6.小さな成功体験
「れ、練習……ですか?」
私は思わず聞き返した。
ネリィは小動物みたいに肩を震わせながら、それでも必死に頷く。
「こ、交流実習の前に……その、会話の練習を……」
「なるほど」
よかった。
一瞬、“別の意味”かと思って心臓が止まりかけた。
するとルミナが横からじとっとした目を向けてくる。
「今ちょっと変な勘違いしたでしょ」
「してません」
「した顔だった」
「心理分析やめてください」
「心理学教師が何言ってんの」
反論できなかった。
ネリィは不安そうにおろおろしている。
「す、すみません……やっぱり迷惑でしたよね……」
その瞬間、彼女の周囲にまた灰色の感情流が滲み始めた。
早い。
自己否定への移行速度が異常に早い。
おそらく長期間、“否定される前提”で人間関係を経験してきたのだろう。
私は即座に首を振った。
「いえ、違います」
「え?」
「まず訂正します。“迷惑かもしれない”を先に言う癖がありますね?」
ネリィの動きが止まる。
「それ、相手へ無意識に“断ってもいい理由”を渡してしまうんです」
「……あ」
「人は基本的に、相手を傷つけたくない生き物です。だから“迷惑でしたよね”と言われると、“じゃあ断ろうかな”へ流されやすくなる」
ルミナが「うわ、細か……」と引いていた。
だがこれは実際よくある。
予防線の張りすぎは、関係構築を不安定にする。
「なので、言い換えてみましょう」
「い、言い換え……?」
「はい。“迷惑でしたよね”じゃなく」
私は少し考え、
「“もし時間があればお願いしたいです”」
と言った。
「…………」
「同じお願いでも、相手の受け取り方がかなり変わります」
ネリィは呆然としていた。
まるで魔法でも見たみたいな顔だ。
いや、この世界では本当に魔法みたいなものなのかもしれない。
するとルミナが感心したように口を開く。
「それ、“拒絶前提の空気”を消してるのか」
「人は空気で会話するので」
「なるほどねぇ……」
その時だった。
廊下の向こうから、数人の学生がこちらを見てひそひそ話し始めた。
「新任教師ってあの人?」
「筋肉やば……」
「でもなんかネリィと普通に話してない?」
「珍しくない?」
ネリィの肩がびくりと震える。
視線に慣れていない。
恐らく昔から、“浮く側”だったのだろう。
私は少しだけ考え、それからわざと大きめの声で言った。
「では、実践してみましょうか」
「え?」
「コミュニケーション訓練です」
私は廊下の学生たちへ振り向く。
「すみません」
突然話しかけられ、学生たちがぎょっとした。
「少し協力してもらえますか?」
「は、はい?」
私はネリィへ視線を向ける。
「今から、“最初の一言”だけ練習しましょう」
「さ、最初……」
「完璧じゃなくていいです。まずは、“相手へ興味を向ける”」
ネリィは緊張で顔を真っ赤にしながらも、恐る恐る前を向いた。
「え、えっと……」
声が震えている。
だが私は止めなかった。
人は、“失敗しても大丈夫だった経験”でしか変われない。
「……その髪飾り、綺麗ですね」
沈黙。
数秒後。
話しかけられた女子学生が、目を丸くした。
「え? あ、ありがとう……!」
「そ、それ、お店で買ったんですか……?」
「ううん、手作り!」
「て、手作り……すごい……」
ぎこちない。
めちゃくちゃぎこちない。
だが。
ネリィの周囲の灰色が、少しずつ薄れていく。
代わりに淡い橙色の感情流が混ざり始めていた。
安心。
好奇心。
小さな成功体験。
ルミナが隣で小さく笑う。
「……あんた、本当に人の心見るの上手いね」
「そんな大したことでは」
「いや大したことだよ」
彼女は少し真面目な顔になる。
「この学院、“才能ある人”ばっかだから」
「……?」
「みんな魔法は上手い。でも、人との接し方は下手」
その言葉は、妙に胸へ残った。
感情が力になる世界。
だからこそ、人は感情に振り回される。
才能があるほど。
感受性が強いほど。
傷つきやすい。
そして多分、この学院には。
“上手く人と繋がれない人間”が沢山いる。
それは少しだけ、昔の自分に似ていた。
すると突然。
ネリィがこちらを振り返る。
「あ、あの先生!」
「はい?」
彼女はほんの少しだけ、嬉しそうに笑っていた。
「……今、ちょっとだけ怖くなかったです」
その言葉に。
私はなぜだか、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。




