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恋愛については未履修です ~転生先では恋愛心理学の教授になっていました~  作者: パト山


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5.うまくやろうをやめましょう

セレスアストレア魔法大学院・中央教員棟。

「……広すぎませんか、この部屋」

 案内された教員寮を見て、私は率直な感想を漏らした。

 石造りの高い天井。

 本棚。

 暖炉。

 無駄に大きいベッド。

 そして窓から見える学院都市の夜景。

 完全に高級ホテルだった。

「新任教員用だからね」

 ルミナは部屋の中を見回しながら言う。

「前の人は三日で辞めたけど」

「何があったんですか」

「恋愛学の実技演習で修羅場起こして」

「実技?」

 嫌な単語が聞こえた。

 ルミナは「あっ」という顔をする。

「……言ってなかった?」

「何をですか」

「この学院の恋愛感情理論学、“実践科目”だよ」

 私は固まった。

「え?」

「感情魔法って、他者との関係性で出力が変わるから。座学だけじゃ意味ないの」

「待ってください」

「だから学生同士で模擬交流とか、ペア実習とか普通にある」

「待ってください」

「告白シミュレーションとか」

「待ってください!!」

 私の叫びが部屋へ響いた。

 無理だ。

 三十二年間、恋愛経験ゼロの男に何をやらせるつもりなのか。

「いやいやいや、絶対無理ですよ!」

「でも学長もう採用する気満々だったし」

「撤回させましょう!」

「多分もう辞令出てる」

「大学組織の仕事が早い!」

 異世界でも上層部だけは信用できない。

 頭を抱える私を見て、ルミナはなぜか少し楽しそうだった。

「まあでも、チヒロって変な安心感あるし」

「安心感?」

「感情を無理に踏み込んでこないから」

 私はきょとんとした。

 するとルミナは窓辺へ寄りかかりながら続ける。

「この学院、感情魔法があるせいで、人との距離感おかしい人多いんだよね」

「距離感」

「感情読める人もいるし、共感系の魔法使う人もいるし。だから平気で人の心へズカズカ入ってくる」

 それは少し分かる気がした。

 “理解した気になる人間”は危険だ。

 心理学でも同じだった。

 理論を知るほど、人を分析対象として見てしまう。

 だが本来、人の心はもっと曖昧で、矛盾していて、整理できないものだ。

「でもチヒロって」

 ルミナは少し考えるように言う。

「ちゃんと怖がってるじゃん」

「え?」

「他人との距離」

 その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。

 私は昔からそうだった。

 嫌われたくない。

 失敗したくない。

 変だと思われたくない。

 だから先に距離を取る。

 安全圏から観察する。

 その方が傷つかないから。

 ルミナは肩をすくめた。

「だから逆に安心する」

 その時だった。

 コンコン、と部屋の扉が叩かれる。

「……はい?」

 扉を開けると、そこには小柄な少女が立っていた。

 赤毛。

 丸眼鏡。

 やや怯えた表情。

「あ、あの……」

「はい」

「恋愛感情理論学の、新しい先生……ですよね?」

「一応その予定ですが」

 少女はおどおどしながら紙束を差し出した。

「た、助けてください……」

「え?」

 見ると、それは大量のアンケート用紙だった。

 タイトルにはこう書かれている。

『好意共鳴実習・ペア希望調査』

 嫌な予感しかしない。

 少女は半泣きだった。

「誰も……私とペア組んでくれなくて……」

「…………」

 ルミナが「あー……」という顔をする。

「この子、ネリィ。ちょっと人付き合い苦手で有名」

「ルミナさん!?」

「事実でしょ」

 ネリィは顔を真っ赤にする。

「だ、だって……! 話しかけると変な空気になるし……!」

 その瞬間。

 彼女の周囲に灰色の魔力が漂った。

 自己否定。

 不安。

 萎縮。

 感情流が目に見える今の私には分かってしまう。

 そして同時に、周囲が彼女を避ける理由も。

 人は“自信のなさ”に引きずられる。

 緊張している人を見ると、こちらまで緊張する。

 気まずそうな人を見ると、距離を置きたくなる。

 悪意ではない。

 心理的同調だ。

 私は少し考えてから言った。

「ネリィさん」

「は、はい……」

「今、“誰も私を選ばない”と思っていますよね」

「っ……」

 図星だったのだろう。

 彼女の肩が震える。

「でも、それを先に態度へ出してしまうと、相手も不安になるんです」

「え……?」

「例えば、“断られるかも”と思いながら話しかけると、人は無意識に目を逸らしたり、声が小さくなったりします」

 ネリィは呆然と私を見ている。

「すると相手は、“自分は拒絶されてるのかな”と勘違いする」

「…………」

「結果、お互いに距離を取ってしまうんです」

 これは心理学では珍しくない。

 予言の自己成就。

 “嫌われるかもしれない”という不安が、本当に人間関係を壊してしまう。

「じゃ、じゃあ……どうすれば……」

 私は少し考えたあと、笑ってみせた。

「まず、“上手くやろう”をやめましょう」

「え?」

「人間関係って、完璧な会話より、“安心感”の方が大事なので」

 ネリィはぽかんとする。

 私は続けた。

「だから最初は、“うまく話す”じゃなくて、“相手を怖がらなくていい”を目標にしてください」

「怖がらなくていい……」

「はい」

 ネリィの灰色の感情流が、少しだけ薄くなる。

 ルミナが横で感心したように呟いた。

「……それ、心理誘導?」

「いえ」

 私は苦笑する。

「ただのコミュニケーション論です」

 するとネリィは、おそるおそる顔を上げた。

「あ、あの先生」

「はい」

「もしよかったら……」

 彼女は真っ赤になりながら言った。

「練習、付き合ってくれませんか……?」

「…………」

 ルミナがニヤニヤし始めた。

 やめてほしい。

 その顔は本当にやめてほしい。

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