8.魔獣との戦い
――その時だった。
学院全体を揺らすような轟音が響いた。
ゴォン――ッ!!
「なっ……!?」
窓ガラスが震える。
空気そのものが歪んだような感覚。
会議室の教師たちの表情が一瞬で変わった。
さっきまでだらけていたミレイア先生が、ゆっくり目を開く。
「……魔力暴走?」
レオンハルト先生は即座に窓際へ向かった。
「違う。外部干渉です」
彼の声は先ほどまでと別人のように鋭かった。
カミラ先生がニヤリと笑う。
「いいねぇ。朝から景気がいい」
「戦闘脳やめてください」
ルミナが呆れながらツッコむ。
すると再び轟音。
今度は悲鳴も混じっていた。
「きゃあああ!!」
「中庭だ!」
教師たちが一斉に動き出す。
完全に置いていかれる私。
「え、待って、何が」
「走るよ、斉藤先生!」
ルミナに腕を引かれ、私は慌てて会議室を飛び出した。
◇
中庭は騒然としていた。
学生たちが逃げ惑っている。
そしてその中心にいたのは――巨大な黒い獣だった。
「うおっ!?」
全長三メートルほどの狼型魔獣。
全身が影のように揺らいでいる。
赤い目。
異様な殺気。
「影獣……!?」
誰かが叫ぶ。
カミラ先生が舌打ちした。
「結界の中に入り込んだのか!」
「本来ならありえません」
レオンハルト先生が低く言う。
「学院の対侵入結界は王国最高峰です」
だが、その魔獣は明らかに理性を失っていた。
近くの学生へ飛びかかる。
「ひっ――!」
その瞬間。
ドォンッ!!
炎の衝撃波が魔獣を吹き飛ばした。
「教師の前で暴れるなよ、犬っころ」
カミラ先生だった。
炎を纏った拳。
この人、本当に肉弾戦するんだ。
だが魔獣はすぐ立ち上がる。
しかも――。
「……再生してる?」
裂けた身体が黒い靄で修復されていく。
嫌な空気が漂った。
その時だった。
私の視界に、“感情流”が見えた。
黒。
濁った赤。
そして――強烈な恐怖。
「……違う」
「斉藤先生?」
私は思わず呟いていた。
「この魔獣、“怒ってる”んじゃない」
周囲がこちらを見る。
「え?」
「……怯えてる」
一瞬、空気が止まった。
私は魔獣を見る。
普通の観察ではない。
相手の感情の流れを見るように。
すると分かった。
この魔獣は暴れているのではない。
“逃げている”。
「どういうことだ?」
レオンハルト先生が問う。
「恐怖でパニックになってるんです。多分、何かに追われた」
「影獣が恐怖?」
「ありえません」
即座に否定するレオンハルト先生。
だが私は確信していた。
心理学でも同じだ。
攻撃的な人間が、本当に攻撃したいとは限らない。
威圧。
怒鳴り。
暴力。
その奥にあるのは、“恐怖”のことが多い。
「カミラ先生!」
「おう!?」
「攻撃をやめてください!」
「はぁ!?」
「今刺激すると余計暴走します!」
カミラ先生は不満そうだった。
「でも止めないと学生が危険だぞ!」
「私がやります」
言った瞬間、自分でも驚いた。
なぜこんな危険生物へ近づこうとしているのか。
だが。
あの怯えた感情を見てしまった以上、放っておけなかった。
「斉藤先生」
ルミナが不安そうに言う。
「大丈夫なんですか」
「……分かりません」
正直に答える。
「でも、多分。“敵”だと思われたままだと駄目です」
私はゆっくり前へ出た。
周囲がざわつく。
「お、おい新任!」
「死ぬぞ!」
怖かった。
普通に怖い。
足も震えている。
だが、逃げれば。
この魔獣はもっと追い詰められる。
「大丈夫です」
自分に言い聞かせるように呟く。
「攻撃しません」
魔獣が低く唸る。
赤い瞳がこちらを睨む。
だが私は止まらない。
昔の自分を思い出していた。
人が怖かった。
拒絶が怖かった。
だから先に壁を作った。
この魔獣も同じなのかもしれない。
「怖かったんですね」
その瞬間。
魔獣の感情流が大きく揺れた。
周囲がざわつく。
「反応した……?」
私はさらに続ける。
「ここには、あなたを傷つけたい人ばかりじゃない」
もちろん言葉が通じている保証はない。
だが感情は伝わる。
人間でも。
魔物でも。
“敵意”と“安心”は、不思議と空気で分かるものだ。
やがて。
魔獣の唸り声が少しずつ弱くなった。
黒い靄が揺らぐ。
そして――。
巨大な身体が、ゆっくり地面へ伏せた。
学院中が静まり返る。
「…………は?」
カミラ先生が間抜けな声を出す。
レオンハルト先生も珍しく目を見開いていた。
「感情誘導……?
いや、違う。もっと原始的な……」
ミレイア先生がぽつりと呟く。
「……この人、“心を安心させる”の上手い」
私はその場にへたり込んだ。
「こ、怖かった……」
今さら全身の震えが来た。
するとルミナが呆れた顔で近づいてくる。
「無茶するなぁ……」
「すみません……」
「でも」
彼女は少し笑った。
「なんか、“先生”っぽかったよ」
その時だった。
突然、レオンハルト先生の表情が険しくなる。
「……待ってください」
「え?」
「この影獣、“自然発生”じゃない」
空気が変わる。
彼は地面に残る黒い魔法陣を見つめていた。
「誰かが、“学院内へ意図的に放った”形跡があります」
ざわり、と教師たちが息を呑む。
学院へ魔獣を侵入させた者がいる。
つまりそれは――。
「内部犯……?」
私が呟くと。
レオンハルト先生は静かに頷いた。
「ええ。しかも――」
彼の目が細くなる。
「かなり、“人の感情”を理解している術者です」




