏?」
後輩は車を駐車場に回す霧旗を指差した。絵理子はあわてて否定した。
「いえ、あの、新しい会社の同僚よ」
「ほんとですか?」
「本当よ」
「ほんとに彼氏じゃないんですね。じゃあ、ぜひ紹介してください」
「わかったわ」
「よろしくお願いしまーす」
と後輩たちはうれしそうに去って行った。車の中で考え事をしていたのが良くなかった。やはり車から降りる時は自分でドアを開けよう。
絵理子は正面玄関の受付に進むと、仁科部長への面会を依頼した。にこやかに応対した受付嬢は成瀬の知り合いだった。仁科部長へ連絡がつくと、受付嬢は絵理子に話しかけた。
「成瀬さん、辞めたんですよね?」
「そう3月末に」
「今日はどうしたんですか?」
「新しい会社の仕事で来たのよ」
受付嬢と話をしていると、車を停めて受付に霧旗がやって来た。絵理子は霧旗に文句を言った。
「あなたが車のドアを開けたりするから、後輩たちから彼氏かって誤解されちゃったわよ」
「彼氏って言ってくれればよかったのに」
「何を言ってるの?」
「冗談だよ。まじめな顔して怒らないで」
受付嬢は霧旗を見てポッと顔を赤らめた。絵理子はため息をついた。やはり霧旗は誰がみてもイケメンなんだ。2人を応接室に案内した後で、受付嬢は絵理子に向かって小声で尋ねた。
「ほんとにあの人、彼氏じゃないんですか?」
「もちろん」
「じゃあぜひ私に紹介してください。よろしくお願いします」
絵理子はあきれた顔で受付嬢を見た。彼女が出て行くと、
「あのね峻くん、みんなあなたを紹介しろってうるさいのよね。もう二人に頼まれちゃったわ」
「だから、彼氏ということにしとけばよかったのに」
「ほんとね」
15分くらいして仁科部長が降りてきた。仁科部長は心なしかやつれて見えた。
「仁科部長、金曜日はありがとうございました。今度は正式にお手伝いすることになりました」
と霧旗が挨拶し手を差し出した。仁科はその手を強く握り返した。
「よろしく頼む」
「任せてください。必ず解決してみせます」
「ありがとう」
仁科は絵理子と霧旗を十階のコンピュータのメインシステムのオペレーションルームに案内した。絵理子は霧旗に小声で話しかけた。
「大丈夫?あんな安請合いして。まだ解決できるかどうかわからないでしょ?」
「だって、今まで解決できなかった事件は1件もないから」
霧旗は飄々として答えた。絵理子は彼の横顔を見つめた。峻のこの自信はどこからくるのだろう。
10階には金曜日挨拶したシステムオペレーターの田川がいた。回りにはSEが4名いた。もう今回の事件のあらましは伝わっているんだろう。どの顔も緊張していた。仁科はあらためて霧旗と絵理子を田川たちに紹介した。
「田川くん、今回の脅迫事件について霧旗くんと成瀬さんが協力してくれることになった」
「ありがとうございます。霧旗さんが手伝ってくれるなんて、鬼に金棒です」
「鬼に欲望」
霧旗は茶化して応えた。
「何を言ってるの?」
「ちょっと寝不足だから、寝言を言ってみました」
「ふざけないで」
絵理子は霧旗をたしなめた。
「わははは」
周りのSEたちがどっと笑い出した。
峻くんはみんなの気持ちをつかむのがうまい。普通ならよそ者に自分たちのホストコンピュータをいじられたくないという思いがある。当然非協力的になることも想定しなければならない。絵理子にしてもいまはよそ者である。しかし、この冗談で一気に打ち解けた。
「おっと。冗談はさておき仕事にかかろうか」
霧旗は、ジャケットを椅子にかけ、腕まくりをした。それから持参したアタッシュケースからPCを取り出すとLANケーブルを受け取り、自分のPCとホストコンピュータに接続した。そしてPCを立ち上げた。
「ROOTのIDとパスワードを教えてくれ」
田川はすべての権限が付与されたROOTのIDとパスワードを霧旗に教えた。霧旗はいくつかのプログラムを立ち上げ走らせた。そして侵入者のアクセスログを調べ始めた。PCの画面はアクセスログが下から上にすさまじい勢いで流れ始めた。画面をみつめる霧旗の表情からは、いつもの軽薄な笑みが消え真剣そのものだった。
「エリー、きみのPCもつないでくれ」
「わかったわ」




