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恋愛については未履修です ~転生先では恋愛心理学の教授になっていました~  作者: パト山


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5.深呼吸が救う世界

黄金の瞳が、空の裂け目の奥でゆっくりと瞬いた。

 見られている。

 その感覚だけが、皮膚の裏側へまとわりつく。

 学院中の空気が凍りついていた。

「防衛術式、第三階位まで展開!!」

「学生を地下区画へ!」

「感情流の暴走に注意しろ!」

 怒号が飛び交う。

 だが私には分かってしまった。

 今、一番危険なのは“恐怖そのもの”だ。

 人々が怯えれば怯えるほど、感情流が乱れ、この世界ではそれが実際に魔力災害へ繋がる。

 つまり。

 パニックが、現実を書き換える。

「……最悪のシステムでは?」

 思わず本音が漏れた。

「理解が早いな」

 隣でエルグラン学長が低く言う。

「この世界では、心が世界へ干渉する」

 心理状態が現実へ作用する。

 それは心理学者として、あまりにも恐ろしい世界だった。

 地球では、人の悪意や不安はせいぜい人間関係を壊す程度だった。

 だがここでは違う。

 恐怖が嵐を生み。

 怒りが炎を暴走させ。

 絶望が空間を歪ませる。

 感情が、そのまま災害になる。

「……そんな世界で教育なんて成立するんですか」

 私が呟くと、学長は静かに笑った。

「だから教師が必要なのだ」

 その瞬間だった。

 近くで悲鳴が上がる。

「きゃあっ!?」

 見ると、一人の女子学生の周囲で魔力が暴走していた。

 紫色の光が弾け、空気が歪む。

 周囲の学生たちが一斉に距離を取る。

「近づくな!」

「感情暴走だ!」

 女子学生は涙目で震えていた。

「ち、違……私は……」

 だが周囲の視線がさらに彼女を追い詰める。

 まずい。

 典型的な集団圧力だ。

 孤立感が不安を増幅し、さらに魔力を暴走させている。

 私は反射的に前へ出ていた。

「先生!?」

 ルミナが止める声が聞こえる。

 だが私は女子学生の前へ立つ。

「大丈夫です」

「え……?」

「深呼吸しましょう」

 自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 大学で何度も学生相談を受けてきた。

 泣く学生。

 孤立する学生。

 自分を嫌いになった学生。

 恋愛は分からない。

 だが、“苦しい顔”だけは、何度も見てきた。

「吸って。吐いて」

 女子学生は混乱したまま私を見る。

 周囲の学生たちもざわついていた。

「危ないぞ!」

「暴走してる!」

「大丈夫」

 私は繰り返した。

「失敗しても、人はそんな簡単に壊れません」

 紫色の魔力がわずかに揺らぐ。

「不安になるのは普通です。怖いのも普通です」

 女子学生の目から涙が零れた。

「でも、“怖がってる自分”を否定しなくていい」

 その瞬間。

 暴走していた魔力が、ふっと静かになった。

 ざわめきが止まる。

 女子学生はへなへなと座り込んだ。

「……収まった」

「嘘だろ……」

 周囲が呆然としている。

 私はようやく息を吐いた。

 怖かった。

 内心めちゃくちゃ怖かった。

 爆発したらどうしようと思っていた。

 だが。

 エルグラン学長が、どこか愉快そうに笑う。

「なるほど。“理論だけ”ではないか」

「え?」

「君は理解している。“心”は否定されるほど壊れるということを」

 私は言葉に詰まった。

 その時だった。

 座り込んでいた女子学生が、涙目のままこちらを見上げる。

「あ、あの……」

「はい」

「先生、なんですか?」

「…………」

 先生。

 その呼び方に、胸の奥が少しだけ揺れた。

 私は三十二歳だ。

 大学教員として働いてきた。

 だが。

 学生に“必要とされる”感覚には、未だに慣れない。

 ずっと理論だった。

 分析だった。

 論文だった。

 人間関係を外側から観測してきた。

 誰かと深く関わるのが怖かった。

 拒絶されるのが怖かった。

 だから安全圏から、人の心を研究していた。

 なのに。

 異世界へ来て最初にやっていることが、学生相談みたいなことなのだから人生は分からない。

 するとルミナが、じっとこちらを見ていた。

「……やっぱ変な人」

「そうでしょうか」

「普通、初対面で暴走寸前の子にあんな近づかない」

「でも放っておけなかったので」

 ルミナは少し黙る。

 それから、小さく呟いた。

「そういうところ、多分教師向いてる」

 不意打ちだった。

 私は思わず視線を逸らす。

「……ありがとうございます」

 顔が熱い。

 褒められ慣れていない三十二歳男性には刺激が強すぎた。

 すると学長が愉快そうに笑った。

「よし。正式採用で」

「待ってください」

「教員寮も空いておる」

「話を進めないでください」

「ちなみに女子寮の隣だ」

「帰らせてください」

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